久代の日記

音楽、矯正治療のこと、日々のこと等

三国連太郎の壮絶人生。

2010-03-30 18:03:35 | 日記
14歳で家を出て放浪生活していたのです。プロデュサーにスカウトされて映画に出ていますが、俳優になる事はまったく考えていなかったようです。食べる物に困らないと思いプロデュサーについて行ったようです。若い頃はほんとうに良い男だったんですね。ほりの深い今で言ういけ面て言うのでしょうか。もてたんでしょうね。木下恵介監督が気にいっていた人で、すぐ映画の新聞記者役になっていますが、何回も何回もNGを出しても監督は怒らなかったそうです。俳優の勉強もしていなく、いきなりだと上手くいかないと思います。木下恵介監督の映画は、子供の頃泣かされた覚えが鮮明に残っています。今の時代にいない監督さんだと思っています。桜の花が 大きく育つ頃 僕らはみんな 大人になるんだ と言う歌を覚えているのです。題名は忘れましたが、弱い者の見方のような泣かせる映画を作る監督でした。子供だったのですが、心に強く残っている映画やテレビが木下監督なのです。監督が今も生きていれば、また泣かせている映画を撮っているのでしょうね。貴重な人ですね。三国連太郎が監督から受け継いだ言葉は自分の好きなようにやりなさいだそうです。三国連太郎も自分の道に苦しんでいた時期がありました。自分で監督をやり、独自な映画を作りを模索していた時期がありました。白い道がカンヌ映画祭の審査員特別賞をとっています。三国連太郎の映画を木下監督は批評してくれたそうです。無意識の内に木下監督の足あとを追っていたと言っていました。影響はかなり大きかったようです。私の母と同じく今年87歳だそうです。毎日ウォーキングを2時間やっているそうです。どうも釣りバカのイメージが強くてよく分からなかったのですが、こんなにも木下監督の影響を受けていたなんて知りませんでした。
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