三谷てつおの県議会日記

三重県議会議員三谷てつおが議会での審議の内容やさまざまな出来事を報告。

伊藤忠治先生のことなど・・・

2005年12月05日 05時50分13秒 | 社会、政治、三重県、議員
 土曜日の昼、津のセンターパレスで「伊藤忠治先生感謝の集い」が開催され、出席をした。当日、県外から駆けつけてこられた横路衆議院副議長、赤松民主党副代表をはじめ県内では野呂知事はもちろん中井代議士、中川代議士、また先の選挙で初当選をした森本代議士、さらには高橋、芝両参議院議員、連合三重の千田会長など県内外の政界、労働界、経済界の主だった皆さんが集まり、さすがのセンターパレスのホールも満員の盛況であった。
 我が「新政みえ」からは、いよいよ津市長選出馬を決意した松田総務局長の他、中村幹事長、舟橋政策局長など総勢14名が顔を揃え、伊藤先生の人柄と人望の高さに改めて感心した次第です。
 伊藤先生が民主党の「70歳定年制」を機に、「次の選挙には出ない!」と心ひそかに決意をされていたことなど、マッタク知らなかった私どもは「当然、次も出馬」と勝手に思い描いておりました。
 ですから、予想もしなかったアノ「小泉郵政解散」に突入し、1区から5区までの候補者擁立話の中で、水面下で行われていた「伊藤代議士の後継は森本、松田両県会議員から・・・」との調整の話を知ったときには、正直、戸惑いました。しかも、「会派」には正式にナンの話もない!これは一体、どうなっているのか?だんだんと戸惑いが怒りに変わってきてしまいました。申し訳ありません!
 「会派」の中も「また、会派から引っこ抜かれるのか!」「我われにナンの相談も断りもないじゃないか!」と口に出さないまでもソンナ皆の気持ちがヒシヒシと伝わってくるのがヨク判りました。
 そんなこともあり、民主党県連での常任委員会の席上、「会派」の「空気」を代弁して噛み付いた訳ですが、そのときの伊藤先生の本当に「困った」ような顔が今でも思い出されます。中井先生の「マア、マア」のとりなしで、その場は収まりましたが、今から振り返ると、こちらの思慮の浅さに汗顔の至りで、本当に恥かしさで一杯です。
 「感謝の集い」での先生の挨拶で、6期20年余の思い出を語られ、その時々の重要な法案や国政での課題に関わってこられたことを話され、また、たまたま「細川内閣」「羽田内閣」の時は落選中であったため、一度も「与党」を経験したことがない・・・「野党一筋」であったことを誇りにしているとも話されました。
 今までのお付き合いの中で、国対、議運畑が長かったこともあり、その時々の国会の内情などを面白おかしく説明していただいたことも思い出します。
 先生の座右の銘は「人生一度」だそうです。ぜひ、これからもお身体を大切にしていただき、文字通り「一度しかない人生、思い切り生きて」いただきたいと思います。