三谷てつおの県議会日記

三重県議会議員三谷てつおが議会での審議の内容やさまざまな出来事を報告。

毎日がぶら下がり???

2011年04月29日 09時35分13秒 | 社会、政治、三重県、議員
 鈴木新知事の「ぶら下がり取材」に毎日応じると表明したことが話題を呼んでいる。どうもメディアの方から申し込んだのではなく、知事自らが積極的に毎日の「ぶら下がり取材」を希望したようで、今のところ若い新知事らしい!と好意的に見られている。
 新聞などで報じられている通り、「毎日のぶら下がり」と言えば、大阪の橋下知事が有名である。私が大阪府庁に橋下知事を訪問した時、廊下で大勢のTVカメラや記者団に囲まれて「ぶら下がり取材」に応じていた光景を思い出す。
 もちろん、知事などの首長が気楽に取材に応じ、様々な情報を発信することは県民の立場からも歓迎ではあるが、それが「毎日」となるとよほど情報発信力が強いか、話題性のある方でなければ、当初の物珍しい間はともあれ、徐々に飽きられると言うか、「ぶら下がり取材」を続けること自体が目的化してしまう恐れもあるし、記事になるようなネタを提供しないと、いくら発言をしていても無視されてしまうことになってしまう。
 旧知の某大阪府会議員に「ああ毎日、取材に応じているのは、いくら橋下さんでも大変だな!」と話をしたとき即座に「彼はマグロと一緒で、常に泳いでないと死んでしまうんや」との答えが返ってきた。なるほど寝る時も泳いでいるマグロか!と感心をした覚えがある。
 おそらく新知事もエネルギーだけは橋下知事に負けないであろうが、話題の提供能力と情報発信力ではかなり差があるのではないだろうか?余り無理をせず、休む時は休む!くらいの気楽な感じで「ぶら下がり」に応じていけばいいのでは・・・?
 大阪の橋下知事と同様、マスコミ発信が大好きなのが名古屋の河村市長である。この方はTV画面で見る限りは「ぶら下がり」ではなく、ごく普通の「記者会見」をされているようであるが、ただ問題なのはこの「記者会見」で議会への報告や説明より先に「重大な決定事項」を発表されてしまうことが多々あるらしい。
 名古屋の市会議員に言わせると「エッ!こんなことをするの?」とまったく知らないことやビックリすることをマスコミ報道で初めて知ると言うのはそう珍しいことではないとのこと。そして、そのことが市長と議会の軋轢を生む原因の一つであると解説をした。
 いろいろと余計な心配をしているのであるが、間違いなく言えることは知事サイドから出される情報量が従来に比して大幅に増えると言うことである。よほど議会側も心して臨まないと、知事側の一方的な情報操作?で常に正義は「知事」側で「悪」は「議会」などと言うどこかの市議会のようになってしまうのではと、これまたアラヌ心配をばしてしまうのである。
 それなら、いっそ、議長も「ぶら下がり取材」に応ずるか???でもお願いしても誰も取材に来なかったりして・・・???

鈴木新知事は何を目指すのか???

2011年04月24日 10時40分03秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨日、伊勢新聞の鈴木新知事を迎えての「政経懇話会特別例会」が津市内のホテルで開催され、めったにこの種の会合には出席をしないが、新知事が何を喋るのか?に興味もあったので出席をした。
 出席者はおおよそ250名くらい。主催者である伊勢新聞小林社長の「政財官界のそうそうたる方々」の解説通り、そうそうたる方々の出席ではあるが、比率から言えば、圧倒的に官界、しかも県職現役幹部やOBが目立った。「久しぶりですね!」「今、どうされてますか?」などと私も懐かしい顔ぶれの皆さんとの再会に会話が弾んだ。
 例会は一部、二部に分かれており、第一部は本日のメインイベント・・・鈴木新知事による「鈴木県政が目指すもの」と題した講演会。第二部は立食パーティー形式の懇親会。私は第二部の冒頭で挨拶するようにと指示されている。
 50分の予定で始まった新知事の講演であるが、あれもコレもの盛り沢山と言うか、具沢山の話で、1時間を超えての熱弁でありましたが、最後は少し尻切れトンボの感が拭えない終わり方でありました。講演の内容については全文が本日の伊勢新聞に掲載されているので、そちらを読まれれば新知事が何を喋ったか?は一目瞭然でありますが、首相の所信方針演説並みの「長さ」で、これを読みこなす労力と時間と根気は普通の人ではおそらく持ち合わせてはいないと思いますから、私流に骨格部分を報告をばさせていただきます。
 まず「鈴木県政」の基本は二つ。一つは三重県を一次産業をも含む「モノづくり」で日本の経済をリードする地域にする。二つ目は三重県を経済だけではない「新しい豊かさ」で幸せが実感できる「地域モデル」にするとのこと。
 それを踏まえて、当面、七つの方針で県政を運営していくそうである。第一は「防災計画」の見直し、「危機管理体制」の見直し、そして復旧・復興支援。これはまあ、当然のこと。
 第二は教育問題。学力の向上と公教育の再生。さらには道徳・歴史・国語などの学習を通じての「日本人らしい」教育の確立。これは少し物議を醸しそう。
 第三は経済問題。とりわけ「中小企業対策」の充実で、従来の対策に加えて企業の「強み」の発見や地元に就労の場を作る。これは言うは易く行うは難しの典型的課題。
 第四は三重県のPR。「美し国おこし三重」の平成25年に予定されている「集大成イベント」の実施、各種国際会議の招致や東京にアンテナショップの開設。これには少し驚いた。F理事のレクの成果かどうかは定かではないが、「美し国おこし三重」は見直されることなく、予定通り。費用対効果、維持経費が問題と執行部が頑なに拒否していた「アンテナショップ」が早々と登場。
 第五は「エネルギー」問題。新エネへの支援を積極的に行うとのこと。さすが経産省出身。ドイツの例などをあげ、太陽光発電のファンド化などのアイディアを披露。北川県政時代のITプロジェクトのようにならないよう祈るのみ。
 第六は行財政改革。三重県を改革のトップランナーに。三重県独自のオリジナル方式で実行。すべてをゼロベースで見直す。なかなか威勢のいい言葉が並ぶ。これからしばらく続くであろう「レクチャー」と言う名の「洗脳教育」に耐えて、どれだけ「ゼロベース」で見直すことができるか?これは見ものである。
 最後の第七は医療。議会が認めた「県立病院改革の基本方針」を堅持する。指定管理もシッカリと結果をだすよう頑張るとの話。これは「救急車を安易に使うな!」と県民の良識に訴える話とは違い、今までもギリギリの選択を強いられてきた難題。まさに新知事の力量が問われることに。
 以上、私の独断と偏見で報告と解説をばさせていただきましたが、いずれにしても具体的になってくるのは6月会議。久しぶりの面白そうな知事の登場で、議会議論が白熱するかどうか?乞う!お楽しみ!!!
 

さよなら中村勝議員!!

2011年04月18日 17時55分47秒 | 社会、政治、三重県、議員
 今朝、10時から故中村勝議員の追悼式が県議会本会議場で厳かに執り行われた。会期中ならば本会議を開いて行うべきところではあるが、改選後、議員の任期は今月の29日まで、知事の任期は20日までであり、色々と日程を調整をして、今日18日の実施の運びとなった。
 中村議員は今から6年前、当時の木田議員が市長へ鞍替えしたのを受けての補欠選挙に挑戦。大激戦の末、見事にデビュー戦を飾った。その時の新政みえの選挙責任者が先の知事選で惜敗をした松田直久であった。我々「新政みえ」が総力戦で臨んだ選挙戦は文字通り全員参加型。会派のメンバー全員が鳥羽にそれこそ泊まり込みという異例の選挙戦であった。
 私も答志島や鳥羽の海岸通りなどを一軒、一軒、中村勝のリーフレットを持って、お願いの行脚をした。自民党の厚い支持基盤のある地域ではあるが、実際に歩いてみると「あそこも行った方がええよ!」などとまったく見知らぬ人たちが親切に声をかけてくれたり、案内をしてくれたりして、人情の篤さに驚かされたり、感激したことを今でも覚えている。
 二度目の選挙も激戦であった。最初の選挙は補選ということで、会派メンバー全員が応援に行くことができたが、今度は統一選。それぞれ自分の選挙を抱え、前回のように鳥羽に泊まり込みとはいかない。何とか自力で勝ち上がってほしい!・・・祈るような気持ちで中村議員の必勝を願っていた。
 私も市町村合併後の初の選挙。しかも無投票ムードから一転しての選挙戦。短期決戦の準備に追われていたとき、鳥羽が厳しい!何とか応援に行ってもらえないかと会派選対から要請がきた。自分の選挙も大事だけれど、会派の代表の責任も大事・・・そう判断をして、急遽、個人演説会の日程を組みなおし、個人演説会終了後、最終の特急で鳥羽に入った。
 翌日は朝から鳥羽市内で街頭演説、出勤の皆さんへの挨拶など候補者と一緒に回らせていただいた。それで当選をしたとまでは自惚れてはいませんが、少しはお役に立ったかと自負しています。
 まさに戦友ともいうべき中村議員が病に侵されたのは2年前。一度の手術で治癒したかと思っていたが、病魔は58歳というまだまだこれからが働き盛りの県会議員を奪ってしまった。
 無愛想の中にもユーモアがあり、議場や委員会では郷土愛溢れる質問や提言をいつも行っていた中村議員。その中村議員の氏名標が白布に包まれ、今日、議場を去った。さよなら中村勝さん。

災害と議会・・・この重いテーマ??

2011年04月14日 18時59分27秒 | 社会、政治、三重県、議員
 4月12日の全国議長会役員会で、被災された岩手、福島、宮城の議長さんからそれぞれ現状の説明や支援に対する御礼などがあったことは既に前回のブログでご報告済みであるが、その時、岩手の佐々木議長と宮城の畠山議長から議会のあり方について、重要な発言があったことを思い出したので、改めて報告させていただく。
 佐々木議長の話によると県執行部の中に県議会も入って、復旧、復興に向けての災害対策を一緒に行っている・・・つまり一種の「議会内閣制」というか「挙国一致内閣」「危機管理内閣」のような体制で未曾有の災害を乗り切ろうとしているとのこと。
 いかにも佐々木議長の発想だと思った。彼は前々から「苦労して達増知事を支えているくらいなら、いっそ執行部入りして自分たちの政策を実現した方がいい」との論者であり、何度か議論を交わした間柄である。
 一方、宮城の畠山議長は「特別委員会を設置し、被災地や職員に負担をかけないために『自己完結型のチーム』を5ツつ作り、それぞれ被災地の現地調査をしている」と話をされた。これもいかにも宮城県議会らしい行動である。議員提案条例制定数日本一の先進議会である。二元代表制の一翼を担う議会の役割を踏まえた議会活動を見事に展開しておられる。
 どちらがいいと言うものではない。あの想像だにできない過酷な状況の中で、議会が動いていることに驚きを通り越して、感銘すら覚える。おそらく試行錯誤の中で、今できる最善のことを考え抜かれての議会活動であろう。
 自分の家のみならずご実家の家すら失くされた宮城の議長。油っ気のないバサバサの髪と生え放題の無精髭に囲まれた眼光は炯々として戦国武将もかくあらんとの気魄に満ちている。絶対に負けるものか!の強烈な意志がヒシヒシと伝わってくる。
 翻ってわが三重県議会はどうであろうか?岩手県や宮城県の議会のように、果たして行動できるであろうか?・・・今回のような国難ともいえる大災害に直面した時、議会はどうあるべきか?を、この際、真剣に考えなければならないと思う。
 大きな危機や大災害に直面した時こそ、行政と住民の強い連携・協力が必要であり、国、県、市町、企業、NPO、住民の連携協働が求められるはずである。そんな時、「住民を代表する機関」である「議会」の果たすべき役割と責任とは?
 新しい知事はおそらく県の「防災対策」「災害対策」の見直しを検討するはずである。その議論の中に議会も入って、議会をキッチと位置付けることが必要だと思います。そしてマニュアル化、システム化をして、いざという時に議会が住民自治の観点から活動を展開できるようにすることが大震災から学ぶ教訓の一つではないだろうか。
 さあ、新しい大きなテーマがまた一つ登場した。新議長どうする???

改選後、スタートから多事多難??

2011年04月12日 18時13分58秒 | 社会、政治、三重県、議員
3月11日に起こった東日本大震災は東北3県と隣接県に想像を絶する被害をもたらしたのみならず原発事故を引き起こし、関係者の必死の努力にもかかわらず、事態の改善を見いだせないまま今日に至っている。亡くなられた方々、今なお避難生活を余儀なくされている皆さんに心からのお見舞いを申し上げるとともに一日も早い復旧、復興を願うところです。
 そんな環境の中で始まった選挙戦ではあるが、なんとか無事5選を果たすことができました。ご支援をいただいた皆様に御礼申し上げます。
 選挙事務所の片づけも終わり、今日は改選後、初の公務。全国議長会の役員会出席のため久しぶりの新幹線である。議長会の資料などに目を通しながら、ふと電光ニュースを見ると、今朝あった長野北部、千葉の地震を報じている。昨日の福島の余震では新たな犠牲者もでている。いつまで続くのか?なんとなく気分が暗くなる。
 役員会の会場に入ると旧知の岩手、福島、宮城の議長が防災服姿で座っている。思わず駆け寄ってお一人おひとりにお見舞いをお伝えした。
 会議の冒頭、それぞれの議長から被災地の現状の報告や各都府県からの支援に対するお礼などがあったが、福島の議長が話を始めた途端、ヒュルル、ヒュルルと警報がなり、ビルが大きく揺れた。後で福島県で震度6の余震があったと報告されたが、結構な揺れで会場は不安感に包まれた。
 各県の状況は本当に厳しいものであるが、とりわけ宮城の議長から選挙区が気仙沼で、議会にいたために難は逃れたものの家は親元も含めて喪失してしまったとの話をお伺いし、現地の悲惨さを思い知るとともに復旧に向けたご支援をを改めて心に刻み込んだ。
 会議が終わり、長居をしているといつ大きな地震が来るかもしれない、新幹線が止まるかもしれない・・・そんなことを考えながら、大急ぎで東京駅へ。
 一路、名古屋に向かう新幹線。窓の外はあちこちに桜の花も見える春爛漫。春霞にぼんやりと浮かぶ富士山が見えなくなってトンネルに入る。突然、新幹線が急停車!灯りが消え、換気が止まる。しばらくすると車内放送の「関東甲信越地域で強い地震が発生!新横浜と浜松間が停電!」との声が響く。電光ニュースが赤色に変わり「停電」の文字を流している。
 
 これは長期戦になるのかな?水、食料はどうしよう?などということが頭を過る。
 新幹線は15分くらいで動きだし、ホッとしたが、地震を身近に感じた瞬間であった。
 少し遅れて名古屋駅に到着。乗り換えの通路を抜けて近鉄のホームへ。アレ?名古屋も地震があったのか?ホームが人で溢れている。いったいどうしたのかと見渡していると構内放送が「白子付近で人身事故。電車は20遅れ」と叫んでいる。
 改選後、初の公務がこの始末。先行きの不透明感を暗示しているのか?それとも???