三谷てつおの県議会日記

三重県議会議員三谷てつおが議会での審議の内容やさまざまな出来事を報告。

事務所開きでグラッと来た!!!

2007年03月26日 06時43分52秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨日は地元木曽岬町での「後援会事務所開き」。昨夜来の雨はやっと上がったものの、風も強く、何となく寒さもぶり返したような天気で、果たして人が来てくれるであろうか?と少し心配であったが、そんな心配はマッタク無用。早くから大勢の方々が詰め掛けてくれて、地元は有難い!との思いをあらたにした。
 10時から事務所開きで、何にもの人が受付のために並んでいただいていたその時、グラッと来た。石川県の地震である。
 「地震!」「地震!」と受付の係りの女の方から声が上がった。結構、長く揺れが続いたような気がした。木曽三川河口部と言う事もあり、決して地盤がおせいじにもイイとは言えない地域だけに、地震にはみんな敏感である。
 
 選挙の方は新人さんの出馬も明確になり、選挙戦突入必至の情勢となってきた。遅れている選挙態勢作りのための「地区幹事会」をレンチャンで開催をして、「無投票ムード」から「選挙モード」への転換を図るべく説明にコレ努めているのであるが、どうも皆さんの関心は「新人さん」の人となりなどに集中してしまう傾向がある。
 新人さんも注意をしなければならないが、モット注意するべきは現職の活動なんですが・・・???

どうすればいいのだ???

2007年03月24日 07時52分00秒 | 社会、政治、三重県、議員
選挙本番の準備で追いまくられている毎日。告示当日から4月7日までの個人演説会の日程と会場確保にやっと目途がたち・・・今頃、何をやっているとお叱りを受けるかもしれませんが、コンナ羽目に陥るとは予想をしていなかった。楽観し過ぎだとの御批判は甘受します・・・この計画でいくぞ!と選対スタッフに宣言をしたのも束の間、「新政みえ」の選対から電話である。
 「4月の○日は△△候補の応援で空けておいて・・・」とセッカク作った計画の変更を指示してくる。また、一から組みなおし、会場確認やモロモロの作業をスタッフにしていただき、ヤットコサ出来上がった頃を見計らってか?またも「新政みえ」の選対から「□の日も空けて・・・」と言ってくる。
 確かに会派「新政みえ」の代表であるし、地域政党「新政みえ」の党首?でもあるが、次々と応援の日程が入ってくるのは正直辛い。選挙となれば「個人演説会」命!「演説」命!の私であるので、時間さえあれば、ドコへでも出かけて喋り捲るのは何ら苦にはならないが、ソウ何日も地元を空けて他の選挙区へ応援にでかける時間的余裕はないのである。
 しかし、新人さんに出馬を要請したときには「何回でも応援に入りますから」とか「私に出来ることはナンでもしますので」などと甘言を弄してきた手前、その約束も守らなければ、ナンチュウええ加減なヤツだと恨まれる事にもなりかねない。

 イッタイ、どうしたらいいのか?アアまた計画を練り直さなければ・・・???

パネルディスカッションに行ってきました

2007年03月22日 07時13分43秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨日は午後から桜井義之議員のパネルディスカッション。身辺が急に慌ただしくなってきたが、約束をしているのでパネラーとして出席をした。「みえ県政の未来」と題したディスカッションで、パネラーとしては私以外に藤田議長と議会ウオッチャーとして有名な中山女史そして主催者である桜井議員・・・まさに今の県議会を代表する?錚々たる?布陣である。
 地元のK氏の軽妙な司会で進められて行く「パネルディスカッション」は演題が演題だけにパネラーの方も如何しても力が入ると言うか?熱が入ってしまい当初予定をしていた時間も大幅にオーバー。おそらく聴いておられる方も相当疲れてしまったのではと反省をばいたしております。
 ほぼ満席の会場からも活発な意見や質問が相次ぎ、主催者の目論見通りの盛り上がりを見せていた。
 とりわけ今話題の「政務調査費」の問題では辛らつな意見もあり、議会改革先進議会を自負してはいるが、改選後の喫緊の課題との認識を新たにしたところです。

 事務所開きと決起大会とを兼ねた「パネルディスカッション」だそうであるが、会場の空気はおよそ「選挙」とは関係のない「学識的」な雰囲気で溢れている長閑なものでありました。桑名もつい最近まではコンナ空気だったのに・・・???

衝撃が走る!!

2007年03月21日 07時26分38秒 | 社会、政治、三重県、議員
選挙の事前審査書類の受付も終わり、地域政党「新政みえ」の公認候補問題や知事選の出陣式の問題など、自分の選挙とは関係のない事柄でアチラこちらと電話をしたりしていたその時、一本の電話。某新聞社からである。 
 「新たに供託金を納めた人がいるそうですが、ご存知ですか?」と思いもよらない話が耳に飛び込んできた。エッ?そんな話は初めて聞いた。午後2時の時点では現職だけの届出と聞いていただけに、驚きを通り越してビックリをしてしまった。
 早速、関係各方面に電話をして「イッタイ誰なのか?」「ドンナ人なのか?」と情報収集をしてみたが、どうもイマイチよく判らない。
 イロンナ途切れ途切れの話を接ぎ貼って、「ゲナ話」や「伝聞の伝聞」などを総合してみると、19日に書類を取りに行き、昨日の20日、2時過ぎに提出したようである。供託金を納めたのは間違いなく、事前の書類も一応、受理されているが、公費負担の書類などはなく、単に届出の書類だけのようである。
 ご家族の方が反対しているとの話も漏れ聞こえてきているが、コレも又聞きの又聞きで、実際はよく判らない。
 多度のT氏では?とか桑名のK氏では?などと名前も上がってきてはいるが、確実な話にはなってきていない。

 いずれにしても「選挙!」である。急遽、拡大選対会議を昨夜、招集。5時過ぎから電話で「今晩7時に・・・」と各地区代表幹事さんに連絡をとると、急な連絡にも拘わらず、コチラの予想をはるかに超える方々がゾクゾクと集まってくる。みんな真剣な面持ちで、「ヤッパリ選挙か?」と気持ちを引き締めている。
 いよいよ選挙である。個人演説会の段取り、スタッフ会議と忙しくなるぞ!!!

いよいよ県議選も終盤戦!盛り上がりに盛り上がって???

2007年03月19日 07時17分17秒 | 社会、政治、三重県、議員
 一昨日は度会郡の山本さんの応援で玉城JAへ。昨夜は四日市の稲垣さんの応援で文化会館へと連日、走り廻っている。
 両会場とも満員盛況で、選挙戦もいよいよ終盤の雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
 山本さんの度会はヤハリ遠い。遠いが故に余り来れないと思い、セッカク来たのだから先ず後援会事務所を覗いてから会場へ行こうと考えたのが、大きな間違い。玉城ICを降りて、事務所へと一路、車を走らせたのであるが、これが会場とは逆方向。土地勘がないと言うか?方向音痴と言うか?延々と車で走って、ヤットコサ事務所に着いて、「コンニチハ」と入ってみると留守番の人以外誰もいない。
 全員、会場に行っていますとの返事に慌てて、玉城JAに向かったのであるが、車で走ってみて、早くから事務所の方々が会場に行った理由がよく判った。チョットした遠出のドライブ並の距離である。
 開始時刻15分前にはまだ、だいぶ空席があり、心配していたが、応援の一番バッターである岡田代議士が話を始めるころにはビッシリと計算をしたように満席。追加で椅子を出さなければならないような状態である。ドコへ行っても岡田代議士の人気は凄い。

 昨夜の稲垣県議の「決起大会」には驚いた。来場者の多さだけではなく、来賓の顔ぶれがオールキャストなのだ。岡田、中川両衆議院議員、高橋、芝の参議院議員、さらには千田連合会長と今、三重県北部で考えられるスベテの応援弁士が顔を揃えた。ちなみに私の「事務所開き」には「誰も行く人がいないので、しかたがないから・・・}との理由で高橋参議院議員だけが来て、「寒い、寒い」を連発しながら、手短に挨拶をして帰って行った。エライ違いである。
 しかし、もう選挙告示目前!コレからがスパートである。これからの追い込みで勝敗が決まってくる選挙区がほとんど。会場の入りの多さに気を抜くことなく、油断することなく、頑張らなくちゃ!!!

「地域政党」の反響の大きさにチョピリ驚いています!!

2007年03月16日 08時22分03秒 | 社会、政治、三重県、議員
 「新政みえ」を「確認団体」として登録し、「公認候補」を擁立すると決定したことに対し、イロンナ方面からコチラの予想を大きく上回る反響が返ってきた。
 マスコミ各紙も「新政みえが地域政党に」と当初考えていた以上に関心を示して比較的大きく紙面を割いて取り上げてくれた。
 しかし、このことは我われにとって、「議会基本条例」を制定し、「地域主権社会」目指していることを考えれば、余りにも当然と言うか?論理的必然と言うか?当然の帰結であると思っています。
 そもそも「分権改革」「地域主権の確立」を主張しているのであれば、「地域」のことは「地域」の意思と責任で決めるシステムを作り上げていくのは当然の責務であると思います。
 そのためにはイロイロとイロンナ分野に頼みもしないのに押付がましく言って来る「国」や「中央政党」の考えや思惑・・・それらから離れて、少なくとも自治体議会は「地域の意思」を「自治体の意思」として実現していく努力をしなければならないと思います。
 ソウでなければ「自治体議会」における「会派」は国の下請け、政党の下部組織になってしまう。
 私どもは「議会基本条例」で「国、政党」の立場から離れて「自律」することを明確に宣言をしました。国や政党の思いを県政に実現するのではなく「県民の思い」を県政に実現する・・・そのためにもココは一番、「地域政党」を立ち上げ、私たちの「存在の基本」を県民の皆様の前に明らかにする必要があると考えました。
 既にこれからの4年間で「何を目指すのか?「何をなそうとしているのか?」を「5つの政策方向」と「25の具体的政策」とにまとめた「新政みえビジョン」を先月の末に発表しています。
 そしてこの「新政みえビジョン」を高く掲げて、これを訴えて「選挙戦」を戦い抜く決意です。


 まさに「地域の思い」を実現する「政策本位」の選挙をやろう!と真剣に考えています。どうか「ナニかチョット新しいこと」「目新しいこと」をやろうとしているのだなあと思わないで、我われの意図している事をゼヒゼヒご理解いただきたいと思います。私どもは「コノ道」こそ「新しい三重県議会のあるべき道」だと信じているのです!!!

今期最後の定例会・・・最終日はそれなりの哀愁が???

2007年03月15日 05時58分05秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨日は定例会最終日である。しかも当然であるが、4年間の今期最後の議会の最終日でもある。県議会議員になって3度目の期末をむかえるわけだが、やはり何となくそれなりの感慨をそそる。
 閉会日の本会議。懸案となっていた「政務調査費に係る条例」の一部改正を私が演壇で提案説明をさせていただき、全会一致で可決成立した。
 これでコノ5月からは新人の議員さんを含め県会議員は全員、今回、成立した新しい「政務調査費のルール」に従って収支報告をすると言うことになる。しかし、まだまだ不十分との声もコレ有で、とりあえず1年間くらいは試行してみて、不都合があれば修正なり、改変をすることとなるのであるが、新ルールに習熟するのにも一定期間が必要であろうと思うので、コノ当たりのサジ加減がナカナカ難しくなりそうである。
 閉会のセレモニーが終わり、会派控え室に戻ると今回の人事で異動される方やそのまま留任となる方など県幹部が次々と挨拶に来られ、「これからもよろしく」と口々に言われるが、選挙の結果次第ではココに戻ってこられるかどうか?も定かでない身にとって「お互いに元気で・・・」くらいの挨拶しか返されないもどかしさに、選挙することの厳しさが身につまされところです。
 そんな「エール交換」ならぬ「挨拶交換」が一段落したところで、文字通り「最後の会派総会」が開催された。
 私の方からは、昨年の8月からの「代表」であるが、この間、何かと力不足の多かった事をお詫びするとともにお支え頂いたことへの御礼を述べた。そして来るべき「県議選」で全員が勝ち上がり、再びコノ場に顔をそろえられるようお願いし、合わせてそのために会派挙げて出来る限りの応援をする旨の決意を表明させていただいた。

 今回の選挙は会派である「新政みえ」を「確認団体」として登録し、6名の「公認候補?」を擁立した事実上の「ローカルパーティー」としての初の戦いとなる。
 「国」や「政党」の思いを県政に実現するのではなく、「県民の思い」を県政に実現していく・・・そんな「地域政党」のスタートの選挙。「新政みえビジョン」を掲げて、サア戦いだ!!!
 

口利きの情報公開・・・議会議論との兼ね合いが難しい???

2007年03月13日 07時58分50秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨日は朝から「予算・決算特別委員会」が開催され出席をした。平成19年度予算の採決とそれに伴う最後の質疑を行なう委員会であるが、選挙疲れと言うか?一応、全員顔を揃えてはいるが、文字通り心ココにあらずの面持ちで、委員長報告に対する質問もマッタクなく、たちまちの内に質疑が終了、全会一致で予算案は可決された。
 その予算案が可決された後、そのまま全員協議会に移行。私ども代表者会のメンバーから全議員に対し「政務調査費に関する条例の一部改正」についての議案説明をした。
 代表者会のメンバーを代表して私が内容の説明をしたのであるが、この説明に関しても何の質問もなく、アッと言う間に「議案の聴取り会」も終わってしまい、腰が浮いていると言うか?気持ちは既に「選挙区」との様子がアリアリで、やはりコノ時期の議会はドコとなくヨソヨソシイ雰囲気が漂っている。
 そんな全協が終わり、やっと本日のメインイベント・・・「政治倫理特別委員会」が始まった。
 コノ委員会は先日来、問題になっている「口利き要領」の運用に関して、現在の運用状況を調査するとともにイロイロと不満の出ている点についての改善策を検討するために急遽開催されたものである。
 総務部長からコノ2ヶ月間で33件の要望、提案などの「口利き」があったことなどや「口利き」の情報公開に対する執行部の考え方などが報告された。

 まだ「口利き」を情報公開にして2ヶ月余り。まさに進行形の状況であるので、これからの運用を見極めた上で判断しなければならないとは思いますが、大切なことはセッカク、踏み切った「情報公開」、絶対に後戻りさせてはいけないと言うことが一つ。もう一つは「運用」によって「議会の自由な議論」が縛られてはならないと言う点である。
 コノ二つのポイントをどうバランスをとっていくか?ここがこの「口利き」を「情報公開」の対象にする決定が成功するか?どうかの核心だと思います。「口利き」署名第一号の名誉?に賭けて何とか成功にもって行かなければ・・・???
 

太田嘉明町長さようなら!!!

2007年03月12日 07時36分31秒 | 社会、政治、三重県、議員
 員弁町長を10期勤められた太田嘉明氏が一昨日亡くなった。まさに突然の訃報である。シベリア抑留にも耐え抜いた頑強な身体が自慢の太田さんだけに、衝撃と言うか?「亡くなった!」との一報を聞いたとき、エッ?と暫し言葉を失ってしまった。
 太田さんと最後に言葉を交わしたのは、山本幸雄先生が亡くなり、その東京での葬儀の連絡をしたときであった。当然、上京されるものと思っていたが「チョット身体の調子が悪くて・・・」とイツになく元気のない返事に戸惑いながらも、まさかコンナに悪いとは想像もしなかった。
 思い起こせば太田町長とは長いナガイお付き合いであった。私が大学を出て、山本先生の議員会館に勤めだしたとき、陳情で上京された町長と最初にお目にかかった。実にお元気な方で、議員会館から各省庁に行くのであるが、スベテ徒歩!しかもそのスピードたるやコチラが駆け足で付いて行かなければならないくらいの早さである。
 そんな町長のお供をして陳情をして廻ったのが昨日のように思い出される。それ以来、本当の親子のように可愛がって頂き、今日に至っている。
 特にお世話になったのは私の県議選である。相手候補には次から次とイロイロな自民党の国会議員が個人演説会の応援弁士として来るが、こちらは誰もいない。そんな時、ムリを承知でたった一人の応援弁士として何度も来ていただいた。本当に有難かった。
 そのご恩返しと思い、太田さんの最後の選挙となった合併した新生「いなべ市」の市長選では私も微力を顧みず走り回った。結果は残念であったが、町長としては悔いのない戦いであったと思う。
 最近では「叙勲」を楽しみにしておられ、この「春の叙勲」が決定をしていたのに、それを目にすることなく他界されてしまった。

 昨夜の「いなべ市」は季節外れの雪空。粉雪が舞う中、通夜会場となった「葬祭場」は外冷えのする駐車場まで、町長を慕う人たちが溢れていた。
 「軍刀を抜いて・・・」のアノ演説が懐かしい!!ご冥福をお祈りします。合掌。

志摩に新しい政治のうねりを!!!

2007年03月11日 08時16分31秒 | 社会、政治、三重県、議員
 晴れ上がった穏やかな昨日、後援者のお葬式に出た後、電車に飛び乗り一路、志摩市へ。この県議選に志摩市選挙区から出馬予定の西尾秀俊さんの後援会事務所開きに出席するためである。
 3月も中旬近くなると陽気も春めいてきているし、土曜日と言うこともあり電車の中はサホド混んではいないが、家族連れや行楽客で何となくウキウキした雰囲気が漂っている。
 桑名から特急電車に乗り、鵜方へ向かったのであるが、四日市、白子、津と駅を経るごとにお客は減ってきて、鳥羽で乗り換えて鵜方に着いたときに残っていたのは私を含めてたった3人のみである。
 ホトンド人気のない鵜方駅に降り立ち、後援会事務所は駅から徒歩2分と聞いていたので、どこかいな~?と、その辺りを見渡すとチョット先にノボリやグリーンのウインドブレイカー姿の人影が見える。
 まさに歩いて2分のところにある「後援会事務所」には既に5~60人の人が集まってきている。その後、徐々に人も増え始め「事務所開き」が始まる頃にはおおよそ100名くらいの方々が集まってきた。
 他の事務所開きに比べればご参加いただいている人数は少ないが、急遽と言うか?一日二日前に連絡をした割には集まっていただいた方か?とも思う。
 自民党の独占区。現職の厚いアツイ壁に挑戦をする難しい選挙区である。しかし、過去の衆議院選挙、参議院選挙の選挙区、比例区の党派別得票を見ると、民主の票さえ固めれば十二分に当選できる選挙区でもある。ガンバレ西尾!!

 芝参議院議員が「志摩が元気がないのは、自民二人で仲良く、競争もなく、ぬるま湯に浸かっているので、新しい政策が湧いてこない!からだ」と訴えていた。後援会の事務長さんが「私はモトモト保守だが、市民の声は右の耳も左の耳でも聴かないと良く聞こえてこない」と自民独占の弊害を訴えておられた。
 溢れるばかりの観光資源がありながら、なぜ志摩は元気がないのか?やはり片方の声ばかりでは市民の願いが正確に伝わらないのでは・・・???