昨日の午後、四日市のホテルで「元自治大臣山本幸雄先生を偲ぶ会」が盛大に開催され、主催者側と言うか?お手伝いをさせていただくスタッフの一人として出席をした。
開式2時間前にホテルに到着。まだ誰もいない4階の大広間に入ると、会場正面に真っ白の花で飾られた祭壇が設えられている。そしてソノ祭壇には勲一等の受賞のときの写真や勲記などが並べられ、何となく華やかな内にも厳粛な雰囲気が漂っている。さらにソノ前には白い布で覆われた献花台と300席近くの椅子が整然とつづき、ピンと張り詰めた空気が流れていた。
お手伝いと言っても、ほとんどのことはホテルの方や葬儀社の皆さんがやっていただくので、私どもは受付と来賓の案内くらいしかする仕事はない。それでもコレが山本先生ために勤めれる事実上の最後の仕事となるのは間違いが無い。
果たして何人くらいの元秘書が来るか?と思っていたら、やはり、全員が同じ気持ちなのか、遠く東京や横浜からも駆けつけた者も含め、元秘書である十数人がナニか一つでも出来ることはないかと全員顔を揃えた。
「偲ぶ会」そのものは粛々と進んで行った。発起人代表である四日市大学の学長である宗村氏、山本先生の後継者である岡田代議士、大阪で山本先生を支えてきた大阪後援会代表である上会長と三人の方々の追悼の詞。遺族代表によるお礼の挨拶。そして参加者全員の献花と予定通り、滞りなく進行していく。
最後に我われ元秘書一人ひとりが献花をして、「会」は終わった。献花を終えて隣のブースに行くと、苦労をして作った「思い出の写真館」と名付けられた山本先生のビデオが放映されていた。作る経過で何度も見ているにも拘わらず、大きなスクリーンに映し出される先生の顔を眺めていると、恥ずかしながらチョッピリ涙が滲んできてしまった。
さよなら山本幸雄先生。
開式2時間前にホテルに到着。まだ誰もいない4階の大広間に入ると、会場正面に真っ白の花で飾られた祭壇が設えられている。そしてソノ祭壇には勲一等の受賞のときの写真や勲記などが並べられ、何となく華やかな内にも厳粛な雰囲気が漂っている。さらにソノ前には白い布で覆われた献花台と300席近くの椅子が整然とつづき、ピンと張り詰めた空気が流れていた。
お手伝いと言っても、ほとんどのことはホテルの方や葬儀社の皆さんがやっていただくので、私どもは受付と来賓の案内くらいしかする仕事はない。それでもコレが山本先生ために勤めれる事実上の最後の仕事となるのは間違いが無い。
果たして何人くらいの元秘書が来るか?と思っていたら、やはり、全員が同じ気持ちなのか、遠く東京や横浜からも駆けつけた者も含め、元秘書である十数人がナニか一つでも出来ることはないかと全員顔を揃えた。
「偲ぶ会」そのものは粛々と進んで行った。発起人代表である四日市大学の学長である宗村氏、山本先生の後継者である岡田代議士、大阪で山本先生を支えてきた大阪後援会代表である上会長と三人の方々の追悼の詞。遺族代表によるお礼の挨拶。そして参加者全員の献花と予定通り、滞りなく進行していく。
最後に我われ元秘書一人ひとりが献花をして、「会」は終わった。献花を終えて隣のブースに行くと、苦労をして作った「思い出の写真館」と名付けられた山本先生のビデオが放映されていた。作る経過で何度も見ているにも拘わらず、大きなスクリーンに映し出される先生の顔を眺めていると、恥ずかしながらチョッピリ涙が滲んできてしまった。
さよなら山本幸雄先生。