三谷てつおの県議会日記

三重県議会議員三谷てつおが議会での審議の内容やさまざまな出来事を報告。

人間ドックも競争の時代!豪華昼食に目を見張る??

2006年11月30日 07時49分15秒 | 社会、政治、三重県、議員
 年一回、定例となっている「人間ドック」を今年も受けた。本当はもっと早い時期に受診する予定であったが、この日と思って予約を入れると、ナゼかしら別の予定が割り込んできて、実に変更すること4度!ヤットコサの受診と相成ったのである。
 12月から1月にかけては、やれ忘年会だとか、やれ新年会だなどと「飲む」機会がメタラ矢鱈多い。その超多忙を極める「飲み会」シーズンの前に、チャンと大量飲酒?に耐えうる体調であるか?それをこなし得る体力があるか?を調べるために・・・とりわけ今年は来春の選挙を控え、その極限状態を乗り越える「身体」であるか?を調べるために「人間ドック」を受けたのである。
 8時半からの受付なのに、いつものように勝手に8時と思い込んで一番に到着。それでも「コンナ早くから迷惑な」と言うような顔もせず、ニコヤカにむかえてもらい、イの一番で、診てもらえることとなった。
 身長、体重、体脂肪の検査から始まった「検査コース」は聴力とか眼底検査とか血液採取、エコーでの検査などを順番にこなして行き、最後がメインと言うか?モットも大掛かりな検査であるバリウムを飲んでの胃の検査となる。
 この「胃の検査」が終わるまでは飲まず食わずの状態を保たなければならない。
 チョット痛い筋肉注射を打って準備OK。バリウムを飲み、ゲップを我慢しながら右を向いたり、左を上げたり、グルッと廻ってみたりの苦行?であるが、今回は例年のようなゲップが出かかると言うこともなく、比較的楽に出来た。
 やっと「胃の検査」が終わった!サア後は飲んでも食べてもいいぞ!・・・コチラの顔つきが変わったのを見逃さず、看護士さんがすかさず「お茶にしますか?コーヒーがいいですか?」と聞いてくる。
 朝から飲みたかったコーヒーを啜りながら、最後の問診を待つ。「診察室へ」と呼ばれて、判決を受ける被告人のような心境で部屋に入ると、問診票を片手に簡単な質問の後、聴診器を当てながら難しそうな顔をしている。
 オヤ?ナニかヤバイコトガ?一瞬、不安が過ぎる。
 先生がコチラに振り向きながら「今のところ異常はありません」と厳かに宣言?した。途端に現金なもので「食欲」がムクムクと湧いてきた。

 食堂での昼食。昨年とは比べ物にならない豪華な内容となっている。ほとんど宴会での会席料理の様相を呈しているではないか!準備をしている看護士さんに「エラク豪華になりましたね」と声を掛けると「エエ、競争が厳しいですから」と当然ですよと言わんばかりの返事が返ってきた。
 「人間ドック」も競争の時代か?・・・そんな事を考えながら全12品のお品書きを読みつつ、夢中で箸を動かしていたのであります。

一日「議会漬け」?ナンじゃこの日程は???

2006年11月29日 07時47分19秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨日は丸一日「議会漬け」であった。議員なら当たり前だ!と仰るかもしれませんが、定例会の開会日とは言え、あれだけ日程が込み合っているのも珍しい。
 朝、9時15分から「代表者会」。懸案の議会基本条例を今定例会に上程するので「各会派」の了解を得るための開催である。すでに「検討会」で、全会派一致して最終案を決定しているので、サホドの異論?議論もなく了解!となった。
 それが終わると同じ会場で「記者会見」。議会基本条例最終案について正式にマスコミの皆さんに報告をした。
 県政記者会の幹事会社から「感想」と言うか?「コメント」を求められたので、以前に当ブログで書いた通り、「ニューパブリックマネージメント時代における政策推進システム対応議会のあり方検討会」の時代からの一連の流れについてお話をした。
 「記者会見」が終わるのと、本会議開会を知らせるブザーが鳴るのがホボ同時。いよいよ何となく気忙しい12月定例会の始まりである。
 知事が提案説明に先立ち、このところ立て続けにおきている「県職員の不祥事」についいて謝罪をした。
 開会のセレモニーが終わると、議席と同じフロアにある「知事控え室」へ。「議会基本条例」と「二元協議会(パートナーシップ協議会)」について知事に報告するとともに「協議会」設置の申し入れをした。
 知事からは「議会基本条例」についての議会の取り組みに対し「敬意?」の表明があり、思わず苦笑?失笑?してしまった。また「協議会」は原則「公開」でとの意向表明もあり、これで「協議会」の公開は決定。・・・この時代に「原則非公開」を主張する会派があるなんて信じられない。
 「知事控え室」を出て、一息つく暇もなく「議案聴き取り会」が始まった。補正予算が中心の議案が多いので「議案」の中身についての質問や議論は余りないが、警察本部、企業庁と「職員の不祥事」についての謝罪が目に付く。
 殺人事件以来、多少の不祥事には驚かなくなってきているのか?それとも議員の方もウンザリとしてきているのか?は定かではないが、「アノ謝っているのは、ドンナ事件だった?」などと、余りの多さに訳が判らなくなってきている。
 「議案聴き取り会」の合間に昼食をかねて「会派総会」。協議事項が多すぎて「総会」を再度開催することになっていしまった。
 昼休みに引き続いての「議案聴き取り会」が終わると、休憩ナシで「全員協議会」である。この「全協」も盛り沢山である。
 最初に「議会基本条例」について「検討会」から全議員に説明。それが終わると席を替えて、今度は知事もまじえた執行部が「第2次戦略計画」中閑案と「こころのふるさと三重」のプロジェクトについての説明をした。
 第1次先客計画の「総括」がドコに活かされているのか?もよく判らないし、「こころのふるさと三重」のイベントプロジェクトはこれから作り上げていくので、今はまだ「曖昧」と言うか?漠然としたものなので、いくら説明を聞いてもイメージが湧いてこない。第2次戦略計画そのものは知事選後の来年6月に成案として決定するとのこと。しかし、「こころのふるさと三重」は来年1月から具体的な検討に入ると言うのであるから、ますます訳が判らなくなってくる。
 そんな訳のわからない「全員協議会」が終わるとすぐに「議会運営委員会」。ここも副知事からの「謝罪」で始まった。

 議運が終わっても「政治倫理条例特別委員会」の幹事会や「政務調査費検討会」が続いている。議員が自分達で忙しくしているキライはあるが、ヤッパリ「三重県議会」だけは「通年議会」にするか?議員の給与?も「報酬」ではなく「歳費」にしなければ、身が持たないのでは・・・???

薔薇と海賊?揺れ動く心の姿(その2)

2006年11月28日 06時08分09秒 | 社会、政治、三重県、議員
 会場入り口には旧知の友人の姿が何人か見える。「やー!久しぶり」と握手を交わし会場内に。ロビーを見渡すと懐かしい顔ぶれがアチラこちらにいる。ソレゾレと挨拶をし、楽屋、控え室を覗いて廻る。どの部屋も知っている顔で溢れている。ホトンド中高年右翼の同窓会の雰囲気である。
 そろそろ始まると言うことで、ホール中ほどの席に座る。ヒョイと横を見るとルポライターとして活躍中のY氏が座っている。お互い目線で挨拶を交わす。
 開会の辞は学習院大学名誉教授の篠沢秀夫氏。TVで御馴染みのアノ口調で「三島由紀夫」のいない「現代」の課題について話をし、挨拶に代えた。
 つづいて記念講演である。女優の村松英子氏が来年11月に紀伊国屋ホールで公演が予定されている「薔薇と海賊」について話をされた。
 氏によれば「薔薇」は「夢」「至純の魂」であり「海賊」は「俗物」「欲望」だそうである。
 ご承知のように、物語は女流「童話作家」を軸に、その童話の主人公は自分であると信じている「純真無垢」な青年と「世俗的な欲望」の塊のような夫などが織り成す有名な三島作品である。
 村松氏からは、この生前に公演された「薔薇と海賊」と死後に公演された「サロメ」のもつ意味についてのまことに興味深い話があり、改めて三島文学の奥深さと時代を貫く舞台設定に感銘を覚えてしまいました。
 3~40分の講演の後は村松氏を中心に共演する夫役の大出俊氏や青年役の若柳汎之丞氏などによる台本を読む舞台稽古風の演出。
 椅子に座ったまま、ソレゾレが台本を読むのであるが、ソコはソレ、新文学座で鍛えたキャリアか?天性の役者魂か?は判りませんが、その台詞を聞いているだけで、思わず、まるでソコで舞台が演じられていると錯覚してしまうように、グイグイト引きこまれてしまい、「至純の魂」と「世俗の欲望」との葛藤の世界に入り込んでしまいました。
 まさに「陶酔」・・・しばし「三島文学」の世界にドップリと浸かった1時間でありました。
 夢心地の1部が終わり、2部に移る間、準備のため暫し休憩。その「休憩時間」を文字通り見透かしたかのように、ドコかで監視でもしてたかのように「休憩」に入った途端、携帯が鳴った。
 「アレ?コンナ時間に誰だろう?」と電話にでると、C新聞のS記者である。
 「知事はいつ出馬の表明を・・・?」とまたまた俗世的なことを聞いてくる。

 セッカク、「至純の魂」の世界に陶酔していたのに、イッペンに「世俗の欲望」の世界に引き戻された。夢とか?純とか?ましてや「至純」なんてドコにも感じられないS記者のポッチャリとした顔が浮かんできた???

薔薇と海賊?揺れ動く心の姿(その1)

2006年11月27日 06時08分14秒 | 社会、政治、三重県、議員
 一昨日の土曜日、昼から桑名市内であった「連合桑員地協」主催による「参議院選・県議選必勝決起大会」に出席をし、挨拶をした後、一路、東京へと向かった。
 名古屋から新幹線で品川へ。そこから山手線に乗り換えて池袋に着いたときは
、すでに午後5時をまわっていた。久しぶりの池袋である。薄暗くなった町並みの中に学生時代の面影を探しながら目的地である「豊島公会堂」に足を進める。
 喧騒を極める繁華街が途切れた辺りに「豊島公会堂」がライトアップされたように浮かび上がっている。その少し古びた姿が目に飛び込んできた瞬間、記憶は一気に36年前に遡って行った。
 三島由紀夫、森田必勝両烈士が市谷台で壮烈な諫死を遂げたのが昭和45年11月25日。そして、その第1回の「追悼の夕」である「憂国忌」を開催されたのが、ここ「豊島公会堂」なのである。
 ナンとしてでも追悼式をしなければならない。追悼式を成功させなければならない。そんな気持ちで、まるで夢遊病者のように、夢中で幾晩も徹夜をして、それこそ寝食を忘れて準備をして当日を迎えた。会場が「豊島公会堂」になったのも、余りにも急であったがために他に会場がなかったからと記憶している。
 「憂国忌」当日、会場の裏方を引き受けていたので、会場の中の様子や進行状況は判るが、外の様子は皆目判らなかった。ただ早くから大勢の人が詰め掛けてきて、開場予定時間ののはるか以前に満席になってしまったこと・・・一杯だ!外に人が溢れている!などの叫び声が驚きとともに伝わってきたことを憶えている。
 式が始まり、一段落をしたところで、外の様子を見に行って、これは本当に驚いてしまった。
 折からの寒風の中、文字通り立錐の余地もないくらい、7000人とも1万人とも言われる来場者で、開場から池袋の駅までギッシリと埋め尽くされているのだ。
 
 「豊島公会堂」の前に立って、当時の昂揚したと言うか?それこそ日本中が一種異様な雰囲気であった・・・そんな状況の真っ只中での「憂国忌」のことを思い出していた。
 それから36年。。会場も二回目からは「九段会館」に移り、当時の興奮こそないが、落ち着いた形で、厳粛に「憂国忌」は続けられてきた。
 その「憂国忌」が久々に「豊島公会堂」で行なわれる。まるで引き寄せられるように今年の「憂国忌」に参加をした。
 「憂国忌」の模様は明日のブログで・・・???

エッ?ホント?知事が出馬を表明???

2006年11月25日 08時34分10秒 | 社会、政治、三重県、議員
昨日は朝から電話が鳴りっぱなし。厳密に言えば一昨日から携帯に電話が次々と入ってくるのであるが、会合の途中であったり、メンドクサイのと煩わしいのと、いずれにしても余り話したくない内容であろうと予想がついたのでで出なかった。
 その報いか?その電話に出なかった結果か?は判りませんが、朝っぱらから電話が鳴る。仕方がないので電話にでてみると、案の定「知事の出馬」の件である。
 「アノ地元クオリティーペーパーに出ていた記事は本当か?」「おまえがリークしたのか?」「知事からナニか話があったのか?」モロモロetc・・・イロンナ人がイロイロと聞いてくる。
 イロイロ根ホリ葉ホリ聞かれても、知らないものは「知りません!」としか答えようがないが、いくら私が「知らない!」と返答をしても、ナカナカ信用をしてもらえない。これも日ごろの行いの報いか?
 とりわけ新聞記者の皆さんはヒツコイ!出馬の表明は「定例会の冒頭ですか?」それとも「最終日ですか?」「知事は誰と相談しているのですか?」などなど・・・ドウでもイイことにいたく関心がある。
 しかも新聞記者さんだけではなく、某TVの記者さんからも電話が入る。「TV局は別に予想記事を流すわけでもなし、ナゼ、知りたがるの?」と聞くと「エエ、マア、ソウなんですが・・・?」と要領の得ない返事。
 世の中平和なのか?マスコミの皆さんが暇なのか?それとも他に書く事もないのか?よく判りませんが、ハッキリしていることは、知事もそのうち出馬するなら「スル!」、しないなら「シナイ!」と来年3月までには表明すると言うことです。

 そんなコンナで朝から電話の対応で大忙し。そこでこの話の出ドコ?ネタ元はどこか?と怪しいところ、疑わしいところ、言いそうな人物に電話をして、「おまえが喋ったのか?」と犯人捜しをしたが異句同音に「オレではない!」と皆がシラを切る。ハテサテ、イッタイドコからアンナ話が・・・???

「祈り」よりも「感謝」・・・ついつい「お願い」に???

2006年11月24日 05時51分17秒 | 社会、政治、三重県、議員
昨日は朝から多度大社の「新嘗祭」。曇り空を心配しながら一路、多度へと車を走らせた。いつもなら結構、込み合う道であるが、祭日の朝と言うこともあり渋滞もなく順調に多度大社の近くまで到達をした。
 大鳥居をくぐって、多度大社の参道に入ろうとすると交通規制である。午後に予定をされている「流鏑馬祭り」の準備のため通れなくなっているのだ。大慌てでべつの道に迂回をして、ナンとか時間前に多度大社に到着。
 毎年、欠かさず「新嘗祭」に参列をさせていただいているが、多度大社で年に何度かある「祭礼」の中でも、この「新嘗祭」は格別の趣きがある。
 春に斎行される「五穀豊穣」を祈る「祈念祭」を受けて、秋にその「恵み」「収穫」に感謝する「新嘗祭」・・・イロイロな意味で「祈る」ことの多い毎日。最近では桑名の市議選で「必勝」を祈りに祈ったばかりであるが、「感謝」することが少ない昨今でもあるので、「感謝」する祭りである「新嘗祭」はソレナリノ特別な意味あるような気がする。
 多度大社の祭壇にぬかずき、玉串を捧げ、私も厳粛な気持ちで大自然の大きな恵みと比較的県内でも好調な北勢地域の景気、経済活動に感謝するとともに、これからもこの好調さがいつまでも持続するよう「祈り」ました。
 昼からは「流鏑馬祭り」をご無礼をして、高橋参議院議員と一緒に私の後援会の幹事さんのお宅の挨拶廻りである。おおよそ30軒ほど廻ったが、予め電話で予約と言うか?「○○時ごろ行きますので・・・」と在宅確認をかねて予告をしてあるので、皆さん時間を空けて待っていてくれている。
 珍しい参議院議員が来たからか?それともウルサイ県会議員が来たからか?は判りませんが、皆さん概ね喜んでいただいている?ような様子で、記念写真を撮られる方やお抹茶やお菓子を用意していただいている方、なかには「鯖寿司」などを出していただけるお宅などもあり・・・別に行ったときにはナニか出してくださいと言っている訳ではありません・・・大歓迎をしていただいた。

 しかし、どうもイマイチ緊張感がない!と言うか?「選挙」と言う緊迫感が感じられない。私の選挙は来年4月。年末年始を含むので実質、3ヵ月後くらいの気持ちでいるのに・・・この緩みようはドウしたことか??
 市議選が終わり、いよいよ今度は「県議選」!日ごろのお世話になっていることには「感謝」申し上げておりますが、どうか「お願い」します!助けてください!!「選挙」には必ずなります。

議会基本条例が合意される!!!

2006年11月23日 06時09分13秒 | 社会、政治、三重県、議員
 今年の5月に議長の下に設置された「議会基本条例検討会」で昨日、「議会基本条例の成案」が各派により合意され、いよいよ上提、可決へと大きく前進をした。
 短かったと言うか?議論の過程では長くも感じた6ヶ月であったが、この半年間で11回の「本検討会」、8回にわたる「幹事会」、さらには知事との「討論会」、県内外の市町議会議員さん350名を超える方々のご参加をいただいた「フォーラム」の開催など、大忙しの中にも、実に充実した期間でもあった。
 思い起こすと、この「議会基本条例」は平成11年から始まった「議会改革」の大波と大激流に揺れ動く三重県議会にあって、私が座長を勤めさせていただいた「ニューパブリックマネージメントにおける政策推進推進システム対応議会のあり方検討会」と言うまことに長ったらしい名前の「検討会」がソモソモのスタートであった。
 当時の北川知事による「県庁内部の評価システム」である「政策推進システム」が精緻になればなるほど「議会の存在」そのものが問われてくるとの危機感から始まったこの「検討会」で様々な議会の権能の可能性を検討し、その「中間報告」をまとめたのは平成13年である。
 翌年には「検討会」の名前も「二元代表制における議会のあり方検討会」とし、議会独自のPDSサイクルや議会基本条例の制定など議会の権能の充実と可能性について幾つかの提案を書き込んだ「最終答申」を議長に提出した。・・・これが知事をいたく刺激し、知事と議会とのバトルの開始となったのは周知のことである。
 そして、この「最終答申」を踏まえ、「議会基本条例研究会」がスタート。1年間の調査、勉強期間を経て、前述の「議会基本条例検討会」へと発展したのである。
 まさに万感胸に迫ると言うか?感慨ヒトシオと言うか?長年にわたって培ってきた思いをヤット実現できた!と言うか?言い知れぬ充実感で満たされている・・・そんな感動を覚えた昨日の「検討会」でありました。

 後は無事、可決をして、この「条例」を単なる「お飾り」で置いておくのではなく、文字通り「地方自治の本旨」に基づく「自治体議会」を実現していくための「武器」「手段」として十二分に活用していかなければならないと思います。
 おそらく次の知事とのバトルの舞台は知事と議会との「県民」の取り合い?・・・広聴機能の充実と政策形成競争になると思います。そろそろネクストステージと戦いの準備をしなければ???

何を学び?何を得るか??

2006年11月22日 06時12分40秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨日、午前中の議運や一連の議会でのモロモロが終わった後、地元に戻り、市議選の後遺症?とでも言うのが適切かどうかは判らないが、奮戦むなしく惜しくも落選された候補者の方々のお宅を訪問し、今後どうされるのか?再起を期して頑張られるのか?などをお伺いしながら、激励と慰労をかねてお邪魔をした。
 当然のことながら「選挙」には当落がある。当選するには当選するだけのモノ・・・ご本人の努力はモチロン、後援会、支援者などの応援、それを支えるだけの態勢準備、選挙戦全般の戦略、戦術などそれなりの理由がある。
 また、時の勢い?思いもよらない幸運なことなど人知を超えた要素もあるであろうとも思います。そんなイロイロな要因、要素が上手くかみ合ったときに「当選」と言う栄冠が手に入る。
 しかしまた、「落選」には「落選」の理由がある。候補者が予想もしない事態が起きたのであるから、それなりの明確な理由がある。
 それは例えば、油断、安心感、楽観などの見通しの誤りやツイツイ本人が自覚しないまま何となく「傲慢」や「偉そう」な態度が出てしまっていたり、チョットした日常での些細なミスや行き違いが大きな気持ちの齟齬を来たしていたり、人間関係を壊す要因になっていたりして、結果として予想だにしない事態を引き起こしているなんてことになっている場合がある。
 その意味で「選挙」は日ごろの様々な事柄が一気に吹き出てくる恐ろしさを常に持っていると言えると思いますし、当選された方の話より、失礼かも知れませんが、落選された方の話の方が勉強になります。
 今さら言うまでもなく、私自身「選挙」をする立場ですから、落選をされた方々と話をしていますと、落選された方々がソレゾレに話されることを知らず知らずのうちに自分自身に置き換え、身につまされると言うか?我がことのように感じてしまい、本当に自分も反省しなければとシミジミと思ってしまいます。
 気が付かないまま、いつの間にか傲慢になっていないか?慣れと言うか?気持ちのどこかでこんなもので良いやと横着になっているのではないか?忙しさを理由にして手抜きをしているのではないか?など反省すべきことが多いような気がします。

 周りから「先生」「先生」と呼ばれ、何となく大した理由もないのに自分が偉くなったような錯覚をしてしまう。そして、それが何処となく態度や振る舞いにに出てしまう。常に自重自戒していて丁度いい加減である。・・・とお話を伺っていていて感じてしまいました。反省しきりの昨日でした???

時代が変わる!選挙も変わる??

2006年11月21日 05時49分40秒 | 社会、政治、三重県、議員
 今回の桑名市議選を見ていると、確実に選挙が変わってきたと言うか?有権者の判断基準が変わってきたことを実感します。もちろん、地方選挙の基本中の基本である「地縁」「血縁」「同級生」の部分はマダマダしぶとく生き残ってはいますが、それでも、その基本的な判断基準にプラスアルファされる「新しいスタンダード」が生まれつつあると思います。
 それは「政策」であったり、「ヒタムキサ」であったり、「生真面目さ」であったり、一言では言えないまでも、従来の基準とは一味違った有権者の「新しい目」のようなものが加わってきたのは間違いありません。
 当選者の顔ぶれを拝見すると、一つには世代交代が静かに、しかも着実に進んできているのが判ります。そして特筆すべきことは大量得票組の上位当選者の中に3人も新人さんがいることです。
 この3人の共通項は、3人が3人とも従来の枠には収まりきれない、むしろ大きくはみ出た選挙をしたことである。
 2400票を取って堂々第2位で見事当選をした伊藤さんは東京の某有名TV社を「地域づくり」をしたいと言う理由で、突如、退社。「あんな若造に何ができる」との声を跳ね返して、選挙カーにスピーカーを付けず、ハンドマイク片手に一日100箇所での街頭演説をこなし栄冠を手にした。
 2100票を獲得した市野さんは、市役所の係長と言う職席を投げ捨て?文字通り退路を断っての出馬。トライアスロンの選手と言う体力?にモノを言わせて、選挙期間中、選挙カーの前を自転車でひた走りに走り、桑名市中、それこそ山の上から海岸まで自転車に乗ってアピール。そのヒタムキサと相まって、素晴らしい成績で当選をした。
 1800票の見事な成績で当選をした大橋さんは、福祉関係のボランティアで培った仲間と一緒に、特定の企業や団体に頼ることなく、また事務所開きや出陣式などの動員も一切せず、コツコツと手作りの選挙戦を戦い抜き、人柄と楽しさの選挙を実現をした。
 
 この人たちを上位に押し上げた桑名市民の選球眼に大いに敬意を表するところですが、今度は私たち県会議員の選挙!果たして、市民の新しい感性に耐えうるか???・・・正直なところ余り自信がありません!!

戦い済んで、日が明けて???

2006年11月20日 08時40分25秒 | 社会、政治、三重県、議員
 昨夜と言うか?今朝と言うか?桑名市議選の当選者のお祝いに走り回って・・・走り回ってと言っても、ほとんど思うように廻れず、いつもならば起きだす時間に、ヤットコサ家に帰ってまいりました。
 選挙の詳細は明日のブログでも書くとして、地域別に見ると、やはり投票率の差が当選者数に表れているような気がします。
 大きく分けて当選者は旧桑名市25名、旧多度町5名、旧長島町4名・・・この数が如実に物語っているのでは。
 今、手元に詳しい資料がないので、厳密なことは言えませんが、おおよそ昨夜の情報では旧桑名市が投票率50%チョット、旧多度町80&くらい、旧長島町70%チョイと聞いています。全体で57%くらいですから、前回の合併前の桑名市議選60%に比べて、旧桑名市で5%くらい投票率が落ちている。
 旧桑名市の有権者数が約88.000人ですので、4.400票くらいが減った勘定になる。立候補者が46人ですから平均一人当たり1.400票。
 その計算で行くと旧桑名市で3人分減である。つまり、旧桑名市が28名から3人減って25名と言うことになるのである。
 また、人口比で考えると旧桑名市11万、旧多度町1万1000、旧長島町1万5000であるので、この比率で今回争った法廷定数34を割ると、旧桑名市27、旧多度町3、旧長島町4となることを考えると、5名の当選者を出した多度のガンバリが目に付くようような気がします。

 いずれにしても悲喜コモゴモの一夜が明けはしたものの、睡眠不足と疲れとで、私の頭もマダマダ靄がかかった状態です。この選挙が終われば、今度は県議選本番!気を引き締めて、気持ちを切り替えて、選挙に臨まなければ・・・!!!