神戸新聞web版記事からです。でも神戸の話題ではありません。
九州場所の途中で急逝した、年寄北の湖の部屋である北の湖部屋は、年寄山響が継承し、北の湖部屋は山響部屋と名前を改めるそうです。
記事:山響親方が北の湖部屋継承 相撲協会が名称変更も承認
「北の湖」の年寄名称が、一代限りのものなので、部屋の承継がどうなるのか、気になっていました。
山響は元・巌雄、あまり記憶は多くない力士ですが、名前は記憶在りました。現役時代から北の湖部屋所属で、現役引退後も北の湖部屋付きの年寄(親方)として、協会の職務をなされています。
北の湖は、現役時代の功績から、年寄名跡を継がず、一代限りの年寄の名を与えられました。
一代限り、ということは、定年や今回のような死去があれば、後が続かなくなります。
横綱大鵬の大鵬部屋が、大鵬の定年で部屋は、元・貴闘力の大嶽部屋に継がれました。その後大嶽が野球賭博関連でややこしいことになってしまいましたが、大嶽自体は、元十両の大竜が継いでいます。
このような後継の問題があるので、千代の富士は引退の際に一代年寄を贈られる予定でしたが、年寄名跡を継ぎ、陣幕となりました。
その後は、名跡交換を経て、九重を名乗り、九重部屋を継いでいます。
でもこの先も山響部屋、大変かもしれません。北の湖という大きな看板があり、その名に恥じない相撲を取らねばなりません。
いえ看板があるからではなく、相撲道として誰にも何処にも恥じない力士が大切なのですが、特に北の湖は礼儀を重んじていました。その部分を継いでこそ、相撲部屋だと思います。
大相撲力士は、相撲部屋に所属していないと、土俵に上がれない決まりなので、山響部屋の継承は、九州場所千秋楽の11月23日に遡って決定されたとのこと。
もう一人の一代年寄は貴乃花があります。二子山部屋を継承した貴乃花部屋がありますが、定年にはまだまだありますので、後継問題はまだ出ませんが、一代年寄はこうしてみると、改めてややこしい問題を引き起こしますね。
九州場所の途中で急逝した、年寄北の湖の部屋である北の湖部屋は、年寄山響が継承し、北の湖部屋は山響部屋と名前を改めるそうです。
記事:山響親方が北の湖部屋継承 相撲協会が名称変更も承認
「北の湖」の年寄名称が、一代限りのものなので、部屋の承継がどうなるのか、気になっていました。
山響は元・巌雄、あまり記憶は多くない力士ですが、名前は記憶在りました。現役時代から北の湖部屋所属で、現役引退後も北の湖部屋付きの年寄(親方)として、協会の職務をなされています。
北の湖は、現役時代の功績から、年寄名跡を継がず、一代限りの年寄の名を与えられました。
一代限り、ということは、定年や今回のような死去があれば、後が続かなくなります。
横綱大鵬の大鵬部屋が、大鵬の定年で部屋は、元・貴闘力の大嶽部屋に継がれました。その後大嶽が野球賭博関連でややこしいことになってしまいましたが、大嶽自体は、元十両の大竜が継いでいます。
このような後継の問題があるので、千代の富士は引退の際に一代年寄を贈られる予定でしたが、年寄名跡を継ぎ、陣幕となりました。
その後は、名跡交換を経て、九重を名乗り、九重部屋を継いでいます。
でもこの先も山響部屋、大変かもしれません。北の湖という大きな看板があり、その名に恥じない相撲を取らねばなりません。
いえ看板があるからではなく、相撲道として誰にも何処にも恥じない力士が大切なのですが、特に北の湖は礼儀を重んじていました。その部分を継いでこそ、相撲部屋だと思います。
大相撲力士は、相撲部屋に所属していないと、土俵に上がれない決まりなので、山響部屋の継承は、九州場所千秋楽の11月23日に遡って決定されたとのこと。
もう一人の一代年寄は貴乃花があります。二子山部屋を継承した貴乃花部屋がありますが、定年にはまだまだありますので、後継問題はまだ出ませんが、一代年寄はこうしてみると、改めてややこしい問題を引き起こしますね。
相撲部屋の去就は、いろいろなパターンです。
宗主とは面白い言葉ですが、一門のことですね。
一門の部屋預かりもありますし、中には現役力士を急遽引退させ、年寄の名称を継ぎ、部屋を継ぐ、ということもあります。
直の師匠の年寄名を継承する場合は、十両一場所でも可能という決まりがあります。
相撲部屋の継承は、いろいろです。
この辺り、大店の継承にも似ています。