mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

有松駅と有松

2008年05月30日 | 名古屋

 今は名古屋市緑区有松町となっている地域、その前身である有松村が今年で開村400年だそうで、巨大な歴史年表を作るなど昨年からイベントを行ったり、名古屋市内でもポスターをよく見かけます。
 
 なかなか村の起源を遡ることは難しいのですが、開村400年というのは比較的新しい部類ですね。1608年に尾張藩主義直の命により知多郡阿久比庄より竹田庄九郎らが東海道沿いに村を開き染物の産業を起し、後に全国に有名な有松絞りにつながって行った、というものです。
 
 この有松には名鉄電車の有松駅があります。しかし「有松駅」は「有松」にはありません。有松駅は名古屋市緑区鳴海町字有松裏45番地(地図での表記)にあり、鳴海町は名古屋市合併以前の愛知郡鳴海町で、東海道沿いに街村を成していた有松の街地と線路との間に、鳴海・有松の境界が通っています。
 
 でも名鉄の有松駅が有松には無くとも、そう大きな問題はありませんね。駅名というのは必ずしも「そこの地名」ではなく、あくまでも後背地の名称を冠し、利用者に分かり易いように付与すべきですね。
 
 実は私小学生の頃、103系の他偶に荷電が走っていたという頃、山手線の「目黒駅は目黒区には無い」、鉄道発祥の「品川駅は品川駅に無い」という事実を知り、驚きと同時にとても面白さを含めて興味深く感じました。当時は駅名というのはそのこの地名を付けるものだと当然のように思っていまして、その後長じて鉄道の役割と働きを考えられるようになると、駅名付与の考えも次第に現実のものとつながるようになっています。
 
 さて有松駅、駅開設は大正6年5月8日で愛知電気鉄道により愛知郡鳴海町字有松裏に設置され、駅名は「有松裏」駅。一応字(あざ)名の「有松裏」には合っているんですね。その頃の有松は知多郡有松町で、二年前に大府村の旧桶狭間村のエリアを合併して村域が大きくなっています。昭和10年に愛知電気鉄道は名岐鉄道と合併し社名は今の名古屋鉄道になり、昭和18年には駅名から「裏」がとれて「有松」に改称されました。

 ちなみに愛知郡鳴海町は、昭和38年4月1日に名古屋市に編入され緑区が発足、知多郡有松町は昭和39年12月1日に名古屋市緑区に旧知多郡大高町と共に編入されています。