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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

尾張方言と丹後の方言の共通性

2014年08月05日 | うんちく・小ネタ

 本日8/5の中日新聞朝刊一面に面白い記事がありました。昨日からNHKのニュースで何度か伝えられていましたが、尾張方言と京都府北部の丹後地方の方言とに共通性があり、京丹後市長が4日、両地域の文化的交流の調査を進めるとのことです。

 新聞記事。
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 私は今でこそ、普段は標準語で話し、時折関西方言も混じりますが、子どもの頃は祖母の影響が大きく、ベタベタな尾張方言。名古屋弁とも言いますね。
 その後、京ことばを知る機会があり、尾張方言と京ことばに共通なところがあると感じたものです。

 記事スキャン画像にある、「どべ」。一番最後のことですが、これが丹後地方にあるとは意外です。
 「ほうか」とは、「そうですか」「そうなんですか」の意味で、さすがに丹後地方では小中学校で授業と授業の間の休憩時間のことは指さないと思います。

 「わや」が丹後地方にもあるのは意外です。ハムがうみゃぁて、食べ過ぎてまって、今晩のおかずがわやになってまう、TVのCMも丹後地方では理解できそうですね。

 こうした言葉は京都を中心に、同心円状に同じような距離に似た言葉があるものです。
 つまり、都のある京で話された言葉が、時代を経るに周囲の地域へ伝搬し、京ではまた新しい言葉が作られ、それが同心円状に周囲に広がる。結果として、遠く離れた地域なのに、似た言葉があるものです。


流れ星に願い事すると叶うのか?

2013年08月31日 | うんちく・小ネタ

 あ、流れ星!

 光っている間に願い事しましょ、と子供の頃、保育園でそんなこと聞いた記憶がありますし、今日でも流れ星が光る間に三回願うと、その願いは叶うとかいわれてます。

 最近ではペルセウス座流星群の出現などでまたぞろいわれていたような気がします。

 この流れ星が光る間に願い事すれば叶うって本当か、どうか?。

 そもそも流れ星は、宇宙空間に存在する天体ではなく、宇宙空間に漂う岩の欠片のような大きさが数ミリからせいぜい数メートルの物体が、地球大気に突入する際に燃えて光を放つ現象で、宇宙空間の出来事ではなく、地球大気圏の現象です。

 そして燃えきらなかった場合に隕石となって地球表面に衝突(落下)します。

 そしてその光る時間は、長いもので約3秒程度。この間に「願い事、願い事、、、ええと、ええと、あれあれ、これこれ、」なんてやっていたら、すぐに流れ星は消えてしまいます。なので願い事のある方は、いつ流れ星が光ってもいい様に、常日頃から頭の片隅に願い事を用意しておかねばなりません。

 また、願い事は強く念ずると叶うとも謂われています。なので、流れ星が光って直ぐに願い事を唱えられる人は日頃から願い事を強く念じているとも言え、結果的に叶えられるのかもしれません。すいません、正確なデータに基づくものではないですが、そんな気がします。


エレベータでは皆さん先に降りてください・隠れた機能

2013年03月17日 | うんちく・小ネタ

 私、御存知の方は御存知だと思いますけど、足首の関節の炎症、そしてその後の経過が上手くいっていなく、未だに杖携行の身です。無しでも歩けない事はないですが、バランスが保たれない上に、捻りが出来ず危険なので、「転ばぬ先の杖」ではないですが、使用しています。

 なので歩行速度が大変遅く、しかも静止状態から動き始めも超ゆっくり。いうならば加速度ののろい昔の新幹線のよう。

 こんな状態なので、エレベータに乗ると、親切なことに大抵一人くらいは操作盤の「開」ボタンを押していただけて「先にどうぞ」と譲られます。とても親切で、それは心から嬉しいです。でも本音を言うと、「どうぞ先に降りてください」ですし、実際にそう言っています。

 というのは、エレベータでも車椅子対応のエレベータには大抵、車椅子搭乗ならではの機能がついているんです。乗り場に呼び出しボタンがありますね。「上方向」と「下方向」の組み合わせの下部に、車椅子記号と共に「上方向」と「下方向」のボタンがあります。

 これは単に車椅子に座っている方だから低い位置に、なのではなく、車椅子ボタンを押すと扉の開く時間が多少長くなるんです。

 エレベータのかご内部の階数ボタンも同じ。扉脇に上下に並んだ階数ボタンの他に、内部の側面低い位置に、車椅子用に横方向に並んだ階数ボタンがありますね。これも低い位置の操作性だけではなく、このボタンを操作することで、ボタンが押されたあった階に停止すると、そこでは若干開き時間が長くなります。

 私は乗降に時間がかかるので、今では呼び出しボタンも、先客が押されていても、必ず呼び出しボタンまで行って、車椅子用ボタンを押しています。

 そんなわけで、どうか皆さん、先に降りて下さい。実は先に降りてほしい理由はもう一つ。私は歩行速度が遅いです。しかし開ボタンを押していただいた方は大抵速いです。少なくとも今の私よりは速いです。そのため、エレベータを降りても追い越されるわけで、その階に人がいなければいいですが、待ち人が並んでいると私を追い越せないわけで。

   ※   ※   ※

 ここまでは「どうかお願い」でしたけど、この先は「やってはいけません」のお話。上に書いた理由で車椅子用のボタンを押すと、着床の際にスムーズに制御する機能もあるエレベータがあります。スムーズになる分、到達時間はかかります。

 また複数のエレベータがあるところでは、ロケーション制御(位置のコントロール)で車椅子ボタンを押されると、その階に優先的に配車というか籠を準備する機能の所もあります。そういうエレベータのところで車椅子用ボタンを押すと、他のエレベータ制御にも影響が出て、全体で待ち時間が長くなったりする場合もあります。

 なので車椅子、或いは私のような乗降に時間がかかる方以外は、車椅子用ボタンは押してはならないのです。なかなか知られていませんが、手近だからの理由で車椅子ボタンは押してはいけません。


今日は鍵盤の日だそうです

2012年08月08日 | うんちく・小ネタ

 今日は8月8日。名古屋圏域に住む私は、「なごやまるはちの日」を連想します。一方で今日は何の日によれば、ピアノの「鍵盤の日」だそうです。理由は、ピアノの鍵盤の数は88だから。

 まだ制定されて間もない記念日ですね。ピアノ好きの私としては見過ごせなく、ちょいと調べました。勿論ネットでいわゆる「ぐぐり」ました。

 事の始まりは、ナチュラルハイという女性二人組みの音楽活動しているグループがあり、そのナチュラルハイがかねてから88の鍵盤にちなみ、8月8日にCDの発売したりライブ活動など、節目としていたのだそうです。そこで広く世に記念日と致したく、日本記念日協会に申請されたのだそうです。

 それが2007年。2007年は既に8月8日が過ぎていたようなので、2008年から8月8日が鍵盤の日ですね。

 実は過去に、いや今でも稀少ですけど、鍵盤の数が88ではないピアノがあるそうです。92とか96とかいう数だったですけど、そこまで必要とする曲は無く、結局は響きだけのためで、普及することはありませんでした。

 

 ピアノは、あれで実は打楽器です。ピアノ演奏者さんがこの記事見たらお笑いになるでしょうけど、88の鍵盤のうち、両側の幾つかは殆ど使われません。しかし使われないけど極めて重要で、それは「響き」。ピアノは鍵盤を弾くとてこの原理でピアノ線と呼ばれる金属を軟らかい素材で叩きます。この叩く事であの音色が出まして、その響きをペダルでいつまでも響かせることもあります。その響きに両側の低音と高音のピアノ線にも僅かに伝播して響き、それでふくよかで味がある、このブログ作者がトリコになる音色が出るわけです。

 真夏なので(立秋過ぎましたが)、暑さのせいにして何でも書いてしまおう。ピアノ弾きたい。でも弾けません。ならば弾ける人を雇おう!もうこれしかない(笑)。ショパンほぼ全曲弾ける人、お願~い。
冗談ですので決して応募なさらないでください・・・(笑)


今日は明治天皇崩御100年・そして・・・

2012年07月30日 | うんちく・小ネタ

 今日は2012年7月30日です。我が国近代化への礎を導いた明治帝(明治天皇)の崩御100年目。そして元号が「大正」になって100年目の日です。(つまり大正101年)

 この地区(名古屋圏)ではあまり話題になっていませんが、暫く前から明治天皇を御祭神としている明治神宮では、明治天皇100周年の記念展示が行われ、また今日は「明治天皇百年祭」が開催されたそうです。

 平成の御世となった今日(こんにち)でも、ものの価値観、事の規範意識の原点は、明治時代に端を発するものが結構あります。それは良き事も悪しき事も。現在の宮中で行われる儀式は基本、洋式で行われます。そして洋装で陛下・親王・内親王は臨まれます。ここは日本なのに・・・と思いますけど、それを定めたのが明治天皇。西洋諸国と対等に付き合うには、自らが西洋風の習慣を得るべきと御考えだそうです。

 その一方で日本の伝統を重く尊ぶのにも尽力されたそうです。教育勅語の精神は、太平洋戦争後のGHQにより停止されましたが、これは明治天皇の御考えとは非ず後に臣下の連中が精神を捻じ曲げてしまったことでしょう。もう少し教育勅語の本来持つ精神は評価すべきだと思います。

 そしてここ、強調しておかねばなりません。明治天皇は「能」が大好きだったそうで。しかし時代は能・狂言を行う流儀が幕臣たちの庇護が無くなり、流浪の状態だったようです。

 そんな明治天皇、100年前の1912年(明治45年)7月30日に崩御(亡くなられ)されました。糖尿病により併発した尿毒症だそうです。60歳を目の前にした59歳。ん、若い。学校の歴史の時間で明治時代で明治天皇のお写真を拝見し、若い天皇に若い政府の人たちで新たな日本を創った、ということを覚えていますが、亡くなられた時点で59歳。明治は45年。ということは即位された頃はまだ10代だったのですね。これは今回の記事を書くにあたって初めて知りました。

 1852年11月3日の生まれ。当時の暦では嘉永5年9月22日。ペリーの黒船来航1年前です。幕末動乱が始まる僅かに前の御生まれなのですね。慶応2年12月25日(グレゴリオ暦1867年1月30日)孝明天皇が崩御され、慶応3年1月9日(グレゴリオ暦1867年2月13日)に満14歳で皇位に就かれます。今に置き換えると、中学三年生が皇位に就くようなもの。そして明治の改元を慶応4年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日)。この時明治天皇は満年齢では16歳を目前とした15歳だったのですね。

 そして崩御の日時ですが、Wikipediaの明治天皇では、実際には7月29日22時43分とあります。大正天皇の践祚が間に合わないため崩御時間を2時間遅らせたとあり、その根拠となる出典資料が明記されています。本当にそうなのかは分りませんが、昔の事で、今でも縁起を担いで出産・死亡の時期を意図的に変えることが少なからずあるそうなので、そうかもしれませんね。

 

 そんな明治天皇が崩御され、100周年の今日でした。
 そして今日はもう一つ、このブログの作者が生まれた日でもあります。