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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

治に居て乱を忘れず

2017年12月18日 | 思索と考え
 昨日の埼玉県さいたま市の大宮駅近くでの風俗店の火事。年の瀬の火事でなんとも悲惨な出来事です。
 付属店ということで、直ぐに逃げられなかったのかもしれません。

 この「直ぐに逃げられない」・・・、業態というのもありますが、もう一つ、このようなお店を経営する人やお客の性質にもありそうです。
 というのは、歓楽を目的としています。そのような所では、どこか防災意識が働き難い様に感じます。経営者にもお客にも。

 昨日の火災現場では、避難通路に物体が置かれていたりしたり、そもそもが建物内が狭い迷路のような構造で、非常の際の避難経路を考慮されていなかったりします。

 私は、このような歓楽の場所には行ったことが無いのですが、数少ない居酒屋のには、類似の狭い通路を入った先に客室がある、というお店があります。

 常々、その時に居る場所で、「もし何かが起きたら」ということをシミュレーションしています。地下街を歩いている時、百貨店の中にいるとき、etc・・・、このことを人に話すと「アホか」と言われました。

 歓楽の場では経営者も客も、そういった防災など「防〇」という子頃は、深く持たないでしょうね。
 経営者はいかに少ない投資で最大の効果を得るか、お客はただ単に楽しむだけ、と。

 お陰さまで、方向感覚と位置関係は明確に理解できますので、万一の火事の場合は、避難経路を考えながら歩きます。
 ある居酒屋で、お客に寛いでもらう趣旨なのか、靴を脱いで上がる店があります。
 一度行ったところで、そこはビルの中で、さらにエレベータで3階に上がった所が店だった、ということがありました。
 当然、私一人で行ったわけではなく、人に連れられて、でしたが建物に入って、狭い。
 言われるがままにセミエレベータ。しかも古そう。「このエレベータ、大丈夫だろうか?」とここでも心配(警戒)。

 他の参加者は、普通に靴を脱いで寛いで、居酒屋のメニューを注文していましたが、私は避難経路が心配心配。何も起きないことをひたすら願うのみでした。

 まさしく、「地に居て乱を忘れず」です。
 そう滅多に、火事などの災害に遭遇することはありません。しかしマスコミニュースを賑わすように、実際にはどこかで起きています。
 そういったことに遭遇しないことが一番ですが、万一遭遇した場合は、どのような退避経路を取るなどの対処法を、常日頃考えるべきだと考えます。


 しかし、年の瀬の火事、なんとも辛いニュースです。

人の心を踏みにじる酷い奴・飲食店の無断キャンセル

2017年12月16日 | 思索と考え
 二度続けての、醜い人の行動についての投稿記事で、御気分を害されるかもしれません。
 ツイッターでリツイート(転送)された中に、このようなものがありました。

<引用>オトンとオカンが大阪の梅田でやってるお店、今日30人の貸切予約が何も連絡ないまま当日来なかったらしい。悲しいって連絡がきた。一生懸命心込めて準備してたみたいだし、本当にかわいそう。




<引用終了>

 ということです。日付からして、出来事は12月15日の事だったようですが、オトンとオカンが、というところご夫婦で切り盛りしていた飲食店なのでしょうね。30人の予約は、大変大きいです。予約があるので普通のお客さんを断り、そして画像にもある通り素晴らしい心を込めて作ったお料理、なんとももったいない。
 
 このツイート(発言)を見て、無性に泣けて、そして腹が立ってきました。怒るのは体に良くないですが、そんな勝手に予約を入れて置いて、それを無断でキャンセル。飲食店では右から左へ料理を用意できるわけが無いです。
 献立を考え材料を仕入れて、朝から仕込みをして、画像にある通り綺麗にもりつけと飾りつけをして。人の真心が無いとできないことです。御商売だから、で済まされるものではありません。
 折角のお料理も、店の人もかわいそう。

 この無責任予約をした大阪(かその近郊)の大馬鹿者は、何かの集まりで、適当に複数の飲食店に予約を入れておいて、そして当日、その中から適当な店に行ったのだろうと思います。
 近年、このような影で人様が奉仕してくださることを忘れて、サービスだけを享受しようという大馬鹿者が増えているそうです。

 類似の例で、「お取り寄せ」。自宅で居ながらにして商品を購入する「お取り寄せ」。スマホやPCのクリック一つで、玄関まで配達してくれて便利~、などとヌかす奴がいますが、実際に配達してくださる方がいらそて成り立つサービス。
 それを忘れて(正しく言えば、考えにも無く)、不在再配達を指定しておきながら、その再配達時にも不在で平気で再々配達を指定。そしてさらさらに・・・という人種がいるらしいです。

 夏場は暑い中、冬場は寒風吹きすさむ中を配達していただける方がいるからこそ、お取り寄せサービス。しかしながら平気でその配達員さんのご苦労を踏みにじる人種。飲食店の無断キャンセルと相通ずる点です。


 大阪のそのお店、不幸な出来事ではありましたが、やがていいこともあるよ、と心から願う気持ちでいっぱいです。



「けものみち」に思う

2017年12月15日 | 思索と考え
 画像は一宮市役所の駐車場前の光景です。駐車場を出てすぐ、植え込みが帯状に剥げて、残念な姿に。


 一見して瞬時に分かります。駐車場から出た人が市役所庁舎へ行くのに(或いはその逆に駐車場へ向かうのに)、人の通行部分を通らずに、車寄せの車路を真っすぐ横切り、植え込みの中を通った結果です。
 一人が通ると、大勢の人が通ることで、植え込みが徐々に剥げて、やがてそこが通路のようになってしまいます。

 上の写真を撮っていると、本庁舎から人が出てきました。


 この後、どうされるかのか見ていたら、案の定、この植え込み剥げた道を通りました。

 このような現象、各所で見られます。
 大がかりなバリケードが無いところの植え込みは、少しでも近道をしようとする人が通り、それが一人や二人ではなく、何人も行きますので、次第に植え込みの植生が剥げ、通路っぽくなってきます。

 こういうのを都市計画で、皮肉を込め「けものみち」と称したりしています。本来の獣道は、動物が自然の山野を行く中で、同じ道筋を辿るうちに、その道筋の植生が薄くなり、路っぽくなる現象です。
 人は本来理解ある動物ですので、指定された道筋を辿るものですが、このような僅かな距離を惜しんで近道で、入ってはいけないか所に入る、まるで「動物的」感性の者が通るということで、皮肉が入り「けものみち」と呼ばれたりします。

 このような近道で植え込みに入る人の気がしれません。「近道したいからだ」ということは分かりますが、それが植え込みにはいることを許容する思考に至る過程がどうしてもわかりません。
 私から皮肉を更に込めれば、これが一宮市における自動車運転者のレベルなのかもしれません。前に書いた通り、一宮市は交通事故%違反日本一です。どこかの首相の言葉を借りると「こんな人たち」による自動車運転で、交通事故日本一になっているとも言えます。

 やっていいか or よくないか、の判断基準(規範意識)は、事の善悪によるものではなく、「みんながやっているかどうか」です。多くの人がこの植え込みを通るので、己も通る、というところでしょうか。

 少し前のセールスマンの売り込み常套句に「ご近所の〇〇さんも買われました。みなさんお買い求めですよ」というのがあったそうです。
 この場合の「みんな」がどの程度のみんなをさすのか怪しいところですが、日本人は「みんな」という動きに弱いようです。
 「赤信号みんなで渡れば怖くない」という諺があるそうですが、日本人の特性を表したことばですね。

 植え込みには入ってはいけません。この当たり前すら実行できないこの社会こそ、病んだ社会の一端かもしれません。

***
 ちなみに、この市庁舎正面玄関前のアスファルト路は、正面車寄せなおですが、自動車は滅多に入ってきません。というより事実上、入り様がありません。
 というのは、ここに至るには、来朝者駐車場と入口が共通で、前の道路に駐車場順番待ちの列が伸びることが多く、車寄せに入るだけの自動車はどうするのかな。ここで自動車が来たのを見たことがありません。
 それも人が平気で通ることになる、理由の一つかもしれません。

出来ていない年寄りが多くなった

2017年12月06日 | 思索と考え
 今日の投稿記事はちょっと物議を醸し出す内容であるかもしれません。
 今日、名古屋市営バスで見た光景です。名古屋駅停留所から栄地区を経て大須地区を循環し、名古屋駅停留所へ戻る経路の、C758系統です。
 車内左側最前席、前扉のすぐ直後の席、私のようなバスヲタが好むことから、通称「ヲタ席」と呼ばれている席の事。ここに一人の年寄り男性が座っておりました。この年寄りが二つの点で問題行為。

 その問題行為、一つには脚を組んで腰掛けているところ。脚を組んで腰掛けるのは、本人の自由だろう、と言われそうですが、バス・鉄道車両内の腰掛で脚を組んで腰掛けるのは、とてもみっともない行為です。それは姿勢が悪いです。どうしても腰掛に浅く腰掛けるので腰の位置が前のめり。そのため、上体が反って(猫背)になってしまいます。その姿がみっともない。
 二つ目。その様に脚を組み浅く腰掛けるので、狭い左側最前席ゆえ組んだ脚でつま先は料金箱のすぐ前でブラブラ。なので以降の停留所で乗って来る人の体に当たります。足は当然、靴を履いておりますので、靴先が乗ってくる人の衣服に付きます。
 エエ歳してそこに気付かない年寄り、昨今このような「できてない年寄り」が多くなったように思います。
 年寄りのことを「老人」とも言いますが元来、老人の「老」の字は、尊重すべきもの、貴重な、というような意味です。そこには高齢者の意味は入っておりません。高齢者・年寄りのことを老人と言うのは、人生経験を経て、貴重な体験から尊重する人ゆえ老人と、結果的な帰結して老人と呼ばれるようになったものです。
 しかし、昨今は件に挙げたようなとても「老」人と言えない年寄りが増えました。なので今、この記事でも冒頭から件の高齢者を単に「年寄り」と記しております。
pここから先は少々過激です。このような出来ていない年寄りのことをネットスラング(隠語)で「JJY(じじい)」或いは「BBA(ばばあ)」と称しております。
 このJJY、或いはBBAによって引き起こされる被害のことを「老害」とも言っております。あ、あくまでネットスラングですよ。

 老害にまつわるのは、これまででも見聞きしております。NHKスペシャルでもやっておりましたが、NHKでは「暴走老人」としていました。
 各所でやたらクレームを付けて回ったり、商店で万引きしたり等々。少し南に書いた京都市営バスでいるらしい「倒れ屋」もその老害の一つでしょう。

 「脚を組む」行為は普段無意識にやっている人にとっては至極当たり前ではありましょう。しかし過去、弊ブログでも言及しましたが、公共の場では脚を組むものではありません。電車の腰掛では窓に沿って長い腰掛の通勤型車両では、組んだ足のつま先がブラブラします。見てると、腰掛けるやいなや、腰掛けたその瞬間に脚を組む者は老若男女多いです。しかし通勤型車両は腰掛けたすぐ前は、通路であり立客スペースでもあります。そこを自宅のソファーに腰掛けているかのような、前のめりで脚を組んで腰掛けるその姿は実にみっともない。これを高齢者でもやっているので尚更みっともないです。

 姿勢はとにかく大切です。言葉使いと共に人となりを表します。

 バス・鉄道車両の腰掛ですのでもう一つ。優先席というのがありますけど、そこを年寄り席と考えている年寄り高齢者がいるようです。そこは立っていては大変な方用の優先席です。なので、足腰が弱ったお年寄りは優先席の対象ですが、元気な年寄りは対象ではありません。そこを理解できない(理解しようとしない)年寄りは、ただの年寄であって老人ではありません。

 年齢を重ねるとは、美しく重ねたいものです。己の身を律する意味でも。


 ちょっとだけ追記。こうした暴走老人など度が過ぎた頑固は、認知症の初期症状であるかもしれません。

やはり販売環境に問題があったのかも

2017年09月15日 | 思索と考え
 群馬県と埼玉県の総菜販売店で発生した、O-157食中毒事故。ここまでは大きな容体には至らなかったものの、報道では3歳の女の子が亡くなっていた、ということだそうです。
 しかも頂いた(原因となった)食材には、これまで問題とされていたポテトサラダは含まれておらず、炒め物や揚げ物だけを購入し、食されていたということで、食中毒は、食材自体ではなく、製品となった後の二次感染の疑いが強まってきました。

 この亡くなった女の子が食されたお料理が販売されていた環境は、大きなお皿に食材が盛られ、お客さんがトングで掴んで、購入用のパックに詰めて重量を測って、その重量で価格を決める方法だった、ということです。
 そこでポテトサラダで当初疑われた、トングを介して感染したのでは?が再び上がってまいりました。

 実際にトングを介しての感染かどうかは、ハッキリしませんが、こうした大皿に盛られて、お客が(購入もしない分の)食材に接近できる販売方式は、いかがなものかと思います。
 かくいう私も、ポトとサラダが好みの分だけ買える、ということで少し遠いスーパーまで行ったことがありますが、販売環境としては良くないですね。
 どんな人が来るのか分からない販売店の空気、世の中、躾や物事がきっちりしている人ばかりではなく、むしろその逆の人が多いものです。世の中、利巧よりも馬鹿が多いというのは定説で、食材を取ったトングを所定の位置に戻さない、たまたま一つの食材用のトングを手にしそのまま他の食材をとるという無神経な人、無神経というと、食材の前でしゃべる人・・・複数の人で行くとお話しながら取り分けますが無神経です・・・、さらに酷い無神経として、食材の前で咳やくしゃみをする人がいるかもしれません。

 そういことを考えると、こうしたオープン販売は、良くないですね。
 最初O-157食中毒事故が発生した時に書きましたが、暫く前まで近所のスーパーでは、白身フライなど揚げ物を大皿に載せて、パックや小袋にトングで入れて、一個いくらで販売しておりました。
 ある日、この小袋がぴっちりくっついており、ある老人、日頃の行動で、指を舐め、その指で袋をとり、トングを掴んでおりました。
 その光景を見て、以後はこれは買えないなと思ったものの、店側も同じことを思ったのか、大皿に載せる方式は止め、パックに中に既に詰められた販売方式となりました。

 よく、私の感覚を「潔癖症」だと馬鹿にされます。しかし食中毒を考えると、潔癖症ぐらいで十分かと考えます。
 お店で指を舐めて掴む、などという無神経な人は、来ないで頂きたい。
 この大皿以外でも、今でもレジでお金を払うとき、平気で指を舐めてお札を取り出す人は多いです。
 これ本人に指摘すると、きっと烈火のごとく怒りだすと思います。
 本人にとっては、当たり前すぎることで、なぜ人から指摘されれねばならないのか!というところ。

 ちなみに、これまでバイキング形式でトングを介して感染した例が無い、というのは、バイキングは小皿に取った後は、各自席で直ぐに頂きますが、食材店でバイキング形式のようにとっても、それは直ぐには頂くものではなく、食するまでにはいくらか時間があるものです。
 しかも自宅に到着するまでは冷蔵はされず、その間に原因菌が増殖します。

 それにしても、亡くなった3歳の女の子、気の毒すぎます。群馬県の実家に里帰りだったとのことで、疲労もあったかもしれません。体が小さいことで、細菌への抗力が少なかったのかもしれません。折角家族で食卓を囲んで、頂いた食事が元で亡くなられた、このニュースを見聞きして、悲しくなりました。
 食べ物は、作る側ではだけではなく、買う側にも最新の宙をはらわねばなりません。