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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

研究するにも研究室ばかりではいけない・・・

2011年07月24日 01時23分04秒 | Mの研究活動や成果
〈研究室デスク上の銭形警部。「待てぇ~、ルパン!」とでも言ってるのでしょうか〉

今日は土曜日。
自宅で研究書を読んでいてもいいのですが、家族がいた為、足が研究室へ向きました。

土曜日ということもあり、研究室は院生がいつもより少なく、5人程度。
ちなみに、通常は出入りがありますが、15人位です。

いつも何となく、静かでがらんとしていますが、それ以上に静かでした。
今日、私が主にやった作業は、

・先日出した論文の修正(なお、この論文は博論序章にあたるもの)
・歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座 9巻』(東京大学出版会、2005)
 ※このシリーズは、8巻の「近代の成立」から読み始めて、10巻まで読むつもり
・和田春樹他編『岩波講座 東アジア近現代通史 1巻』(岩波書店、2010)
 ※先に、6・7巻を読んでいたため、1巻を今、読んでいます。
・研究者の方々への自身の研究に関する調査協力のメール
 ※複数であり、かつ長文であったため一時間以上かかってしまう・・・
・中国語のお勉強(HSK対策)
・コーヒーの飲み過ぎで?、トイレがちかくなり何度も往復(苦笑)
 
最後の話は、少し笑えますが、コーヒーを飲むと水分を体外に出そうとするそうです。
そのためか、私もコーヒーを飲んでいると、よくこのような「現象」に襲われます・・・
(コーヒーを飲まないと、特にこうはなりません)

そういや、最近の日本ではボトルタイプ(それも300ml位のタイプ)のコーヒーが多い。
数年までまでは、缶コーヒーばかりでしたが。
あれはどうしてでしょうか??


話戻って、土曜日の研究室は何か空気がまったりとしすぎて私には駄目でした。
人はいないので、自分の研究の世界に入り込めるかというとそうではない・・・
何となく集中力が上がらないという感じなのです。

それに研究室の机ばかりに向かっていないで、体を動かす機会もないといけませんね。
あんまり単調な生活を送っていると、脳も活性化していかないように感じます。

それに近代建築巡りや、昔の長屋街跡を歩いて、時代を追体験する機会も必要です。
より五感を使って、「実感」を得た時に、歴史像が姿を見せてくるのかもしれません。

歴史家の木村尚三郎氏も自分の専門である西洋中世史の研究のため、ヨーロッパに頻繁に足を運び、現存する中世の町並み、城跡、教会などを歩き回ったといいます。

また、日本とは全く異なる地域社会に身を投じることで、その地域空間のあり方、日本との相違をはっきり認識することができたといいます。

こうしたことも立派な歴史研究活動の一つなのです。
世間の人には、なかなか理解してもらえないのかもしれませんが。


最近は研究室ばかりに足を向けていたので、そろそろ別の研究活動もしたいと思います。
せっかくの日本滞在なので、大切に、かつ積極的に行動していかないともったいない!

光陰矢のごとし 

ですから。

久々に学会へ参加してきました。

2011年07月17日 00時21分57秒 | Mの研究活動や成果
今日は午後より私が所属している学会の一つで研究会がありました。
ちなみに、私も過去にこの学会の会誌に一本論文を書かせてもらったことがあります。

以下、例会の情報(・・・過去の情報を載せてもあまり意味がないのですが・・・)

日本経済思想史研究会(2010年度第1回例会)

1.日時 平成23(2011)年7月16日(土) 15時から
2.会場 慶應義塾大学(三田)研究室棟1階 A会議室
3.進行
(1)第1報告  15:00~16:30
    報告者:西村 崇(三菱UFJモルガンスタンレー証券、債券アナリスト)
    論題:「本間宗久の米相場理論の現代性
         ―江戸のサブカルチャーに潜むリベラルアート―」

(2)第2報告  16:45~18:15
   報告者:竹村英二(國士館大學)
   論題:「明治初期知識層と漢学の素養
         ―共通の知的基盤の醸成要素として―」

http://web.econ.keio.ac.jp/staff/mkomuro/atoc-JET/index.html


私の専門は日本近現代史で、特に近代以降の住宅史が専門です。
よって、今回の学会のような思想史関連の知識・素養はあまり持っていません。

しかし、住宅に関わる建築はまさに思想との関わりを抜きに語れないのも事実。
そんなわけで、時間の有る時は可能な限り研究会へ参加しようとしています。
(中国に行っている為、今回の参加は約一年ぶりでしたが・・・)


大まかな感想を言えば、両者の報告はそれぞれ興味深い御報告であったと感じました。


ただ、第一報告者の西村氏の場合、もう少し本間宗久その人に対する考究が必要だと感じました(「まだ、不明とされている部分が多い」と繰り返しが多かった)。
あれでは、どこまでが本間の理論で、どこまでが本間以外の理論なのかが不明瞭です。
同時に、同時代における米相場の取引で類似するような人物の有無の特定も必要です。

それに加え、個々の史実の特定や判断をする際に、もう少し調べきることも必要でしょう。報告中の発言や、報告後の質問への返答では、論証抜きで感覚的に述べる箇所が幾つか見られ、少々気になりました。

とはいえ、経済の専門家の方の報告自体を初めて聞いたので興味深かったのは事実です。

第二報告者竹村氏に対しては、報告内容に疎く、的確なコメントはとても出来ません。
竹村氏は明治初期まで漢学に批判的であった知識層が、一方で洋学受容において「知的基盤」としての漢学の素養を不可欠であると捉えた背景に着目し、漢学が近代知性の知的基盤としていかに重要だったのかを考察するものでした。

ただ、その考察結果については出されておらず、今後の課題とされていました。
要するに、今回の報告はその問題視角を中心に報告したものであったといえるでしょう。
今後の研究成果に期待したいと思います。


研究会では、私と同じように中国の大学で働きつつ、博士課程の院生をしている方とも出会う機会を得ました。
日本思想史が専門で、東北大学大学に籍を置きながら、中国蘭州に行っているそうです。

「今後は中国で連絡を取り合いましょう!」と言って別れました。
私のような立場は歴史系研究者では少ないと思っていましたが、結構いるのかも。

久々の学会でしたが、なかなか充実した機会になりました。
それでは。