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不老愚 助光 れいん坊

嘘、誤魔化し、怠慢を憤り、愛情、親切、思いやり、を喜び感動を記事にしています。

無念・無想

2011-11-23 16:24:00 | 文学・歴史
 昨日の静岡大学 湯の上先生の講義は「禅宗に就いて」でした。「禅」と言うと誰しも先ず「坐禅」を連想しますが、本来の「禅」は「天を祭る」と言う事だそうです。と言っても、其れが出来るのは地上を支配して居る天子だけに許される事と、紀元100年頃中国で成立した『説文解字』と言う書物に解釈が有るそうです。
 其れが永い歴史を経て<心を安定した状態を保って、悟りに至るべく瞑想する修行する宗教となり、これが「禅宗」と言う宗教になり、修行法として定形化されて「坐禅」が行われるようになりました。此の「坐禅」と言うものは私も昔一度だけ真似事を経験しましたが、いったいどう言うものか説明が出来ません。説明出来ないものが「禅」「坐禅」と言うものだそうですが、何と無く其れらしい説明になって居るのが、明治の文豪 夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫の独白です。其れに依れば
 『達磨大師と言うお坊さんは、足の腐るまで坐禅をして澄まして居たと言うが、たとえ壁の隙間から蔦が這い込んで大師の眼口を塞ぐまで動かないにしろ、寝て居るのでも死んで居るのでもない。
頭の中は常に活動して、廓然無聖などと乙な理屈を考え込んで居る』
 つまり 難しく考えると益々分からなくなりますが、禅宗のお坊さんの言うのには、要するに「無念・無想」になる事だ と言われるのですが、此の頭の中を空っぽにして、全ての雑念を払い除けると言う事が私如き凡人には出来ません。修行を積まれた高僧になりますと、其の時 呼吸は半分以下になり、脈拍も20~30位となって、丁度動物が冬眠状態になって居るのと同じ状態だそうです。
 修行をすれば 私達もその様な「無念・無想」の境地を経験できるのでしょうか

お市の方の手紙

2011-11-11 12:59:22 | 文学・歴史


 お市の方の直筆の手紙が発見されて話題になって居ます。愛知文教大学の増田孝学長の鑑定で、文字の美しさ、文章の品の好さ、信長の忘れ形見の娘達への優しい心配りから、此れは本物だとされました。
 お市の方と言えば、其の美しさは有名で、戦国時代を代表する美人と言われて居ますし、大河ドラマに登場して、悲劇の生涯が見る人の涙を誘って居ます。羽柴秀吉が横恋慕をしても寄せ付けなかったり、愛する夫 浅井長政を兄織田信長に討たれたり、再婚した柴田勝家を羽柴秀吉に討たれたと言う波乱万丈の生涯は、其の美しさとともに劇的過ぎるものが有ります。
 そしてまた 浅井長政とのあいだに生まれた娘がこれまたドラマチックな生涯でした。長女の茶々は 母お市の方が限りなく嫌悪して居た秀吉の側室になり、徳川家康のために大阪城とともに焼き殺されて仕舞いました。
 お市の方といい、茶々といい、戦国時代の残酷な運命に弄ばれた女性達の悲惨さに想いを致す時、この手紙に徒ならぬものを感じます。


鉄舟寺

2011-11-09 18:50:00 | 文学・歴史


 今日の静岡大学 湯之上先生の講義は「久能寺縁起」についてでした。久能寺は 元は現在の久能山東照宮(今年国宝に指定された)の有る山の上に有りました。戦国時代 武田信玄が此処を駿府攻略の為の城塞にする為に、寺を現在の静岡市清水区の移しました。
 寺の開山は其れよりも古く、推古天皇の時代に、久能忠仁と言う人が、山中に金の千手観音を発見して、此処に草堂を建てて安置、「補陀落山久能寺(ふたらくさんくのうじ)」と名付けました。
 其の後 江戸時代を経て大火に逢ったりして、殆ど廃寺になって居ましたが、明治時代の始め、旧幕臣の山岡鉄舟が尽力してこんにちの場所に再建されまして、寺の名前を鉄舟寺として立派に残って居ます。
 久能山東照宮の方は、江戸時代の始め、徳川家康が「自分が死んだら、鎧兜を着せ、西に向かって埋葬せよ。徳川幕府を倒そうとする者は、西の方から来る。其れを自分が守護する。」との遺言に基づき其の通り埋葬されましたが、三代将軍 徳川家光の時に僧天海の勧言で家康の遺体は日光に移された、と言われて居ますが、発掘調査がされて居ませんので、未だに久能山に有る、とか日光に有るとか言われて居て、ハッキリ分かりません。


消える村

2011-11-06 10:35:40 | 文学・歴史


 村が消える! 過疎化の村に台風が襲い、遂に何百年も続いて来た先祖代々の村が消えて仕舞います。ご先祖様が 汗と涙を流して切り開いて来た由緒ある、多くの伝説も有る村が、台風と言う大自然の猛威に耐えられず、此処に幕を閉じるのです。朝日新聞に其の記事が載りました。
 『 台風12号でほとんどの家屋が流された和歌山県田辺市本宮町三越(みこし)の奥番(おくばん)地区で5日午前、集落の「解散式」が開かれた。7世帯10人の集落に、就職で離れた人や親戚ら約200人が集まり、ふるさとの最後を惜しんだ。
 集落は世界遺産・熊野本宮大社の北西約6キロにある。土砂崩れで流れが変わった川に大半がのまれ、やむなく解散が決まった。この日は地元の神社で神事や餅まきをした後、森林組合の製材工場で解散式を開いた。県外に移り住む住民の野下義計さん(84)らが別れのあいさつをした。』
 この村を去る事になった人達の心中は如何ばかりでしょう 万感交々胸に迫り、言葉に尽くせないものがあり、断腸の思いでしょう。
 数年前 熊野神社から高野山へ向かう道を、観光バスで辿ったのを想い出しました。山間のくねくね道をバスの中から見た景色は、「こんな所にも人家が在るのか!?!」と 驚くのと同時に「此処の人達は、どんな生活をして居るだろう 急病人が出たらどうするのだろう」と 心配が湧き上がって来ました。
 恐らく ご高齢の方々ばかりでしょうけれども、他の所に移り住まわれても、どうかお体を大切にお過ごしください と祈念致します。


 


舟を捨てよ

2011-10-26 15:30:30 | 文学・歴史

 今日の静岡大学 湯の上教授の第三回講義は、二つの大きなテーマがありました。
 ◎一つ目は 仏陀(お釈迦様)の言葉『煩悩の激流を渡れ。そして 渡ったら舟を捨てよ』先ず 人生に煩悩は避けられません。激流として迫りくる煩悩には恐れず果敢に渡り切れ。そして渡って仕舞ったら、いつまでも舟(仏陀)にしがみ付いて居ないで舟(仏陀)をサッサと捨てなさい。
 人間は弱いものです。仏陀に救われた事を忘れられなくて、何時まで経ってもしがみ付いて居てはいけない。自分の力で前へ進みなさい と言う事です。
 ◎二つ目は 538年 仏教が日本に伝来した時、経典は漢文で到来しました。中国ではインドから経典が到来した時には、サンスクリット語でした。其れを中国の鳩摩羅什、玄奘三蔵等の優れた僧たちが何百年と言う膨大な時間と努力で漢文に翻訳しました。
 一方 日本に仏教の経典が入って来た時は漢文でした。其れを日本の僧たちは漢文の侭取り入れて和文に翻訳しませんでした。何故なら 当時の僧たちは、漢文にレ点等を打つ事で、其の漢文が読めて、意味が理解出来たのです。そして凡そ600巻も有る経典を翻訳するのは必要ないと思ったからでしょう。
 そして お坊さんがあげるお経は、呉音の漢文の侭こんにち迄伝わって居るのです。


仏教伝来

2011-10-19 15:51:36 | 文学・歴史

 今日の静大 湯の上先生の仏教に関する講義は、お釈迦様<釈迦牟尼世尊>が紀元前五世紀ごろ、自分が悟りを開いて、弟子達に其れを説いた「原始仏教」と、其れが遥々中国を経て、そして朝鮮半島を経由して日本に伝わるまでの話でした。
 日本に伝わって来たのは「大乗仏教」と言う仏教で、お釈迦様が亡くなって500年後位、丁度西洋でキリストが生誕した頃インドで成立しました。「原始仏教」が「上座部」と「大衆部」に分裂して「上座部仏教」が「小乗仏教」になり、「大衆部」が「大乗仏教」となり此の「大乗仏教」が日本に伝来したのです。日本史で我々が教えられて居る「仏教伝来」は 西暦538年 百済の聖明王の使者が、欽明天皇に金銅の仏像経典等を献上した時とされて居ますから、「大乗仏教」の成立から凡そ550年の年月を経て来たものと思われます。
 「大乗仏教」成立後100年(紀元前400年)頃 インドから中国に伝わりましたが、インドの言葉(サンスクリット語)で書かれた経典を、超人的な努力と才能で漢語に翻訳したのが鳩摩羅什(くまらじゅう)と言う人と、其の後を引き継いだのが、西遊記で有名な玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)です。
 不思議に思いますのは 中国で此の様に超人的な努力でインド語を漢語に翻訳したものを、日本に伝来して時に、何故に漢語を和文に翻訳しなかったのだろうかと言う事です。其の能力は充分に有ったでしょうに、そうすれば仏教と言うものが、今よりもっと民衆の親しみやすいものとなり、今ほどの衰退をしなかったかも知れない と思いました。


煩悩

2011-10-13 14:24:00 | 文学・歴史


 昨日の静岡大学 湯の上教授の講義は仏教の成り立ちに就いてでした。釈迦の誕生から始まり、80歳で亡くなるまでの話と、釈迦の教えの中で、<人間の煩悩>とはと言う我々が尤も悩み苦しむ根本原因に就いての話でした。
 つまり 人間の悩み・苦しみは、自己所有への執着心から始まる と言うものです。人生は無常である 寿命も 幸福も 不幸も 苦しみも永遠には続かない。特に生・老・病・死と言う苦から逃れる事は出来ない。其れから逃れたいと執着する心が<煩悩>である。
 其の<煩悩>には <三毒>と言うものが有る。1.貪り。2.怒り。3.愚痴。の三つである。此れは 自分を中心にして相手への執着を貫く事であり、仏教では愛は人間の人心を惑わす<煩悩>と定められている。
 此の事を聞いて 自分な此の<煩悩>の塊であり、如何に悟りに程遠いかと つくづく感じた次第です。


プロメテウスの罠

2011-10-03 11:20:36 | 文学・歴史


 今朝の朝日新聞の1面に「プロメテウスの罠」と題した記事が載って居ました。ギリシャ神話で人類に<火>を与えた神です。愚かな人類は、その火を明かりや暖房や料理に使うだけでなく、戦いに使いました。そして、<火薬>を発明し、遂には<核兵器>まで発明して仕舞いました。
 罠として人類に火を与えたプロメテウス自身、人類が此処まで愚かな生物だとは想像もして無かったでしょう。「此れはもう どうしようもない!勝手にしろ!」と呆れ果てて「もう駄目だ!滅亡しろ!!」と匙を投げました。
 福島原発では、事故の処理能力が無いくせに、「安全神話」と「給付金」をばら撒き地元の人達を抜き差しならない立場に陥れ、それでも尚未だ原発推進を唱えて居る人が居るのには、プロメテウスも空いた口が塞がらないでしょう。


9.11陰謀説

2011-09-14 14:51:14 | 文学・歴史


 9.11同時多発テロ ニューヨークで行われてからはや10年になります。そして其の<報復>の名目で、アメリカがアフガニスタンに戦争を仕掛けてからも10年になります。
 其の戦争に費やされた費用、失われた人命は恐れしいものが有ります。ニューヨークの貿易センタービルに居て犠牲になった人は2977人。一方 アフガニスタンで犠牲になったのは正確な数字は把握されて居ませんが、20万人とも200万人とも言われて居ます。其の内 戦闘要員としてはアルカイダ、アメリカ、イギリス、カナダ等の兵隊が、併せて約2万人。其の他の膨大な数字の犠牲者は、全部女性・子供・老人と言った非戦闘員です。其れもアメリカ空軍の空爆に依る悲惨な犠牲者達です。
 9.11テロで2977人の犠牲者が出ました。が 其の報復として此処までの犠牲者を出したやり方が、果して赦されるものでしょうか過剰過ぎる報復だと思いませんか!?!そしてアメリカは国民の税金を2兆ドルもドブに捨てたのです。唯 大喜びして儲けたのは<軍需産業とブッシュ大統領>です。あの頃は政治的に手詰まりで、事態の打開に苦しんでいましたから・・・ 
 あれから10年も経って、驚くのは 未だに此れをネタにしてメシを喰って居るジャーナリストがアメリカに大勢居る事です。(日本にも何人か居ますが)
 「あのテロは CIAが仕組んだものだ。」「ブッシュとビンラーディンとは親密な中で、二人で相談してやった陰謀だ」「軍需産業のボスが、金儲けの為に仕組んだ陰謀だ」など等と夫々誠しやかな理論的な根拠を挙げて唱えて居ます。
 其の内でも 建築の専門家が唱えて居る あの二本の貿易センタービルの崩れ方が、余りにも鮮やかなのが陰謀説の根拠だ、と言うのが気に掛かります。あの時 ビルの110階にボーイング767が突入したのですが、其の高さに衝突した事で、あのように脆くもビル全体が崩れて仕舞う事は有り得ない と言うものです。つまり 予めビルの何か所かに爆薬が仕掛けられて居て、一斉に爆破しなければあのような崩壊は無い と言うのです。
 なるほど あの崩れ方は確かに鮮やか過ぎましたね。


巧言令色

2011-09-03 14:07:07 | 文学・歴史


 孔子様の有名な言葉に「巧言令色、少なし仁」と言うものが有ります。要するに、口先ばっかり美味い事を言う人間は、心の籠った行動をしないから気をつけろと言う意味でしょう。今から2500年以上前に中国の思想家・教育者の孔子様が言った言葉として、<論語 学而編>に納められ居ます。中国ではそんな昔から口先だけで上手に世渡りをする輩が沢山徘徊して居たのですね。
 尤も 現代の日本でも 言葉巧みに言い逃れをして、地位の保全を図ったり、自己の利益の確保の為に手段を選ばずに他人を陥れたり、白を黒と言い張って他人を傷付けたり、と もし此の有様を孔子様が御覧になったら、驚きの余り気絶なさるかも知れません。政治家・官僚・電力会社・・・その他独占的市場を欲しいままにして居る大企業。
 先日 一人の「巧言令色」センセがやっと退陣しました。何の反省も無しに・・・


続 敗戦記念日

2011-08-15 15:49:15 | 文学・歴史


 「続 敗戦記念日」 昨日に続き8月15日に思う事を綴ります。昨日書いた池上・加藤対談で、二人が言う「太平洋戦争で、我々は<被害者>だけではなく<加害者>である」と言う意見には大いに賛成です。私達は二発の原爆と無数の爆弾・焼夷弾で犠牲になった非戦闘員と、戦場で戦死した兵隊達を併せて600万人とも言われる戦争犠牲者を思う時、その余りにも悲惨な死に、思わず戦争の<被害者>として仕舞います。
 確かに 600万人の内の多くの人達は、抵抗する手段も無く、自分の意志に反して唯々諾々と死出の旅に送りだされて仕舞ったのです。もっと長生きをして幸せな生活をしたい!と切実に願いながらも、人間の作り題した<大量殺戮兵器>で何ものにも代え難い命を奪われて仕舞いました。
 事此処に至るまで 果して此の戦争を防ぐ方法は無かったのでしょうか いや ありました。其れはNHKを始めとする大新聞が、世界から正確な情報を集め、欧米の軍事力と日本の軍事力の差を冷静・客観的に比較して、正直に報道して居れば、此の戦争が如何に無謀なものかを多くの国民に知れせる事が出来たでしょう。軍部は半ば発狂状態でしたが、マスコミ全部で連帯して<不利な戦い>を国民に知れせるべき責任が有ったのです。勿論 其れは命懸けの大仕事です。然し マスコミは其れを避けて寧ろ<戦争礼賛>に回りました。此処に歴史的大罪が有るのです。
 戦後66年経ったこんにち 未だにそれはどのマスコミも総括して居ません。此れが 日本のマスコミの本質です。


敗戦記念日

2011-08-14 11:33:18 | 文学・歴史

 今年も8月15日に「敗戦記念日」がやって来ます。あの戦戦争に就いて池上彰さんと東京大学大大学院の加藤治子教授が対談をして居ます。
 1945年8月15日に日本は戦争に負けました。そして日本国民はみんな一斉に「戦争被害者」になりました。果してそれでよかったのだろうか と言う視点から此の対談は始まって居ます。
 日本軍は フィリピンを始め、東南アジア各地で完膚なきまでに叩きのめされて、沖縄には上陸され、おまけに広島と長崎に原爆を投下されて、無条件降伏をさせられたのです。それでもこの現実を国民にはひた隠しにして、我が軍は連戦連勝と国民をだまし、未だ戦争を続けようとして居たのです。此の酷い<大日本帝国軍隊>は、昭和天皇の英断が無ければどうなって居たか判りません。 此の現実を隠す、国民に知られたくない事を隠蔽する姿勢が、当時の大日本帝国軍部と、東京電力福島原子力発電所のやり方と、相通じるものが有り、恐ろしさを感じると言うのです。
 明らかに敗色濃厚で、B-29 爆撃機が毎日飛来して、東京・大阪・等の大都市を焦土にされても尚「日本は戦争に負けない。神風が吹いて必ず勝つ」と言い続けて、女子供老人まで駆り出して竹槍を持たせ、米軍の上陸で<本土決戦>に備えさせたあの時の大本営発表と、未だに放射能を垂れ流し続けて居るのに「原発は安全です」と言い続けて来た政府・官僚・電力会社とは同じではありませんか!!
 対談で二人は あの戦争でも、福島原発でも自分達は<被害者>では無くて<加害者>なのだ と結論付けて居ます。つまり あの軍部の暴走を許して仕舞った事、原発の建設を容認して仕舞った事、これ等を体を張って止められなかった事・・・勿論 此れは今だからこそ言える事では有りますが、当時<戦争反対>を唱えて命を落した勇敢な人達が大勢居られたと聞きました。なのに此れがどうしてもっと大きな運動として発展しなかったかと言えば 其れはNHKラジオと大手新聞が口を揃えて<戦争礼賛>を唱えたからです。
 それも こんにち迄のマスコミの<原発礼賛>と同じです。66年前にあれ程酷い目に遭って居ながら、マスコミは進歩してません。


続 五山の送り火

2011-08-10 10:43:30 | 文学・歴史


 「続 五山の送り火」です。陸前高田市で被災した松で拵えた薪を「五山の送り火」として焚く計画を、根拠の無い放射能汚染を心配した市民の苦情で、一旦は中止を決定したのですが、其れに対して連日500件を超す非難や苦情が寄せられまして、再度実行する事になりました。
 京都五山送り火連合会の田中博至会長は、陸前高田市にもう一度松の薪を送って貰う事にして、「メッセージの書かれた元の333本の薪は、既に地元で焚かれて仕舞いましたが、今度の薪にも被災者の思いが込められています。鎮魂の心を籠めて丁重に焚きます」と言って居ます。
 此れを聞いた全国の子供達から「初めからそうすればいいのに・・・」と笑われるでしょう。京都のオトナ達は何とケツの穴が小さいんだ(御免なさい つい生まれも育ちも下品なもので言っちゃいました)
 以前 京都の市長が言ってました。「京都は 此れと言った産業が有りません。観光が街の唯一の収入源です。だから 修学旅行で来て下さる小・中学生、一般の観光客の皆様を大切にしなければ街は滅びます」此の精神です。此の精神で「おおきに!」と 観光客を迎えて下さい。
 京都のタクシーや、ホテルの従業員は大変親切です。其れだけ競争が激しいからでしょう。その一方で先斗町や祇園では未だに「一元様お断り!」と言う世界が有ります。<所謂エリートだけの限られた世界>を作り、其処を保持したいというノスタルジックな願望は、京都を孤立させるだけではないでしょうか


五山の送り火

2011-08-09 14:34:28 | 文学・歴史
 「五山の送り火」 京都のお盆の風物詩で其の起源は平安時代とも、江戸時代とも言われ、公式の記録は無く、明確なところは判りません。
 其の「五山の送り火」に 大分市の芸術家藤原了児氏が、陸前高田市で大津波に遭い、多くの犠牲者と伴に倒れた松を送り火として焚いては・・・と 提案しました。
 京都の大文字保存会の松原公太郎理事長も、其の意を汲んで計画を受け入れることにしました。ところが 京都の住民達から<福島原発の放射能>が怖いと激しい苦情が出ましたので、放射能を検査した処<放射能の検出はナシ>との検査結果でした。 其れにも拘わらず京都市民からの苦情や非難が治まらず、已むなく松原公太郎理事長も「中止」せざるを得ませんでした。
 折角集めてメッセージを書きこんだ大切な松の木の薪は、地元陸前高田市で8月8日犠牲者の迎え火として焚かれたそうです。
 其れにしても京都人の頑固な冷酷さ・排他的さは桓武天皇の平安遷都以来、1000年の昔から変わって居ませんねぇ 今の京都は歴史的遺産をネタにした、観光客だけが頼りの街です。なのに此の傲慢な態度はどうでしょう これでは 京都が大地震とか大災害に遭っても何処も誰も救援して呉れないでしょう。

古典文学概論

2011-07-27 10:04:20 | 文学・歴史

 静岡大学の「市民開放講座」の前期授業が終わりました。私が受講しました「古典文学概論」は、萬葉集から源氏物語、狭衣物語と、萬葉時代から平安時代迄の文学史を学ぶものでした。
 大ざっぱに感想を言えば、雄略天皇(480年頃)から大伴家持(880年頃)迄の400年間の萬葉時代に詠まれた詩・物語は、自由奔放のびのびとしたものです。
 其れが 紫式部等が登場する平安時代になると、中身がうんと濃くなり、しつこくなります。つまり 其れだけ日本の言語が複雑で、きめ細かいものに発達して来たのだ、と想像されます。それから鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、更に明治・大正・昭和と言葉は止まる事無く変遷を続けて行くのでしょう。
 源氏物語の有名な書き出し部分にしても 『いづれの御時にか、女御・更衣<あまたさぶらいたまいける中に>・・・』を 現代文に訳すれば「女御・更衣が沢山居る中に」と スッキリと言うか味も素っ気も無い文になります。然し 此れが現代の生活には便利だから仕方が無い事です。
 此の半年間で私が学んだのは、古代の人達は大変情緒豊かな言葉を遣って生活して居たのだなぁ~と言う事です。