唯物論の終焉(11)
第11章:過去知
過去知は、あるかないかデータが十分にない現象である。
かつて(1977年)パット・プライスが、水泳プールのある
公園が遠隔視のターゲットであったとき、2つのプールを
その直径までおおよそ当てた例があった。
そのとき、現場にない給水タンクタワーも報告したのだが、
あとで、そこに過去、そうしたタワーがあることがわかった。
過去知は、過去を透視しているとしても、その透視が正しいと
わかるためには、その過去に関する記録が残っていないと
正しさが判定できない。ところが、その記録が残っているの
ならば、その記録を透視しているのかもしれない。だから、
過去視とふつうの(遠隔)透視を区別するのは難しい。
第11章:過去知
過去知は、あるかないかデータが十分にない現象である。
かつて(1977年)パット・プライスが、水泳プールのある
公園が遠隔視のターゲットであったとき、2つのプールを
その直径までおおよそ当てた例があった。
そのとき、現場にない給水タンクタワーも報告したのだが、
あとで、そこに過去、そうしたタワーがあることがわかった。
過去知は、過去を透視しているとしても、その透視が正しいと
わかるためには、その過去に関する記録が残っていないと
正しさが判定できない。ところが、その記録が残っているの
ならば、その記録を透視しているのかもしれない。だから、
過去視とふつうの(遠隔)透視を区別するのは難しい。
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