RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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休日に全力で生きるOLの日記(笑)

描かれたチャイナドレス -藤島武二から梅原龍三郎まで

2014-06-22 21:30:00 | 美術
見てきました

ブリヂストン美術館

会期は2014年4月26日から2014年7月21日。

中国は古代から近世にいたるまで、アジアの先進国であり、様々なものが日本へもたらされました。
明治維新以降、日本の人々はヨーロッパへ目を向け始めますが、大正時代に日本で中国趣味が沸き起こりました。
芥川龍之介や谷崎潤一郎らが中国をテーマにした小説を次々に発表。
同じように、美術でも中国趣味が。
油彩画の世界では、藤島武二が中国服を着た女性像を描き始めました。
実際に中国を訪れた画家、日本にいて日本女性に中国服を着せて描いた画家。
1910年代から40年代にかけて日本人画家が描いた約30点で構成された展示です。

藤島武二「匂い」
油彩で描かれた中国服を着た女性像としてはもっとも早い時期の作品。
女性がテーブルに肘をついています。
目の前には嗅ぎタバコの小さな瓶。
藤島は中国服を50~60着近く集めていたのだそう。
確かに、複雑な模様や色彩、異国情緒を感じる服は描きたくなるのかもしれません。

藤島武二「女の横顔」
今回のポスター・チラシにも使われている作品。
隣には参考として「芳」のコピーも飾られています。
こちらとそっくり。
比べて違うところは髪飾りがこちらのほうが豪華ということ。
女性の顔が微笑んでいるかのように見えること、です。
「女の横顔」の方が無表情で1点を見つめている印象。
なお、モデルは竹下夢二に"お葉"と呼ばれていた佐々木カ子ヨ(かねよ)

藤島武二「鉄剪眉」
1924年から3年間、立て続けに描いた中国服女性の横顔を描いた最後のシリーズ。
タイトルの「鉄剪眉」について藤島は"なんのことか知らない"と語っていたそうですが、藤島が見た中国人形に着けられてた言葉だそう。
その漢字の並びなどが気に入ったのでは、とのこと。
頭をぐるっとターバンのような髪飾りが覆っています。
中国服より印象的。

藤島武二「台湾の女」
描かれているのは台湾の中央高地に住む先住民、ツォウ族とみられる女性。
青いターバンをし、彫りの深い目元が印象的。
エキゾチックな美です。

久米民十郎「支那の踊り」
なんとも不思議な作品です。
中国服を着た女性が室内で体をくねらせ踊っています。
部屋からも、その女性からも妖しい雰囲気が漂っています。
体の大きさに対し、手や指が長すぎるし、くねくね過ぎる。。。
久米民十郎は1923年9月1日、関東大震災によって横浜のホテルで亡くなった画家。
30歳でした。
翌日からヨーロッパ渡航だったそう。
そのため残された作品も資料も少ないのですが、意外や意外。
20世紀アメリカ文学研究者の間では意外に知られているのだそう。
というのも、ヨーロッパで、エズラ・パウンドやアーネスト・ヘミングウェイと親しく交わった画家だったから。
二人は久米の油彩画を大事に保管していたのだそう。
この作品は亡くなる3年前、帝国ホテルで開催された個展で発表されたもの。
当時の新聞記事には、「霊媒派」という言葉があったそう。
嘘か誠か、制作にあたって巫女を雇っている、と記者に語っていたそうで……
そう言われると信じたくなる不思議な力がありました。

満谷国四郎「焦山」
これは女性ではなく男性の後ろ姿。
そして人物より景色がメインです。
焦山は長江中洲の小さな山。
丸くくり抜かれた明月門の横に男性はいます。
空は灰色。
ここまで人物メインの作品だったので、景色の描かれた小さな作品は目をひくし、ほっとする景色でした。

矢田清四郎「支那服の少女」
東京美術学校の卒業制作と思われます。
室内で机に手を置き立っている中国服の女性。
女性の右側には窓があり、優しい光が室内へ入り込んでいます。
花瓶など室内の装飾も異国趣味となっていました。

岸田劉生「照子像」
描かれているのは岸田劉生の5つ下の末妹。
1919年8月に劉生の家へ療養で訪れました。
劉生といえば、娘の麗子が有名ですが、その麗子もよく懐いていたそうです。
劉生は1920年1月に中国服を着せ3点の水彩を描いています。
これはそのうちの3作目で2日で完成させたのだそう。
暗い背景の中に、青白い顔と鮮やかな中国服が浮かび上がっています。

三岸好太郎「中国の女」
小さな作品。
暗い背景の中に赤茶色の服を着た女性たちが描かれています。
約20人。
白い顔が浮かび上がるかのようです。
ちょっと怖い……。

小出楢重「周秋蘭立像」
"支那服描きたい"と口癖のように言っていた小出に友人の文学仲間が紹介したのは上海出身、神戸住みのダンサー。
芦屋にあった小出のアトリエで描かれたのだそう。
絨毯や花瓶など室内装飾も服と調和が取れています。
ぱっつんの前髪が印象的。

正宗得三郎「赤い支那服」
描かれているのは中国服を着て椅子に座った女性。
モデルは妻の千代子。
ヨーロッパから帰国した翌年(1925年)に描かれたもの。
この旅行で日本人であるアイデンティティーに目覚めた正宗。
帰国後は、日本や東洋の伝統的な美術の研究を始めました。
その一方で、帰国の際に持ち帰ったフランス製の布地を静物画などの背景に用います。
妻の千代子はその生地の一部をつかって"支那服"を造りました。
布はフランス製、製作者は日本人という"支那服"
矛盾しているようですが、千代子は一生懸命に中国風のドレスを手がけたようです。
"サンプルのない支那服を絵になるような美しい変わった形を考案して作るのに苦心しました。
自分の作った支那服が絵になるので、私も張り合いがありました。"
との言葉が紹介されていました。
素敵な奥さん、そして素敵な夫婦関係です。

正宗得三郎「中国服を着た女」
モデルは小田切峯子、侯爵・細川護立からの依頼品かと思われます。
この2人の組み合わせ、東京国立近代美術館所蔵の安井曾太郎「金蓉」と同じです。
(後ほど出てきます)
青に白のドットの中国服を着て、手には黒の猫のぬいぐるみらしきものを持っています。
このぬいぐるみについては梅原龍三郎も描いているのだそう。
画家通しのつながりが垣間見えます。

児島虎次郎「お茶時」
児島は1918年の春に初めて中国に行ったそう。
水辺の茶屋でしょうか、茶を楽しむ中国服の女性。
窓は大きく開けられ自然たっぷりの屋外が見えます。
さらりと描かれています。

児島虎次郎「西湖の画舫」
画舫とは飾り立てた屋形船のこと。
古来、江南地方で春から秋にかけて多くの文人たちが楽しみました。
船の内部では胡弓を弾く男性、歌う女子。
話をする女性とにぎやかです。
色彩も鮮やか。

児島虎次郎「花卓の少女」
傍らのテーブルに肘をつき、ふとこちらを見る少女。
紫色の中国服が目をひきます。
手には赤い表紙の本。
今まで読んでいたけれど、ふと顔をあげた瞬間、といった感じです。
可愛らしいのです。

安井曾太郎「金蓉」
先ほど書きましたが、モデルは小田切峯子。
英語、中国語など5カ国語を話す才媛で、父親は上海総領事を 務めた外交官だったそう。
普段から中国服を着ている娘に、父親は"金蓉"という中国風の愛称をつけました。
この絵のタイトルはまさに彼女の愛称から。
背景は薄いピンクで藍色の中国服が目立ちます。
この作品の製作途中に峯子はハルビンへ帰りました。
その際、この藍色の中国服を置いて帰ったそうで、安井はモデル着用なしで描き上げたのだそう。

藤田嗣治「力士と病児」
これまでの作品とは違い、道行く人を描いたもの。
上半身裸の男性は大道芸人とのこと。
その後ろに描かれている母子はそれを見ていた人でしょうか。
通りかかっただけでしょうか。
街並みも中国らしい鮮やかな色彩が配されています。
着飾った人物ではない人物を描いたところにおもしろさを感じます。

朝井閑右衛門「蘇州風景」
蓮で埋め尽くされた幻想的な池。
船に乗った女性がその花をとる場面です。
全体的に明るい色彩で、空はクリーム色。
とても素敵な作品です。

恩地孝四郎「白堊(蘇州所見)」
創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者とされている、恩地。
前衛的な表現を用いて、日本に版画というジャンルを芸術として認知させました。
白い壁と天井、床までもが白い空間。
廊下の先には格子窓。
そこには鮮やかな青い中国服の女性の後ろ姿。
静かで洗練された印象です。

以上になります。
展示数は少ないですが、とても楽しく見ごたえありました。
"中国服"とまとめた展示は初めてでしょう。
視点も面白い展示でした。



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