見てきました
森アーツセンターギャラリー
会期は2014年4月19日から2014年6月29日。
「子ども」をテーマとした本展。
モネ、ルノワール、ルソー、マティス、ピカソなど錚々たる画家48人が描いた作品で、約3分の2は日本初公開。
今回、3回に分けて書いています。
序章から第2章までを「
その1」
第3章から第4章までを「
その2」
第5章から第6章までを「その3」
今日は「その3」です。
トップの写真は会場入り口にありました。
レゴ認定プロビルダーの三井淳平さんがレゴブロックで作成した「人形を抱く少女」。
アンリ・ルソーの「人形を抱く少女」がモデルです。
なかなか強烈。笑
《第5章 フォーヴィスムとキュビズム》
フォーヴィスムとキュビズムは20世紀初頭の前衛運動。
それまでの描き方を根底から覆し、美術のあり方に革命的な変革を起こしましたが、肖像においてモデルに"似ている"ということはあまり意味を持たなくなってしまいます。
絵画において写実的であることが意味を持たなくなった時代です。
ここではフォーヴィスムのマティスやドラン、キュビズムのピカソやその愛人、フランソワーズ・ジローなどの作品が展示されています。
エリー・ラスコー「幼いジュルメーヌの肖像」
黒目の大きな幼い子。
その表情はちょっと怒っているようにも見えます。
全体的に灰褐色のキュビズム的な色彩です。
ビラト「ハビエレテの肖像」
肖像ですが、目とかにキュビズム的構成の見える作品。
ビラトはピカソの妹の息子でピカソの甥にあたります。
ここに描かれているハビエレテも後に画家となります。
グザヴィエ「ヌマとボール」
シンプルな線とシンプルな色で描かれた作品。
裸の赤ちゃんが床に這いつくばっています。
視線の先には赤いボール。
興味を示した日常を描いています。
私はこの作品、とても好き。
その作品を描いたグザヴィエ。
先ほどのビラトの作品に描かれていた少年、ハビエレテです。
ハビエレテの成人してからのアーティスト名がグザヴィエ。
彼は絵画のほか、陶芸や映画監督などもしていたのだそう。
パブロ・ピカソ「ポーランドの衣装を着たクロード」
椅子に腰かけ、真正面を向いた顔。
表情だけリアルです。
体は簡素化し、というかこけしのような感じ。
衣装はかわいらしい。
人形見たいです。
パブロ・ピカソ「パロマ」
ピカソは子どもを描かせても古今最大の画家でありました。
ピカソと子どもをテーマにした本が出版されたり、展覧会が開催されたのもピカソならでは。
ピカソは2回結婚しますが、そのほかにも愛人がいたことは有名な話。
先ほどのクロードとこのパロマの母親はフランソワーズ・ジローという画家です。
結婚はしておらず、愛人、ということです。
独身時代や青の時代、バラ色の時代には社会の底辺に生きる貧しい子どもたちをしばしば描いています。
1921年にパウロが生まれてからは子どもの絵はもっぱら我が子。
この絵のモデル、パロマは1949年生まれ。
この年はパリで国際平和医会議が開かれた年で、ピカソはそのポスターデザインを手がけました。
平和のシンボルとして鳩を描いたそう。
その年に生まれた娘の名前をパロマ(スペイン語で鳩)にしたことも関係しているでしょう。
まっすぐに正面を向いてこちらを見る目は力強さを感じます。
色彩もカラフルで元気な印象を与えます。
この娘は後にジュエリーデザイナーとなりティファニー社と仕事をしています。
パブロ・ピカソ「母と子どもたち」
フランソワーズ・ジローと2人の子どもが描かれています。
暗い色の中に明るい色が効いていて童話の世界のような印象。
優しい作品ですが、この年にフランソワーズ・ジローは子どもを連れて出ていくのです。
このあとにはピカソが作った紙製のおもちゃもありました。
ピカソが子どもを大事にしていたことが伺えます。
フランソワーズ・ジロー「ボール遊びをするクロードとパロマ」
ピカソの愛人でクロードとパロマの母親です。
フランソワーズ・ジローも独自のキュビズムで子どもたちを描いています。
緑の中でボールを投げて遊ぶ子どもたち。
パロマのスカートがふわりとひるがえり、軽やかな印象です。
フランソワーズ・ジロー「リベルテ(自由)」
亡くなった詩人ポール・エリュアールに捧げたもの。
エリュアールの最も有名な詩のタイトルが「Liberté(自由)」
クロードが黒板に"Liberté"と書き、それを母とパロマが見つめています。
強い色彩ですが構図や配色などとてもしっかりしています。
ピカソと結ばれた女性は、知られているだけでも7人。
フランソワーズ・ジローは6番目の愛人です。
ピカソを捨てた唯一の女性と言われています。
出会ったのは1943年。
フランソワーズ・ジローはソルボンヌ大学の法科に籍を置く学生でした。
そしてそのとき、南仏在住の女友達と一緒に初めての展示会を開いていました。
そこのレストランで隣のテーブルにいたのがピカソと恋人の写真家ドラ・マール。
ピカソは隣の会話に興味を持ち、女性2人が画家志望だと知ると、彼らを自分のアトリエに招待。
ここから交友が始まるのですが、最初は付かず離れず。
フランソワーズに魅了されたピカソは彼女に詩人ジャン・コクトーや画家のマチスらを紹介。
彼女をモデルに作品を作るなど積極的。
そして1946年。
"私の年齢だと元気がなくなる日は遠くない。だから私が君にとって少しでも意味があるなら、今、一緒に暮らしてほしい"
ここから40歳の年の差を超えて同棲が始まるのです。
そしてクロードとパロマが誕生。
ピカソと家庭らしい家庭を営んだという点でも唯一の女性でした。
が彼女は、ピカソの身勝手で威圧的な性格に辟易。
別れ話になると、「私に発見された恩を返せ」と激怒し、ついには「私のような男を捨てる女はいない」とまで言ったとか。
それでも1953年、ピカソの元を去り、パリに戻ります。
すでに前年、個展を開いて好評を得ていた彼女は、それを心の支えに自立への道を歩み始めたのです。
そして2年後、同世代の画家リュック・シモンと結婚。
これはピカソに衝撃を与えたようです。
ピカソは逆上し、画商とギャラリーに彼女との仕事を継続しないよう圧力をかけてきたのです。
……じいさん、、大人げないよ…………。
まぁ、ピカソもすぐに次の愛人ジャクリーヌ・ロックを見つけるのです。
彼女とは1961年に結婚。
ですが、この結婚は、フランソワーズに対する意趣返しとされています。
というのも当時フランソワーズはクロードとパロマの認知を得る努力をしていました。
ピカソはフランソワーズに「結婚を解消すれば、入籍してあげてもいい」と誘いかけたのです。
これに乗ってフランソワーズが相手と協議離婚すると、ピカソは既にジャクリーヌと結婚。
……なんちゅうじいさんや………。
で、圧力をかけたものの、彼女の抽象画は注目され、活躍の場はイギリス、そしてアメリカにも。
そして1964年、文芸評論家カールトン・レークと共著で『LIFE with PICASSO』を米国で出版。
ピカソの芸術と人を書いたこの本はミリオンセラーになり、フランス語でも翻訳の話が出ます。
ピカソはそれを阻止しようと訴訟を起こしましたが、3審とも敗訴。
ピカソは「お前が勝った」と、フランソワーズに電話で言ったそう。
これが2人の最後の会話。
その後は、小児まひワクチンの開発者として知られる米人医学者ジョナス・ソークと再婚。
カリフォルニアに移住し、現在に至っています。
アメリカ各地を飛び回り、欧州でも回顧展開催。
2010年には日本でも回顧展が開催されました。
ここまで来ると、ピカソがどうとか関係ない、実力ですね。
美貌と知性と才能と、強い意志をもった女性。
"私の世界から踏み出してみろ、砂漠へ行くぞ"と引き止めたピカソ。
"だったらそこで生きてみせる"と言い返したフランソワーズ・ジロー。
どちらも自分の強い世界を築き上げました。
ピカソが嫌いになりそうなエピソードですね。笑
アンリ・マティス「ピエール・マティスの肖像」
アンリ・マティスの次男、ピエールがモデルです。
素早く描かれてた肖像画。
ちょっとふてくされたような表情をしているのは遊んでいるところを中断させられてモデルをしているからだそう。
ピエールは頭に赤い帽子のようなものを被っていますが、アメリカの先住民の羽飾りだそう。
なお、ピエールは画商になりました。
バルテュスの作品を最初にアメリカで展示公開した人物です。
バルテュス展には彼の大人になってからの肖像が展示されていました。
(記事はこちら→「バルテュス展(その1)」)
アンドレ・ドラン「画家の姪」
アンドレ・ドランはマティスと並ぶフォーヴィスムの創始者で指導者的立場でした。
モデルは画家の姪で良き助手でもあった姪のジュヌヴィエーヌ。
椅子の背もたれに手をかけ、片足をあげてポーズをとっています。
手には赤い花。
椅子の上には果物の入ったカゴ。
ドランといえば強い色彩が特徴的ですが、この絵では穏やかな色彩です。
古典風の画風に回帰した頃の作品だそう。
ドランのアトリエを訪れる画家の中でも、キュビズムのジョルジュ・ブラックとは終生の友となったそう。
またバルテュスも通っていましたそうで、バルテュスはドランの肖像画も描いています。
アンドレ・ドラン「画家の息子」
先ほどは姪を描いた作品ですが、今回は息子。
まっすぐこちらを見つめています。
ドランは子どもが60歳までおらず、この子はお気に入りのモデルとの間にできた待望の子。
やっぱり自分の子どもはかわいらしいのでしょうか。
慈しむ様子が伝わってきます。
《第6章 20世紀のレアリスト》
20世紀は抽象芸術の時代ともされましたが、その振り戻しとしての具象、あるいはレアリスムの動きも活発でした。
ここでのレアリストとは20世紀における具象の流れを指します。
今まで出てきた美術運動とは関係なく活躍したエコール・ド・パリの画家たちや女流画家のレンピッカ、また新しく独創的な世界を作り上げた画家たちの
作品が展示されています。
タマラ・ド・レンピッカ「初めて聖体を拝領する娘」
1920年、パリで脚光を浴びたアール・デコの女性画家。
美人で奔放で激しい気性でプライドの高い女性でした。
……関わりたくない人って感じですが。。。
描かれているのは白い服をまとった娘、キゼット。
両手を合わせ、天を仰ぎ見るかのようなポーズ。
ドラマチックな印象でさすがレンピッカといった感じです。
自分の美貌が大好きだったレンピッカですが、自画像よりも多く描いたのが娘のキゼット。
こういった情報からレンピッカは娘を愛していたんだな、と思いがちですが。
娘キゼットの世話をしていたのはレンピッカの母。
娘のことをかえりみることはほとんどなかったそう。
レンピッカが画家になる決意をしたのは娘の誕生後。家計を立て直すため。
生まれ持った才能と、成功しなければいけないという強い意志で短期間で上達。
たちまちサロンに出展したり、雑誌の表紙を飾ったりするようになりました。
そして1927年。
フランスのボルドー国際美術賞の金賞を受賞。
これは生まれて初めてとった大きな賞。
受賞作品は「バルコニーのキゼット」
つまり娘を描いた作品。
仕事にあけくれ、社交界などで華やかな日々を送るレンピッカ。
娘ともほとんど会わず、仲もそこまでよくなかったようですが、描き続けたのは罪滅ぼしなのか、名声のためなのか。
娘キゼットのことをかえりみないレンピッカに怒ったレンピッカの母はレンピッカのデザイナー帽子を燃やし、娘のキゼットは帽子が灰になるのをじっと見ていた、というエピソードもあるほどです。
それでも娘のキゼットは「女性として奔放だったが、私にとってはいつも母だった」との言葉を残しているのだそう。
親子のことはその親子にしか分からないですけどね。
この作品もそれらを踏まえてみると複雑です。
レンピッカの作品は2009年にBunkamuraでまとめてみています。
(美しき挑発『レンピッカ展 - 本能に生きた伝説の画家 -』)
その時の図録もあったので読み返してみよう……
キスリング「オランダ娘」
うつろな目が印象的なキスリング。
彼も多くの子どもを描いています。
これは民族衣装がかわいらしい女の子。
どことなく漂うメランコリーな雰囲気も素敵です。
ジュル・パスキン「花束を持つ少女」
全体的にぼやけたような夢の中のような印象。
白いソファに座る薄紫の服を着た女の子。
少しふてくされたようにも見えますが、優しい色使いが印象的です。
ジュル・パスキン「白いリボンの少女」
こちらは水色の服に右手に花束。
上から見下ろす構図となっています
こちらもぼんやりとした印象で触れたら消えてしまいそうな、幻想性があります。
ジュール=アルフレッド・ギース「母と子」
モデルは妻のマリーと娘のイヴォンヌ。
裸の子を抱える様子が描かれています。
背景なども含め、聖母子像のようです。
コンスタン・ル・ブルトン「赤いチョッキを着た娘、あるいは赤いチョッキを着たマルティーヌ」
椅子に座り、こちらを見る女の子。
かわいい。
手には花を持ちポーズを決めています。
暗い背景に白い服が目立ちます。
コンスタン・ル・ブルトン「シャボン玉」
椅子に座りテーブルに肘をついてシャボン玉を吹いています。
色調も暗く、その寂しげな横顔がちょっと気になります。
アルベール・ブライトゥー=サラ「ヨーヨーの肖像(芸術家の甥)」
アルベール・ブライトゥー=サラはチュニジア人でアカデミー・ジュリアンで学んだ肖像画家。
モデルは画家の甥のジョゼ。(愛称ヨーヨー)
フルーツを手にしこちらを見つめています。
後ろにはガラスの器に果物がいっぱい。
色彩が美しく、また子どもも顔立ちきれいでかわいらしい。
ですが1944年、アウシュビッツで亡くなりました。
この画家は甥も含め、家族の大半をアウシュビッツで失い、画風をマニエリスム風からポスト印象派へと変えていきました。
かなり切ない……。
オーギュスタン・ルーアール「天使に囲まれた子ども」
第3章で出てきたジュリー・マネ「オーギュスタンの肖像」
ここで描かれていた少年は後に画家になりこの作品を描きました。
大きな翼をもった3人の天使が寝ている子どもを見守っています。
優しい色使いで幻想的です。
オーギュスタン・ルーアール「眠るジャン=マリー、あるいは眠る子ども第1番」
顔半分布団にが埋もれている子ども。
ぐっすり寝ています。
可愛らしい。
ルーアールは子どもの顔にランプをかざして描いたそうです。
そして娘ジャン・マリーの最も古い記憶は、寝ていた自分をのぞき込む父の真剣な表情だったそう。
微笑ましいエピソードです。
ダヴード・エンダディアン「ヤシャール=アザールの肖像」
イラン人画家でイランで学んだのち、パリ国立美術学校で学びました。
モデルは5歳の我が子で室内で民族衣装を着て、おもちゃを手にし、ペルシャ絨毯の上に立っています。
向いは窓で明るい光が降り注いでいます。
室内はシンプルですが、すっきりときれい。
子どもの黒髪が美しく、今までとは違った新鮮な印象です。
ダヴード・エンダディアン「ネガールの肖像」
横向きに座る黒髪の娘。
後ろから射しこむ光が美しい。
17世紀オランダの室内画のよう。
モデルとなったネガールによると、いい光の射す日には父に呼ばれ、モデルをしていたそうです。
今回、この画家の作品を初めて見ましたが、とても嬉しい発見でした。
レオナール・フジタ「少女とギターを持つ少年」
フジタの作品はこの日本展で新たに加えられたもの。
フジタは乳白色の裸婦などで人気を博しましたが、子どもも重要な画題でした。
描かれているのは兄弟でしょうか。
少年と少女が並んで腰掛け、少年がギターを抱えています。
レオナール・フジタ「フランスの48の富」
子供をモチーフとしたタイル状の連作。
フランスの富を代表する48のものを子どもたちが表現しています。
帽子、シャンパン、エッフェル塔……
美術館でモナ・リザに扮しているものもありました。
これらが富の象徴なんですね。
2013年にBunkamuraで開催された「レオナール・フジタ展」で「小さな職人たち」が展示されていましたが、それに通じるものがあります。
レオナール・フジタ「機械化の時代」
フジタには自身の子どもはいませんでしたが、"私の絵の子どもが私の息子なり娘也で一番愛したい子どもだ"と語っていたそうです。
また子どもが好きだったそうで、晩年、学校帰りの子どもたちと話すことを楽しみにしていたそう。
壁などの身の回りは、子供たちの絵でいっぱいに彩られていました。
この作品は子どもたちが機械仕掛けのおもちゃを手に遊んでいる様子が描かれています。
この先の機械化の時代を子どもたちに託す願いが込められているかのようです。
以上になります。
3つに分けて書いていきましたがとても面白く、素晴らしい展示でした。
子どもだった時代がない人なんていません。
それぞれの画家の思い思いの子どもが描かれていて楽しく鑑賞できました。
当時の世相なども見れる点も興味深いです。
気づけば閉館時間。
最後の客となってしまいました……
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