RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

お菓子好き。F1好き。
美術館行くの大好き。
買い物も大好き。
休日に全力で生きるOLの日記(笑)

江戸の狩野派 ―優美への革新

2013-11-30 21:30:00 | 美術
見てきました

出光美術館

会期は2013年11月12日から2013年12月15日。

今回は狩野派。
狩野派は始祖の正信(1434-1530)が室町幕府の御用絵師になったことに端を発し、以後も血縁を基本として、その地位と画法を継承。
約400年にわたって画壇の中心的存在であり続けた日本絵画史上の最大画派。
その狩野派の中でも"江戸狩野派"が今回の展示です。
狩野派の本拠地は江戸時代に徳川幕府の御用絵師となったことで、江戸に移ります。
そのとき、京に残ったのが"京狩野"
それに対して"江戸狩野"と呼ばれる絵師に焦点をあてた展示です。

"江戸狩野"の祖となったのは、狩野探幽(1602-1674)
狩野派400年の歴史の中でも類稀な才能を有した同派随一の絵師であり、江戸狩野派を代表する絵師でもあります。
余白を生かした優美・瀟洒な絵画様式で、限られたモチーフで豊かな空間をつくることに特徴のある探幽。
祖父の永徳(1543-1590)同様に時代にあう新様式を作り出しました。
その探幽の画風は、尚信(1607-1650、安信(1613-1685)、益信(1625-1625)、常信(1636-1713)と江戸狩野の絵師たちに継承されていきます。
今回は探幽の写生画や模写などのほか、江戸狩野の草創期に活躍した他の絵師たちの作品など約34点の展示です。

《Ⅰ章 探幽の革新 -優美・瀟洛なる絵画》
まずは探幽から。
探幽は1617年、16歳のときに京より江戸へ召され幕府の御用絵師になりました。
1621年、江戸城の外敦門である鍛冶橋に屋敷を与えられます。
ここは後に、江戸狩野の中でも鍛冶橋家として繁栄していきます。
徳川新政権のもと新しい時代が動き出しましたが、探幽はこの転換期を乗り越え、御用絵師となり狩野派の流派様式に改新をもたらします。
掛け軸などは中国画の模倣から離れ、優美さと軽やかさを。
屏風などでは大胆に余白を取り入れていきます。

狩野探幽「波濤群燕図」
20数羽のつばめが群れ飛んでいる様子が描かれています。
上から下へコマ撮りのように描かれ、軽やか。

狩野常信「梅に尾長鳥・柳に黄鳥図」
二幅の掛軸。
右は梅の木に白の眩しい尾長鳥。
下にはたおやかに水が流れています。
左は柳に黄鳥(高麗鴬)。
その下には薄いピンクの花が咲いています。
どちらも優美で柔らかな印象。

狩野探幽「若衆観梅図」
これは珍しいやまと絵風の風俗人物画。
人物画は今回これしかなかったと思います。
うん、、思います。。(自信なし……)
黒い羽織の男性に、飛び交う鳥。
探幽人物画における新生面とのこと。

伝 狩野元信「花鳥図屏風」
六曲一双の屏風。
墨で描かれた雄大なる景色です。
遠くにはぼやけた山々が連なり、近くには滝、そして流れる水。
そこで遊ぶ鳥たち。
鳥も鷺や雉、竹林を飛ぶ雀など様々。
ぼかしが独特の空気を作り上げています。
近景と遠景をモチーフを重ねて奥行きが表現され、また余白が遠くまで続いていることを想像させます。

狩野探幽「叭叭鳥・小禽図屏風」
六曲一双の屏風。
右隻には竹林の中の枯れ木に止まる叭叭鳥。
下には水が流れ、その上で遊ぶ鳥も。
左隻には激しく流れる渓流沿いの景色。
水をかぶり艶やかに濡れた岩には山鳩がとまっています。
満月を背景に飛ぶ尾長の小禽も。
こちらはかなり大胆に余白がとられ、湿潤な空気が漂います。

狩野探幽「竹林七賢・香山九老図屏風」
右隻に描かれている竹林七賢とは中国の魏晋時代、動乱を避け竹林に集まったとされる賢人。
手前は濃く、奥はぼかして描かれ月がぼんやりと空にあります。
左隻は白居易が老友8人と文雅の集いを行ったという故事に基づいたもの。
こちらは大きな木々の中、家や人々が見えます。
どちらもまったりとした空気が漂っています。
あ、人物描いた作品、「若衆観梅図」だけじゃなかった……

《Ⅱ章 継承者たち -尚信という個性》
ここでは探幽の絵画様式を継承した江戸狩野の絵師の作品が並べられています。
メインは探幽の次弟・尚信(1607-1650)と、末弟・安信(1614-1685)の2人。
江戸狩野の草創期を牽引しました。

狩野尚信「猛虎図」
奥から流れる水。
そこにある岩に佇むのは視線を斜め上に向けた虎。
なんだか茶目っ気のある表情で可愛らしい。
毛のふわふわな感じもぼかしで表現されていて、なでなでしたい衝動に駆られます。笑
探幽の次弟の尚信ですが、勢いのある大胆な筆致と、濃淡を自在に用いた様子が見所とのこと。
この作品はその濃淡が堪能できます。
探幽影響下にありながら、独自の解釈を盛り込もうとするなど柔軟な姿勢で狩野派を盛り上げました。
探幽以降の江戸狩野の絵師は粉本主義(手本の模写ばかりを重視すること)に陥り、創造性をなくしたといわれることがありますが、この尚信はそこには当てはまらないでしょう。
画派として重要な型を残しつつ、個性を表すのは難しいことですが、尚信の作品は軽快です。

狩野尚信「小督弾琴・子猷訪載図屏風」
こちらは六曲一双の屏風。
右隻には小督局が琴を弾いている場面が描かれています。
ときは平氏全盛の平安時代末期。
小督局は高倉天皇の中宮となった平徳子の女官でした。
徳子は平清盛の娘。
高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていました。
見かねた中宮・徳子は天皇を慰めようと、美貌と琴の才能で名高かった小督局を紹介します。
宮中に上がった小督局は天皇の寵愛を一身に受けます。
が、中宮の父である平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れる事に怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまったのです。
小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠し、天皇と音信不通に。
天皇は、密かに腹心の源仲国を呼び出して小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を賜りました。
仲秋の夜のこと。
月の綺麗ななか、嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹きました。
すると、見事な「想夫恋」の調べが。
その音のするほうに向かうと、粗末な小屋に小督が隠れ住んでいました。
作品はこの小屋に向かう仲国と小屋で琴を弾く小督が描かれています。
秋草が生い茂り、満月が優しく粗末な小屋を照らしています。
美しくも切ない景色。
この後、仲国は小督とこっそり宮中に帰りましたが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまいました。
能の演目にもなっている悲恋です。
左隻は東晋の文人、王子猷が友人の載安道に会いに行く場面。
雪夜の月光に趣を覚え、船に乗り会いに行くのですが、途中で興味は尽き、会わずに帰ってしまいます。
王子猷は船上から月を眺めているのですが、その月は右隻の満月。
なかなかおもしろい趣向です。
色彩も美しく雰囲気もあって、この屏風はかなり好き。

狩野尚信「叭々鳥・猿猴図屏風」
六曲一双の金地の屏風。
右隻には大きな柏の葉と猿が描かれています。
猿の顔が愛嬌があってかわいらしい。
こちらもふわふわの感じがぼかしで表現されています。
左隻は叭々鳥と雪をかぶった柳。
柳の木の周りには胡粉の雪が軽やかに舞い、儚く美しい情景を描き出しています。

狩野尚信「双鷺図」
こちらは二幅の掛け軸。
それぞれ鷺が描かれています。
右は蓮池に舞い降りる鷺。
左は雪の茂みに佇む鷺。
静と動の対比です。
幻想的で美しい作品。
鷺の顔がちょっと間抜けな感じもして可愛らしいです。

狩野探幽・尚信・安信「山水花鳥人物図巻」
3人の合作の絵巻物。
展示されていたのは安信による竜虎図。
安信は安定した表現力が評価されていたとか。
そういわれると竜まで真面目に見えてきます。笑

《Ⅲ章 やまと絵への熱意 -広がる探幽の画世界》
狩野派は、中国の宋・元・明時代の絵画などを手本とした漢画派といえますが、日本古来のやまと絵にも学び、独自の様式と作ってきました。
探幽は、30代後半頃から、やまと絵に深く傾倒。
土佐派に学んだ精緻な細密画法を駆使したり、屏風作品には流麗な筆描を応用するなど、さらなる可能性を示しました。

狩野探幽「源氏物語 賢木・澪標図屏風」
源氏物語第十帖の賢木から。
光源氏が六条御息所をたずねる場面。
秋の草木が寂しい印象を与えます。
金雲と極彩色で目にも鮮やかな優美な作品。

狩野探幽「新三十六歌仙図帖」
三十六歌仙を絵画化したもの。
大名家の姫君の婚礼品として作られた可能性があるとのことです。
これも紙などの細かいところから美しく作りも丁寧。
雅な生活が伺えるかのようです。

狩野探幽「探幽縮図 鳥獣戯画等絵巻」
長尾家旧蔵の「鳥獣人物戯画」の模写です。
鳥獣戯画はやっぱりかわいい。
生き生きと描かれています。
追いかけるウサギ、逃げるサル、取っ組み合うカエルとウサギ……
かわいい。
本当にかわいい。

《Ⅳ章 写生画と探幽縮図 -写しとる喜び、とどまらぬ興味》
ここでは探幽の写生画を展示しています。
探幽は公的な御用画事とは異なる場面にも目を向けていました。

狩野探幽「白鷴鳥」
"はっかん"という鳥の雄雌が描かれています。
雄は色も鮮やかで透き通るような白い羽毛、胸から腹は黒い羽毛。
黒いところは群青を重ねるなどして光っていました。
雌は茶と黒で小さめの鳥。
細かく丁寧に描かれていました。
鳥って雄が派手なのが多いですがこの鳥もそのようで。

狩野探幽「富士山図」
探幽は富士山を20数作あまり制作したそう。
この富士山は濃淡の外隈によって表現されています。
手前には村落、その向こうに山道。中腹の山々とあり、遠くに雲かかる富士山。
これはちょっと、、いやかなり欲しい。
富士山の表現がやわらかく美しいです。

この近くにあった「黒楽不二茶碗 銘 餘光」がすごく素敵でした。
楽の手の優しさを感じる器に白く浮かび上がる富士山。
シンプルながらにその美しさが光っていました。

狩野探幽「探幽縮図 草花生写図巻」
これは植物をスケッチしたもの。
御用画事ではなく、資料としての意味合いのほうが強そうです。
でもこれらのスケッチが作品にも影響を与えていたんだろう、と。
しっかりしたスケッチがあるからこそ作品も作れるんだろうな。
様々な植物が丁寧に細かいところまで描きこまれていて、画力の高さを感じます。

狩野常信「波濤水禽図屏風」
色も艶やかな六曲一双の屏風。
波が渦巻く海とその波をかぶる岩。
付近をとぶ百合鴎。
百合鴎は細い毛まで丁寧に描かれています。
金箔や金砂子、明るい彩色でめでたい印象を受ける作品。

《Ⅴ章 京狩野VS江戸狩野 -美の対比、どちらが好み?》
ここでは江戸に進出せず、京に留まった京狩野の作品もありました。
京狩野は、装飾性豊かな画風を代々継承。
江戸、京を比較するように展示されていました。

狩野永納「遊鶴図屏風」
永納は京狩野三代目。
六曲一双の屏風です。
水辺に鶴、尾長鳥に松に牡丹に芙蓉と吉祥のものばかり。
花は写実的ですが、岩肌や松の樹幹は強い輪郭線で描かれていました。
画趣は濃密です。

狩野安信「松竹に群鶴図屏風」
こちらも六曲一双の屏風。
金地に若竹、若松、笹、そして鶴とこちらもめでたい感じ。
そして未来を示しているような印象。
こちらは余白の美、ともいうべきか、余白が多くとられています。
優美な印象です。

狩野探幽「飛鶴図」
これは中国、元~明の文正筆「鳴鶴図」の一部を模写したもの。
これは反転した状態で上の安信の作品にも描かれています。
こういったもので勉強し使っていたと分かるもの。
これは代々受け継がれていたと推測されています。

優美な作品に囲まれ、楽しい時間が過ごせました。
いいですな~、日本画。
これが出光美術館、年内最後の展示です。
1年間ありがとう。
来年は「板谷波山展」からスタート。
こちらも楽しみにしています。



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ピーナッツ

2013-11-29 21:30:00 | ミュージアムショップのお菓子たち
スヌーピー展で購入したグッズです
どれもこれも可愛らしくてかなり悩んで購入しました。


ピーナッツバター
840円
スヌーピーが登場するのは『ピーナッツ』という漫画。
その中でチャーリーブラウンがいつもランチに食べていたのはピーナッツバターを塗ったサンドイッチ。
このセンスが好き。笑
ビン、かわいい!!


ルートビア
150円
クッキー
250円

作者のシュルツ氏が好きだった味を再現したチョコチップクッキーとスヌーピーが大好きな飲み物、ルートビア。
ルートビアはスヌーピーがフライングエースの格好をしているときによく飲んでいます
ノンアルコール炭酸飲料。

あとはマスコットなんかを買おうかすごく迷いました。。
ヴィンテージっぽいものがかわいらしくて……
"落ち着け、私。それ、バックに付けるの??家に飾るところもないよ。"
と冷静に考えて購入しませんでした。。。
何度か迷って商品の前を往復したり手に取ったりしたけど。笑
以前なら考えなしに買っていたからなぁ。。
少し大人になりました。笑
どれも可愛くって可愛くって
買いすぎ注意です。



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スヌーピー展 しあわせはきみをもっと知ること

2013-11-28 21:30:00 | 美術
見てきました

森アーツセンターギャラリー

会期は2013年10月12日から2014年1月5日。

今回はスヌーピー。
スヌーピーは『ピーナッツ』という漫画に出てくるキャラクター。
チャールズ・M・シュルツ氏が新聞に連載していた漫画です。
チャールズ・M・シュルツ美術館所蔵の原画約100点が日本初公開です

まずは『ピーナッツ』について簡単に。
チャールズ・M・シュルツ氏が1950年から2000年まで描いた新聞連載漫画。
描かれたエピソードは実に17,897回!!
当初は7紙への掲載から始まりましたが、シュルツ氏が引退宣言をした1999年には、その掲載数は75カ国で2,600紙にも。
1960年代以降はTVアニメや映画も作られ、アメリカでは毎年、ハロウィンやクリスマスの風物詩としてアニメが放映されているそうです。
スヌーピーや小鳥のウッドストック、チャーリー・ブラウンやルーシー、ライナスなど子どもたちなど、登場するキャラクターは70を超えます。
個性的なキャラクターたちが彩る日常は、くすりと笑え、ときに切なく、、今なお世界中で人気です。

今回、入場する際に手にスタンプしてもらえます。

アストロノーツのスタンプ。
これはアメリカのシュルツ美術館でやっていることだそうです。
これで気分を上げて鑑賞です

《第1章 チャールズ・シュルツ、その人生》
ここでは作者、チャールズ・M・シュルツ氏の幼年時代から高校時代、従軍時代、そして「ピーナッツ」が生まれる前夜までが、写真やスケッチ、手紙などで紹介されていました。
初期の作品「リル・フォークス」など、まず日本では目にできないような貴重なものも並んでいました。

シュルツ氏は1922年11月26日ミネソタ生まれ。
自身の絵の才能を自覚した幼い頃から夢は「新聞に連載漫画を毎日かくこと」
通信教育で絵を学び、漫画家を目指しました。
第二次世界大戦では従軍しましたが、仲間の兵士が家族に手紙を書くとき、シュルツ氏が挿絵を加えていたそう。
戦後はレタリングの仕事をしつつ、通信学校の教師をしつつ、技能を身につけます。
この通信学校では、チャーリー・ブラウンという名の友人や「赤毛の女の子」のモデルになる女性など、その後につながる出会いがあったとか。
この話はちょっと切ないのです。
数々の通信社に漫画の売り込みを続けるうち、1947年、「セントポール・パイオニア・プレス」紙への「リル・フォークス(チビッコたち)」の掲載が決定。
この作品は2年間続き、子どもたちや犬が主役の『ピーナッツ』の前身となるものでした。

ここでは飼っていた犬の写真や従軍した際のバック、家族に送ったイラスト入りの手紙など貴重なものが展示されていました。

《第2章 『ピーナッツ』が生まれた場所》
なんと、仕事部屋が再現されていました!!
実際に使われていた椅子や道具なども展示されています。
そして実際に描いている映像も。
さらさら~、と描くんですね。。

さて、「ピーナッツ」の連載は、1950年10月2日に始まりました。
子どもたちや大好きだったスポーツなど、自身の経験がアイディアになって、エピソードはわき出るように生まれたとか。
1997年に75歳の誕生日プレゼントに取った3カ月の休暇をのぞき、約半世紀もの長きにわたって、休むことなく描き続けたそうです。 

《第3章 『ピーナッツ』の進化》
50年間で約17,000話を描いたシュルツ氏。
ここでは厳選された原画が並びます。
保管されている一番古い原画も。
初期から後期まで時代が流れるにつれて、キャラクターが少しずつ変わっていきます。
またキャラクターも増える増える。
スヌーピーに兄弟があんなにもいたこと、初めて知りました。。。

2000年2月12日、シュルツ氏は永遠の眠りにつきます。
奇しくも、引退宣言をし、描きためていた最後の日曜版が発行される数時間前のことでした。

《第4章 『ピーナッツ』の広がり》
1950年代からの貴重なビンテージグッズや、企業プロモーションでの活用例などが展示されています。
ここのみ撮影可能です。

もちろん撮ってきました。


仲間も待ち構えていました。


限定品などの貴重なものも。


スヌーピーツリーとサンタスヌーピー


時代をかんじます。優しそうな顔です。


会場の壁にもキャラクターたちが。
可愛らしいです

今回の展示作品のほとんどはシュルツ美術館の所蔵品。
美術館はシュルツ氏が40年にわたって「故郷」と呼んだ街、カリフォルニアのサンタローザにあります。
世界中から60万人を超える人が訪れてる場所。
この美術館はジーン夫人や地元の漫画歴史家、友人たちなどが発起人となって構想ができました。
しかしシュルツ氏は、当初、この構想にあまり乗り気ではなかったそうです。
シュルツ氏が前向きになったのは、デザイナーでありアーティストである大谷芳照氏が、日本のスヌーピータウンショップのために設置したピーナッツキャラクターたちの作品を見て、刺激を受けたことがきっかけ。
その後シュルツ氏は亡くなるまで、美術館の設計を監督するなどしました。
そしてシュルツ氏が亡くなった後、その遺志は、美術館設立に関わる人たちに引き継がれ、2002年8月17日、ついにオープンします。
アメリカには数々の歴史あるものを所蔵する美術館がたくさんありますが。
こういったところでのんびり童心に返るのもいいのかもしれません。


スヌーピーが好きな人も、そこまでではない人も。
暖かく懐かしい気持ちになれる展示です。

おまけに。

世間はもうクリスマスムードのようです



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生誕100年!植田正治のつくりかた

2013-11-27 21:30:00 | 美術
見てきました

東京ステーションギャラリー

会期は2013年10月12日から2014年1月5日。

植田正治(1913-2000)
故郷である山陰地方を拠点に、生涯「アマチュア」を自負。
とりわけ砂丘に人物を配置した独特な演出写真で知られる写真家です。
今年は生誕100年。
今なお高い人気を誇り、愛され、国内外で高く評価される仕事を振り返る展示となっています。

今回の主題は、「植田正治のつくりかた」
植田の作品の魅力は丁寧につくりこまれた世界観。
植田は、どのように作品をつくりあげていったのか、そして植田は、いかにして形づくられたのか。
代表作や新発見の作品を含む約150点の展示です。
今回は大きく4つの時代に分けて展示されていました。

《自画像》
ここでは何枚かの自画像が展示されています。

「自画像」
学生帽のようなものを被っているポートレートです。
比較的若いころのものかと思います。
部屋の中で撮ったまさに日常といった感じの作品です。

「風船を持った自画像」
これは帽子をかぶってスーツ姿。
手には風船を持ち、直立不動のセルフポートレート。
表情は逆行のためよく分かりません。
植田の写真、と聞いて思い浮かべるような世界観のよく表れた作品です。

「本をもつボク」
上半身を後ろから撮った写真。
青空のもと傘を差し、左手には本を持っています。
これもシュールな感じがして植田っぽいです。

植田が写真を始めた動機はなんとなく興味をそそられたため、というものだそうです。
当時の流行の「芸術写真」のぼせ上がり、雑誌に初入選したのは昭和6年とのこと。

撮りたいものしか撮らない、撮れない。写真することがとても楽しい。
おおげさにいえばこれが生きがい。ハヤリの言葉では写真こそ生きている証。
そう語っていた植田。
寝ても醒めても写真のことを考えていたようで、名が売れるようになってからも"アマチュア精神"を持ち続けていたようです。
プロみたいな仕事できなくてもいい。ヘタクソの写真でもいい。
そういった気持ちが常にあったようで、写真がどれだけ好きだったかが伝わってきます。

《童歴 ディスカバー植田正治 1950年代~70年代》
植田は数々のコンテストで受賞し、一目置かれる存在だったそうですが、初の写真集「童歴」を出したのは58歳のとき。
この「童歴」は山陰地方を撮った写真集で、砂丘ではありません。
これを撮影した1950年代~60年代にかけては演出による写真を封印していたそうです。
このころはリアリズム写真の隆盛だったということが影響しているそう。

「三角ベースをする少年たち」
バットを持った少年がふと振り返った一瞬を切り取ったような写真。
楽しそうでのどかな雰囲気が出ています。

「小さな工場」
田んぼの中にある工場を撮ったもの。
煙突から煙が上がっているのに、周りに何もないからか、とても静かな感じがします。
不思議な印象です。

「白い道」
畑の中のまっすぐな道。
東山魁夷の「道」を連想させます。
私もこうゆう景色を撮ってみたい。

桜の花を持ち笑う少年やおたふくのお面を被る着物の少女などもありました。
全体的にのんびりしている印象です。

一番印象に残っている思い出は全て人物写真。
いつでも記念写真といえる正面向きを。
と植田は語っています。

《演出の発明 出発からスタイルの確立まで 1932年~1950年》
成形期の写真です。
植田は旧制中学在学中から写真に熱中していたそうです。
そのころは技術を駆使して写真を絵のように作り出す「芸術写真」が主流だったそうで、植田もその影響下で制作を始めましたが、1930年前後になると「新興写真」と呼ばれる海外の写真の動向が日本にも入ってきます。
これは写真を加工せずにカメラの機能で造形的な画面をつくるんだそう。
植田はこれに感化され、光と影の効果や線と面といった画面構成の作品に取り掛かり、独自のスタイルを生み出していきます。

「秋(桑)」
桑の葉だけを大きく撮影したもの。
構図もおもしろいですが、太陽光に透ける葉脈が美しいです。

「少女四態」「少女たち」
絵のモデルのようにポーズをとる被写体をとった演出作品です。
4人の少女が立ったり座ったりそれぞれポーズを撮っています。
お互いが違う方向を向いていてとても近い距離にいるのにお互いの存在が気にならない、人形のようです。

「小狐登場」
今回のチラシやポスターにも使われている作品。
砂丘で狐の仮面をつけてジャンプする少年です。
四隅がぼんやりと暗く、狐の仮面と相俟って不思議な空間を作り出しています。
異世界のようです。

「小さな漂流者」
砂丘に流木などが突き刺さっている写真。
その下には小さく2人の人物の影があるのですが、人形か何かで作ったのかなぁ。。
世界が丁寧に作りこまれていて、シュルレアリスムの画家、イヴ・タンギーの作品が思い浮かびました。

「砂丘ヌード」
こちらも有名な作品です。
裸でうずくまった女性の後ろ姿。

「砂丘の海」
とてもシンプルな作品です。
砂丘とその向こうに見える海。
余分なものが何もなくて、自然そのものが美しい。

植田は砂丘を舞台に数多くの作品を撮っています。
砂丘に対しては、
黄色というより淡いオレンジ色の砂、コバルトブルーの空、ウルトラマリンの海、モノクロームがはがゆいほど美しかった。
エキゾチックな、というより、何処か地球を離れた別の世界に来ているような妙な寂しさ
といったようなことを感じていたそうです。

「パパとママとコドモたち」
植田の代表作。
家族6人は等間隔に横一列に並んだものです。
全員バラバラの格好でそれぞれまったく関連のない動き、そして、物を持っています。
これは雑誌「カメラ」に掲載されたもので、長女の和子扮する「植田カコ」が家族を紹介していくというスタイルをとっていたそう。
写真で物語を作るということを植田は時々試みていたそうです。

《小さい伝記 回顧と反復 1970年代~1980年代》
「小さい伝記」とは植田が1974年から始めた連載で12年続いたもの。
自身の半生を編集するかのように新作、旧作が入り交じり、日記と昔語りが入るような構成だったそうです。
この頃は植田の注目度は一気に高まった時期のようで、回顧と反覆が特徴とのこと。
また、「童歴」のように、山陰の風土に基づいた写真や演出写真も再開。
自分のスタイルを組み合わせながら新作を発表。
芸術写真の技法も取り込んむなど様々なことをしていたようです。
ここには「小さい伝記」の写真のほか、初の海外写真などおもしろいものがありました。

「「音のない記憶」より 3-1」
写真にたいしてタイトルはなかったので、展示会場で付けられていた番号を。
この「音のない記憶」は植田にとって初めての海外写真集。
1972年、59歳のときに初めて海外へ行ったそうです。
三日月が浮かぶ空の下、背の高い木々がシルエットで写し出され、静寂を感じます。
神秘的というか、物語の一場面のよう。
このあたりの海外の写真はどれも趣があって素敵でした。

「「今様浪花春」より 3-4」
大阪にいる食いだおれ人形を撮ったもの。
植田は旅行が苦手だったようで、山陰から出ることもあまりなかったとか。
観光したのかな。。

「「白い風」より 3-24」
これはソフトフォーカスによるカラー写真です。
画面真ん中を一直線に通る道、その両脇には畑。
たぶん畑。
道の真ん中にはトランクを持った1人の人。
おぼろげな光が幻想的な雰囲気を作り出しています。

「静物 3-33」
スコップ、ハイヒール、地球儀などが並べられています。
その向こうには海。
どうやってその被写体を選んでいるんだろうか。。
この組み合わせがどうゆう瞬間に浮かぶのか。。
でもこうやって作品になると、植田調となるのだから不思議です。

1983年に妻が他界し、植田は失意の中。
そんな父を見て、広告ディレクターとなっていた次男がファッション写真の撮影を提案したそうです。
そうして制作されたキクチタケオのコレクションカタログは写真集のような世界観とベテランの起用ということで話題となります。
また、その知名度を一般的にもしたそうです。

「「砂丘モード」より 3-27」
砂丘に黒い顔のお面をつけたタキシードの男性。
その頭の上には黒い帽子が浮かんでいます。
これも不思議な世界です。
マグリットとかが好きそうな感じ。

「「砂丘モード」より 3-29」
手前に大きく写るのは帽子を手にする男性。
遠くに立つ男性はその帽子から出てきたかのようです。
私たちも撮ったりする遠近法を使ったトリック写真ですが、植田が撮るとストーリーがあります。

「「砂丘モード」より 3-28」
男性がトランプを投げ、それが舞っているもの。
砂丘とファッションっていいですね。
モードでシュールでかっこいい作品。

「「砂丘モード」より 3-36」
砂漠で撮られたものですが、参加人数が多い。
ポーズを決める人、楽器を演奏する人、傘をさす人、、
様々です。
空には花火がうち上がりこれまた不思議な世界です。

この近くに合成写真の資料等もありました。
1人1人撮影し組み合わせていくのもおもしろそうです。

また、映像作品もありました。
"ARB"という4人組のバンドの「after'45」という曲のプロモーションビデオです。
この曲は「砂丘1945年」というアルバムに収録され、そのアルバムのジャケットも植田が撮影。
映像はメンバーが砂丘に立っていたり、旗を振ったり。
立っているときの並びなんかも植田らしさがありました。
メンバーの1人が当時砂丘に凝っていて、結婚式も砂丘で行ったとか。
このバンド、初めて知りましたがこの曲も耳なじみよくっていいですね。
その撮影当時の雑誌の記事もありました。
「植田おじいちゃん、ビデオを撮る」的な感じで書かれていました。
"おじいちゃん"と呼ばれ、一般層にも親しみを持たれていたようです。

《植田正治劇場 ボクのスタジオ 1990年代~2000年》
いよいよ、最後。
晩年の作品になります。
このときには既に国内外で高い評価を受けていましたが、鮮やかなカラー写真や多重露光による合成写真など、これまでの枠にとどまらない手法に取り組んでいたそうです。
年のためか外で撮影する機会は減ったそうですが、自宅のテーブルにオブジェを組み合わせておいたり、花の接写をしてみたりとしていたそう。
今まで発表されることのなかった作品を中心に展示されていました。
今までとは違った作風の作品ばかりです。

「GITANES/シリーズ「幻視遊間」より 4-2」
砂漠のようなところに何人かの黒いシルエットの人がいて、背景には大きな月?惑星?が浮かんでいます。
現実の世界とは思わないのでさすがに何かの合成かセットかとは思うのですが、不思議な感じです。
黒いシルエットの人は傘をさしていたりと様々。
確かに今までとはかなり違った作風で驚きましたが、こうゆう感じ、好きです。

「「幻視遊間」より 4-5」
真っ黒い背景で筍のみを撮ったもの。
カラーです。
筍が色鮮やか。
暗い背景なので余計にそう感じるのかもしれません。
真っ暗な宇宙空間に浮かんでいるかのようです。

「幻視遊間」より 4-6」
こちらは青いお皿にのったさくらんぼ。
背景は黒。
さくらんぼの色の鮮やかさが映えます。
浜口陽三をほうふつとさせます。

「「日本びいき」より 4-9」
東京タワーとうろこ雲。
東京タワーは足元から見上げるように撮られ迫力あります。
色彩が暗いのでいつもとはちょっと違った雰囲気で、これ、東京タワーだよね。。とちょっと迷いました。

「「不公平な法則」より 4-21」
これは花の一部を接写したもの。
かなり寄っているので花の種類は分かりません。
ジョージア・オキーフっぽいです。
しかし植物って美しいですね。

「題名不詳」
さて、最後の作品です。
「題名不詳」が3作品。
これは2000年4月か5月に撮影されたもの。
亡くなったのが2000年の7月のため、他界直前です。
境港の空港付近を撮影したものだそうです。
ポジフィルムから新たにプリントされたものだそう。
お昼近くまで濃い霧の日、とのメモがあったそう。
伸びる草や夕闇の迫る空など日常の美しい一瞬が映っていました。

私も写真には詳しくないのですが、植田正治はおもしろいため素直に楽しめました。
東京駅にあるという好条件ですし、ちょっと寄り道、でおすすめの展示です。



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清川あさみ「男糸 danshi」展

2013-11-26 21:30:00 | 美術
見てきました

PARCO MUSEUM

会期は2013年11月15日から2013年12月9日。

清川あさみは写真に刺繍をするという手法で作品を作り出しているアーティスト。
「美女採集」といった女性を扱ったもので有名ですが、今回は初の男性作品です。
日本、アジアを代表する著名な男性30名とのコラボとのことです。

が、行ったら誰が誰だか……
世間では今この人が人気なのね、と思いつつ「名前は聞いたことあるけど顔がわからない」人だらけ。。
やばい、、世間から離されているかもしれない、、とちょっと焦る焦る。。。

作品ですが、基本的には女性のものと一緒です。
モノクロ写真に独特の刺繍。
オーラが出ているかのようでかっこいいですね。

と思ったら芸能人ばかりではないんですね。
脳科学者の茂木健一郎さんや、映画監督の行定勲さんまで。
私として一番気になったのは建築家の隈研吾さんです。笑
あと、ラファエロに似ている(と私は思う。)栗原類さんとかもありました。
それぞれイメージする人物があってそれに沿った刺繍となっていました。
栗原類さんはスナフキンでした。
あと隈研吾さんは松尾芭蕉。
この刺繍がすごく私好みでした。
松尾スズキさんもよかった。

俳優さんとかはきっとファンの方がきゃっきゃかわいらしく
「行ってきたよー。見てきたよー。かっこよかったよー。」
と報告してくれるでしょう。

なので(!?)私は扱いません。笑
気になる方は他の方のブログや会場でどうぞ。
と、いうか覚えきれなかったのよ……。

あ、でも成宮さんは覚えてる。
オスカー・ワイルドでした。
今夜はドリアン・グレイの肖像を読もうと思う。

人混みキライな私はこの展示を見に行くのに迷いました。
「ファンの女の子がきゃっきゃ見ていたら居辛いな…。」
と。
でも行ったのは、無料だから。笑
無料なら混んでいてもなんでも仕方ないかな、と。
お金払って居た堪れない気持ちになるのはイヤだけど、無料だしね。

清川さん、雑誌での連載も多数でこれから活躍の場をさらに広げられると思います。
この機会にその世界に触れてはどうでしょう。
繊細で幻想的です。
以前のPOLA MUSEUM ANNEXの展示よりよかったです。
おすすめです。



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実りの秋

2013-11-25 21:30:00 | 食べ物
はぁぁ。
体重増えたんですよ。。
「あれ、なんだか足太くなった??」
と鏡を見て思い、体重計にのったら。
自分の理想より4KGも多くなっていました。

痩せるには。。
運動……
私には出来ないし。
まだ、足ケガしたところ心配だし。。。。。

・1日の摂取カロリーを抑えること
・夜9時以降食べないこと

とりあえずこの2つを守ることから始めました。
最初の2日がツライ……
3日坊主にもならないかもしれない……
と思いつつ。

好きなものを食べられないのはツライので、1日の摂取カロリー内なら好きなものを食べていいってことにしていました。
じゃがりこも食べていたよ!!

あと、夜だけゼリーダイエットも参考にしました。
このダイエット、夜ご飯をゼリー飲料に変えるというもの。
3日続けたら1日お休み。
また3日続けたら1日お休み。
といった感じで、食後は運動か半身浴を、とのことだったので汗がでるまでお風呂に浸かります。
あ、ご飯はいつもの半分程度にしましたが普通に食べました。
夕食ゼリーだけじゃ無理だもん。
おなかがすいたらゼリー食べてました。笑
蒟蒻畑のクラッシュタイプゼリーがかなりカロリー低いので。
読み直したらどこを参考にしたのか謎だわ。。笑

まぁ、何が言いたいかというと、ケーキおいしいなってことです。
休日は美術館行くから平日より動くしちょっとぐらいカロリーとってもいいよね!??
これ1日で今までの頑張りは崩壊したかな……

ヒカリエのToshi Yoroizukaで購入です

一番右のはなんと切り干し大根を使ったケーキ。
切り干し大根好きだから買ってみた。
これが美味しかった!!
まずは飾りのナッツ系。
ローストしてあって香ばしくっておいしい。
そして生地。
にんじんなんかも入っています。
あと、多分だけどおから。
塩が効いていて、しつこくなく美味しいです

米粉のシフォンや梨のケーキは普通に美味しいです。
リンゴがおいしかったな~
もう、そんな季節ですね。
やっぱり美味しいもの食べなければ!!



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森村泰昌「レンブラントの部屋、再び」

2013-11-24 21:30:00 | 美術
見てきました

原美術館

会期は2013年10月12日から2013年12月23日。

今回は森村泰昌氏の個展。

資生堂ギャラリーで現在「ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」が開催中。
(資生堂ギャラリーの記事はこちら→「ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」)
こちらの記憶も新しい中、原美術館で個展です。

名画の登場人物や女優などに自らが「なる」という手法で、原作あるいはその時代背景に独自の解釈を加えるセルフポートレイト作品を発表している現代美術作家、森村泰昌。
2014年の横浜トリエンナーレでは総合ディレクターを務めるなど、まさに勢いのある今。
日本の美術館における初個展を開催した原美術館で、「再び」個展開催です。

1994年「レンブラントの部屋」
17世紀オランダの画家、レンブラント。
光と闇を描き、多数の傑作を世に送り出した偉大な画家。
この画家をテーマに、その人生の明暗から「自我」を探った展示。
そこから約20年。
同じ空間で甦る今回の展示は、レンブラントの絵画の魅力、人生の明暗、光と闇などをテーマとし、現在の私たちも共有しうるもの、とのこと。

今回の展示品は1994年の展覧会終了後に原美術館所蔵となったシリーズ全作品。
1994年の展示の再現です。
20年経って、改めて森村氏の世界を見つめなおすといったちょっとおもしろい展示です。

さて。
展示作品はほぼセルフポートレイト。
衣装や装飾品を身につけて撮影した森村自身の写真を、あらかじめ用意した原画の複写と重ね合わせるそうです。
なお、「レンブラントの部屋」では原作は複写ではなく模写したものを使ったそう。
なかなか凝っているんですね。。

個人的にはエッチングを基にした白黒の作品、「表情研究」が好きです。
小さい作品ですがよくできていて、「あー、これこれ、レンブラント!!」と思わず言いたくなるのです。

最後にあったのは「白い闇」
衝撃的な作品で、入り口にはカーテン、そして閲覧に関する注意も書かれています。
うん、今まで見たすべての美術作品の中でもかなり高いレベルで閲覧注意。
壁に書いてある解説の言わんとすることは分かるけど、作品のインパクトが強すぎて……

その先にある常設の奈良美智の作品がかなりの癒しです。


また、今回の展示にあわせて、1994年制作の館内のトイレを作品化した常設インスタレーション「輪舞(ロンド)」が新たな装いとなっていました。

こちらのみ撮影可能。

全体的に作品が少ないため物足りない印象……。
これなら資生堂ギャラリーのほうかよかったような~。
仕事後に品川駅から歩いて行ったのにー、という気持ちもあるからなんとなく消化不良。
ともあれ吸い込まれるような世界観は驚きです。



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カイユボット展 -都市の印象派- その2

2013-11-23 21:30:00 | 美術
見てきました

ブリヂストン美術館

会期は2013年10月10日から2013年12月29日。

都市を描いた印象派、ギュスターブ・カイユボット。
昨日「その1」を書いたので、今日は「その2」
Ⅲからギュスターブ・カイユボットの弟マルシャルの写真が展示されているⅥまでです。

《Ⅲ.近代都市パリの風景》
19世紀後半のパリは近代化により目まぐるしく変わっていきました。
1853年にセーヌ県知事に任命したジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン男爵は、狭い路地に建物が密集していたパリを近代化させます。
カイユボットはパリ8区を拠点にし、変わりゆく都市パリを描きました。

ギュスターヴ・カイユボット「ヨーロッパ橋」
今回のチラシにも使われている作品です。
ヨーロッパ橋はサン=ラザール駅構内の上にかかる陸橋。
この橋を中心に放射状に伸びる6本の街路にヨーロッパの主要都市名が付けられていたそうです。
鉄でできた橋の旅情では欄干に頬杖をついて下を眺める労働者風の男性。
近くを犬が歩き、向こうからはシルクハットの男性と日傘をさした女性が歩いてきます。
奥に上がる白いもやもやは汽車の蒸気。
労働者風の男性と裕福そうな2人組みの組み合わせが意味ありげでおもしろい。
また作品にも広さや奥行きが感じられます。
色の組み合わせなどもすごく綺麗です。
カイユボットの作品は上品さがあります。
でも駅なのに音がなく静かな印象。
これは第3回の印象派展に出されました。

ギュスターヴ・カイユボット「オスマン大通り、雪景色」
オスマン大通り、、セーヌ県知事のジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン男爵の名を冠した通りです。
暗い冬の日、建物の下、3分の2が影になる薄暗い大通りが描かれています。
大きめの筆致で描かれ、寂しげな冬という感じが伝わってきます。

ギュスターヴ・カイユボット「パリの通り、雨」
大きな通りを傘を差した男性と女性がこちらに向かって歩いてきています。
雨で濡れた石畳の路面に反射する光の表現などは驚きです。
印象派といいつつとても写実的。
背景には新しいパリの街並み。
奥行きを感じます。
構図もおもしろく、日常の一瞬を切り取ったといった感じ。
人の配置もちょっと離れていて、人は多いのに寂しいというか孤独感があります。
都会の景色ならではといった感じでしょうか。
カイユボットのパリを見つめる目って素晴らしい。
第3回印象派展に出品されたこちらの作品は、モネに贈られたそうです。

ギュスターヴ・カイユボット「見下ろした大通り」
こちらも構図がおもしろい作品。
自宅から見下ろしたとおりを描いた作品だそうで、ほぼ真上から見下ろしています。
街路樹に歩道を歩く人などが窓の外の光景そのままです。
カイユボットは本当に構図がかっこいい。
こちらは第7回印象派展に出品しています。

ギュスターヴ・カイユボット「建物のペンキ塗り」
カイユボットは労働者にも興味があったようです。
はしごをたて、ペンキを塗る人とそれを見る人が描かれています。
街中のある日の光景、といった感じです。
労働者を描いているのですが、洗練された感じがします。

ここには印象派展のカタログも展示されていました。
第2回、第4回、第7回のものでそれぞれカイユボットの名前が記されています。
第2回にはドガ、7回にはゴーギャンの名前もありました。
カイユボットは印象派展の開催に尽力しましたが、だんだんと距離を置くようになります。
そこにはドガとの対立のほか、印象派内の不仲など色々あったそうです。

《Ⅳ.イエール、ノルマンディー、プティ・ジュヌヴィリエ》
カイユボットはパリより南東18キロのイエールの別邸で夏を過ごしていたそうです。
そこには11ヘクタールもの広大なイギリス庭園があったそうです。
このイギリス庭園、イギリスのピクチャレスの影響を受けたものだったそうです。
ピクチャレスといえばターナーですね。
(ターナー展の記事はこちら→「その1」「その2」)
またその別邸の敷地内にはイエール川が流れ、そこで舟遊びをしていたとか。
金持ちっぷりが半端じゃないです。。
また1880年代にはその舟遊びの趣味が高じてレガッタ競技に参加。
夏をノルマンディーで過ごすようになります。
さらにその後の印象派展での活動に一区切りついたころにはセーヌ川の下流で、かつてモネが制作の血としていたアンジャントゥイユの反対側、プティ・ジュヌヴィリエに移住。
舟遊びやガーデニングなど趣味をしながら絵を描いたそうです。
あれ、この場合、絵も趣味なのかな。。
ここではそういった風景を描いた作品が展示されていました。

ギュスターヴ・カイユボット「イエールの庭園の樹木の下の小径」
これはイエールで描かれた比較的早い時期のものだそうです。
小路を木漏れ日がところどころ明るく照らし、奥には建物も見えます。
余分なものは一切なく静かな印象です。

ギュスターヴ・カイユボット「ペリソワール」
こちらチラシにも使われている作品。
ペリソワールとは一人乗りのカヌーだそうで、カイユボットは主題として度々描いているそうです。
1877年にボートを始めたカイユボットですが、とてもはまり後に船の設計までしています。
この作品は緑の中を流れるイエール川でカヌーに乗る人々が描かれています。
正面の帽子をかぶってこちらに向いている男性の表情は分かりませんが、全体的に爽やかです。
オールで掻き分けられる水の流れ、広がる波紋、水面に映る影、、、
鮮やかな色で描かれていてとても美しい。
明るい印象で軽いのかな、とよく見るとけっこう厚塗りです。

ギュスターヴ・カイユボット「シルクハットの漕手」
シルクハットに蝶ネクタイ、ベストを着た男性がボートを漕いでいます。
脇には上着が置かれています。
青と白のストライプのシャツがおしゃれ。
上流階級の遊び、といった雰囲気がたっぷりでした。

ギュスターヴ・カイユボット「イエールの菜園」
柔らかで明るい日差しが菜園を照らしています。
これは自宅の菜園を描いたものだそうです。
この地に今でも残っていて公園になっているそう。。
行かなきゃ!!

ギュスターヴ・カイユボット「イエールの平原」
これはイエールの庭の全景が描かれています。
カイユボットは部分部分では描くものの庭の全体を描いた作品が少なかったとか。
左には大きく高い木があり手前には草地。
かなり広い様子が伺えます。
パステルで描かれ優しい印象です。

ギュスターヴ・カイユボット「ジュヌヴィリエの平原、ポプラの樹」「ジュヌヴィリエの平原、ポプラの樹」
平原が広がっている景色が描かれたもの。
平原は区分けされ緑やオレンジ、黄色となっていました。
筆の使い方が大胆で明るい色彩で埋められています。
普通の景色なのですが、ここは現在、工業都市で面影がないそうです。。
絵の中は明るくのどかな景色なのに。。

ギュスターヴ・カイユボット「サン=クレールからエトルタへの道を行くマグロワール親父」
坂道を登る帽子をかぶった青い服の男性を描いた作品。
この男性、マグロワール親父と呼ばれている人ですが、この地の庭師さんだそうです。
日差しが暑いのか日陰にいるのですが、かなり暗く描かれているため、日の当たるところがかなり強い光なんだな、と考えられます。
エトルタは印象派の画家がよく描いた海岸。
この作品では、海が背景に描かれていました。

ギュスターヴ・カイユボット「向日葵、プティ・ジュヌヴィリエの庭」
夏の日差しのもと咲き乱れる大きな向日葵が描かれています。
向日葵はちょっとうねるように描かれていて、暑さにだれているような印象もあります。
その後ろには家。
もちろんカイユボットの家です。
カイユボットはここで家庭菜園をしたり温室で植物を育てたりもしていたそう。
か、金持ち過ぎ。。

ギュスターヴ・カイユボット「花咲く林檎の樹」
明るい日差しの中、薄いピンク色の花咲く林檎の樹。
畑の中にぽつんと1本。
背後に赤い屋根の建物が見えるのですが、向日葵にも描かれていた建物かな、、少し似ています。

ギュスターヴ・カイユボット「セーヌのプティ・ブラ、アルジャントゥイユ近く」
川と木々を描いた風景画なのですが、驚くべきはその技法。
点描で筆をおくように描かれています。
モネみたい。
川の流れには景色と光が反射し、左の木々には光が当たり黄色く描かれています。
空も赤みが入り、全体的に色鮮やか。

ギュスターヴ・カイユボット「セーヌのプティ・ブラ、秋」
雲で薄暗い空、その隙間から洩れる陽光。
木々は荒い筆致で描かれています。
川に反射する光も秋の物憂げな印象に変わります。

《Ⅴ.静物画》
静物画は展示数が少なめでしたが、これまた視点が面白いものでした。
肉や果物なんかは散歩をしていて通りすがりに目にした光景のように表されているとか。
また、花の静物を描くようになったのは1880年代前半で、この時期にプティ・ジュヌヴィリエでガーデニングに没頭していたそうです。

ギュスターヴ・カイユボット「鶏と猟鳥の陳列」
黒い背景に吊るされた鳥や並べられた鳥などが描かれた作品。
しっかり並べられているようすから確かに店先にも見えます。
物事を客観的に見ているという感じです。
これは「ジビエ」とよばれる狩りで捕まえた鳥たち。
猟の獲物を描いた絵は持主の地位を示す画題ですが、ここからはそういったものは感じません。

ギュスターヴ・カイユボット「猟鳥とレモン」
こちらも鳥が描かれていますが、無造作に大理石の机の上に置かれています。
先ほどの鳥はきれいに並べられ、店先みたいと感じましたが、こちらはまだ血のにおいがしそうです。
レモンはさながら清涼剤。
羽などは大きめの筆致で大胆に描かれています。

ギュスターヴ・カイユボット「ひな菊の花壇」
4枚セットの作品です。
濃い緑の葉のなかに白く繊細な雛菊が描かれています。
装飾的です。

《Ⅵ.マルシャル・カイユボットの写真》
最後に弟マルシャルの撮った写真が展示されていました。
「その1」でも書きましたがマルシャルはパリ官立高等音楽院を卒業。
長男のアルフレッドが司祭を務めるノートル=ダム=ド=ロレット教会にオルガン曲を作曲するなどもします。
ですが、音楽を専業とはしませんでした。
兄のギュスターヴと仲が良く、ボートの趣味もともにしていますし、お互いの芸術の才能を認め合ってもいました。
今回、マルシャルの撮った写真100枚が展示されています。
パリの様子や家族、庭園、ヨットなど画題と重なるものも多く、一緒に見ていてより理解を深められるようになっています。
「森の中を歩くマリー・カイユボット」が目を引きました。

とてもステキな展示でした。
今一押しで、年末の美術展大賞には確実にノミネートしてくるでしょう。
カイユボットの作品をこれだけまとめて見られる機会は今後そうそうないと思います。
印象派を支えた印象派
パトロンとしても画家としても印象派を支えたカイユボット。
カイユボットがいなければルノワールらの作品も残っていなかったかもしれません。
その審美眼と画家としての実力に感嘆です。
ぜひぜひ観に行って欲しい展示です。



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カイユボット展 -都市の印象派- その1

2013-11-22 21:30:00 | 美術
見てきました

ブリヂストン美術館

会期は2013年10月10日から2013年12月29日。

カイユボットです。
ギュスターブ・カイユボットです。
モネ、ルノワール、ピサロ、シスレーら印象派の仲間の作品を購入することで彼らを経済的に支えたばかりではなく、自らも印象派展にも参加した画家でもあります。
アジア初の個展です。
だ、誰……!?となる方も多数でしょう。
私もぱっと思いつく作品はブリヂストン美術館所蔵の「ピアノを弾く男性」ぐらいしか思いつきません。
この作品、かなり好き
ではまず簡単にカイユボットについて。

ギュスターブ・カイユボット(1848-1894)
1848年に繊維業を営む裕福な事業家の息子としてパリに生まれます。
パリ8区の邸宅で青春時代を送り、法律学校へ。
その後、19世紀後半を代表する肖像画家レオン・ボナのアトリエに出入りするようになり、1873年にはパリの官立美術学校エコール・デ・ボザールに入学します。
そして若い画家たちと知り合います。
そして1874年、25歳のとき。
第1回の印象派展でモネやルノワールの作品と出会い衝撃を受けます。
彼らの作品を購入し、支援しながら、交友を持ち、第2回目からは印象派展に画家として参加。
45歳で亡くなったため、晩年が40代なのですが、そのころは印象派から離れて制作していたようです。
1894年の没後に遺言書は弟マルシャルとルノワールの手によって遂行されます。
それは彼がコレクションしていたピサロやモネ、ルノワール、シスレーにドガ、セザンヌ、マネの計68点をフランス政府に寄贈すること。
でしたが、当時の印象派は日陰者。
美術館に収めることに対して反対意見も多かったとか。
2年の紆余曲折を経て、ようやく国家に受け入れられました。
その中にはドガの「エトワール」やルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」もあったそうです。。。
カイユボット、近年は画家としての評価が上がってきていますが、最初はコレクターとしての評価のほうが高かったのです。
当時理解者の少なかった印象派の作品を買い集め保護し、国家に寄贈した点での評価です。

さて、カイユボットの作品についてですが、カイユボットは裕福だったため、お金のために絵を描いていたわけではないので作品も少ないそうです。
今回は再評価が高まってきた画家としてのカイユボットの作品をまとめて見る、貴重な機会となります。
メモを盛りだくさんにとってきたので、2回に分けて書いていきます。

展示はⅠからⅤとギュスターヴ・カイユボットの弟、マルシャル・カイユボットの撮影した写真を展示したⅥまでとなっています。
"その1"ではⅠとⅡについて書いてあります。

《Ⅰ.自画像》
ここには3点の自画像が並んでいました。
カイユボットは都市風景と室内画を得意としていたそうですが、自画像は5点しか確認されていないそうです。
展示されている3点はそれぞれ違う時代のもので、その年齢の特徴的なものが出ていました。
ものすごく貴重なものとなります。。

ギュスターヴ・カイユボット「夏帽子の自画像」
一番若い自画像です。
1870年代の画業を始めたころの作品。
麦藁帽子をかぶり、白い服を着て、口ひげをたくわえた自画像。
明るい色が多いからか爽やかな印象です。
また顔も微笑んでいるようで優しい感じを受けました。

ギュスターヴ・カイユボット「自画像」
2つめの自画像。
これは40代初めの頃だそうで、この頃は印象派の活動に一区切りつけていたそうです。
落ち着きがあり、凛々しい印象を受けます。

ギュスターヴ・カイユボット「画家の肖像」
こちらも先ほどの40代の自画像と構図は似ています。
少し年をとって前かがみになっています。
死があと少しで迫ってきます。
どこか達観したような、でもちょっと硬い表情のような、そんな作品です。

カイユボットは父の遺産で印象派の作家たちの作品を購入していたそうです。
有力なパトロンであったうえに、作品も他の画家と遜色ない腕前ってすごすぎです……
恵まれているというか。。

《Ⅱ.室内、肖像画》
カイユボットは1860年に父がパリ8区の高級住宅地に新築した邸宅に住み、ここを舞台として多くの室内画と肖像画を描いています。
この頃、プライベートに重きを置く思想が生まれたそうで、そういった新しい家族の形を描いたもの、とのこと。
また肖像画ですが、カイユボットはお金持ちのため作品を売ることがなく、注文で肖像画を描くことはなかったそう。
ですが、家族や親しい友人の肖像は描いていたようで、そういったものが展示されていました。

ギュスターヴ・カイユボット「昼食」
円卓を囲んで食事をするのは奥に描かれた母セレストと手前には描かれた弟ルネ。
食事を出す執事のジャン・ドレールも描かれています。
窓からは明るい光が差し、逆光となっていました。
この構図、「印象派を超えて」で見たポール・シニャックの「ダイニングルーム 作品152」ととても似ています。
(「印象派を超えて」の記事はこちら→「その1」、「その2」)
プライベートな食事というものが絵の主題としてよく扱われていたのかな。
画家の視点は鑑賞者と同じ位置となっていて、手前の皿は上から見たような構図になっていますが、机上の食器は斜め上から見下ろすかたちとなっています。
おもしろいです。
黒くピカピカなテーブルには机上のガラス器やパンも映っていました。
この作品、好き。
個人蔵とのことで今後なかなか見れないことが悲しい。。。

ギュスターヴ・カイユボット「マルシャル・カイユボット夫人の肖像」
椅子に座り縫い物をしている母セレストを描いた作品。
このとき母は58歳。
先ほどの作品に描かれていた弟ルネが26歳で急死した2年後になります。
黒い服を着て手を動かしているのですが、下を向き熱心なのか寂しさを紛らわしているのか。。
光が差し込んでいるので全体的に柔らかな印象です。

ギュスターヴ・カイユボット「読書するウジェーヌ・ドフレーヌの肖像」
ソファに座り読書する叔父を描いた作品です。
近くに窓がありそこから差し込む光が陰影を作り出していました。
部屋の中の壁や床も丁寧に描きこまれています。

ここでは他にカイユボットを撮った写真が展示されていました。
優しそうで好青年といった印象です。
写真は弟のマルシャルが撮ったそうです。
マルシャルの写真はⅥ.でたくさん展示されていますが、展示の途中途中でも展示されています。
弟は音楽院出身の音楽家だそうですが、兄同様、稼ぐ必要がなかったため音楽を専業とはしていなかったそうです。
写真は1891年から撮り始めたそうで、多くは兄の死後に撮られたもののようですが、共に行動し、芸術的感性を認め合っていたそうです。

カイユボットは先に書いたとおり、印象派の作品を蒐集していました。

ギュスターヴ・カイユボット「ポール・ユゴーの肖像」
薄い青の背景に身なりがきれいでステッキを持ち立つ男性が描かれています。
少しくらい表情なのがきになります。
彼は家族ぐるみで付き合いがあり、カイユボットの作品も所蔵していたそうです。

ギュスターヴ・カイユボット「アンリ・コルディエ」
書斎で執筆している男性が描かれています。
東洋学者のアンリ・コルティエはカイユボットの友人だったそうです。
机にもたれるように横向きの姿で描かれています。
背景には大きな本棚、そこには厚い本が並んでいて、いかにも学者の書斎といった雰囲気を出しています。

ギュスターヴ・カイユボット「ピアノを弾く若い男性」
第2回印象派展に出品された作品です。
モデルは弟のマルシャル。
ブリジストン美術館所蔵のため何度か見ていますが何度見ても素晴らしいです。
ピアノに映る鍵盤や指など細部まで丁寧に描かれ、また窓から差し込む光が柔らかな印象を与えます。

ここではエラール社の本物のピアノも展示されていました。
描かれているピアノとそっくりです。
対象をよく見て描いていることが分かります。

ギュスターヴ・カイユボット「ピアノのレッスン」
ピアノに向き合う2人の女性が描かれています。
帽子をかぶった婦人が生徒でその右にいるのが先生かな。
室内には花も飾られています。
この作品はカイユボットからモネへ贈られたものだそうで、モネはこの作品を生涯持ち続けたそうです。

ギュスターヴ・カイユボット「室内-窓辺の女性」
窓辺に立ち外を眺める女性と、ソファに座って新聞を読む男性が描かれています。
青や紺、黒でまとめられ落ち着いた雰囲気のある室内に対し、窓からは向かいの建物の看板が見え人影もあり賑やかな印象です。
この2人は同じ室内にいるのにまったく関係がない、というか相手のことを気にしていない印象を受けました。

ギュスターヴ・カイユボット「室内-読む女性」
手前には椅子に座って新聞を読む女性。
その奥にはソファに横になって本を読む男性が描かれています。
なんだかおかしいです、男性の大きさ。
小さい。。
遠近法で考えてこの大きさだと部屋はとっても広いけど、ソファの大きさから考えるとやっぱり男性が小さい。
これはワザと、なのかな。。。。
違和感ありありです。
この小さい男性は印象派の画家と親交のあった編集者だそうです。

ギュスターヴ・カイユボット「子供のモーリス・ユゴーの肖像」
白いワンピースを着た幼児が描かれています。
ちょっとむすっとした感じで
この頃、5歳ぐらいまでの男児は髪を伸ばしてワンピースを着用することがあったそう。
顔は丁寧に描きこまれていますが、他の部分は大きめの筆致で大胆に描かれています。

カミーユ・ピサロ「ポントワーズ、ライ麦畑とマチュランの丘」
青空の下、生い茂る麦が描かれています。
柔らかな色使い。
これはカイユボットがコレクションしていた作品だそうです。
現在の所蔵は静岡県立美術館。
印象派の作品を遺言によってフランス政府に寄贈するとしていましたが、全てが受け入れられたわけではなかったようです。
これは漏れてしまったのかな……
残念なことですが、きちんと美術館に所蔵され保管されていることはよかったな~、と思います。

ここでは他にもブリジストン美術館所蔵の印象派の作品が展示されていました。
もちろん、看板娘「シャルパンティエ嬢」もいらっしゃいました。笑

といった感じです。
もう最初からかなり楽しいです。
このあとも素晴らしい作品ばかりでうきうきです。
今一番おすすめです!!!!!
カイユボットが好きになる!!
明日は続きを書いていきます。



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INFINITE RENEW BY MARIKO MORI

2013-11-21 21:30:00 | 美術
見てきました

エスパス ルイ・ヴィトン東京

会期は2013年9月28日から2014年1月5日。

今回は国際的に活躍する日本人アーティスト、森万里子氏の展示です。
彼女自身がキュレータとして新作7点を含む全8作品の展示です。


今回もいただきました。
撮影可能でしたので、写真とともにご紹介。

さて、入ると螺旋状の不思議な物体が。

「Infinite Energy」
天井に取り付けたビデオカメラで人の動きを感知。
色が変化するLEDリアルタイム・モニター内臓の高度なテクノロジーを駆使した彫刻です。


ピンク、緑、青などに変わりました。
でもなかなかいい色のときに撮れません。
お、この色撮りたい、と離れてカメラを構えたら色が変わってしまったり。。


「BirdsⅡ」


「Butterfly」


「Renew I」


「Renew II」

「Renew」は、メビウスの帯の形に従い、素粒子から多元宇宙まで、存在についての共通の確信、すなわち生と死の果てしない循環を反映しているそう。

難しいことは分からない。
でもこれははっきり分かる。
私、こうゆうインスタレーション好き。



平日仕事後行きました。
貸切状態です。
行くならこの時間がおすすめです。
今後クリスマスが近づくと休日や夜は人が増えることが予想されるので。。
のんびりゆっくり楽しみたいのなら今がいいときだと思います。



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