RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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追憶の広重 -浮世絵歴史散歩

2014-03-05 21:30:00 | 美術
見てきました

太田記念美術館

会期は2014年3月1日から2014年3月23日。

今から約150年前、江戸のさまざまな場所を描いた絵師がいました。
歌川広重。
浮世絵風景画といったらこの人でしょう。
"名所江戸百景"などのシリーズを出しています。

現在、東京は6年後に東京オリンピックを控えています。
また、新名所となった東京スカイツリーは開業して1年。
目まぐるしく様変わりしています。
が、そういったところにも意外と江戸の痕跡は残っているのです。
150年前に広重が描いた場所の現在は??
それが今回のテーマとなっています。

まずは肉筆浮世絵から。

歌川広重「橋下屋根舟の女」
モノクロで舟にのった女性の後ろ姿が描かれています。
シンプルですが、おしゃれ。
これは初めて見たかな。。好きです。

歌川広重「竹屋の渡風景/向島の桜」
淡い色彩、細い線で描かれています。
桜のもと花見をする人々と静かな雪の夜。
どちらも情緒あり穏やかな景色です。

歌川広重「東都隅田川/東都高輪」
桜の隅田川と秋の月の高輪。
人気の画題でした。
春の隅田川のほうにはツバメが、秋の高輪のほうには連なって飛ぶ雁がそれぞれ描かれています。
季節の美しさを感じられる作品です。

《第1章 「江戸の名所」の今昔》
歌川広重「名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川」
昌平橋を手前に、湯島聖堂の外壁が描かれています。
現在のここは道路が舗装されているなどの変化はありますが、ほぼそのままの姿が見えます。
絵の横に現在の写真が貼られているのも比較しやすくておもしろい。

歌川広重「東都名所 浅草金龍山年之市群集」
少し高いところから見下ろしたように描かれた作品。
浅草寺の歳の市です。
実際にこの高さから見れる浅草寺を見下ろせる場所は江戸時代にはないかと思われますが、想像でここまで描けるのはすごいです。
そして歳の市の賑わいはいつの世になっても変わらないんですね。

歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍寺」
雪降る浅草。
浅草寺の境内を雪の表現が雷門越しに描いています。
静かな印象と雪の表現が美しいです。

歌川広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」
吉原遊郭の二階と思われる室内から外を見る猫。
木格子越しに見えるのは夕暮れの空と富士山、シルエットで行列の人々。
鷲神社の酉の市へ向かう、または帰ってくる人でしょう。
畳の上には熊手をかたどったかんざしが置かれています。
部屋の主の姿はありません。
決して自由ではないその身。
その境遇を示唆しているかのような印象を受け、ちょっと切なくなります。

歌川広重「東都名所 上野自清水堂観不忍池図」
上野、寛永寺の境内には17世紀に奈良吉野から桜が植樹され名所となりました。
そこへ京の清水寺にならって作られたのが清水堂。
ここには清水堂から不忍池を眺める人々が描かれています。
結構高い位置なんですね。
空の青、池の青、桜のピンクに清水堂の赤と色鮮やかです。

歌川広重「東都名所 神田明神」
ここからはかつては江戸の町が一望できたそうです。
しかし現在は駐車場。。
変わっていくことは理解しているけど、なんだかさみしい。

歌川広重「東都司馬八景 山縁山晩鐘」
増上寺の三門を北側から見たところ。
元和8(1622)年の建物が現在も残っていて重要文化財となっています。
門の前は舗装されているとは言えど、現在も広い道。
かつてはそこを人々が歩きお参りしていたかと思うとおもしろい。

歌川広重「名所江戸百景 深川三十三間堂」
画面を斜めに横切る細長い建物。
三十三間堂といえば京都。
"通し矢"などでも有名です。
その通し矢の流行を受けて江戸にも三十三間堂が建設されました。
しかし元禄11(1698)年に焼失。
その後は深川に再建されましたが、明治5(1872)年に取り壊し。
絵の中でしか見れない名所となりました。

歌川広重「名所江戸百景 する賀てふ」
中央に大きな通りが描かれ、両側には三井越後屋の建物が。
この越後屋が位置していた駿河町。
富士山が見えることからその名が付いたといわれるそうで、富士見の名所でもありました。
ここでも奥に大きく富士山が描かれています。
この通りは現在の日本橋三越と三井本館の間の道。
何度も通ったことあるよ。。
現在、周りは高い建物だらけ。
もちろん富士山は見えません。
が、両側は三井関連の建物で江戸から変わっていないのです。
歴史だー。

歌川広重「東都繁栄乃図」
江戸時代、中村座、市村座、森田座の三座が江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋でした。
ここに描かれているのは中村座。
通りは人通りも多くにぎわいを見せています。
これら三座は現在の浅草寺の東北あたり、猿若町にあったそう。

歌川広重「名所江戸百景 日本橋通一丁目略図」
呉服商、白木屋前の往来を描いたもの。
白木屋は寛文2(1662)年、日本橋創業。
三大呉服商の一つとなりました。
明治時代にはデパートとなり、昭和42年に東急百貨店日本橋店に。
東急は平成11年に閉店。
336年の歴史を閉じました。
作品には江戸っ子の大好きな真桑瓜を売る人などで賑わっています。
現在はCOREDO日本橋。
なんだか雄大な歴史です。

歌川広重「名所江戸百景 下谷 広小路」
右に呉服屋松坂屋の店先を描いています。
松坂屋は慶長16(1611)年、名古屋で創業。
明和5(1768)年に江戸進出。
以来現在も同じところにあります。
続く歴史。。すごい。

《第2章 「江戸の地形」を歩く》
歌川広重「名所江戸百景 隅田川橋場の渡 かわら窯」
現在の白鬚橋付近です。
ここは隅田川の渡しのひとつでもありました。
大正3(1914)年、白鬚橋が完成したことで役目を終えます。
もう一つ、ここは今戸焼の生産地。
窯の煙が立ちのぼり、画面に大きく描かれています。

歌川広重「名所江戸百景 吾妻橋 金龍山遠望」
屋形船が手間に大きく描かれ、女性の背中がちらりと見えます。
向こう岸には五重の塔。
桜の花びらがひらひら舞い、また水の青が深く濃く、幻想的です。

歌川広重「東都名所 両国花火」
両国橋で打ち上げられる納涼の花火。
手前の橋を渡る子供が花火を指さしています。
みんな視線は花火へ。
なんだか微笑ましい。
花火は夜空に赤で描かれ、南天みたいです。

歌川広重「名所江戸百景 永代橋佃しま」
永代橋の橋桁から夜の佃島をのぞき見る。。
月と星が夜空に輝き、水面は白魚漁のかがり火が照らされています。
美しい作品。

歌川広重「東都司馬八景 愛宕山暮雪」
愛宕山は標高20メートルの山。
三丁には家康によって神社が建てられました。
86段の急階段は有名です。
そう、私も今年の初もうでに行った愛宕神社です。
描かれているのは雪景色。
雪の中にあの階段のぼったら、、と考えると怖い。。
絵の中は人がいっぱいですが、みんなのぼったのでしょうか。。。

歌川広重「東都名所 飛鳥山満開の図」
飛鳥山は北区のJR王子駅南側。
八代将軍、吉宗の政策で桜が植えられ、名所となりました。
作品中は花見を楽しむ人で賑わい、奥には富士山も見えます。
そして中央には吉宗を称える石碑もあります。
これは現在も飛鳥山公園にあるそう。
変わりゆく景色もありますが、ここは現在も桜が咲くそうです。

《第3章 「江戸城」の痕跡を辿る -外堀・内堀》
歌川広重「名所江戸百景 水道橋駿河台」
揺らめくこいのぼりが大きく描かれ、眼下に水道橋が見えます。
奥には富士山も。
端午の節句を祝う旗が多数ありますがこの辺りは武家屋敷だったとのこと。

二代目歌川広重「名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい」
雨にかすむのは赤坂御門へ続く道。
シルエットで描かれています。
手前には外堀の一部がこちらははっきりと描かれています。
浮世絵の雨の表現はおもしろいですね。
好きです。
こちらはシリーズ中、唯一、二代目歌川広重が描いたものだそう。

歌川広重「冨士三十六景 東都数寄屋河岸」
雪景色の数寄屋橋御門付近の外堀。
中央に堀が描かれ、橋を歩く人々が描かれています。
現在の数寄屋橋御門あたりは有楽町マリオン。
南町奉行所のあたりは有楽町マルイだそう。
いつも行く場所が、と考えると面白いし、次回行く時が楽しみ。

《第4章 「江戸の境界」をめぐる -江戸四宿》
歌川広重「名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿」
四宿とは江戸時代に五街道の各々について江戸・日本橋に最も近い宿場町の総称。
馬のおしりが手前に大きく描かれ、その向こうに四宿の一つ、内藤新宿が見えます。
江戸の西の玄関口、内藤新宿。
その賑わいを馬のおしり越しに見る構図がおもしろい。

《第5章 初公開 新出「伊藤家資料」と三代歌川広重》
初公開の資料となります。
今回、三代歌川広重の後妻、安藤八重の実家の伊藤家を探したところ見つかったとのこと。
晩年の生活が知れる資料となっていました。

三代歌川広重「書簡」
こちらは九州の知人、角田末吉宛に書いたもの。
日付は明治27年1月。
住所は日本橋区浪速町24番地。
明治26年11月から歯が痛くなり調べたところ口蓋がんだった。
だから手術したよ。
といった内容で手術のようすを描いたものも。
色々衝撃的。
その時代に口蓋がんって診断されるとことか、手術することとか、それを絵にするところとか。。。

三代歌川広重「祝いビラ(梅素薫)」
「祝いビラ」とは書画会等で用いられたもの。
会の参加者の祝儀額に応じてビラの内容が選ばれ、壁に貼られて会を彩りました。
梅素薫は幕末から明治にかけて筆耕、意匠家として活動した梅素亭玄魚の息子で明治に狂歌や浮世絵の原案を手がけました。
魚のイラストが象形文字のように描かれかわいらしいです。

「功隆院機外立斎信士 香資井供物扣」
こちらは三代広重が亡くなった際の香典帳のようなもの。
浮世絵師の落合芳幾、版元の大黒屋平吉、歌舞伎役者の五代目尾上菊五郎に和菓子の栄太郎、噺家の三遊亭延長などなど。
その交友関係の広さもすごいです。

三代歌川広重「祝いビラ(都一中)」
鶴と波が描かれ華やかなビラ。
色彩も美しい。

三代歌川広重「祝いビラ(邑井貞吉)」
桜の花が3つ、真ん中に「盛」という字が大きく描かれています。
杯モチーフと思われるものも描かれているのでお酒関連かな。

以上になります。
地図や現在の写真もあって楽しく見ることができました。
また、今回来年度の年間パスポートも購入してきました。
年間6000円。
展示が変わるたびに行く私には必需品。
展示と同じく23日までの販売です。



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2 コメント

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浮世絵と聞いて (tokie)
2014-03-22 09:31:45
意外と浮世絵好きなので反応してみた☆
今と昔の風景がリンクしたりするのって面白い^^
東京は移り変わりが激しい一方、残ってるところがぽつん、とあったりしてわくわくするよね。

といいつつ好きなのは国芳なのですが。
先日地元近くの広重美術館の企画展が国芳だったのでみてきたのですが、こちらは百人一首を題材にしているのが何点かあって面白かったです。
平安時代の歌を江戸時代の浮世絵師が描き、平成の私が見る。
なんか凄いよね。
美術品そのものというより、歴史を感じられるところが浮世絵の好きなところなのかもしれない。

あ、栃木にもいくつか美術館・博物館ありますので、
ぷらっと遊びに来てね^^
車出しますぜ☆
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Re: (maruko)
2014-03-25 00:45:38
tokie
私もよく思い返したら意外と浮世絵の展示行ってるんだよね。
好きとか意識してなかったんだけどさ。
現在とリンクしている今回の展示はおもしろかったよ。
原宿駅から近くてアクセスもいいのに人が少なかったことが意外なぐらい。

私、絶対、誰かに
「有楽町マルイのところって昔は南町奉行所あたりだったんだよ」
って言うと思う。笑

国芳はいいよねー。
ユーモアのセンスあり、迫力ある作品ありで。

広重美術館は一度行きたいよー!!
結構貸し出ししていて都内の展示でも見かけるんだよね。
私の好きな清親も所蔵しているみたいだしさ。
気になる。。
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