1月30日 経済フロントライン
日本GDP国内総生産の7割を占めるのがサービス業。
その生産性を上げることは日本経済回復の大きなカギのひとつである。
生産性とは
従業員1人当たりが一定の期間にどれだけの商品やサービスを生み出せるか
金額で表したもの。
生産性が高いほど同じ人数でより多くの客に質の高いサービスを提供できるということになる。
日本のサービス業の場合 1人あたり年間で729万円
製造業は1人あたり904万円。
サービス業の生産性革命は本格的に始まりつつある。
江戸時代創業の箱根の老舗旅館。
この旅館では生産性を高めるため
これまで当たり前だったサービスが本当に必要か
一から見直しした。
例えば下足番を廃止。
宿泊客には自分で靴をげた箱に入れてもらう。
客室の案内係も廃止した。
布団も自分で敷いてもらう。
提供するサービスを絞ることで
宿泊費を箱根の老舗旅館としては安い9千円に抑えた。
(宿泊客)
「いいと思う。
自分たちでこうやってやるけど不便はないので
その分 安いならいいなって思う。」
スタッフの業務シフトも見直した。
フロント係の坂本さん。
チェックインのピークが過ぎて向かった先は食堂。
坂本さんは夕食の配膳係も兼務している。
「フロントにいればレストランに来たお客さんの顔もわかる。
より良いサービスがしやすい。」
こうした積み重ねで
1人当たりの生産性は3,5倍に。
従業員は働きやすくなり
それが客の満足度にもつながっているという。
(一の湯 小川晴也社長)
「生産性が良くなるということは実は非常に気持ちよく作業ができる。
ついてはお客様の印象も良くなるという循環。」
こうした動きは旅館業界全体に広がり始めている。
日本旅館協会は全国からモデルとすべき8つの宿を選定。
企業コンサルタントを派遣して効率化できる業務を検討している。
「台車もこんなところに置いていると動線をふさぐことになる。
効率下がる。」
この日は厨房や配膳室での作業の無駄を細かく洗い出した。
「食器を探す手間はたいへん無駄。
それをまず無くす。」
食器の置き場所が一目でわかるよう写真を張ってはどうかという指摘もあった。
日本旅館協会ではこうした改善点を会員の旅館と共有し
役立ててもらいたいとしている。
(日本旅館協会 針谷了会長)
「実態に合った生産性向上のノウハウを積み重ねて
それを全国に波及していきたいのがひとつ。
旅館を成長産業に変えていきたい。」
飲食業界ではオートメーション化で生産性を上げる取り組みが始まっている。
全国に展開する外食チェーン。
「野菜たっぷりが好きなんで。」
「それなりの値段でそれなりにおいしく食べられる。」
この外食チェーンでは短時間で調理できるシステムを導入。
具材とスープを鍋に入れたらオートメーション化されたIHヒーターに。
一番右のヒーターで26秒加熱すると
鍋がとなりの2つ目のヒーターに移動する。
このタイミングで麺を投入し再び26秒加熱。
その間に次を用意。
鍋は3つ目のヒーターに移動しさらに26秒煮込めば完成。
次から次へとチャンポンが出来上がる仕組みである。
調理時間は盛り付けを合わせてもこれまでの8分から2分に短縮。
わずか4分の1になった。
力と技が必要な中華鍋での調理と違い
誰もが簡単に作れる。
これまで半年かかっていたスタッフの研修も1週間で済むようになった。
(シンガーハットジャパン 山岡雄二部長)
「しっかり教育すればおいしいちゃんぽんが短時間でできるようになる。
いい効果が出ている。
ピークタイムも20分30分かかることもなくなりましたので
お客様には喜んでいただいている。」
アパレル業界ではITを使った商品管理で大きな効果を生んでいる企業もある。
衣料品や小物などを販売しているセレクトショップ。
店頭で働くスタッフは接客だけでなく1万点に及ぶ商品の管理に追われている。
そこで導入したのがICタグ。
これまではバーコードを1枚ずつ読み取っていたため
1角を確認するだけで約1時間かかっていた。
ICタグの読み込みは専用の機械を向けるだけ。
タグが電波を発信するので離れた場所からでも作業ができる。
この日 スタッフは初めて体験。
かかった時間はわずか35秒。
「ちょっと早すぎますね。
言葉出ないです。
今までが何だったのかなという感じです。」
作業にかかる時間は店舗全体で30時間から3時間に短縮。
スタッフはより接客に時間をかけられるようになり
それが販売力強化につながっているという。
(ビームス ロジスティクス本部 竹川誠課長)
「アパレルの仕事は付帯業務が多くなりがち。
本来販売員としてやりたい仕事が削られてしまう。
接客による効果で売り上げが上がっていることを体感している。」
1月30日 経済フロントライン
都内にある居酒屋チェーン。
使っているのは新鮮な味が長持ちするとして大ヒットしている醤油。
鮮度が長持ちする秘密は容器にある。
中は二重構造。
醤油はその内側に入っている。
醤油が出る部分に工夫して空気は外側だけに入り込むようにした。
これで醤油は空気に触れることなく鮮度が保てる。
この居酒屋が導入した理由は
味に加えて
扱うのが楽だという点にある。
(養老乃瀧 企画部 部長 長島一誉さん)
「何よりも詰め替えの作業が無い。
醤油さしをあけて洗浄したり
そういった作業がなくなると作業効率的に合理化がはかれる。」
この醤油を開発したのは業界最大手の醤油メーカーである。
開発組織した田嶋さんは
若い人たちの食生活の変化や人口の減少で
醤油の消費量が減りつつあることに強い危機感を持っていた。
(キッコーマン食品 プロダクト・マネージャー 田嶋康正さん)
「市場の変化が加速化している。
社会構造の変化もそうですし。
これから3年5年もロイヤルユーザー(固定客)がそのままでいていただける各省が何もない。
先のことを考えて
未来のお客様に指示していただけるような魅力を具現化していくことが大切。」
この商品は家庭でも大ヒット。
2015年度の売り上げは80億円に達し
この2年で2倍に増える見込みである。
(キッコーマン食品 プロダクト・マネージャー 田嶋康正さん)
「伝統的な基礎調味料の醤油も掘り下げて考えていくと
まだまだ価値を創造していく余地がたくさんある。」
昭和30年代に話題を呼んだ塗り薬 オロナイン軟膏のCM。
60年以上にわたって販売されている定番である。
この商品は去年 リニューアルによって過去最高の売り上げを記録した。
ポイントは包装容器を変えたこと。
これまでは金属チューブだったがラミネートチューブに変えたのである。
若い女性からの
金属製だと長く使っていると破れやすいという声を反映させた。
この会社では若い女性をターゲットに雑誌などに頻繁に広告を打ち出した。
切り傷以外のニキビなどへの効果をアピールした。
(大塚製薬 軟こう薬担当 豊川貴司さん)
「比較的年齢層の高い方に支えていただいている構成比を
少しずつ若い人にも使ってもらって
幅広い世代に使っていただきたい。」
さらにスマートフォンを使ったイメージ戦略にも乗り出した。
猫をなでて癒しを感じてもらうアプリである。
背景には定番の塗り薬を描いてPRしている。
この会社の担当者は
自社の製品が若い女性にどう受け止められているのか
口コミを毎日チェックしている。
長年売れ続けてきた定番商品。
消費者のニーズの変化に合わせ新たな魅力を加えることで大ヒットにつながっている。
2月13日 おはよう日本
アメリカ音楽界で最高の栄誉とされるグラミー賞。
海外の音楽を対象とした最優秀ミュージックアルバム部門には5つの作品がノミネートされている。
そのなかの1つ
アフリカ南部の国マラウイで生まれたユニークなバンドの作品に世界が注目している。
人口1,600人余のマラウイ。
農業以外に目立った産業はなく
世界で最も貧しい国の1つとされている。
南部の都市 ゾンバ。
ここで世界が注目する音楽バンドが活動している。
その拠点は分厚い塀で閉ざされたゾンバ刑務所である。
バンドのメンバーは受刑者と刑務官たち。
窃盗や殺人など様々な罪を犯して服役している人たちが音楽活動をしている。
3年前アメリカの音楽プロデューサーの目に留まり
20代~70代までの受刑者60人が参加して音楽アルバムを製作した。
“I Have No Everything Here(ここには何もない)”
ZOMBA PRISON PROJECT
アフリカ音楽特有の軽快なリズム
そして自らの罪に向き合う受刑者だからこそ発することが出来る強いメッセージが評価され
グラミー賞にノミネートされた。
突如脚光を浴びたこの町では受賞への期待が高まっている。
(ゾンバ市民)
「マラウイの文化や刑務所の様子を歌っているのがいいですね。」
「バンドの音楽は進歩し続けているので
マラウイ初のグラミー賞を期待している。」
定員が340人のところ2,000人以上が収容されているゾンバ刑務所。
刑務所では厳しい服役生活が続く受刑者のストレスを和らげ
更生させるプログラムの一環として音楽活動を進めてきた。
活動に参加する女性受刑者たち。
彼女たちは身内を死なせた罪で終身刑などを言い渡された。
歌には「子どもに会えない」という絶望的な気持ちが込められている。
♪ わたしはたったひとり
大きな川のほとりに立つ
この大きな川を渡るために神に導いてほしい
窃盗の罪で服役しているチコンティー・サランジェ受刑者(33)。
ボーカルを務めるバンドの中心メンバーである。
入所した直後は将来を悲観していたサランジェ受刑者。
別の受刑者から犯罪にかかわるよう誘いを受けたこともあったという。
しかし4年前にバンドに参加。
刑務官たちに励まされ音楽に没頭する中で
将来はミュージシャンになりたいと夢を抱くようになった。
(チコンディー・サランジェ受刑者)
「刑務所に入ったときは音楽を学べると思っていなかった。
貴重な機会に感謝してこの時間を過ごさなければならない。」
サランジェ受刑者は音楽活動に専念することで模範囚として認められた。
8年だった刑期は5年に軽減され
今年7月に出所できることになった。
自らの過ちを反省するとともに
子どもたちには正しい道を歩んでほしいというメッセージを歌詞に込めた。
♪ 娘よ
忍耐強くしていればきっと成功する
忠告を聞かないと
不幸な出来事に巻き込まれてしまうよ
長い服役を得た後も社会の厳しい現実が待ち受ける元受刑者たち。
音楽が彼らの心の支えになっている。
殺人の罪で21年間服役し
去年出所したクリタス・チムウァラさん(39)。
これまで仕事の経験のないチムウァラさんにとって
貧しいこの国で仕事を見つけるのは容易ではない。
チムウァラさんがいま最も気にかけているのが72歳の母親のことである。
周囲からの厳しい目にも耐え
ひとりで待ち続けてきた。
母のためにも再出発を誓った歌詞は100曲を超える。
♪ 空を見上げ 虹が出た
神は太陽や月の光を与えてくれた
チムウァラさんは今後は地元の若者に音楽を教えるなどして生計を立て
母親を支えようとしている。
(クリタス・チムウァラさん)
「音楽が私の人生を変えてくれた。
収入を得て生活を立て直し
大好きな音楽を続けていきたい。」
厳しい人生の中から紡ぎ出される受刑者たちの音楽。
世界に彼らのメッセージが届けられようとしている。
2月4日 編集手帳
夏の高校野球でPL学園が智弁和歌山に敗れた。
2000年の甲子園である。
作詞家の阿久悠さんには意外な結果だったようで、
翌日付の『スポーツニッポ ン』に書いている。
PLが負けて突然、
気づいたという。
〈全打者が清原和博であったわけではないと〉。
ここまで読まれた方は西暦の誤記かと訝(いぶか)るだろう。
1980年代に高校を卒業した人がその試合に出ているはずがない。
残像である。
なんと息の長い残像だろう。
高校球児の昔もプロ入り後も、
その姿が目に焼き付いて離れない“記憶王”タイトル保持者である。
夜はバットを抱いて眠り、
試合の途中で感極まって号泣する。
野球少年がそのまま大人になったような面影は、
もはやない。
原稿を書く手はその呼称を綴(つづ)るのを嫌がっているのだが、
清原和博容疑者(48)が覚醒剤所持の現行犯で逮捕された。
投手の内角攻めには死球を恐れぬ肉体改造で立ち向かった人が、
どうして心の内角を守れなかったか。
打席に入る時は長渕剛さんの『とんぼ』が流れた。
♪ 明日からまた冬の風が横っつらを吹き抜けて行く…。
まぶしい記憶の残像 がいまはただ哀(かな)しい。
1月30日 キャッチ!
NYで夜な夜な開かれるダンスイベント。
手足の動きが独特なダンスは
アメリカのファッション雑誌ヴォーグのモデルがとるポーズからヒントを得たもの。
Voguing(ヴォーギング)と呼ばれている。
1960年代にゲイの若者たちの間で生まれたダンス。
ブームが再燃している。
若者に人気のファッションブランドもプロモーションビデオにヴォーギングをフューチャーした。
その中心で踊るハビエル・マドリッドさん(31)。
新たなヴォーギングブームの火付け役の1人である。
(ヴォーギング・ダンサー ハビエル・マドリッドさん)
「ヴォーギングを習いたい人がどんどん増えている。
このダンスの素晴らしさにみんなが気付き始めたんだ。」
ハビエルさんは毎週自らが率いるチームの練習をしている。
ゲイへの差別が激しかったころ
ダンサーたちはゲイの仲間たちの中だけで隠れるように踊っていた。
(ハビエル・マドリッドさん)
「ゲイであることを親からも受け入れられず
ヴォーギングが唯一の本来の自分になれる表現だった。」
しかし時代は変わりゲイカルチャーを大勢が受け入れるようになったNYで
ヴォーギングの踊り手は増え続けている。
ゲイ以外の人たちkも参加するようになり
チームのメンバーも200人に膨れ上がった。
(女性メンバー)
「“私は大スターよ!”っていうくらいオーバーに演じるの。
とっても自由で楽しいわ。」
深夜2時。
この日 ハビエルさんが向かったのはマンハッタンのナイトクラブ。
毎週開かれるヴォーギングナイト。
みんなでダンスの腕前を披露する集まりである。
バレエやブロードウェイミュージカルなど異なったジャンルのダンサーも仲間に加わるようになった。
「みんなと一緒に踊るたびにますます夢中になるわ。」
ダンサーたちが互いに影響を与えあうことで
NYのダンスシーンがさらなる進化を続けている。
(ハビエル・マドリッドさん)
「みんなが一緒に楽しめるコミュニティーなんだ。
こうやってどんどんダンスの輪が広がっているよ。」
1月29日 キャッチ!
インド北西部のラジャスタン州。
土地の3分の2は砂漠で1年の降水量は100ミリにとどまる。
農村部の多くの家庭では
水を節約するために砂で下洗いをして最後に水ですすぐことが習慣になっている。
「砂漠の州」と言われるラジャスタンでは水はそれほど貴重なのである。
井戸から出る水は農地の開墾や農薬の影響で水質が年々悪化し
住民の間に胃腸障害や歯や骨の劣化など健康障害を引き起こしている。
こうしたなか農村部を中心に新たに設置された施設が注目を浴びている。
その名も“水のATM”。
プリペイドカードを使って自動的に水を引き出すことが出来る。
値段は20リットルで約7円。
朝早くから水を求めてやってくる住民たちが後を絶たない。
「水がおいしく便利になりました。」
「とても良い水でたくさん飲んでいます。」
くみ上げた地下水をろ過し不純物を取り除いている。
1か月使用されたフィルターで
地下水がいかに汚れているかがわかる。
“水のATM”を設置したジェインさん。
早くから水ビジネスの可能性に目をつけて成功し
去年から故郷のラジャスタンでATMによる水の供給を始めた。
(水ビジネス起業化 ディネシュ・ジェインさん)
「農村部では安全な水の需要が大きいにもかかわらず
ビジネスに参入している企業は限られています。
マーケットは膨大です。」
ATMを利用しているセインさん。
16人の家族のために毎朝40リットルの水を購入している。
その水を使ってカレーを作ることから一家の一日が始まる。
以前は濁った井戸の水を使っていたが
家族の健康を考えATMの水に切り替えた。
「子どもが病気にならずうれしいです。
医療費もかかりません。」
水のATMの利用料は毎月500円。
農村部の平均月収が3,000円余のインドでは決して安くはない。
それでも家族の健康には代えがたいという。
「たばこが8ルピー(14円)なので4ルピー(7円)の水はお得です。」
ジェインさんはこの1年で水ビジネスの利益を100倍に伸ばした。
ゆくゆくは水ATMをインド各地の50万の村に設置したいと考えている。
(水ビジネス起業家 ディネシュ・ジェインさん)
「人々の健康への意識が変わりました。
安全な水はインドのGDPを増大させるインパクトがあります。」
1月26日 キャッチ!
アメリカ南部ミシシッピ州にあるケンパー発電所。
出力は約60万キロワット。
現在建設中だがすでに発電を始め
今年夏までに完成する予定である。
低品質の石炭を使う最新式の火力発電所だが
最大の特徴は排出されるCO₂を回収する最新技術が使われていることである。
発電によって発生するCO₂の65%以上を回収できる。
回収できるCO₂の量は年間約380万トン。
大気に放出される二酸化炭素の量は
比較的クリーンだとされる天然ガスの発電所とほぼ同じレベルにまで抑えることが出来る。
回収された二酸化炭素はパイプラインで油田に運ばれ
深さ1,6kmの場所に液体として封じ込められる。
この技術はCCS(二酸化炭素貯蓄)と呼ばれているが
アメリカではただ二酸化炭素を地下に閉じ込めるだけではなく
原油のくみ出しに利用しようという動きが盛んになってきている。
送り込んだ二酸化炭素を地下で原油と混じり合わせることによって
原油が回収しやすくなるのである。
EOR(石油増進回収法)というこの技術を使うと採り出せる油の量が最大で20%増加。
くみ上げられた二酸化炭素は再び分離され
何度も原油の採り出しに使用された後
最終的には固い岩盤の下でしっかりと封じ込められるという。
アメリカでは限られた油田からできるだけ多くの原油をくみ上げようと
近年 EORが広がりを見せている。
アメリカ政府はCCS技術の確立を目指す企業に
総額で14億ドル(約1,600億円)の補助金を出して積極的に支援している。
ケンパー発電所を建設した電力会社では
ヨーロッパや中国にもこの技術を売り込みたいと考えている。
(ケンパー発電所 ブルース・ハーリントン氏)
「我々の技術は世界中のCO₂の排出削減に貢献できるはずです。
ここでの削減は微量ですが
低品質の石炭を使うところならどこでも適用できるのです。」
アメリカではCO₂を地下ではなく製品の中に取り込んでしまう技術を開発する企業も登場している。
ニュージャージー州にあるベンチャー企業。
政府から支援を受けているこの企業が取り組んでいるのは
全く新しいセメントの製造技術である。
セメントの製造では原材料の石炭石を高温で加熱するため大量のCO₂が発生する。
一般的に1トンのセメントを製造するのに排出されるCO₂の量は約800キロ。
世界全体では年間約20億トンにものぼる。
どうすればその量を減らせるのか。
この企業ではまず原材料に含まれる石炭石の比率を大幅に下げ
製造過程で排出されるCO₂を減らした。
すると出来上がったセメントは一般的なものと大きく異なる特徴を持つようになった。
一般的なセメントは水を混ぜるとすぐに化学反応が始まり固まり始める。
一方 この企業のセメントは何時間たっても水を混ぜるだけでは固まらない。
固めるために必要なのはCO₂。
セメントに砂利などを混ぜた後
高純度で満ちた装置に入れると
セメントがCO₂を取り込んで化学反応を起こし固まり始める。
24時間でしっかりと固まり
強度や耐久性も従来のコンクリートと遜色はないという。
取り込まれたCO₂は化学反応によって形が変わり
コンクリートの中に取り込まれることになる。
製造過程で排出されるCO₂の削減
さらに固めるときのCO₂の使用によって
通常と比べ合わせて70%のCO₂を減らすことが出来る。
この企業ではこの魔法のレシピを手に
アメリカやカナダだけでなくヨーロッパやアジアにある企業とも交渉し提携先を増やそうとしている。
(ベンチャー企業 ディクリストファーロCEO)
「この技術は必ず受け入れられます。
ただCO₂を削減するだけではなく
セメントとコンクリートの製造コストを下げることにもなるのです。
我々のコンクリートは従来の製品の代用品となりえます。」
1月25日 おはよう日本
旧ユーゴスラビアのボスニアヘルツェゴビナを訪れた元サッカー日本代表 宮本恒靖さん。
足を運んだのは南部の町モスタルの中心部にあるスポーツ施設。
宮本さんはこの施設を拠点に
今年夏 子どもたちを集めた「スポーツアカデミー」をオープンする計画である。
カトリックのクロアチア系とイスラム系の住民が暮らすモスタル。
内戦で激戦地の1つとなり今も双方の融和は進んでいない。
子どもたちが通う学校も異なり
民族によって学習内容も違う。
内戦を経験していない子どもたちが交流を深めれば
民族間の対立感情を乗り越えられるのではないか
宮本さんはそう考え
異なる民族が共に学べるスポーツアカデミーを作ることを決めた。
(宮本恒靖さん)
「人生において大切なこと
お互いを尊敬すること
コミュニケーションをしっかりとることはスポーツを通して学べる。
選手を育てるのでなく地域のリーダーになる子どもをスポーツを通して育てる。」
現役引退後 宮本さんはFIFA(国際サッカー連盟)がん栄する大学院に進み
「スポーツで民族の融和を進めることは可能か」をテーマに研究に取り組んだ。
この経験がスポーツアカデミー構想を起ち上げるきっかけになったという。
(宮本恒靖さん)
「旧ユーゴの紛争のときにクロアチア出身の選手と紛争について話す機会があった。
すごくトピックスとしては近いものだと感じた。」
本格オープンを前に仮の施設で週2回サッカーを中心としたトレーニングが始まっている。
すでにイスラム系とクロアチア系の子どもたち60人が参加している。
(イスラム系の子ども)
「いいね。
一緒に遊べるから。」
(クロアチア系の子ども)
「ここが好き。」
宮本さんの活動は徐々に広がりを見せている。
イスラム系のエルビル・チュピナさんは2人の子どもをアカデミーに通わせている。
兵士として内戦を戦ったチュピナさん。
親類や多くの親しい友人を亡くし
自身も大けがをした。
(エルビル・チュピナさん)
「戦友を助けようとして撃たれた。
命は助かったが1年半動けなかった。」
チュピナさんはモスタルで生まれ育った。
異なる民族が共存していたかつての街を取り戻すには
憎しみを乗り越えて融和を進めるしかないと考えている。
(エルビル・チュピナさん)
「この街には目に見えない壁が存在している。
スポーツの交流を通して目に見えない壁がいつの日が消えることを願っている。」
次の世代に和解を託す宮本さん。
世界各地で争いが絶えない今こそスポーツの力を強く信じている。
(宮本恒靖さん)
「プロジェクトがうまくいけば
他の紛争地域でも同じようなことができるとの願いも込めている。
いずれは現地の人たちにも委ねて
子どもたちが安全な環境で交流ができる
いろんなスポーツができる
体も心も健康になる場にしてもらいたい。」
1月23日 経済フロントライン
都内にあるIT企業。
パソコンに1日中向き合っていてストレスが溜まるという声が社員から上がっていた。
そこでこの会社が導入したのが音楽を流すサービス。
朝礼が終わった午前中はリラックスして仕事が始められるようゆったりした曲を
ちょっと疲れがたまった午後は仕事がはかどるよう軽快な音楽を流す。
「リラックス系の曲が流れているので
働くときでも雰囲気がピリピリしない。
比較的リラックスした状態で働けている。」
「適度に集中もできますし
何より心が落ち着く。
ストレスも軽減されているような気がする。」
この会社ではひと月5千円で契約している。
社員からも好評だという。
(CIN GROUP 人事総務 木下麻里サブマネージャー)
「環境と従業員のモチベーション 体調管理 ストレス
総合的に見ると変わってきていると思う。」
このサービスを提供している会社。
リラックス効果や集中力向上につながるとアピールし
86のチャンネルを用意している。
(USEN 法人営業統括部 山下一成統括部長)
「初年度に比べますと3倍以上の問い合わせをいただいている。
約6000社の企業から問い合わせをいただいている状況。
新たなマーケットとしてさらにサービス内容自体も進化させていきたい。」
ストレスを解消したいという人向けの総品も登場した。
着るとリラックスできるというスーツ。
(スーツを購入した妹尾浩太さん)
「やっぱり伸びますね。
だいぶ動きやすい。
肩のこの辺から曲げたときにすごい動きやすい。」
この商品は生地メーカーと共同で開発したことで
縦と横に大きく伸び
リラックス効果があるという。
1着5万8千円。
通常のスーツに比べても良く売れているという。
(はるやま商事 商品課 宇都弘毅課長)
「今までにない気安さであるとか
着心地であると声をたくさんいただいている。
手ごたえは感じている。
できればストレスを全部解消したいくらいの意気込み。」
埼玉県久喜市のイタリア料理店では
まき割りを20分やればそのまきでピザを焼いてくれる。
しかも値段が半額になるサービスを行っている。
(イタリア式食堂 ブラン 青木秀夫オーナー)
「お客様が笑顔になっていますので癒しにはなっていると思う。」
(客)
「ここに食べに来ることだけが楽しみ。
気持ちいいですね。
明日からも頑張れそう。」
1月23日 おはよう日本
ミャンマーでは仏教施設の多くが金色をしていることから「ゴールデンランド」とも呼ばれ
周辺の国々からも多くの人がお参りに訪れる。
寺院や仏像を輝かせているのが金箔である。
国民の9割が仏教徒のミャンマー。
町のいたる所に金色に輝く寺や仏像がある。
使われているのはミャンマーで作られた金箔である。
金は昔から高貴なものとして敬われ
仏への最高のささげものとされてきた。
金箔は境内で10枚400円ほどで売られていて
お参りに来た人たちは金箔を仏像に張って祈りをささげる。
こうすることで寺へ寄進をし
功徳を積むという習慣がある。
「父と母がずっと健康で幸せに暮らせるようにお参りしました。」
「金箔をささげることで
現生でも来世でも満ち足りた人生を送れると信じています。」
金箔の多くは最大都市ヤンゴンから北へ約600キロの古都マンダレーで作られている。
ミャンマー最後の王朝コンバウン朝の王が
約150年前に職人をこの地に集めたのが始まりで
今も20ほどの工房が残っている。
金箔職人のマウン・カインさん(52)は先祖代々続く工房を受け継ぎ
40年近く金箔を作り続けている。
(マウン・カインさん)
「自分が作った金箔で輝いている寺院を見るとうれしくなります。」
金箔づくりには何人もの人がかかわる。
塊だった金を薄く伸ばす。
リボン状になるまで伸ばしたら小さく切り分け
1枚ずつくっつかないように紙に挟んで重ねていく。
マウン・カインさんはこの束をたたいて金を少しずつ少しずつ伸ばしていく。
薄さを均一にするため微妙な力加減と慎重さが求められるまさに職人技である。
ハンマーの重さは約3キロ。
完成までに6時間ほど打たなければならない。
出来上がった金箔は息を吹くと飛んでしまうほどの薄さである。
12グラムの金から5㎝四方の金箔を約1、800枚を作ることが出来る。
急速に経済発展が進むミャンマー。
そのことが伝統の金箔づくりに影響を及ぼし始めている。
ミャンマーでもっとも名高い寺院のシュエダゴンパゴダ。
これまでは仏塔に手作りの金箔が使われてきた。
しかし1年ほど前に行われた改修工事で金メッキの金属板に張り替えられた。
手間のかかる手作りの金箔は
大量生産できる工業製品が出回るようになり需要が減ってきている。
さらに金箔職人のなり手も少なくなってきている。
経済発展に伴い
建設業や工場などを中心に他にたくさんの雇用が生まれているからである。
高度のスキルを求められる上に不安定な金箔諸君を辞め
安定的に収入が得られる仕事へ転職する人が増えている。
マウン・カインさんも5年前に比べ収入は半減。
5人雇っていた職人も今では1人になってしまった。
それでも伝統の金箔づくりを絶やしたくない。
今は後継者にしようと甥に金箔づくりを教えている。
どんなに機械化が進んでも手作りの金箔にこだわりたいと言う。
(マウン・カインさん)
「私も仏教徒なので金箔を作るときはより良い物を作ろうと心を注ぎます。
機械で作るより良い物ができると思っています。
魂を込めて金箔を作っている。」
ミャンマーを照らしてきた金色の光。
経済発展の波に揉まれながらも職人たちがその光を守り続けている。
1月30日 編集手帳
吉野弘さんに『眼(め)・空・恋』と題する詩がある。
〈私は断言する
見るに値するものがあったから
眼が出来たのだと〉。
値するものとは、
たとえば美しい空であり、
恋人だという。
〈今一つ私は断言する
美しいものは
眼の愛に射られて
より美しくなってゆくと〉。
わずか3年余りの生涯である。
その子にも、
見るに値するものがこの世にあっただろうか。
まなざしの愛で射抜いてみたいほど美しい何かに出会えただろうか。
東京都大田区の新井礼人(あやと)ちゃん(3)である。
「にらんだ」と、
ただそれだけの理由で、
同居している母親の交際相手(20)から凄(すさ)ま じい暴行を受けて死んだ。
短い人生の最後に、
目はどんな風景を見たのだろう。
「飛び降りて死んでしまえ」と連れ出されたベランダか。
床に突き立てられた包丁か。
体ごと投げつけられたガラスケースか。
繰り返し顔を打つ男の手か。
脳天や肩に降ってくる格闘ワザ「かかと落とし」の足か。
これを虐待死とは呼ばせない。
虐殺である。
新聞に
、あどけない目をした遺影が載っている。
罪に見合う罰に思いをめぐらせるとき、
ある二文字が脳裏を離れない。
1月23日 経済フロントライン
東京で開かれた航空機産業の展示商談会。
全国各地から過去最高となる約600社の中小企業が集まった。
参入を目指している金属加工会社の木村芳明さんは
受注につなげようと航空機の部品メーカーに積極的に話を持ち掛けた。
(柿崎機械 新事業推進室長 木村芳明さん)
「航空機の部品は自動車に比べると格段に多い。
私どもはそういう意味で中小企業向きのものであると考えている。」
木村さんの会社は家庭用の水道管の部品を製造している。
住宅着工の減少で売り上げは10年前のピーク時に比べ25%落ち込んでいる。
新たな柱となる事業を見つけたい。
そこで注目したのが航空機産業だった。
木村さんの会社ンの強みは加工が難しい金属を精密に削り出す技術力である。
木村さんはこの技術を航空機部品の製造に生かせると考えた。
(柿崎機械 新事業推進室長 木村芳明さん)
「伸びのあるところで展開しないと仕事は増えない。
そういうことも考えてこの業界に焦点を当て
いろんな形で進出しようと。」
そんな木村さんを後押しする新たな試みが始まった。
去年 新潟市の支援で建設された共同工場。
木村さんの会社の他
金属処理やレーザー加工など独自の技術を持つ5社が参加している。
共同工場がメーカーから部品を受注した場合
金属の削り出しを得意とする会社がまず加工。
そのあと別の会社が表面処理を施す。
そして組み立て専門の会社が部品として完成させる。
共同工場の中で複数の工程を一貫生産することが出来るのが強みである。
工場で箱の特徴を生かして機体メーカーなどに営業活動を始めている。
「小さな実績でいいから突破口にするために一つ一つ作っていきたい。」
いま共同工場に大きなチャンスが訪れている。
航空機の部品メーカーから試作品を依頼された。
大型旅客機の胴体の一部である。
受注につながるかどうかは試作品の出来次第。
木村さんはメーカー側の期待に確実に応え
共同工場の実力をアピールしたい考えである。
(柿崎機械 新事業推進室長 木村芳明さん)
「この先は成功を願い前に進むしかない。
会社の社運がかかっている。
関わる人たちはそのつもりでやってもらう。」
1月23日 経済フロントライン
ホンダが開発した小型のジェット機。
22日 新たな機体がアメリカの顧客に引き渡された。
受注はすでに100機を超えている。
この飛行機は7人乗りのビジネスジェット。
機体とエンジンを同じ会社が作ることは民間機としては世界初である。
(ホンダ 八郷隆弘社長)
「我々の夢であった空への事業
大切に着実に育てていきたい。」
ホンダが狙っているのはジェット機そのものの販売だけではない。
アメリカ ラスベガスで開かれた航空機産業の見本市。
展示したのはエンジン。
他の機体メーカーにエンジン単体でも売り込もうとしている。
(機体メーカー担当者)
「我々の新しい機体にぴったりのエンジンだ。」
ホンダはこれまでF1などで高性能のエンジンの開発を続けてきた。
その高い技術力を航空機エンジンに応用しようというのである。
世界の航空機エンジンメーカーとの競争に勝ち抜くカギは燃費である。
埼玉県にあるエンジンの開発拠点では
去年から燃費をより良くするための改良作業を行っている。
エンジンの開発責任者 輪嶋善彦さんさん。
燃費をよくするためにエンジンに効率よく空気を取り込めるよう
最適なファンの形を追求している。
その結果 この1年で0,5%燃費を改善できた。
(ホンダ 航空機エンジンR&Dセンター担当 輪嶋善彦さん)
「こつこつと性能を上げていくことで
ライバルに対していつも一歩前に出る。」
輪嶋さんはアメリカ ノースカロライナ州の工場を訪ねた。
ファンの改良が順調に進んでいることを伝え
量産に向けた話し合いをした。
この春にも販売を始め航空機事業を軌道に乗せたいと考えている。
(ホンダ 航空機エンジンR&Dセンター担当 輪嶋善彦さん)
「航空機エンジン事業をホンダの中でもより大きい事業にしてい来た。
エンジンの改良設計はもちろん
次のエンジンの検討も始めたい。」
1月22日 おはよう日本
東京電力福島第一原発の事故を受けて
原発の運転期間は原則40年に制限され
去年 5機の原発の廃炉が決まった。
このうち佐賀県にある九州電力の玄海原発1号機について
九州電力は12月に初めて原子力規制委員会に廃炉計画を提出し
30年にも及ぶ廃炉に大きく動き出そうとしている。
こうした中地元の玄海町では原発に頼ってきた町づくりから脱却する動きが出てきている。
12月 九州電力は原子力規制委員会は佐賀県に玄海原発1号機の廃炉計画を提出し
地元玄海町の岸本町長に同意を求めた。
町の税収の4割以上にあたる35億円を原発関連の交付金や税収でまかない
佐賀県内で唯一 国からの普通交付税を受けない不交付団体の玄海町。
1号基の廃炉に伴い少なくとも4億円程度の税収の減少が見込まれている。
町の新年度予算の編成作業が大詰めを迎えるなか
岸本町長は全町をあげて政策の見直しを進めている。
道路や公園といったインフラ整備を先延ばしするなど歳出の削減に本腰を入れている。
(玄海町 岸本英雄町長)
「歳入がボンと増える要素がない。
廃炉で固定資産税は目減りしていく。
いかに歳出を抑えていくか
考えていかなければならない。」
地元の住民の中には原発に頼ってきた町づくりの方向性を変える必要があると考える人も出ている。
玄海町で民宿を営む溝上孝利さん。
定期点検で訪れる作業員などこれまで利用客の多くを原発関連に頼ってきたが
こうしたあり方を見直そうとしている。
(民宿経営 溝上孝利さん)
「この街を存続させていくには原発に代わる何かを作り出さないと。」
溝上さんは原発関連以外の利用客の取り込みを本格化させている。
この日訪れたのは福岡県や佐賀県の約30人のフラダンスの愛好家たち。
イベントへの参加を前にみんなで練習できる場所を求めてやって来た。
地元でとれたばかりの魚や野菜など新鮮な食材を使った料理を提供。
1泊2食で6,000円と料金もお手頃である。
(大学生)
「玄海町のイメージは原発があるということくらい。」
「玄海町のイメージがどんどん増えて言っている。」
こうした活動へ溝上さんがアドバイスを受けている人がいる。
福岡県を中心に地域交流のイベントを企画している福岡県田川市出身の山永暁弘さんである。
かつて石炭の町として栄えた田川市。
炭鉱の閉山とともに町から活力が失われていく様子を目の当たりにしてきた山永さん。
玄海町が国のエネルギー政策に翻弄された田川市の二の舞いになることを懸念している。
(福岡県田川市出身 山永暁弘さん)
「みずから何かをやっていこうという部分が薄れた部分があったのでは。
生きていくためには何をするのか。
産業構造をどう作るか。
いろいろなことを試しながらやていけばいい。」
原発に頼らない町づくりは地域にも徐々に広がり始めている。
20代中心の若い地元の農家の人たちが去年から取り組んでいるのは新種のサツマイモ。
地域の人たちと一緒に新たな料理法の開発にも取り組むなどしてブランド化を目指している。
(若手農家)
「玄海町の知名度としては原発のイメージが強いが
特産品などで地元を盛り上げていけば改善されるところもあるのではないか。」
山永さんの支援を受けてこうした地元の特産品を福岡市で定期的に販売している。
(民宿経営 溝上孝利さん)
「今は“原発のある町”だが“原発もある町”に変えていけたらいい。」
原発に頼りきりではいけない。
原発を取り巻く大きな環境の変化は
これまで原発の恩恵を受けて生活をしてきた人たちの意識や行動にも変革を促している。
1月22日 キャッチ!
北極圏に位置するノルウェーのスバルバル諸島にある世界種子貯蔵庫。
世界中から農作物の種 種子を預かり冷凍保存している。
去年9月 内戦が激化するシリアの農業研究機関が
始めてこの施設に預けた農作物の種子を引き出したことで注目を集めた。
世界種子貯蔵庫は
2008年 ノルウェー政府が100カ国以上の支援を受け建設した。
深刻化する気候変動や自然災害、病気のまん延などに備えて
農作物の種子の絶滅を防ぐことを目的としていて
「種子の箱舟」とも呼ばれている。
運営は
FAO国連食糧農業機関の関連団体「グローバル作物多様性トラスト」が
欧米諸国や民間財団などからの資金を受けて運営していて
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が設立した財団が支援していることでも知られている。
農作物の種子を保存する施設は世界各国にあるが
この世界種子貯蔵庫はそうした施設から種子を預かって
保存のバックアップをする役割を担っている。
現在では53か国、66の機関から87万種の種子が預けられている。
世界種子貯蔵庫は人の出入りが制限され厳重に管理されている。
スバルバル諸島の山中に地球上で最も安全だと言われる場所。
厳しい自然の中 そこへ向かう科学者たちは貴重な種子を運ぶ。
あらゆる気候変動から守るためである。
年に3回の頻度で運ぶ。
全部で6つある関門の1つ目を通過する。
山を削って作られたトンネルまで降りてきた。
ここは海抜130m。
地球温暖化で北極と南極すべての氷が溶けたとしても種子は確実に保護される。
次の関門へ移動する。
奥へ進むにつれて気温が下がる。
貯蔵庫はあらゆる自然災害に耐えられるように作られている。
(世界種子貯蔵庫 サイモン・ジェップス部長)
「種類にもよるが種子は長期間保存できる。
4000年以上保存できるものもある。
エジプトの王たちもピラミッドは残ると信じ
実際に残っているでしょう?」
貯蔵庫にたどり着くための最後の扉。
中の温度はマイナス18度。
立ち並ぶ棚は世界中から運ばれた種子でいっぱいである。
半分近くは最も重要な食物の種子で
万一に備えここに運ばれた。
種子のサンプルは依然は試験管に保存されていたが
今ではプラスチック製の小さな袋に入れられている。
80万袋あり
いかに重要なものか書かれている。
シリアの干ばつに強い植物の種子。
先日 中東に送り返されたものもある。
厳しい天候により収穫できなかったり
種子が保存されていることは重要である。
洪水も大きな脅威である。
フィリピンでは保管されていた種子が被害を受けた。
大規模生産で使われる種子は一部に限られている。
遺伝子の異なるものを保存し将来に備える。
人里離れたこの貯蔵庫は世紀の大災害にも耐え
温暖化の被害が出たときの保険となってくれる。
シリアは内戦で農業ができない状況が続いていて
将来必要な農作物の種子の確保が難しく絶滅の恐れもある。
そこで去年9月に貯蔵庫に預けていた小麦、大麦などの種子128ケース分が引き出された。
引き出された種子は今後 隣国レバノンなどの農場で栽培し種を増やしていく計画である。
日本は一昨年 岡山大学の資源植物科学研究所が
長年採取してきた大麦の種子575種を預けた。
(岡山大学 資源植物科学研究所 佐藤和弘教授)
「2011年に起きた東日本大震災によって
国内の一部の保存施設が故障し
種子などの重複保存の重要性が改めて認識されました。
かけがいのない種子を安全にバックアップする手段の1つとして
世界種子貯蔵庫への預け入れがあります。
岡山大学のオオムギ575点の種子は
日本 朝鮮半島 中国 ネパールで収集した在来品種です。
最終的は5,000点を世界種子貯蔵庫に預け入れる予定です。
実は作物の在来品種は作物の起源した途上国に多くあります。
例えばムギの起源地は中東の紛争地帯です。
しかし途上国の種子の保存施設は条件も悪く
災害に対する備えも十分ではありません。
世界種子貯蔵庫は作物の種子を無償 無条件で保存するための施設です。
預けた機関以外が保存された種子を使うことはありません。
そのためすべての国が安心して種子を預けることができます。
世界種子貯蔵庫は途上国の作物多様性の保存を重要な任務にしています。
途上国でも品種改良が進んで新しい品種が植えられると
古くから栽培されていた在来品種は数年でなくなってしまいます。
これらの種子を効率よく保存する必要がありますが
途上国は自前の資金で作物の種子を安定的に保存することはできません。
そのためスバルバルの貯蔵庫に預け入れして保存できるように
“世界作物多様性トラスト”が活動しています。」