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89歳 日系人女性 紅茶復活にかける

2016-02-22 07:30:00 | 報道/ニュース

2月6日 おはよう日本


89歳の誕生日に多くの子どもたちや孫たちに囲まれているのは
日系2世のブラジル人 シマダ・ウメさん。
ブラジル最大の都市サンパウロの南西200キロにあるレジストロ市。
ウメさんはこの地域のお茶農家で生まれ育った。
ブラジルの紅茶づくりは
1930年代に1人の日系人がこの地域にお茶の種を持ち込んだことから本格的に始まった。
最盛期の1980年代には本場イギリスにも輸出するなど発展。
ブラジル最大の生産地として“紅茶の都”と呼ばれていた。
しかし20年ほど前からブラジルの通貨が高騰。
輸出が中心だった紅茶産業は衰退していった。
紅茶農家は次々と姿を消し
ウメさんの実家の茶畑でも生産を止めた。
移民の1世たちが苦労して開墾し
若いころ夫や子どもたちと丹精込めて育て上げた思い出の茶畑。
その茶畑が荒れ果てていく現実を
ウメさんは受け入れることが出来なかった。
(紅茶農家 シマダ・ウメさん)
「お茶の山はみるみる草の山になった。
 泣きましたよ。
 お茶の株を抱いて。
 なんとかしてお茶を助けなければとといつも思っていました。」
そこで一昨年 一念発起して紅茶づくりを再開させた。
ウメさんが紅茶づくりにかかわるのは実に40年ぶりのことだった。
最初の半年は4人の従業員と畑の雑草を抜く毎日が続いた。
休みなく働くウメさんの姿に心動かされ
地元の人たちが次々と支援を申し出てきた。
お茶づくりに欠かせないお茶の葉を揉む機械は
同じ町に住む人が部品をかき集めて作ってくれた。
長い間 実家を離れて居た長女のエイコさんも戻り
ウメさんを手伝うようになった。
有機栽培にこだわったウメさんの紅茶。
ブランド名を「おばあ“茶”ん」と名付け
売り出した。
ウメさんの紅茶は地元で評判になり
サンパウロでもその名が知られるようになっている。
ウメさんの情熱はさらに多くの人を動かした。
愛知県のお茶生産者 後藤潤史さんは
去年 日本で開かれた紅茶フェスティバルでウメさんの紅茶と出会った。
おいしいと感じたウメさんの紅茶づくりを
一目見ようとブラジルを訪れた。
そこで後藤さんは紅茶にかけるウメさんの思いに応えたいと
日本のお茶づくりの技術を伝えることにした。
(お茶生産者 後藤潤史さん)
「情熱も含めお茶に対して
 どうしてもいいものを作りたい、と
 よくなるんだったらどんどん勉強したい
 という熱意はすごいと思います。」
ウメさんに伝えているのは“手もみ”と呼ばれる作業。
お茶の葉は機械で揉むと葉が傷つき
苦味などが強くなってしまう。
手で柔らかく揉みだすことで
まろやかでうま味のあるお茶に仕上がる。
ウメさんはいま厳選した葉を使い
手もみの技法で作る新しい商品の開発を目指している。
美しい茶畑が広がる故郷の姿をもう一度見たい。
ウメさんの夢は膨らむばかり。
(紅茶農家 シマダ・ウメさん)
「どっさり買ってくれる人が出てくれたらいいと思っています。
 50キロね!
 一生懸命やらないとね
 頑張らないといけないよ。
 だから頑張らないといけないから頑張っています。」



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