10月28日 編集手帳
初めてのパチンコで玉がジャラジャラ出た。
その処置が分からない。
フランス文学者の渡辺一夫氏が石鹸(せっけん)に換えてくれた。
「ありがとう。
パチンコ記念のおみやげができたね」。
三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下である。
渡辺氏の同僚で、
一緒に玉をはじいた辰野隆(ゆたか)氏が鼎談(ていだん)集『随筆寄席』で語っている。
講和条約が発効し、
日本が再び独立国の一歩を踏み出す前後、
1952年(昭和27年)春のことという。
浮き立つ気分のなかには、
歳月の感慨もおありだったろう。
天皇陛下の叔父にあたる三笠宮さまが100歳の天寿をまっとうされた。
終戦の前年には陸軍の横暴を文書で批判している。
終戦の3日前には、
昭和天皇の翻意をたくらむ陸軍大臣を厳しく叱責した。
戦時中は瀕死(ひんし)の、
戦後は美しくも壊れやすいガラス細工の、
「平和」という二文字を見守りつづけたご生涯であったろう。
辰野氏の回想にはつづきがある。
宮邸までタクシーでお送りしたところ、
門内に消えたはずの三笠宮さまが「運転手さぁん」と走って追いかけてくる。
「そっちへいったらダメだよ。
引き返して右にいくと道に出るよ」。
お人柄がしのばれる。