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2012-01-04 19:35:18 | グルメ



     


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ソビエト崩壊から20年 (1)エストニア 

2012-01-04 17:02:08 | 海外ネットワーク



  12月17日 NHK海外ネットワーク

  1917年のロシア革命後に成立したソビエト連邦。
  バルト3国の離脱をきっかけに次々と独立し、
  ついにはソビエト連邦自体が崩壊し15の独立国が誕生。
  独立した各国の間では経済規模に大きな差が開いた。

  一人当たりのGDP(2010年)$
   エストニア     1万3,939
   リトアニア     1万0,933
   ラトビア      1万0,705
   ロシア       1万0,440

   カザフスタン      8,764
   ベラルーシ       5,765
   アゼルバイジャン   5,647
   トルクメニスタン    4,180
   ウクライナ        3,007
   アルメニア        2,996
   グルジア         2,620
   モルドバ         1,631
   ウズベキスタン     1,384
   キルギス           860
   タジキスタン         820 
  


  エストニアは旧ソビエトから独立したバルト3国のひとつ。  
  今年1月、旧ソビエトの国として初めてユーロを導入した。
  経済成長率はEU圏内でトップ、財政赤字もわずかである。
  ヨーロッパの多くの国々が財政危機にあえぐ中で、
  エストニアは順調に発展を続けている。
  
  バルト海を望むエストニアの首都タリンは中世から外国との貿易で栄えてきた。
  港には今も北欧諸国やロシアを結ぶ船が次々と行きかう。
  世界遺産にも登録されている中世の面影を残すタリンの美しい町並みに
  大勢の観光客が訪れている。
  エストニアを訪れる観光客は年に500万人を超え、
  観光は主要な産業となっている。
  ヨーロッパ最古の薬局(1422年創業)があり、今も営業している。
  薬の調合法は17世紀から変わっていない。
  秘伝の薬もあり、まさに薬の博物館である。
  城壁をはじめ、商店やレストランなどかつてハンザ同盟
  (13~16世紀ごろ北海・バルト海沿岸のドイツ人承認などが結成した都市連合)
  の都市として栄えた名残が随所に見られる。  
  EU加盟後、ヨーロッパの国々にとってより身近な存在となった。

  2003年にエストニアで会社が設立されたスカイプは、
  世界で2億人の利用者がいる。
  技術者として創業当時から支えているタヌキビさん(33)
  「インターネットの成功者といえばシリコンバレー出身と思われるが
   スカイプはヨーロッパから革新的な商品を生んだ例外的な会社。
   階級がない能力主義の社会になり
   エストニアには新しい技術で新しいものを作ろうという意欲がある。
   国自体が会社にたとえればベンチャー企業のようなもの。」

  約半世紀にわたって旧ソビエトの一国だったエストニアでは、
  コンピューターや情報通信など最先端の科学技術の研究が進められ、
  莫大な資金がつぎ込まれてきた。
  ソビエト時代の研究成果は今もタリンの工科系大学に引き継がれている。
  ここからスカイプなど高いレベルのIT技術者が誕生している。
  エストニアでは起業ブームになっている。
  スマートフォン向けの料金決済ソフトを開発した会社は、
  4年前に設立され、すでに世界60カ国と取り引きがある。
  国の制度も新しいビジネスを始めやすくしている。
  インターネットで時計を販売する会社は設立手続きにかかった時間は2時間。
  政府が国民ひとりひとりに割り当てた番号が組み込まれたIDカードで、
  政府の専用サイトにアクセスし入力すると、
  政府が個人情報を入手し短時間で審査してくれる。
 
  歴史的に商業都市として栄えたことや北欧との結びつきが強いことから、
  エストニアは独立後、ヨーロッパの国として再出発する道を選んだ。
  2004年EU加盟国となった。
  さらに通貨ユーロも導入した。
  エストニア アンシプ首相
  「エストニアの20年間の発展は奇跡といえるのではないか。
   経済的にスウェーデンやフィンランドと同じ土壌に立っている。
   EU加盟国でいることが何より重要だ。」

  タリン市内の高校では母国語のエストニア語以外は選択制だが
  ほぼ全ての生徒が英語を学んでいる。
  ソビエト時代に必修だったロシア語を選択する生徒は少ない。
  第32学校教師 
  「35歳以下の人たちはロシア語が出来ません。
   20年前、欧米へ世界が開かれ英語を学ばなければ成らないと思ったのです。」

  人々のロシア離れを象徴するのが銅像の取り扱いである。
  旧ソビエト軍兵士をたたえる銅像はかつて市の中心部にあったが、
  4年前、郊外に移された。
  
  タリン市内のホテル最上階のKGB博物館には、
  今年1月のオープン以来、3万5千人が訪問している。
  ソビエト時代の負の遺産をこうした形で後世に伝えようとしているエストニアの人々。
  大国に翻弄されてきた小さな国だからこそ
  自らの力で新たな時代を賢明に切り開こうとしているように思える。
  
  
   
  
  













  一方超大国ソビエトの後ろ盾を失って困難な状況に直面している国もある。
  基幹産業の農業が衰退したモルドバは
  、国民の多くが家族を養うため外国に出稼ぎに行っている。
  こうした国では、国民の間からソビエト時代の安定した生活を懐かしむ声さえ出ている。







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