(食べログより)
沖縄バス 金武入口 バス停より徒歩5分
12月3日 NHKBS1「国際報道2020」
新型コロナワクチンの接種が間もなく始まろうとしている。
パンデミックの終息に向けて期待が高まるが
ワクチンを途上国も含めてどのように世界にいきわたらせることができるかが今後の焦点となってくる。
そのカギを握っているのが
COVAXファシリティである。
WHO(世界保健機関)などが起ち上げた協力体制のことで
現在日本を含む世界189の国と地域が参加している。
この枠組みの中でまず
“CEPI”と呼ばれる国際的な団体はワクチンの開発の支援を担っている。
“Gaviワクチンアライアンス”が各国と交渉して資金調達などの調整を担う。
“unisef国連児童基金”がWHOが承認したワクチンを途上国へと配布する。
世界が注目するワクチン供給の見通しは今どうなっているのか
最前線に立つキーマンたち。
(8月24日 スイス ジュネーブ WHO テドロス事務局長)
「COVAXはコロナワクチンの開発から配布までのすべてを担います。」
世界各地で急ピッチで進むワクチン開発。
COVAXの中で世界中の製薬会社・研究所と連携し開発の支援などを担う国際的な団体 CEPI。
CEOのリチャード・ハチェット氏。
これまで9つのワクチン開発などに11億ドルを投資。
モデルナやアストラゼネカなど
安全性・有効性が確認された後ただちに大量配布できる体制を整えている。
しかしハチェット氏が懸念しているのは
先進国によるワクチンの独占である。
(CEPI ハチェットCEO)
「もし各国の指導者たちが自国民のことだけを考えればパンデミックは長期化します。
死者も増え
経済的打撃も大きくなるでしょう。」
ハチェット氏が教訓としてあげたのが
2009年に流行した新型インフルエンザのケース。
この時アメリカなどの先進国がワクチンを買い占めたため
途上国などの患者に行き届かなかった。
ハチェット氏は
グローバル化した社会でパンデミックを終息させるには
ワクチンを世界規模で公平に供給し
優先順位が高い人々に接種するべきだという。
(CEPI ハチェットCEO)
「自国民のワクチンを確保しても
パンデミックに苦しむ世界の一部であり続けることには変わりありません。
限りあるワクチンを管理して
医療従事者や症状が悪化する可能性の高い地域の人々へ割り当てる。
これがパンデミックを早く脱する方法です。」
世界が自国優先に陥らないために課題となるのが
十分な量のワクチンの確保である。
各国と交渉し
資金の調達など全体調整にあたっている Gavi(ワクチンアライアンス)。
Gaviによると
現段階で確保できるめどは7億回分で
来年末までに目標としている20億回分の半分に満たないという。
そこで期待を寄せているのがアメリカと中国の資金力とリーダーシップである。
すでに中国はCOVAXへの参加を表明。
(北京 10月9日 華春瑩報道官)
「中国はGaviと協定を結び
正式にCOVAXに参加しました。」
残るアメリカも
バイデン氏がCOVAXに積極的に関わり資金面などで大きな役割を担ってほしいと
バークレー氏は期待している。
(Gavi バークレー事務局長)
「我々はアメリカの現在の政権とも連絡を取っているし
次期政権の専門家とも連絡を取り合っています。
来年に向けてさらに50億ドルを調達し
途上国向けに10億回分のワクチンを購入したい。
この目標に向けアメリカが資金提供してくれることを期待しています。」
ワクチンがWHOに承認されれば
ユニセフが途上国へ配布し接種を支援する。
年内に5億2,000万個分の注射器を確保し
途上国へ向けて配布の準備を進めるユニセフ。
ベンジャミン・シュライバー博士は
南半球が秋を迎える来年3月までに大量のワクチン配布を始められるよう準備を急いでいる。
(unisef シュライバー博士)
「私たちはフルスピードで通常18か月かかることを半年でやっています。」
最大の課題がワクチンを冷蔵したままどう運び届けるかである。
COVAXが支援するアストラゼネカのワクチンは2~8℃で少なくとも6か月間
モデルナのワクチンも30日間保存ができるとされている。
そこで活用が期待されているのが
ユニセフが途上国で整備してきた太陽光などで動く冷蔵庫。
肺炎などのワクチンを配布するため
この5年で4万台が設置されてきた。
ユニセフがいま各国で
ワクチンを大量輸送できる拠点と
冷蔵庫を設置した集落までをバイクや徒歩などで結ぶ低温輸送体制の整備を急いでいる。
(unisef シュライバー博士)
「設置した冷蔵庫はCOVAXのワクチンも受け入れることができます。
本当に重要なことです。
しかし課題もあります。
冷蔵庫は低温輸送体制の外
遠隔地域や村落地域に置かれているからです。
各国がワクチンを受け取り
輸送できる適切な方法を確実に持てるようにしなければなりません。」
12月3日 NHKBS1「国際報道2020」
アメリカのロックバンド BON JOVIのボーカル
ジョン・ボン・ジョヴィさん。
デビューから間もなく40年。
今年 激動のアメリカ社会に様々なメッセージを投げかける作品を出した。
2020年10月に出したアルバム「2020」である。
大統領選挙の年にアメリカを二分した黒人人種差別の問題。
それをジョンさんは葛藤を抱えながらも歌い上げた。
2020年
アメリカはまたもや人種差別の問題に揺れた。
それに正面から切り込んだ曲をジョン・ボン・ジョヴィさんはアルバム「2020」に加えた。
タイトルは「American Reckoning “アメリカの報い”」。
(American Reckoning ユニバーサル・ミュージック)
♪ アメリカが燃えている
路上では抗議活動
国の良心は略奪され
その塊は包囲された
またひとり母親が泣く
歴史の繰り返しで
“息ができない”
(ジョン・ボン・ジョヴィさん)
「ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが警察官に殺されたことで
この曲を書かずにはいられませんでした。
そしてアルバムは時事的になると理解しました。
政治的なアルバムではありませんが
時代の証人として作ったのです。」
♪ なんて長い8分間だったんだ
顔を地面に押し付けられ
腕には手錠
通行人たちは慈悲を乞い
警察官は群衆の子どもを押しのけた
いつから裁判官と陪審員は警察官のひざに取って代わられたのか
この事件で“アメリカは報いを受けるべきだ”と憤ったジョンさん。
一方で警察に対する日頃の感謝の念からためらいも生じたという。
(ジョンさん)
「私は常に警察に最大の敬意を払っています。
警察・消防・救急隊の人たちに感謝しています。
ニューヨークで暮らすと自分がどれほど弱いのか自覚するものです。
同時多発テロ時はもちろん
普段も家事や事故・銃撃などで常にサイレンが響きわたっています。
彼らに守られていることに感謝しているのです。」
それでもジョンさんはこの曲を作ると決断。
“果たして自分にジョージ・フロイドさんの気持ちが理解できるのか“と自問自答しながら。
(Amerian Reckning ユニバーサル・ミュージック)
♪ 決して彼の追体験はできない
あんな悲劇は話さずに済む
自分の身には起こらないだろうから
(ジョンさん)
「この20年間で
白人と有色人種の格差
白人の特権の存在に気づかされました。
私はそうした特権の広告塔になりえるのです。
年配の白人で裕福な男性でそしてセレブです。
私が警察官に止められて車に押し付けられる可能性はまずないでしょう。
そうした格差を我々がもっと意識すれば
肌の色の違いを乗り越えられるでしょう。」
しかし人種差別への抗議に対する賛否は大統領選挙の大きな争点になっていった。
(ワシントン 6月 トランプ大統領)
「この国はプロの無政府主義者や暴力的な群衆
放火犯・略奪者・犯罪者・暴徒・アンティファなどの極左勢力に脅かされている。」
(民主党 バイデン氏)
「結束して癒しと正義を実現し
暴力をやめ
構造的な人種差別を終わらせよう。」
アメリカの分断はさらに深まった。
Q.大統領選挙の年に「ブラック・ライブズ・マター」をめぐる曲を発表することに
ためらいはありませんでしたか?
(ジョンさん)
「ためらいはあってはならないと思います。
アーティストとして妥協するようなら人間としての自分も曲げることになるからです。
この時代に自分としての真実を語らなければ自らの価値観を見失います。
私の真実ではなくなります。
自分の目で見て生きて読んだことを
歴史の証人として
記者のように曲を書きました。
そのために誰かがアルバムを聴かないというのなら仕方ありません。
実を言えばこの曲をかけるのを拒絶したラジオ局もありました。」
Q.アメリカはなぜこれほど分断したのでしょうか?
何が現在の状況をつくったのでしょう?
(ジョンさん)
「この状況は以前からくすぶっていたのです。
そして4年前にトランプ氏が大統領に選ばれたことで一種の“目覚め”が到来しました。
これまで軽んじられてきたと感じていた人たちが声をあげるようになったのです。
今はソーシャル・メディアが事態を拡大させていると思います。
陰謀説を唱える人々
そうした説を真に受けてしまう人々はニュースを読みません。
SNSの見出しだけ見るのです。
あるいは読んだ話を検証しないのです。
すぐに事実だと思い
陰謀説のサイトへの書き込みに騙されてしまうのです。
それは恥ずかしいことです。
歴史の書物を読み
複数の新聞に目を通すべきです。」
Q. アメリカはバイデン氏のもと少しずつ団結できると楽観的ですか?
(ジョンさん)
「バイデン陣営が言う前から私も述べてきましたが
今は傷を癒すべき時です。
政治的に自分とは違う立場の人であっても同じアメリカ国民なのです。
“勝ったのはこっちだ!”と相手を非難すべきではありません。
手を差し伸べ“傷を癒そう”と語りかけるべきです。」
Q.傷を癒すうえで音楽はどのような役割を果たせるでしょうか?
(ジョンさん)
「音楽はバランスを保つのに優れた手段です。
言語・政治信条・文化や世代的な違いがあっても
音楽は人々をひとつにするのです。
光のように広がり
輝きます。
ポップカルチャーは人々をまとめる可能性を持っています。」
♪ 生きろ 生き続けろ
光を灯して 生き続けろ
声を上げて 私を思い出してくれ
アメリカの報い
アメリカが受けるべき報いの中で
12月2日 NHKBS1「国際報道2020」
アメリカのロックバンド BON JOBIのヴォーカル ジョン・ボン・ジョヴィさん。
ジョンさんは間もなくデビューから40年。
ロックのスーパースターにとっても今年は苦しい年だった。
新型コロナウィルスの感染拡大
そしてアメリカ社会を揺るがした黒人差別や社会の分断。
この激動の年にジョンさんは新しいアルバムを発表した。
その名も「2020」。
いったんは完成したものの新型コロナ禍を受けて発表を延期し
ジョンさんは2曲を加えた。
ジョン・ボン・ジョヴィさんが拠点としているニューヨーク。
アメリカの中でも特に新型コロナが猛威を振るった都市の1つである。
バンドのメンバーやジョンさんの家族も感染。
予定していたツアーは中止に追い込まれた。
Q. 息子さんが感染されたと聞きましたが今は大丈夫ですか?
(ジョン・ボン・ジョヴィさん)
「ええ 今は皆元気です。
ビジネスにとっては厳しい環境が続いていますがなんとかやっています。」
2020年10月に発表された新しいアルバム。
コロナ禍と正面から向き合ったのがこの曲である。
(Do Wyat You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ 普段することができないときは
今できることをしよう
これは私の祈りでなく
思いついたことなんだけど
Do What You Can
新型コロナのせいで普段の仕事や行動ができないなら
“代わりにできることをやろう“。
ジョンさんはそう呼びかけた。
この曲が生まれたきっかけ。
それは妻のドロシアさんが撮った写真だった。
洗いものをするジョンさん。
彼にとってはこれが“今できること”だった。
この写真にドロシアさんが添えたメッセージが曲名となったのである。
実はジョンさんは15年前から「 JSBソウル・キッチン」と名付けたレストランを運営している。
目的は低所得の人たちへの支援。
メニューには値段が書かれていない。
寄付をできる客は寄付をする。
そうした余裕がない低所得の人でも同じ料理を無料で食べることができる。
(ジョンさん)
「もし来ることができたら20ドル寄付をしてほしいのです。
その20ドルがあなたと隣の誰かの食事費用を賄います。
一方 寄付ができない人はボランティアでレストランを手伝えます。
しかしコロナのせいでボランティアがいなくなりました。
そこで毎日私が皿洗いをしていたのです。
そうやってソウル・キッチンはパンデミックでも運営を続け
何千もの人々に食事を提供できました。」
こうした経験の中で生まれた Do What You Can。
“コロナ禍でも人は何かを成し遂げられる“
そういうメッセージを込めた。
(ジョンさん)
「曲を書き始めてから
ここアメリカでは実に多くの出来事が起きました。
私はこれは時事的なアルバムなのだと認識しました。
私は発表を差し止め
曲作りを続けました。
一部の曲は歌詞を書き直し
新しい曲も書き続けたのです。」
曲作りはファンとの共同作業でもあった。
コロナの感染が急拡大した3月
直面している困難を教えてほしいと呼び掛け
歌詞に反映させた。
(Do What You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ 窓越しに見て何をするべきか考えても
仕事には1年か2年は就けない
Q.ファンと一緒にこの曲を書いたということですね。
その過程はいかがでしたか?
(ジョンさん)
「いったんは曲を書き終えたのですが
我々はまだ特別な事態を経験している最中だとも感じていました。
日本の皆さんもニュージャージーの人たちも
みな同じ事態をくぐり抜けています。
そこではじめの1小節と歌詞をネット上に掲載してこう書きました。
『歌詞を書いてください ご自身のストーリーを書いてください それを私が歌います』と。
ファンとのやりとりがあり
ファンが送ってくれたストーリーは私と共通するような体験ばかりで
なんて特別な曲なのだと気づかされたのです。」
この曲でとりわけ強い印象を受けた一節。
(DOo What You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ ソーシャル・ディスタンスは保つけど
世界が必要としているのはハグだ
ワクチンが見つかるまで
愛情の代わりはない
自分と家族を愛そう
隣人と友だちを愛そう
そろそろ見知らぬ人を愛するときじゃないか?
彼らはまだ巡り会う前の友人たちなんだ
Q.“愛情の代わりはない”という歌詞でどのようなメッセージを伝えたかったのですか?
(ジョンさん)
「私たちは皆限界まで追いやられました。
このウィルスの前では私たちは平等なのです。
日本人であろうとアメリカ人であろうと
共和党員でも民主党員でも関係ないのです。
コロナは相手を選びません。
そのような状態に追いやられ
人々は家族・健康・友人などが最も大切だと気づかされました。
それらに代わるものはないのだと認識すべきです。
仕事・レコード制作・旅行に忙しく駆け回って過ごすことよりも大切なのだと。
そこには人を謙虚にさせる要素があります。」
世界的なロックスターが
自分にできることとして
低所得者向けのレストランを運営する。
それはどういう意味合いを持つのか。
Q.ソウル・キッチンはあなたにとってどれほど大事なのですか?
(ジョンさん)
「気持ちの上でとても大切です。
これまでにないような喜びを与えてくれました。
いいことをするとステージで大声でシャウトするのと同じくらいいい気分になると気づきました。
その活動がひとりひとりの人生に大きな違いを生み出している。
そう考えるのが魔法のようですね。」
Q.巨大なステージでたくさんのファンに囲まれている時の喜びとはまた少し違いますか?
(ジョンさん)
「どちらも大きな喜びです。
私にとってステージに立つのはすばらしいことで
私はそれが好きだし
得意でもあります。
ただ
それは仕事であり
ありのままの自分とは違うように感じるのです。
支援活動は私が私らしくあるために取り組んでいることなのです。」
(Do What You Can ユニバーサル・ミュージック)
♪ 普段することができないときは
今できることをしよう
12月2日 NHK「おはよう日本」
タイではいま若者たちを中心とした反政府デモが連日続いている。
こうした若者たちのデモは2020年7月以降活発になっている。
デモは警察の取り締まりに対抗して連日集まる場所を変えながら行われているが
現場に並ぶのがタイでおなじみの屋台。
デモの情報をいち早くつかみ現場に駆け付ける様子が評判になっている。
デモが2時間後から始まる予定の現場。
告知されたばかりの集合場世に駆け付けると
まだデモは始まっていないが
屋台が軒を連ねている。
(屋台店主)
「私が一番乗りです。
材料を仕入れる前にフェイスブックでデモの情報をチェックしています。」
“タイはこれでいいのでしょうか?”
“民主主義を返せ!”
警察とデモ隊が対峙するなか屋台には長い行列が。
(デモ参加者)
「デモは長時間続くので
この場を離れずにすむのは便利です。」
背景にあるのは新型コロナウィルスによる屋台への影響。
(屋台店主)
「最悪です。
デモで商売して収入を得るしかありません。」
「皆外出しません。
だからここに来るしかないのです。」
中には収入が以前の3分の1にまで落ち込んだ屋台もあり
客を求めてデモの現場に集まってくるのである。
8月からクレープの屋台を始めたチャイピチットさん。
以前は宝くじを売っていたが感染拡大の影響で休業。
妻と2人の子どもを養うためデモ隊相手の商売に踏み切ることにした。
(チャイピチットさん)
「ほかに手段がありませんでした。
でも生活していくために道を見つけなければなりませんでした。」
大規模デモが予定されていたこの日
チャイピチットさんは開始2時間前に到着し客が来そうな場所を確保した。
(チャイピチットさん)
「ここなら4~5時間ですぐ売り切れるでしょう。
到着が遅れたら難しかったですね。」
ところがデモ隊が急に動き始めた。
ついていくべきか
とどまるべきか。
屋台仲間に連絡して情報を集める。
結局 首相府を目指したデモの本体ではなく残った参加者たちに売り込む作戦が的中し
クレープは約5時間でほぼ完売。
売り上げは日本円で約1万4,000円と
デモがない時の3倍にのぼった。
きょうも屋台を引くチャイピチットさん。
平和を願いつつも
家族の暮らしのため現場にいち早く駆け付ける。
(チャイピチットさん)
「デモの情報を聞きつければ
私はまたそこで屋台を出します。」
12月1日 NHKBS1「国際報道2020」
次世代のエネルギーとして注目される水素。
日本やEUなどが2050年までに“温室効果ガスの排出実質ゼロ”を目指し始めたなか
水素を使って温室効果ガスを減らそうという動きが本格化している。
その1つが水素を使った自動車である。
フランスの自動車の耐久レース
ル・マン24時間レース。
この過酷なレースに水素を使ったレーシングカーが挑もうとしている。
水素を燃料に走る水素レーシングカーのイメージ映像。
車から排出されるのはきれいな水。
“紅茶も飲めるほど不純物が少ない“とアピールしている。
2年前から開発が進められている最新型の水素レーシングカー。
試乗すると
「なんかちょっと狭いですね。」
「動き出しました。
ほとんど音がないですね。
エンジン音は感じません。」
「すごい・・・加速を感じます。」
「おお・・・いまカーブを曲がってるんですけどもすごい重力を感じます。」
最高速度はじ時速300km。
3秒余りで時速100kmに達するという。
「すごかったです。
スピードがすごくてもう夢中でした。」
この車の心臓部の仕掛けは
「水素タンクは全部で3つ積まれています。」
車内に注入さえた水素。
燃料電池の中で酸素と化学反応を起こし電気が発生する。
そしてこの電機がモーターを回転させる。
地球温暖化の原因となる二酸化炭素などは出さず
脱炭素社会の実現に向けて注目されている。
車の開発を進めているのは「ル・マン24時間レース」を主催する団体である。
2024年に水素を燃料にした自動車のレースを新たに開催することを目指している。
今回のプロジェクトにはエネルギー大手の「トタル」やタイヤメーカーの「ミシュラン」なども参加。
レースを通じて車の性能を高めていく計画である。
(プロジェクトの開発担当者 ニクロさん)
「水素や燃料電池は伸びしろがある技術。
開発を進めるにはレースをするのがベストだ。」
いま課題の1つとしてあげられているのが水素の補給である。
1回最大で4分ほどかかる補給作業。
1分1秒を争うレースでは
時間をいかに短くするかが重要である。
燃料となる水素は圧縮した形でタンクに入れられる。
しかし急激に入れるとタンク内の温度が高くなってしまう。
安全性を高めながらどう補給時間を短くできるのか
さまざまな角度から研究が続けられている。
(水素スタンド 開発担当者)
「目標は
2024年には
ル・マン24時間レースを走る車に2分以内で必要な水素を補給できるようにすることだ。」
(プロジェクトの開発担当者 ニクロさん)
「二酸化炭素の排出がゼロで信頼でき経済的な車を誕生させることが我々の挑戦だ。」
フランス西部にあるルマン市。
博物館には100年近く続く24時間レースの歴史が記録されている。
館長のブリゴさん。
“24時間走る続ける過酷なレースは自動車の技術革新に一役買ってきた”という。
(ル・マン24時間レース博物館 ブリゴ館長)
「このエンジンにはパワーを増やす2つのターボが右と左にある。」
車を加速させるターボ技術もその1つ。
ル・マンのレースで注目され
その後世界各国のチームで使われるようになった。
(ル・マン24時間レース博物館 ブリゴ館長)
「ル・マン24時間のような厳しいレースでは
自らの技術を試し
より信頼できる効率的な技術が生まれる。
ル・マンで証明された技術は一般の車にも応用されていく。」
長年24時間レースを支えてきたルマンの町。
ここでも水素を使った自動車の実用化が進んでいる。
市内を走る路線バスも誕生した。
1回の補給で250kmほど走ることができ
通常の路線バスとほとんど変わらないという。
ルマン市の近郊では海水から水素を作る工場の建設も始まった。
水素はほとんどが化石燃料で作られているが
この工場では風力を使って発電し
二酸化炭素を出さない計画である。
(水素製造会社 ゲネCEO)
「化石燃料を治療して水素を製造すれば
ガソリンと何も変わらない。
だからこそ二酸化炭素を排出せず製造される水素が必要だ。」
水素レーシングカーの開発をきっかけに広がる取り組み。
脱炭素社会の実現に向けて動き始めている。
12月1日 NHK「おはよう日本」
若松さん(27)は
1年半前
実家のみかん農家を継ぐために東京から愛媛県宇和島市に戻ってきた。
若松さんの実家は100年以上続くみかん農家。
高齢の祖父母にとって待ち望んでいた後継者だった。
「みかんパラダイスを撮って。」
農作業の合間には写真や動画を撮影。
SNSを使って発信する。
(若松さんの祖父)
「もう喜びに堪えないような思いです。
遊び自体が悪いとは思いませんが遊び過ぎたらそりゃもう大変な事で
そこはちゃんと気をつけて。」
宇和島に戻るきっかけは
東京でスケートボードに熱中していた頃
実家のみかんで作ったジュースを友人たちにふるまったときに聞いた一言だった。
(若松さん)
「飲んだみかんジュースが
『あれ全然違う こんな感じなんすか みかんジュースって』という感想。
その文化は愛媛で絶やしたくないし
確実に絶やさない方がいいと思うし
みかん作らないとっていう感情になった。」
去年1年間
若松さんは柑橘専門の研究機関 みかん研究所に通い続け
みかんの作り方を一から学んだ。
栽培技術や品種の開発方法など指導を受け
毎日が勉強だったという。
「これが成り枝?」
「来年の成り枝。」
息抜きは自作の“ランプ”でスケートボード。
若松さんは愛媛のみかんを若者たちに発信するため
自らブランドを起ち上げた。
Tシャツなどのアパレルやミカンジュースなどをオンラインやイベントで販売している。
(若松さん)
「反応はいろいろあるんですけど
とにかくおいしいって言ってくれたら一番うれしくて。
売りに出た後に戻ってきて
みかん山に上がってきた時にしみじみ思うときもありますね。
“頑張ろう”みたいな。」
農作業を終えて向かったのはみかんジュースを卸しているカフェ。
生産者の顔が見えることと消費者の声を聴くことを何よりも大切にしている。
「松山の若い子たちは若松さんを知っているので
インスタで見たことあるんですとか
けっこう聞かれることもある。」
「若松さんはちゃんと作ってるんだろうなって信頼して飲んでます。」
「ほんとにおいしかったんで
それはもうはっきり覚えてます。」
(若松さん)
「昔からのやり方じゃない部分のやり方でも
やって行けたら良いなと思いますね。
人間の生きる糧になるものを作っていることは
かっこいいことなんじゃないかなって思いますね。」
誰からもかっこいいと呼ばれる農家になりたい。
愛媛が誇るみかんの文化を若い世代へつないでいく。
11月30日 NHK「おはよう日本」
キレがあって後味がすっきりした日本酒。
その作り手が11月から
業界初となる女性向けのメークブランドを起ち上げた。
兵庫県西宮市の酒造メーカー 日本盛。
明治時代1889年創業の老舗である。
しかし日本酒の長期低迷に加えて新型コロナの感染拡大で
飲食店の需要が減少していることに頭を悩ませていた。
そこで第2の柱として化粧品事業に力を入れているのである。
口紅やファンデーションなど22種類をそろえた。
いずれにも日本酒や米ぬかの成分が含まれている。
日本酒をつくるときに出る米ぬかは
平安時代から体をあらうのに使われてきた。
江戸時代の浮世絵には
女性がぬかの入った袋で体をあらう様子が描かれている。
“日本酒に含まれるエチルグルコシドという成分は保湿作用がある“
との研究結果が報告されている。
このメーカーでは肌の悩みを抱える50代以上の女性にターゲットを絞った。
酒蔵ゆえに原材料が調達しやすいこともコスト面の強みである。
(日本盛 通販事業部)
「私どもは日本酒が主力事業ですが
スキンケア事業も頑張って伸ばして
できるだけ認知してもらい
たくさんの人に使ってもらいたい。」
大型雑貨店の化粧品の中にも
日本酒の会社が作った製品が並んでいる。
日本酒成分入りの男性向け化粧品。
別のメーカー
菊正宗酒造が2020年9月から販売を始めている。
若い男性が興味深そうにサンプルを肌につけていた。
(梅田ロフト 健康雑貨売り場)
「メンズコスメ全体の売れ行きは年々伸びつつある状況にあり
日本酒の保湿成分が入った商品
それが男性用にに出たということで
手軽にスキンケアを済ませたい方が購入している印象を持っています。」
このメーカーは男性的なブランドイメージを生かして
伸びしろがある男性化粧品市場に参入したのである。
この日は酒造メーカーの担当者が日用品の専門商社を訪れ
販路拡大に向けて商談にのぞんだ。
(菊正宗の担当者)
「ぜひお得意先さまの方に商品をご紹介いただいて。」
(商社の社員)
「飲むのも好きなんですけれども
飲むのが正直好きなんですけど
肌につけてもいいんだな。」
「さっぱりしているんですけれども
しっかり肌になじむというか
浸透していくのを感じられる商品だった。」
(菊正宗酒造 化粧品事業部)
「日本酒成分が入っているのはもちろん
副産物の酒かすから抽出されたエキスだとか配合して
保湿の特化したような化粧品になります。
男性の悩みを解決できるような商品の展開ができたらと思います。」
美味しいだけだなく
きれいになる日本酒が
新型コロナによって厳しい経営環境に置かれる酒造メーカーの生き残り策となるのか
模索が続く。
11月29日 NHK「これでわかった!世界のいま」
子どもや女性に囲まれ笑顔を見せる中村哲さん。
絵本のタイトルは「カカ・ムラド」。
中村さんが現地で呼ばれていた名前である。
アフガニスタンでの医療支援や砂漠の緑化の取り組みなどが描かれている。
絵本を手掛けたNGOの代表 ザビ・マハディさん(32)。
世界各地の絵本を翻訳して学校や図書館に配布する活動をしている。
(NGO代表 マハディさん)
「中村さんが命がけで取り組んできたことを
次の世代を担う子どもたちに伝えたい。
そのために絵本を作ろうと考えた。」
マハディさんが中村さんと出会ったのは4年前。
日本に留学中だったマハディさんは
農業などのインフラ整備について中村さんの講演を聞き感銘を受けたという。
2000年に起きた大干ばつの影響で
当時のアフガニスタンは食料の生産が困難を極めていた。
そうした中で住人の暮らしを支えようと活動を続けていた中村さん。
厳しい環境でも前向きに生きる姿にマハディさんは希望を見出したという。
(NGO代表 マハディさん)
「中村さんは日本人でありながら宗教や宗派に関係なく
アフガニスタンのために一心に活動してくれた。
その姿は私だけでなく
当時 中村さんの講演を聞いたすべてのアフガニスタン人に感銘を与えた。」
しかし2019年12月
中村さんは帰らぬ人となった。
(NGO代表 マハディさん)
「亡くなったと聞いて
深い悲しみに襲われた。」
中村さんの功績を次の世代に伝えたい。
マハディさんは中村さんから聞いた話を思い出しながら
半年ほどで絵本を完成させた。
絵本には原因不明の病気や貧困に苦しむ住民たちに寄り添う中村さんの姿が描かれている。
病気の流行を食い止めるためにはきれいな水が必要だと考え
用水路を引くために
自ら重機を操った。
用水路は6年の年月を経て完成。
砂漠化した土地は
緑豊かな大地へと変わり
住民たちに笑顔が戻った。
最後のページ。
中村さんにちなんで「ムラド」と名付けられた子どもに託された思いが語られている。
きっといつかムラドが
カカ・ムラドが見た夢の続きをかなえてくれるはずさ
マハディさんはこの絵本を1,200部余出版。
小学校などに無料で配布している。
(生徒)
「中村さんがしてくれたことは一生忘れません。」
「ぼくも中村さんのような人になりたい。」
(NGO代表 マハディさん)
「私の望みは
子どもたちに
中村さんの生き方を手本に生活してもらうこと。
そして
この国のすべての乾いた大地を潤すため
中村さんがやり残したことをみんなで実現することです。」
11月27日 NHK「おはよう日本」
都市対抗野球大会が11月22日に開幕した。
全国から32チームが出場する社会人野球最高峰の大会である。
今回 飲食店を母体とする企業が出場した。
東海地区代表のジェイプロジェクト。
名古屋を中心に約150の飲食店を運営している会社である。
キャプテンの片岡選手(24)は居酒屋のホール係
外野手の吉富選手(25)はキッチン担当など
45人の部員は全員が居酒屋の従業員である。
午前中は練習
午後から深夜まで働く生活をしている。
チーム最年長今井選手(34)。
看板店で店長を任されている。
今井さんが働くのは名古屋駅前の店舗。
新型コロナによる影響を大きく受けている。
10月の売り上げは去年に比べ6割ほど。
さらにこの日の感染者は愛知県で129人。
全国では1,200人を超えた。
「過去2番目ですか。」
今井さんたちの居酒屋を運営する会社は上半期約13億円の赤字を計上した。
(選手 兼 店長 今井さん)
「店が大変ななかで野球をしていていいのかという葛藤が自分の中であって。」
苦しい経営状況のなか
年間数千万円かかる野球部は必要なのか。
会社代表の新田さんは
野球部がかつて東日本大震災後の不況を跳ね返す原動力になったという。
2012年
都市対抗野球に初出場。
野球部の活躍を見て自分の職場に誇りを持った社員たち。
お客さんを呼び込むためのアイデアを次々に生み出した結果
会社全体で過去最高の利益につなげた。
今回 新田さんは
野球部が再び起爆剤にくれるなら
お金をかけることには大きな意義があると考えた。
(ジェイグループホールディングス 新田さん)
「野球部は常々“心の社旗”だと言ってきました。
彼らがエンジンとなって業績をコロナ前の水準まで持ってきてくれるのではないか。
大きな期待を寄せています。」
会社の期待を背負って臨んだ都市対抗野球の東海予選。
(実況)
「ジェイプロジェクトさよならです!」
すべての試合で逆転勝ち。
逆境をはねのけ続ける強さを野球部が体現した。
(選手 兼 店長 今井さん)
「精一杯やっていることで会社が元気になったり盛り上がれば
居酒屋代表じゃないですけど
そういった姿を見せられたら。」
2度目の全国大会。
同じ飲食業界の仲間からもエールが寄せられた。
(ジェイグループホールディングス 新田さん)
「みんなが居酒屋の誇りって
居酒屋根性を見せてやれって
応援していただいているんだなと強く実感できました。」
24日 本大会の初戦を迎えた。
スタンドでは社員だけでなく業界大手のライバル企業からも加わった400人が応援。
声を出すことができないなか
飲食業界の思いを背負って戦う選手たちを見守る。
2点リードされた3回
チャンスで打席に向かうのは看板店で店長を務める今井選手である。
意地のタイムリーヒット。
チームを鼓舞する。
その後も必死のプレーを続ける選手たち。
“会社をそして飲食業界を代表して戦う“
そう胸に秘めて臨んだ戦いが終わった。
(選手 兼 店長 今井さん)
「感謝の気持ちをグラウンドで表現したかった。
全力でやっている姿は見せられたかなと思う。」
(ジェイグループホールディングス 新田代表取締役)
「彼らが最後まで一生懸命戦っている姿
この厳しい状況のなかでも
あきらめずに最後まで頑張りたいという気持ちにみんななったと思います。」
11月27日 NHK「おはよう日本」
マツタケの国内の生産量は
戦前のころをピークに大幅に減少。
天候の影響も大きく
簡単には手が出せない値段がつけられている。
こうしたなか全国有数の生産量を誇る長野県では
マツタケを人工栽培し
産地の未来をつなぐ研究に挑んでいる。
秋の味覚と言えばマツタケ。
生産量が少なく
“キノコの王様”とも呼ばれる。
さらに今年 国際的な自然保護団体が絶滅危惧種に指定。
その希少性があらためて注目されている。
その貴重なマツタケを人工栽培できないか。
(県林業総合センター 特産部長)
「マツタケの人工栽培を目指して苗木を成育させている部屋。」
ずらりと並んだカプセルの中に入っているのはアカマツの苗木。
その根元に広がる白いものがマツタケのもととなるマツタケ菌のかたまりである。
この状態を作り出せたことで人工栽培の研究は大きく前進した。
マツタケ菌はそれだけではマツタケにならない。
菌がアカマツの根に定着して養分をやり取りすることで菌のかたまりが作られる。
このかたまりからマツタケが生まれるため
人工栽培は菌をどのように定着させるかが課題だった。
研究者の1人 古川さんは
信州大学などと共同で
土などをほぼ無菌の状態にすることでマツタケ菌が根に定着するのに最適な環境を作り出したのである。
(県林業総合センター 古川特産部長)
「マツタケの場合は
アカマツとマツタケの菌を人為的にくっつけて発達させるという意味では
非常に大きな技術の前進だと思う。
日本全体でみるとマツタケの生産量は落ちていて
長野県も今後どうなるか分からない。
人工栽培の技術が活用できればと。」
全国有数のマツタケ産地である長野県。
ただ今年は状況が違う。
夏場の長雨とその後の高温でマツタケの生育に大きな影響が出ているのである。
(買い物客)
「マツタケは少ない。
1時間もかけて朝早くから来たのだから買いたかった。」
「一昨年の半分だと言ってた。
やはり秋の名物なので買いたかった。」
(店の担当者)
「一時は山のきのこさえ出なかった。
毒きのこも食べられる雑きのこも採れた年に比べれば半分以下。」
影響はこんなところにも。
マツタケが特産の辰野町。
ふるさと納税の返礼品として人気だが
今年は数が足りず一部の人に発送できていない。
(辰野町ふるさと納税の担当者)
「マツタケがあとどれだけ採れるか
正直分からない。
あとは神頼みで待つだけ。」
多くの人に親しまれ
地域の経済を支えてきたマツタケ。
古川さんは
長野県に欠かせないものだからこそ守っていきたいという気持ちを強めている。
(県林業総合センター 古川特産部長)
「日本人にとってマツタケは食文化として継承しているので
なんとか増やしたい はやしたい。」
そしていま研究は次の段階に入っている。
マツタケ菌をアカマツの根に定着させて菌のかたまりまでは作れた。
ただこれまでの研究から
かたまりをさらに大きくしなければマツタケが生えないことが分かってきた。
そこで菌のかたまりが広がるよう苗木を広いアカマツ林に移し替えている。
古川さんは菌が広がっているかの確認を続けている。
「根の部分の一部を切り取って持ち帰り調べる。」
こうしたなかで問題が。
移し替えたあとに根からマツタケ菌が検出されないものが出てきたのである。
カプセルの中の無菌状態と異なり
自然界では他の菌と競合してしまうことが原因ではないかと古川さんは見ている。
そこでアカマツ林に移し替える前にもうひと手間加えた。
他の菌に触れにくい環境を作って
あらかじめマツタケ菌のかたまりを一定程度成長させることにしたのである。
まだ誰も成功していないマツタケの人工栽培。
古川さんは手探りながらも一歩ずつ進んでいる。
(県林業総合センター 古川特産部長)
「人間が気づいていない何らかの要因があると思うので
それを1つ1つつぶしていけば
人工栽培できる可能性近い。
確実に出るだろうと思ってやっている。」
11月26日 NHKBS1「国際報道2020」
北朝鮮に近い 韓国ヨンピョン島。
2010年11月
北朝鮮軍の砲撃を受け
民間人を含む4人が死亡した。
ソウル近郊のインチョンから船で約2時間半。
ヨンピョン島。
島の高台にある展望台からは北朝鮮側の島が見える。
その向こうの陸地までも10キロほどしか離れていない。
島では韓国軍が訓練を行ない警戒に余念がない。
2010年11月23日
北朝鮮の砲撃が島の静けさを切り裂いた。
80発もの砲弾が着弾。
住宅にも被害が出て民間人2人と兵士2人が犠牲になったのである。
当時アメリカはオバマ政権。
“北朝鮮が非核化に動かなければ直接交渉はしない”
「戦略的忍耐」というというアプローチで圧力をかけていた。
それに北朝鮮が反発を強めるなかで起きたヨンピョン島への砲撃で南北の緊張は一気に高まった。
島にはいまも破壊された建物や砲弾が当時の姿のまま保存されている。
「ここ一帯が全ても得てしまいました。
今は建て直されましたが。」
民宿を営むソンさん。
10年前の砲撃の様子をいまも鮮明に覚えているという。
(ソンさん)
「まさに戦場でした。
一方的に攻撃されました。
住民は不意打ちされたのでどうすることもできませんでした。」
島では事件を受けて北朝鮮に対する備えが強化された。
新たに8か所の避難施設を建設。
頑丈なシェルターでは約460人が1週間ほど過ごすことができる。
ソンさんは被害を受けた民宿を修復し営業を続けている。
静かな島は砲撃以降大きく変わった。
(ソンさん)
「いろんな施設を作るために行き来する人も増えました。
好奇心で“ヨンピョン島にいってみたい”と来る人もいます。」
南北をめぐる緊張がいかに自分たちの生活に直結しているか
砲撃事件で思い知らされた。
(ソンさん)
「以前は南北関係にあまり関心を持ちませんでしたが
事件後は南北関係のニュースを関心を持ってみるようになりました。」
しかしこの10年
南北や米朝の関係は一進一退を繰り返すばかりで大きな進展は見られなかった。
2017年 就任当初は北朝鮮に強硬姿勢だったトランプ大統領。
(アメリカ トランプ大統領)
「ロケットマンは自滅の道を歩んでいる。」
翌年には一転して史上初の米朝首脳会談を行ない
キム・ジョンウン委員長との蜜月ぶりをアピール。
朝鮮半島は融和ムードに包まれた。
ヨンピョン島でも北朝鮮軍から狙われるのを警戒して消されていた灯台に45年ぶりに灯が灯されるなど
雰囲気が和らいだという。
(島民)
「トランプ大統領は文大統領とキム委員長と会い対話をしたので期待が持てた。」
しかし融和ムードは長続きしなかった。
米朝首脳会談は3度行われたものの
アメリカは“北朝鮮の非核化への動きが足りないとして制裁の解除に応じず
朝鮮半島は再びこう着状態に陥っている。
2020年9月には
(KBS 韓国 9月24日放送)
「ヨンピョン島会場で行方不明になった我が国民が北朝鮮の銃撃で亡くなりました。」
ヨンピョン島のすぐ近くで韓国の船の乗組員が北朝鮮軍によって射殺される事件が起き
衝撃が走った。
(島民)
「今も不安だ。」
「いつまた砲撃が起きるか分からない不安はいつも持っている。」
北朝鮮との最前線で国際情勢に翻弄されてきたヨンピョン島の人たち。
アメリカの政権が変わる今後
南北関係の改善が実現することをソンさんは望んでいる。
(ソンさん)
「トランプ氏は見当がつかない人だったが
バイデン氏の方が民主主義的で安心感があります。」
しかし同時にその道のりは容易ではないとも感じている。
(ソンさん)
「最近 北朝鮮と歩み寄ったりとか往来ができたりするのかと期待もしたが
結局足踏みでした。
どうしようもなく
簡単なことではないと感じています。」
島は一見すると穏やかな様子だが
軍服姿の人が目立ち
なかにはすぐに非難できるよう荷物をまとめていっるという人もいた。
9月にはすぐ近くの海域で北朝鮮による韓国船員の射殺事件も起きていて
今も不安と隣り合わせの状況が続いている。
国際協調を重視するバイデン氏であれば
米韓が協力して北朝鮮問題にあたっていけるだろうという見方が出ている。
ムン政権への助言を行なってきた専門家は
(北韓大学院大学 ヤン教授)
「バイデン政権は北朝鮮の非核化や朝鮮半島情勢について
ムン大統領の話に耳を傾けるだろう。」
ただ北朝鮮との融和政策を掲げるムン政権としては
首脳会談を立て続けに行なったトランプ大統領の再選が望ましいとの見方があったのも事実である。
首脳同士の対話で北朝鮮に対応しようとしたトランプ大統領とは異なり
バイデン氏は実務者間で協議を重ねるボトムアップ方式で北朝鮮と向き合っていくとみられ
成果が出るには時間がかかるというデメリットがある。
残りの任期が1年半を切っていて北朝鮮との関係に進展を得たいムン大統領としては
焦りを募らせることになりそうである。
11月27日 NHKBS1「国際報道2020」
ベラルーシでは大統領選挙をめぐる抗議活動が今も続いている。
抗議活動に参加している人の中には東京オリンピックを目指すアスリートも多い。
ただ選手たちは政権からの圧力にさらされていると訴えていて
IOC(国際オリンピック委員会)がベラルーシのオリンピック委員会に対して制裁を検討する事態にまでなっている。
ベラルーシの抗議活動には国から全面的に支援を受けてきたアスリートたちも加わっている。
アスリートたちが中心となって作った公開書簡。
“繰り返される政権側の不正や暴力を断固非難する“と表明。
“デモで拘束された市民全員の解放“を求め
“この事実をIOCに訴える”としている。
連帯を示し
署名したアスリートは1,000人を超え増え続けている。
署名した1人
アンドレイ・クラウチャンカ選手(34)。
(クラウチャンカ選手)
「すべての項目に賛同し決心するのに1分もかかりませんでした。
そしてサインすると言いました。」
クラウチャンカ選手は2008年北京オリンピックの陸上10種競技で銀メダルを獲得した国民的英雄である。
しかし公開書簡に署名後すぐ
代表チームから外され
仕事も解雇された。
11月外出中だったクラウチャンカ選手は治安当局にいきなり車で連れ去られ
10日間拘束された。
(クラウチャンカ選手)
「私は人生のすべてをベラルーシにささげてきて
メダルまで勝ち取った愛国者なのに
理由もなく逮捕されました。
説明できないほど本当に恐ろしい。」
こうした境遇のアスリートたちを隣国リトアニアから支援する団体
BSSF( ベラルーシスポーツ連帯基金)。
実情を訴え世界中に寄付を呼び掛けている。
(クラウチャンカ選手)
スポーツは私の人生です
私は生きる糧を奪われています
代表を務めるヘラシメニャさん。
元はベラルーシの水泳選手でオリンピックのメダリストだった。
祖国のトップアスリートの多くが圧力を受け
スポーツ界全体に影響が及んでいるという。
(ベラルーシスポーツ連帯基金 ヘラシメニャ代表)
「次の五輪に誰が出られるのか想像もつきません。
アスリートたちが何を取り上げられても
私たちは支援する方法を見つけます。」
支援活動は来年のオリンピック開催地東京でも。
「SOS!
ベラルーシのアスリートからSOS!」
11月
日本に住むベラルーシの人たちが募金活動を行なった。
東京の人たちにも思いを寄せてもらいたいという。
(募金活動の参加者)
「日本から何か協力していただければうれしいと思います。」
競技に人生をかけてきたクラウチャンカ選手。
国の混乱で
オリンピックに出場できるかも今は見通せない。
(クラウチャンカ選手)
「オリンピックはアスリートにとって闘いの象徴です。
私たちは100%の準備ができないことを知ってほしい。
そして私たちの苦境を知って
応援してほしいです。」
11月25日 NHK「おはよう日本」
荷物の輸送や工事現場での調査など
ドローンのビジネス市場は拡大し続けていて
2022年にはドローンの操縦が国家資格の免許制度になる予定である。
こうした動きを先取りして
大阪の大学ではドローンの撮影をカリキュラムに取り入れ
専門知識を社会で役立てようとする学生たちが学んでいる。
次々に飛び立つ練習機。
大阪府南部 河南町にある大阪芸術大学は
2年前 全国で始めてドローンをカリキュラムに取り入れた。
学んでいるのは写真学科の43人。
2年生から実習を始め
操縦資格を取得する。
今の4年生が撮影した和歌山県田辺市龍神村の映像。
ドローンの授業を受けた第1期生で
来年春に卒業後プロのドローンカメラマンとしてデビューする予定である。
プロになる技術を身につけたいと
学生は全国から集まる。
(学生)
「実家 東京なんですけど
わざわざドローンができるということで大阪まで来たんですよ。
ドローンも使えたら会社とか入りやすいかなぁ。」
いま民間団体が資格を認定しているドローンの操縦を
国は2年後をめどに免許制度に移行する予定である。
この大学は2年前 大学として全国で初めてドローンをカリキュラムに取り入れ
操縦できるプロを育てようとしている。
教えるのはドローン撮影の第1人者。
客員教授として招き入れた。
(大阪芸術大学 坂口客員教授)
「学生の子たちが若いうちからドローンを学べる。
日頃ドローンに関わる側からすると優位性をすごく感じます。」
一見簡単そうに見えても
ドローンを安定させて飛ばすのは容易ではない。
学生と講師が撮影した映像を見ると
講師の映像はぴたりと止まっているが
学生の映像はふらついてずれていく。
わずかな風にもすぐ影響されるためである。
操作に不慣れだと一歩間違えれば事故につながる。
学生が飛ばすドローンを講師も同時に動かせるように2つのコントローラーを使って練習する。
(学生)
「かぜでバーっとなるんで難しいです。」
「イメージしているのとやっているのとでは違っているので難しい。」
最新設備もそろっている。
風の影響も反映される本格的な趣味レーター。
悪天候や授業のない日でも腕を磨くことができる。
実際に映画やCMの撮影でも使われる高度なドローンも練習する。
飛行ルールなどの専門知識も学び
徹底した教育プログラムで即戦力を育てる。
(学生)
「ドローンを使うことで
領域というのが広がると思うので
映像の面でも写真の面でも広がると思ってるんで。
確実に仕事の幅が広がると思っています。」
(大阪芸術大学 坂口客員教授)
「ぼくらの世代は時間がかかるものが
言ったらすぐに分かってくれる。
いろんな産業でもドローンはすごく今活躍しているので
そこに携わってほしいなと思います。」
11月24日 NHKBS1「国際報道2020」
11月 香港政府は立法会の民主派議員4人の資格を取り消し。
これに対し15人の民主派議員が抗議の辞職をするなど混乱が続いている。
こうした民主派への締めつけがいっそう強まるきっかけの1つとなったと指摘されているのが
1年前の11月の選挙である。
2019年11月24日に行われた4年に1度の区議会議員選挙。
市民による直接投票のため
民意が最も反映される選挙とされている。
政府への反発を追い風にした民主派の候補が
それまで議席の約7割を占めていた親中派の候補たちを次々と破り
当選。
8割以上の議席を獲得するという歴史的な勝利をおさめた。
その1人
24歳で初当選を果たした伍健偉さん。
しかしいま苦しい立場に追い込まれている。
民主派の区議会議員 伍健偉さん(25)。
区議会の場で
警察によるデモへの不当な対応を追求してきた。
(区議会議員 伍健偉さん)
「警察は民主主義を求める政治運動を弾圧し
声をあげる人たちを暴力で脅かしています。」
また地域の議員として独り暮らしの高齢者を訪問し相談事に耳を傾けるなど
地道な活動も続けている。
「電球は取り換えたよ。
健康に気をつけて。」
「取り替えてもらえて本当によかったわ。」
伍さんの議員活動を一変させたのが2020年6月。
反政府的な動きへの取り締まりを強化する香港国家安全維持法
いわゆる国安法が施行されてからである。
(区議会議員 伍健偉さん)
「国安法が施行されてから
私たちは中国政府からどれほどの抑圧を受けているでしょうか。」
街なかで国安法への反対を訴えると警察官が。
(伍さん)
「商業施設から街頭演説を認めないという苦情でもあるのですか?」
(警察)
「ないです。」
(伍さん)
「ないですよね!」
伍さんは制止の理由をはっきりと告げられないまま
「当局の許可があるのか」と問い詰められ
スタッフ全員の個人情報を記録された。
ゆく先々で監視されるようになったという。
さらに議員活動を続けることもままならない事態も起きていた。
事務所の家賃や選挙ポスターなど
議員活動費のほとんどが政府から支払われていないというのである。
チラシは民主化を求めるスローガンを描いたことで支払いを却下されたという。
“香港を取り戻せ 革命の時だ”
(区議会議員 伍健偉さん)
「ここが問題だと指摘され
関連するすべての請求が却下されました。
私の選挙区には親中派の議員もいますが
その請求はすぐ処理され支払われています。」
これまでに建て替えた費用は日本円で700万円以上にのぼっているという。
(区議会議員 伍健偉さん)
「節約のため1日1食しか食べていません。
あとどれぐらい持つかって?
正直もうそんなに持たないですよ。」
脅迫まがいの事態も起きている。
(伍さん)
「困ったことが起きました。」
仕事帰り高速道路で車に異変を感じたため停車したところタイヤがパンクしていたのである。
「刃物のようなもので穴があけられたようです。
ここに穴が・・・何でこんなことになるのか。」
犯人は未だに見つかっていない。
(伍さん)
「同じようなことが香港で声をあげる多くの人たちに起きています。」
抗議活動だけでは限界があると感じ
政治を通じて社会を変えようと議員になった伍さん。
今直面しているのは予想もしなかった現実である。
(区議会議員 伍健偉さん)
「1年前
私たちは選挙を通じ
平和なやり方で香港の政治を変えようとしました。
しかし1年経って目にしているのは
議会が香港市民のためのものではなくなっていることです。
香港政府は何も自分で決められず
中国政府の意向に沿うだけのものになっています。」
11月11日
伍さんをさらに追い込むニュースが飛び込んできた。
全人代の幹部の1人が
“区議会議員についても国安法など政府の方針を指示する必要があり
場合によっては議員資格を取り消すことがある”との考えを示したのである。
(香港選出 全人代 常務委員会メンバー 譚耀宗氏)
「区議会議員も公務員です。
中国 香港政府に忠誠をつくし基本法を順守するよう求めます。」
民主派の区議会議員の間では
このままでは活動がますます難しくなると危機感が広がっている。
(民主派区議会議員)
「政府は最大の抵抗勢力だった立法会の民主派の弾圧に成功したので
次はその下
区議会を狙ってくるでしょう。」
「民主派の区議会議員も
あす資格を取り消されてもおかしくないと思います。」
「これからますますやりにくくなりますね。」
「そうですね・・・。」
今も街なかでひとり声をあげ続ける伍さん。
議会での闘いに限界を感じ始めている。
(区議会議員 伍健偉さん)
「理想と現実の差は大きかったです。
今後 私たちは選挙に立候補できなくなるかもしれないし
民主派の支持者の声を代弁する機会も与えられないかもしれません。
社会全体が崩壊していく速さは
私たちの予想よりずっと速かったです。」