かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

加津佐にある島原の大災害の供養塔

2011年04月11日 | 日記
今日は、4月11日 月曜日 天候は曇り。
昨日までの、春の陽気から一転して、肌寒い天候。風も強く、空も雨模様みたいに、雲が立ち込めている。
今日は、東日本震災から、1カ月と言うことで、テレビや新聞では、特集が組まれています。改めて、自然の
脅威を感じています。
 島原半島でも、日本災害史上でも、上位に位置づけられる大災害が起きたんですね。
時は、今から219年前の、寛政4年(1792)の4月1日。雲仙の火山活動による、眉山の崩壊が起こり、
その影響で津波が起こり、被害は、北は山田村(雲仙市吾妻町)から南有馬村(南島原市南有馬町)まで、甚大な
被害をもたらしたという。その時の津波の高さは10メートルにまで達したとか。
被害は、島原だけにとどまらず、対岸の熊本、天草まで及び、島原側約1万人、熊本側を合わせると、1万5
千人の死者を出したという。人は、これを「島原大変・肥後迷惑」という。
 加津佐は、難を逃れたものの、遭難者の遺体が、早崎海峡を越して、加津佐の沖に多数流れ着いたという。
土地の人は、これを収容して供養塔を建てた。須崎墓地と、権田海岸にそれぞれ一基ある。
写真の権田海岸の供養塔の碑文には

 「溺死塔 寛政四子年□ 四月朔日 女二人」   と刻んである。

身近なところにも、大災害の爪跡が残っているんですね。




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