まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

竹取のじいさん、ばあさん

2014年12月27日 | 日記

年末なので、地域行事もないらしく、今日はカミさんもお家生活でした。

私は、前に切った木の枝を燃やしたりするために、いつもの作業を始ましたが、今日は、カミさんも竹藪の整理に参戦し、竹取のばあさんでした。
かぐや姫はいませんでしたが、この時期なので、毛虫も蛇もおらず、平和な作業で、ずいぶん捗りました。

カミさんは、まだ現役モードなので、こういう仕事を勤務みたいにやるんですね。
お家生活は、もっとのんびりやらないと・・・。
この辺を言ってあげようと思ったのですが、まあ、いずれはそうなったときに解ればいい話なので、余計なことは言わないことにしました。

もうじき、私のお家生活が3か月を迎えます。
先は見えませんが、生活のペースはだいぶつかめてきました。
明日あたりから、雑感を数回に分けて書いてみたいと思います。

来年からは、ブログタイトルも変えて、とぼとぼ一人歩きする日記を書いていきたいと思っています。

 

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バイク手放しました。仕方ないですよね。

2014年12月25日 | 道具弄りの日々

子供の頃から、いつかは『750ライダー』、いつかは『クラウン』でしたが、どちらも夢に終わりそうです。

他人の目を引くようなバイクや車に憧れた時期もありましたが、私にとっては、どちらも道具で、自分にとって使いやすい、お財布にやさしい、いじっていて楽しい、そんな身近なものが良いと思うようになってきました。

いろいろなバイクに乗ってきましたが、今日手放した125ccの原付バイクは、最高の相棒でした。

それまで乗っていた50ccカブ(すごくいいバイクなんですが、遠くに行くには時間がかかる)を手放し、3年前にお小遣いで買ったのですが、壊れそうになる自分を本当によく支えてくれました。

騒音も気にならないですし、燃費は50km前後/L走るので、満タンで千葉を出ると東北の外れの方まで走れました。
関東は、もちろん、東海、中部、北陸、信越、東北と、自分のどこにこんな気力がのこっているのかというくらい、走りました。

カミさんには、「いい歳してぇ」とあきれられましたが、母の介護と仕事という時間的なストレス、どうでもいいような仕事のことを一時忘れ、旅先の風景・人たちとふれあえた時間は、少年の頃の、いつかは・・・と同じ世界でした。

バイクや車で、いろいろな所へ行ってみたい!
大型バイクや高級車ではなく、原付バイクの旅でしたが、妙に、新鮮だった。

子も独り立ち、カミさん元気でお仕事大好き、受持ちの仕事の区切りがついたら、どうでもいい会社は辞めて、バイト生活もいいかな?

もう会社辞めちゃったし、バイク旅も終わり。バイク手放すか?

と思ったのも、ツーリングの走行中でした。

旅を続けている内、風景は違っても、どこへ行っても同じような人間の営みがある。なにも、遠くへ行かなくても、自分の身のまわりにも、見るべきものがあるんじゃないか、そんなことにも気づきました。

これからは、生活基盤が、フリーター(バイト)で、経済的に無理がききません。
私の場合は、財力が少ないので、危険な要因(事故・ケガ)は出来るだけ避けなくてはいけないです。
まあ、体力、視力は間違いなく落ちてきていますので、それもあわせ、無職には、仕方ない選択ですね。

これからは、危険の少ない、ウォーキング(散歩)での新鮮さを探していこうと思います。

(志賀草津道路 日本国道最高地点)

 

 

ちなみに、わが家は、カミさんはいつも新車ですが、私は、今迄1台しか新車に乗っていません。

手入れをしない新車より、乗り出し30万円の軽でも、手をかけてやれば輝いているように思います。

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男性はしいたげられている!?

2014年12月23日 | 日記

国民年金保険料未納分どうしよう・・・(後編)』の続編です。

団塊世代までは、夫が主で働き、奥さんは家事を中心に、パート等で働くという形が多かったように思いますが、私世代くらいから以降は、夫も妻も男女差はなく、フルタイムで働くという形が多くなり、夫より、妻の収入が多いなんて話は、そう珍しい話しではなくなりました。

私の子世代は、非正規社員で働く人が増え、今後が見えませんが、雇用はあっても、収入は伸びないという現実の中で、共働きというのは一般的になって来ています。

こういう中で、女性は本当に活躍されている方が多い。
更に、女性の社会進出を的な話が多いですが、そんなに女性を強くしてどうするんですかねぇ。

女が強い、カミさんが強い方が、だいたい上手くいくんで、現実はそれで動いても良いのですが、どうも男性の方がしいたげられているような・・・。
もっと、現実を良く見てよ!という思いがあります。

その一つが、男女雇用機会均等と言う部分。
女性を応援する話は多々あっても、働きたいオヤジを応援する声はあまり聞きません。
今の時代、仕事を選ばなければ、女性求人が圧倒的に多いということは、自分の職探しの中でも実感しました。

建設・運送、警備など、昔はオヤジの聖域だった仕事も、今はバイト感覚で若い女性が働いています。
働きたいオヤジは、清掃の仕事でも、「女子トイレがあります」で、入口で断られる事が多い。
女性の場合は、まだ若い女の子でも、すっぽんぽんのオヤジが行き交う男性浴室で作業している場合もあります。
女性は無敵です。
一方、オヤジには、職業選択の余地はありません。仕事を見つけるのが大変で、
低賃金でも、社会参加して働きたいという希望すらかなえられない場合があります。

セクハラ、パワハラもそうです。
男性が女性にというイメージが強いですが、最近は、女性が男性にというケースも良くあります。
男の方が、繊細で、心にキズをおうことが多い。メンタルで凹んでいる人も、男の方が多いように思います。

さて、核心の年金です。

若い頃から共働きで、厚生年金等を積み立ててきた場合の遺族年金の取扱いが、男女で違うんですね。
夫がなくった母子家庭では、手厚く給付されますが、妻が亡くなった夫子家庭では、給付が少ない。

母子家庭も大変ですが、奥さんを亡くして、男手で子供を育てるのは、かなり厳しい状況だと思うんです。
それなのに、経済的な支援も、男の方が少ない。
おかしな制度ですね。

「女性に優しいです」と選挙の票稼ぎで打ち出した政策が行き過ぎているような、そんな感じすらします。

男女の機会(チャンス)が平等だというのなら、もう少し制度的にもバランスがとれないものでしょうか。

余談ですが、苦しい中年金を懸命に積んできた人が老後食うに困り、いろいろ言い分もあるのでしょうが、年金未納のまま生保を受けている人の方が人並みな生活ができる。
制度としては、理解できても、これもすっきりしない現状です。

いろいろ「おかしいよなぁ」と思うことがあっても、私には何もできません。
でも、遺族年金の話などは、夫婦で一生懸命働いて家庭をやってるわけですから、万一のために早く直して欲しいなぁと思います。

今日は、お天気が良いので、宅内の雑木(ちょっと大き目の木)の枝落としをします。
暖かくなって来ると、毛虫などが出てくるので、寒い内に片づけたい仕事です。
木から落ちたら、大けがですね(笑)

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目から鱗!?アドラーさんの考え方

2014年12月21日 | 日記

昨日、「子供の頃におった心の傷とか、人間不信など本質的な部分は変えきれないと私的には思います」ということを書きましたが、今朝布団の中で、アルフレッド・アドラーの心理学をテーマにした本の話をラジオで聞き、とても面白い考え方で、目から鱗でした。

子供の頃のトラウマ的な事に拘って、それを原因に物事を考え、行動する(しない)から、上手くいかない。
トラウマへの拘りは、言い訳だと言うんです。
いつまでも、原因を気にしても何もならない。
「どうして」という原因より、「どうやって」という目的を考える方がボジティブに、上手く生きられる。
そんな話でした。

確かに、その通りですね。
過去のことは取り返しがつきません。
それに、いつまでも拘っていても、せいぜい頭を悪くするくらいで、良い方には行くことはありません。

課題の分離という考え方も楽に生きる秘訣だと関心しました。
人の課題を抱え込んでも、自分には負担になるだけ。
人と自分は関係ないと考えること。
実践はなかなか難しい部分もありますが、考え方はその通りです。

私は、課題が自分の物か人の物か分からない時は、『しばらく放置しておく』という術をいつの頃からか身に付けました。
ずるいという人もいますが、放置しておいて、誰かがやってくれる課題は、自分の課題ではないくらいに割り切ると、けっこう、楽です。
放置しておいても、自分に困ったことが起きないような課題は、自分の課題ではないのです。

『褒めて伸ばす』ということを否定している点も面白いと思いました。
私は今まで、後輩にしても、子にしても、褒めて伸ばすという事を基本に、一生懸命褒めてきました。
ところが、褒めるという行為を期待して、褒められないと行動なくなってしまう。だから、褒めちゃダメなんだと言います。

確かに、『天知る、地知る、我知る、人知る』のように自分の目的意識でしっかり行動するより、今は、認められたい、褒められたい的な行動が多いようにも思い、だいぶ手遅れですが、反省です。

アドラーの心理学については、関連のたくさんの本が出ているようですが、今現在、日々の金欠以外は、心も安定しているので、本を買ってまで読む必要もありません。

Webで分かりやすいページがありました。
心療内科の病院のサイトですが、マンガで分かりやすくアドラーの心理学の概要が分かります。
興味のある方はどうぞ。
(個人的には、このサイトとはなんら関係はありません。営業用のページでしたので、無断でリンクしました。)

マンガで分かる心療内科・精神科in池袋「アドラー心理学編」

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今更気づいた、友達ゼロの私

2014年12月20日 | 日記

午前中畑の天地返しがようやく終わりました。
お昼過ぎから冷たい雨が降り出し、午後は、外仕事ができないので、この記事を書き始めました。
毎日寒い日が続きますね。

60歳近くなって、今更なんですが、私には、今も続く友達という人間関係がありません。
一緒に働いてきた先輩や仲間たちという仕事関係の繋がり、地域の知人等はありますが、これから時間をシェアしていくような深い関係ではありません。

人間関係って、あればあったで煩わしい部分もありますが、友達ゼロですと言うのも寂しい人生です。

中学生の頃まで、無口で、他人と目を合わせて話すこともできなかった少年でした。
このままじゃいけないと、20代に苦悶し、30.代頃から仮面を被って、社会人として、社交性のある、大らかな性格というのを演じてきました。
この仮面を被れたのは、子供たちに恵まれたということも大きかったのですが、その頃から、仕事の方も人並みに評価されて来きました。

訓練によってホジティブな違う一面を出せたことは、よく頑張ったとは思うのですが、本質はそう変わりませんね。
表面的なお付き合いは出来ても、長く付き合える関係はできませんでした。
どちらかと言うと、自分の方から拒んでしまうと言うことが多かったです。

人はいろいろな面を出して生きているので、普段社会で見せている部分とはまったく違う本質、『見かけによらず』という部分を持っていることがあります。
そういう部分のある人の方がむしろ多いのかもしれません。

長い間時間をシェアしているカミさんはきっと私の『見かけによらず』という部分を良く知っているし、私もカミさんの『見かけによらず』という部分はよく知っています。

問題のある部分を矯正していくことは、大切ですが、実際の所、子供の頃におった心の傷とか、人間不信など本質的な部分は変えきれないと私的には思います。

私が、社会人として不向きというか、組織生活が苦手なのは、素でいるようでいて、いつも違う自分を演じていたからだったのかもしれません。
時々、ひどく疲れてしまうんです。

これからの時間は、自分の本質で生きて行きます。
他人に組することは苦手なので、他人からは距離を置いて、安全な距離感を持って、静かに暮らしていきたいです。

まあ、これでは、これからも、友達ゼロの寂しい人生確定ですね(笑)。

 

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