まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

老眼が進んだ

2020年03月27日 | 日記

老眼が進み、五十代後半にこしらえた眼鏡では、特に、夕方細かい文字が見にくくなってきた。

どうやら、眼の老化が一段進んだようだ。

眼鏡を作り替えると言っても、かなりの近視・乱視なので、普段使いの遠近両用から、今は、中近、近近、遠目のサングラスを使っている。

これをみな更新するとなると出費も嵩む。

今回は遠近と中近に絞って、みようかなと思っている。

歳をとりつつ生きるのも、お金がかかって大変である。(笑)

すぐにはできないので、当面の対策として、PC、スマホの文字を大きくした。デジタル文字は調整して大きくできるので便利である。
これで大丈夫かな。

まあ、このデジタル文字の見過ぎが老眼を進めているかも、との感もあるけれど。

普段、暇つぶしに読んでいる文庫本などは、いかんともしがたい。
こちらは眼鏡をはずして、読むしかないのかな。

PC、スマホの画面設定をしながら、ニュースサイトを見た。

今週末は、東京を中心にコロナウイルス関係の話題が盛んだ。

社会が豊になると縛りがなくなる。

でも、人が生きる上では、縛り(道徳とか宗教(哲学))はなくてはならない。

人も、地上のすべての生きものも、必ず終わりがある。
私も自覚は強くはないけれど、間違いなく致死率は、100%である。
自死などしなくても、必ず死ぬ。

だからこそそこに生きる権利がある。

雑草でもそこにあるからその役割もある。

必要以上にその命を奪う権利はだれにもない。

生きるために食って、ウンコして、自然に返し、新しい命に繋げる。
このサイクルは、言葉は違うけれど、動物も植物もおんなじである。

なんでもやってしまう人族は、特にこんな意識が必要だと思う。
地球をぶっ壊しているのは、人族だ。

こんな時期、せめて同族を慮って、ではきるだけ動かずに、他人に移さない行動が必要ではないだろうか。

ジジイになったからこそ、衰えを実感しつつ感じた雑感でる。


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