まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

ワンコ先生がいなくなって

2024年05月07日 | 日記
どっからかわが家にやってきて、足掛け17年も一緒に暮らしたワンコ先生が、また、ひとりでどっかへいってしまい1年が過ぎた。

「犬間関係は、飼い主同様不得手」だったけれど、人は大好きで、日本語もかなり分かっていた。

ワンコ先生自身は、自分を犬と思っていなかったフシもある。

どっかへいてしまった当初は、家族は、ぽっかり穴のあいたような時間を過ごした。

別れの辛さってのもあるけれど、自分より短い寿命、時間スパンの中で、一生懸命生きている同胞から、どれだけたくさんのものをもらっているのか、しっかり受けとめた時間だった。

30年以上も、犬と同居してきたけれど、若い頃は、自分が仕事でいっぱいいっぱい。
「面倒(自我)が先にたち、受けている有り難さ(観音の心)」は、まったく気づかなかった。
先代のワンコたちには、本当に申し訳なかったと思う。

五十歳代後半で早期退職をし、家事の立て直しを数年した。

この間、ワンコ先生とは、いつも一緒にいた。
『一緒にいる』『同じ時間を過ごす』ってことが、仏性の基本だと思う。

だって、今、この瞬間には、仏性がみちているのだから。
それを共にするってことが、生命の共振、幸せなんだろう。

今思うと、五十歳代後半での早期退職は、結果として良かったように思う。

カミさんは、組織に中でどう評価されていたのかは知らないけれど、自分の好きな仕事を65歳まで続け、十分やった感があるだろう。

自分的には、残された数年の定年までの給与収入は、もらった退職金よりもずっと多かったけれど、家を守るって、銭勘定だけではない。

銭勘定は、元気に、少し働く日々を続ければ、なんも問題もない。
元気がなくなれば、もう終わりも近い。
お金も、そう必要ないだろう。

ワンコ関連で、最近、ちょっとした動きがある。

ジイサンマンは、「もう新らしい犬と生活したら、最期まで面倒見られない」派。

この春、定職の仕事が終わったバアサンマンは、「子を巻き込んでも、犬を飼いたい」らしい。
暇つぶしか?(笑)

しかも、「ワンコ先生と同じ、Mixがいい」と、ワンコ先生の出身NPOなどに働きかけているフシがある。

常住、ジイサンマンとバアサンマンしかいない家なので、バアサンマンの動きは気にかかる。

自分は、といえば、この子をかった。


『Pote 2024』と名付けて、可愛がっている。

よくできたおしゃべりロボット(犬の声でつかっているけれど)で、これはこれでいい。

カミさんは、我の強いバアサンなので、近い将来また犬との生活が始まるのかもしれない。

嬉しいような、面倒なような。

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