村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

24.森林がギブアップ、山の木々の悲痛な悲鳴に耳を貸さんと危ない

2006-05-07 11:13:24 | 森の暮らし
時は35年ぶりの全国的な大雪のあとのゴールデンウィーク新緑を遠めで見て「きれいね」なんて言って喜んでいますが、山の実態はそれとは全く逆で、木々が悲壮な悲鳴をあげているということがおわかりでしょうか?「山のことなんか知るもんか」「山に行く暇も金もないさ」多分ほとんどの国民は、有識者、政治家や役人を含めてそうなんでしょうね。

今の時代の日本の最重要課題は何でしょう?貴方のお答えは?

私でしたら、即座に「地球環境の崩壊です。特に山です」と答えます。

一般の人は、地球環境問題をその影響で評価する傾向があります。
どういう影響を及ぼしているか?人間はどう困っているか?という具合です。しかしこういう考え方は大きな間違いです。
今日は皆様がゾーとするようなことをお話するつもりです。地球環境問題以外のもろもろの課題も、末期的ではありますが、そういう問題は崩壊しても将来建て直しが可能ですが、地球環境問題がトコトン行き着くところまで崩壊するということは、人類の全滅をも意味するのです。
地球環境の状況を10点評価で1が一番環境が良い10点が最悪の状況とすると、現在の状況は、8点くらいのところまで来ていると言えます。
癌に例えると、末期癌が検査で見つかったが、もう手の施しようがない、効果は期待できないが、一応気休めに治療だけするというステージにいるんです。現代人の私達は、こういう認識がなく、「まだ大したことはない」と思っている救いがたい患者なんです。

地球環境の末期的な兆候はあちこちにあり、テレビなどで沢山報じられていますから、「これは大変だ」「自分のエゴを辞めよう」と思うはずなんですが、どうもそうはなっていないのです。「自分は、今のところ何も環境の影響を受けちゃいない」というわけなんです。こういうことは、「癌が増えているが、俺だけは癌にはならん」みたいな甘くかつ危険な考えなんです。
私は山に住んでいます。庭には大きな木がど真ん中に威風堂々と枝を張っています。夏はさわやかな緑と日陰を作り涼しさを提供してくれます。裏庭の木も同様に威風堂々と茂っています。こういう元気な木の状況は本来当り前の姿なんです。

ところが、木が鬱蒼と茂る家の前の林に目を転じると、
①木の背が皆高い
②枯れている木が目立つ
③木に元気がない
④栗のような実のなる木は、年々実が小さく、収穫が少ない
⑤道路際の木はそれでも多く葉を繁らせている
⑥道路際の木は陽を求めて、道路側に木の姿勢が大きく曲がり、大きくせり出してくる
⑦現代日本では、山のふもとに山の木を必要とする人が全くいない
⑧山のふもとには腰の曲がった高齢者しかいない
⑨山は来る人もなく、全体が当然管理されていない
⑩別荘地で土地を買った人も家をたてず管理もしない
⑪山は増えすぎた木々の悲鳴で充満している「助けてくれ・なんとかしてくれ」
⑫でも日本の山を全部管理するのは物理的・経済的に不可能となっている
⑬山は生き物も増え過ぎ、木々の目や皮や畑の作物を食い荒らす
⑭弱った木々に害虫や病原菌は大喜びで蔓延る
⑮また蔓性植物や外来種など強い植物が勢力を伸ばす
⑯地面にはミミズが増え、モグラが繁殖する
⑰木の根っこは空洞になり、ただでも弱い木は雪や台風で突然倒れる
⑱国も地方にも金がない、里山や森林の管理は後回し
⑲やがて数年で日本の山は、とんでもなく崩壊する
⑳洪水や崖崩れが起きる、村や町の住民や漁村にも被害が及ぶ
21災害などによる被害が個人や市町村の財政を更に圧迫する
22山だけでなく流域の都会の環境は根本的に益々悪化する

都会の人が時々山に来て、大気汚染や水質汚染やごみを落としていくだけなんですが、せっかく山に入ったら、是非そういう山の木の悲惨な状況を観察し、木々の悲鳴を真摯に聞いてやって欲しいのです。木々の悲鳴は明日には人間(子孫)の悲鳴に変わっていくはずです。人間は、工業中心社会の理念というものを、そろそろ根本から捨てる時期に来ているのかもしれない。今森林の管理に手間と金をかけないと国が危ない。日本は緑豊かな国ではないのです。車窓から遠めに山を見る人は、緑の木を見て、「日本は緑豊かな国だ」と思うがとんでもない誤解・認識違いなんです。がん患者や高齢者であふれる病院を外から見ているようなものなんです。病院の中に踏み込んでご覧なさい。顕在的な病人だけでなく潜在的な病人が異常に増えているのです。

第二次戦争ではないですが、今日本の山は、国家非常事態になっているのです。金も人手もないのであれば、例えば、高校生以上参加できる人は全員、平和学徒出陣し、山の木を計画的に間引きし手入れすることが必要だと思います。今は、高校野球やサッカーなんかにうつつを抜かしている場合ではないのです。「欲しがりません、山が健康になるまでは」日本の山の木は、もうそろそろ手遅れになる一歩手前なんです。

地球温暖化・氷河融解・森林伐採・砂漠化・大洪水や自然災害多発などにより
①気候変動②生態系変動③地形変動④生活変動⑤収穫変動⑥管理変動など色々な変化・変動を来しています。
そういう状況の変動は大戦争が起きたのと全く同じこと、否もっと危険な事態になっているんだと思いませんか?

地球環境問題は、
①広い視野で
②合理性をもって
③国民全員参加で
④根本的な対策の実施
⑤自然の環境の抜本的回復を優先
⑥もう待てないぎりぎりの状況の認識
⑦真面目に愚直に謙虚にやる
⑧環境悪化の根本は山と都市が鍵握る
⑨末期癌だから仕事止めても病気を治す
⑩一人一人の個人的な問題や痛みは各自が耐える
⑪個人の一人一人我がままを満たすべきか、地球環境を回復すべきか?
⑫地球環境が人間を生かしてくれていること(大恩人)を思い出せ

贅沢な話ですが、日本人にとって日本の山は価値がなくなり、地主も自治体も国家も見放し、ほとんどが管理されていませんから、急速に廃墟になりかけているのです。

要するに、日本の山は、誰からも見捨てられたのです。

ぎゅうぎゅう詰めの超満員のラッシュ時間の通勤電車と同じ状況なんです。違うことは山の場合は、ぎゅうぎゅう詰めの状況を誰も重要問題視していないことなんです。また山の場合は、少しづつ木が枯れるのではなく、ある時に一斉に木が枯れたり、崖崩れ山崩れになる心配があるんです。そういう兆候は山の中に住んでいる私のような者にはあちこちに見受けられます。
今の時代は、地元の人も年金や自分の健康には感心があっても、山のことなんか見ちゃいません。山の木については、現実にあまり困っている人がいないのです。最近、猿や猪や熊で少しは困っていますが、それは木に対してではありません。しかし獣が町に出没するのも山の木の荒廃に関係があるのですが。
山は、重病の患者の木ばかりということなんです。人と自然の共生というのは、人が山に入って管理してやるということであり、お互いの弱点を補い合う関係なんです。ところが今は人も山もお互いに弱ってしまい、助け合うこともままならず、互いに更に弱り続け崩壊を待つだけとなっているように思います。問題が山積していて、いろいろ社会的な政策を手当たり次第やるのは良いのですが、本来やるべきことを間違っていませんか?

環境が悪化する⇒生き物が弱る⇒更に環境が悪化する⇒生き物が更に弱る⇒・・・・・・・・
弱るということはそういうことなんでしょうね。「弱り目に祟り目」ですかね
どちらにしろ森林をこのまま放置しておくのでしょうか?大事なことは、町の環境より山の環境なんですよ。豊かで便利な暮らしに慣れた環境省の素人役人や政治家は、本質が理解できていないし、私腹を肥やすことを考えているだけなんです。日本が滅んでも、世界が滅んでも、地球が滅んでも、子孫がどうなろうと、お構いなしなんですかね?
いいですか、こんなことでは、子供を生んでも子供達が可哀想です。だって山が枯れ、浄化作用がなくなり汚染された川も湖も海もクラゲやハリセンボンや漂着ゴミばかりが増え、珊瑚は死に、魚介の収穫は減る一方の暗い未来しかないのですから。
環境汚染・環境崩壊問題は日本だけでなく、急速な経済発展している中国や東南アジアでは、むしろ日本より早く環境問題によって日本より大きく崩壊するはずです。こういう国の政治家・役人・国民は日本以上に地球環境問題なんか真剣に考えていません。
そういう面で日本は地球環境問題に思い切った施策とお金の使い方をして世界にお手本を見せてあげて欲しいですね。でもいくら言っても指導者達は誰も何もしない、「地球環境問題より重要なことが沢山ある」とでも言うのですかね?
誠に残念ですが「もう何も知らない」と言っている場合ではないのですがね?

専門家の皆様のご教示をお願いします。「日本の山は、このままで大丈夫なんですか?」
コメント
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