トロのエンジョイ! チャレンジライフ

「失敗するのが怖ければ、たぶん失敗するだろう」誰が言ったのか不明

どうも、こんにちは!

2018-03-20 04:04:36 | 日記
こんにちは! トロです。

おかげさまで投稿した詩が50編を超えました。
まだまだ道半ば、というか始めたばかりではありますが、ひとつの区切りがついた(と勝手に自分で決めた)ので、今日は私の詩作における考え方などを含め、書き散らしてみたいと思います。

私が詩を作るとき、いつも思い浮かべる、ある映画があります。
それはスタンリー・キューブリック監督の「スパルタカス」なんです。
それは古代ローマの剣闘士の映画で、戦争映画というか歴史映画ではないか、それが詩とどういう関係があるのか、とおっしゃる方もあるかもしれません。
確かにそうなんですけど、映画「スパルタカス」の中に、私が忘れられないあるセリフがあるのです。
共和制ローマの時代、奴隷の身分から反乱ののろしをあげたスパルタカスが、戦いに明け暮れる日々の中で、詩を作ることが得意な男に出会い、ふと、こんなセリフを言うのです。

「獣ですら戦いを知っている。だが、獣に美しい詩は作れぬ」

非常に印象深いセリフとして覚えていたのですが、以後、詩作をするたびに思い出しています。
人間の心を打つことができるのは人間だけだ、と言っているのですね。

現在、スパルタカスの時代から長い年月が過ぎ、人間の文明は大きく発達しました。
最近では詩を作る人工知能なんてものも出てきて、芸術やコミュニケーションの分野にまで、AIすなわち人工知能の能力が及んできたようにも思われます。
しかし私は、人間は量的な実力ではAIにかなわないが、だからこそ人間がなにかをする意味がある、と思っています。
人間は弱く、不完全である、だから人間の作り出すものは人間を感動させることができると。
皆さんはどのようにお考えになりますか。

以上、駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
これからも当ブログをよろしくお願いいたします。

コメント (4)
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2018-03-20 00:02:57 | 
自分の心を取りだして

はいこれですと見せられたらどうだろう

それと相手の心も

レントゲンのように透かして見ることができたら

人間がもっともっと進化したら

いずれそんなことも

可能になるかも


心を確かめあうことができないから

人間は疑り深くなる

ときに互いに傷つけあう


だけど人間は

見えないもののことを

信じることができる

神を信じられるのと同じように

人の心も見ることができなくても

信じることはできるはず


もしも人間が

信じることをやめてしまったら

もはや1人として

生き残ってはいないだろう

だけどぼくらは

お互い信頼しあい

助け合って生きることができる

たとえお互いの心は

見えなくても

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