おんなだって、やればできる

やってやれないことはない

小林虎三郎の決断!

2008-09-07 23:23:05 | Weblog
今日は二十四節気のひとつ「白露」

角界では、「露鵬」「白露山」の大麻に陽性反応で、喧々諤々の有様

やはり、外国人力士が、日本の伝統文化を継承してゆくのは、
問題がありすぎるのではないだろうか

かといって、今の私たちに問題がないわけではない。
ひとつの物事を、側面的、いわゆる立体的に、物事を見る
能力に、欠けてきているように、思う。

今ここに、山本有三の「米百俵」がある。

戊辰戦争で、焦土と化した城下町、長岡。
その窮状を見かねた、支藩より、見舞いの米百俵が届けられた。

だが、配分を心待ちにする藩士が手にしたのは、「米を売り学校を建てる」との
通達。
いきり立つ、藩士を前に大参事小林虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまち
なくなるが、教育にあてれば、明日の、一万、百万俵になる」と諭す。

軒別にすると、1700軒、頭数にすると8500人、一軒のもらい分は、2升そこそこ。
一人当たりにすると、4合か5合、一日か二日で食いつぶしてしまう。

一日や二日で食いつぶした後に、何が残るのか。
その日ぐらしでは、長岡は立ち直らない。先の見えた人物がいたら、
餓えて苦しむことはなかった。

国が興るのも滅びるのも、町が栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。
ひとつのことを、追いかけていたのでは、何時になっても、建て直しの大本が決まらない。

まず、大本を決めることである。

こうして、藩士を説得し、学校を建てて、藩の子弟の教育をし、
人材を育ててゆくのである。

ややもすると、目先のことだけに、とらわれがちで、先の見えない話は、わかりずらいものである。

今の人たちは、あまり本を読まない。

文学少女だった、おばはんとしては、じつに、なげかわしい。

コメント
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