おんなだって、やればできる

やってやれないことはない

常に戦場にあり

2008-06-08 22:44:12 | Weblog
今日の天気

久しぶりに宮が谷へ、孫 (3歳と5歳)をつれて散歩に。
桑の実が、熟れて、ユキノシタの花が満開になって、
えっと、こなんだら、かわっとって、
新鮮なかんじやった。

5歳の孫が、いうことにゃ
「ばあちゃんは、おっきょになったら、なんになりたいん?」
「ん ん」
60すぎて、こんなこと、たんねられたん、はじめてやけん
「 ばあちゃんは、もうおっきょになっとるけんなあ」
と、いうと「ふ~~ん」と分からんなりに、
納得したみたいやった。

考えてみると、人生90年として、三分の二が済んで、
まだ、30年が、のっことる。

孫の問いは、核心をついとんじゃなあ。

山本有三の「米百俵」を思い出す。
「常に戦場にあり」
戊辰戦争で、焦土と化した長岡藩に支藩の三根山藩より、
見舞いの米百俵が、届けられた。
その日一日をやっと凌いでいる藩士たちは、配分を、心待ちにしていた。
ところが、藩よりの、通達は「米を売って、学校をたてる」というものだった。

大参事小林虎三郎を討とうと、藩士がいきり立つ。
その時、虎三郎は、
「百俵の米も、食えばたちまちなくなる。教育にあてれば、
明日の一万、百万俵となる」と、諭すのである。

目先のことばかりに、とらわれているのではなく
大局から、ものごとは、みつめなければ、ならない。

危機にあって、どう判断するのか、
判断は、毎日毎日の研鑽によるものである。
と、わたしは、思う。




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独楽の一心!

2008-06-08 00:47:53 | Weblog
今日の天気ダー

<ヤマボウシ>の白い花が、満開!
今年は、見事!です。

おととい、池波正太郎の<おさん>と
平岩弓枝の<長助の女房>を買ってきた。
やっと、読み終えたところだ。

このところ、多くの時代物が、書店に並んでいる。
食わず嫌いかもしれないが、どうも、読む気がしない。

じつをいうと、
赤川次郎、内田康夫も、もうひとつというところ。

まはされて
みづからまはりいる
独楽<こま>の
一心澄みて
音を発せり 

       馬場あき子

人間は、自分の意思で生まれてきたわけではない。
まわされて、まわっている独楽も、いつかは止まる。
ほとんど、静止しているかのように、
まわっているときが、独楽のもっとも充実した、時だ。

にんげんも、生まれたのちは、
自分の力で、生きてゆくしかない。

与えられたたいのちは、自分で輝くしかない。





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