And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

切断されたクリーム

2016-05-18 11:37:09 | 日記
よく映画の原作者が映画に対し自分の思っていたのとは違うと怒ることがあるが、そんなの当たり前ではないか。小説と映画が違うなんてプロの作家ならわかるだろう。いやなら自分で映画化するか断ればいいのにと思う。前にブームになった「ダ・ヴィンチ・コード」ああいう手のベストセラーは滅多に読まないが読んで面白く、これを映画化したらどれだけ面白い映画になるだろうと思ったら、えっというだけつまらない映画になったというのもある。ナボコフの「ロリータ」は読んでいないけれど、キューブリックの映画はミスキャストが原因だと誰もがわかるような失敗作。たとえば山崎豊子のように誰もが引きつけられるような話ならどうやっても面白くなるはずだが、それもへたな俳優が入ってしまうだけで全体が締まりなくなる。かといってうまい下手は好き嫌いでしかないのだろう。黒澤明はドストエフスキーの「白痴」を映画化した。「白痴」の映画化はすごいと思うし確かに見事だけれど、やはり三船が鼻につく、原節子が華やかすぎると好みを言うとそうなる。「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」はロシア映画である。「悪霊」はワイダがやっている。一番地味な「未成年」だけは映画化になったと聞いたことがない。トルストイの「戦争と平和」はアメリカ、ロシア両方で作っているが、あのメロドラマには興味ない。ロシア文学ならやはりデビッド・リーンが映画化した「ドクトル・ジバゴ」だ。これもパステルナークがどう思ったか。原作から外れている部分がある。文学作品の映画化はすべてといっていいかもしれないが、お題だけもらった独自作品と考えた方がいい。「エデンの東」などその典型。でも自分だけではないと思うのだが、読んだ本を全くイメージ違っても映像として観てみたいというのはある。「破戒」は本の印象より市川雷蔵。木下恵介の映画化はいまいちだった。「こころ」の先生は森雅之。本は忘れ、映画のイメージで語ってしまう。「点と線」など読んでもホームのトリックがよくわからなかったりするが、映画で観るとなるほどと思う。「失われた時を求めて」の映画化「見出された時」はあれ以上ないのではと思うほどうまくコンパクトにストーリーをまとめた。ストーリーは圧縮しているが中身は変えていない。ノーマン・メイラーの「裸者と死者」のように映画は観たけど本は読んでないというのもあるのだけれども、自分にとっての優先順位は本だ。映画だけ観て読んだ気になっていい気になって話さぬよう時間をもう少し読書に取らなければと思いつつも暗くなると活字を読みづらくなる歳になり、昔の貯金だけを頼りに文学について語り出す。





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