植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ほんのわずかばかりの銀行員としての矜持

2023年06月06日 | 雑感
昨日、ワタシが現役で銀行に勤務していた時の上司、恩人のお一人「Fさん」が亡くなったと知りました。

ワタシが某地方銀行に入行したのがS 53年、採用が決まったのはすでに就職戦線が終わった後、不出来のワタシは縁故で一般企業が内定していたのです。おそらく、内定者が辞退して欠員が出たのでしょう笑。
湘南方面の某支店に配属され、何故か2年ちょいで転勤になりました。
最初の転勤があまりに早くて、同期からは、よほど勤務態度がひどかったんだろう、と言われました。

ところが異動先がなんと本店営業部でビックリでありました。入行後2年の出来損ないの若僧が行くようなところではなく、周りは錚々たる優秀なエリート行員がほとんどでありました。最初の係が、個人のお得意先回りで集金の手伝いなども多かったのです。2年ほど経って、あろうことか法人担当(融資・渉外)という、現場では最も重要で高度な仕事に係り替えになりました。大学時代は、麻雀とバイトに明け暮れ学校にも行かず何の経済的素養もありませんでした。勿論融資の経験や知識など皆無。亡くなった上司の副部長も、「エライやつが来たもんだ」と失望したでしょうね。

ともかく毎夜遅くまで残業して後れを取るまい、なんとかお客様に迷惑をかけまいと必死でありました。営業部に在任中、自分が結婚したり、両親など4人の親族を立て続けに亡くした(仕事中に訃報が届いた)というプライベートの大ごともあり、恐らく生涯でもっともキツイ3年間でありました。そんな中で、当時は営業部長であった故人の元副頭取にも、隔てなく接していただきました。この方は東大出のバリバリのエリートながら人望が厚く、飲み会やゴルフまでご一緒したのです。結婚式に主賓としてお願いした時も快諾してくださいました。

その方を囲む会は30年続き、毎年2回、当時営業部に在籍していた20名ほどの行員・OBが集っていましたが、10年前に惜しくも亡くなってしまったのです。そのあとを継いだ会長が先日亡くなったFさん、91歳であったそうですから大往生でしょうか。お線香を挙げに行きたいのですが、遺族のご子息が弔問等は固くお断りします、と伝えているそうです。困りました。
ご冥福をお祈りするばかりです。


先日、偶然観た映画が銀行をテーマにした「アキラとあきら」でした。同じ名前ながら片や名門同族企業の跡取り、片や零細企業の息子、この二人が銀行の同期として、その企業の救済再建に奔走する、といったストーリーです。若い行員山崎瑛が融資部長を相手に説得にがんばり救済のスキームを説明し、最後は頭取と直にやりとりする、というシーンが出てきます。

実際の銀行では、まずそんなことはあり得ません。カッコいいことなど無く、そもそも地味で、かつ階級社会であります。ワタシのいた銀行は歴代次官天下りが頭取でしたから、直接案件を説明したりするのは重役に限ります。それもだいたいは結果を追認するだけ、プロパーの最高権力者・実務の最終責任者は「副頭取」なのでした。

ワタシは、頭取と会話したのが2回ありました。一度は新本店が出来た時、事前の知らせもなく抜き打ちで役員室から降りて来て、本店営業部のフロアにやってきたのです。その時課長だったワタシ以外には、周りに誰も偉い人がいなかったのです。この時ばかりはもうパニクって、まともな会話もできませんでした。もう一度は、40歳の中盤、副支店長待遇の資格でありました。「中央省庁や特殊法人」の地方移転が話題になったころ、その調査を命じられ東京の中心にある外郭団体をヒアリングして、その結果報告をしたのです。何回も言いますが、へっぽこ銀行員のワタシですよ。それが日本で一番優秀な東大法学部卒、財務省次官に上りつめた方に、調査報告ですから、まぁ結果は推して知るべしであります。

そんな間抜けな銀行員生活でしたが、それでも記憶に残る得難い案件に携わったことがあります。それは給料以上に仕事をした、と自負できる数少ない事案でした。
一つは、2回目に本店営業部勤務となった課長時代、ある第三セクター(公共と民間が共同出資して設立した特殊法人)の問題が起きました。前に述べたように下っ端の営業部の融資をやっていた時の担当先、この時既に破綻してほぼ休眠状態でした。たしか40Mの融資がありました。当然その貸付は「焦げ付き」でありながらも地方公共団体の「債務保証(補償)」があったので、債権償却(放棄)が出来ません。業界では「塩漬け案件」と呼んでおりました。

数十年後、ある民間企業がその第三セクターを買収する条件として、銀行に債権放棄を要求したのであります。融資部はどうせ、利息も貰えず回収不能で30年以上経過した債権なので厄介払いが出来ると踏んだのです。当時の副頭取が「無税償却」できるなら良かろう、と判断したというのを当時上司であった副部長から話がありました。

「公共の債務保証付き融資は、当行だけで総額千億円以上あります。保証といっても予算措置されている訳でなく、実際に債務保証を履行する場合、議会の承認を経て予算を取ってもらうのです。無税だろうが有税償却だろうが、仮にわずか40百万円であったとしても、債権者側の債権放棄が前例となるのが一番の問題です。公共は前例主義ですから。営業部だけで100億円近い融資が債権放棄のリスクを負うのですよ。」

と反対意見を副部長に言いました。「常務の営業部長に、身を挺してでも否決するよう意見してください」と談判したのです。結果、副頭取は一時は応じるとした判断を覆しました。買収会社は、負債ごと買い取ることに応じた、と聞きました。つまり回収出来ないはずの40百万が戻ってきたのですね。

もう一件は、だれでもご存じの超有名企業の資金調達案件でした。総調達額が6千億円ほどでしたか。無担保で1年ほどの期限、ワンロット500億円を取引金融機関に打診したのであります。ワタシは、その時は副部長で本部付き、大手企業などを担当して虎ノ門から丸の内あたりを回っていました。取引銀行のうち地銀は当行のみでした。
その融資案件が、東京支店経由で所管する「公務部」へ稟議が送られ担当常務までいって「否決(ワタシらは拝辞と呼んでいました)」となったのです。それを聞いて「これはおかしい、融資に応じるべし」と思ったのです。東京支店長、取締役資金証券部長、本店営業部長など数人の役員に会い説明し、リスクやネックになるものが無いと確信しました。

すると、先方企業が設定した回答期限の金曜日の前日、なんと副頭取から連絡が来ました。最終決定の場である「常務会」で、担当の常務が「これは見送り」としますと説明したその案件に、頭取が待ったをかけたというのです。
「いや、それはよく担当部(多分ワタシの居た部)と相談して」と言ったそうであります。最後のどんでん返しと言うべきでしょう。その超有名企業の社長は元某省庁の次官経験者で、当行の頭取と同期入庁であったはず、だとしたらこの案件はどこかの段階で両者間で連絡をとっていた、と考えられるのです。

翌朝一番で、その会社に赴き「応諾」である旨を伝えました。おたくが最後でしたよ、と笑われましたが。
この時ばかりは、副頭取から労いのメールを頂きました。取引店である東京支店長からも「あなたの熱意が通じた」と褒められたのでした。

そんなこんながあったことをふと思い出しました。これをご覧いただいた映画関係者さん、どうしても映画化したいなら「脚本」くらいは書きますよ。ただし、シリアスな映画にはなりません(笑)。主人公は「東京ゼロ3」か「ナイツ」のメンバーが良かろうと思いますね。


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