植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

甲骨文に還れ 中国三千年の歴史

2021年11月20日 | 篆刻
 篆刻を続けているうちにちょっとした疑問を抱いておりました。読めない文字が多いのです。ヤフオクで刻印済みの印材などを沢山落札し入手している中で、漢字が判読できないものがいくつかあります。ほとんどが篆書体で彫られておりますが、日本にはない中国語だったり、大幅にデフォルメされていたりしてする字も少なくないのです。古い印の文字の構成は、偏や旁などの位置、方向が割合自由なので、よく考えないと判読できません。

 そして、もう一つはそもそも「篆書」でない文字、抽象的な文字が彫られていることがあるのです。篆書体でもごく初期の字体を金文といいまして、割合、象形文字に近いのです。これが、紀元前に整理統一されて「小篆」「印篆」などに分かれました。この字を基礎にして記録や印が発達したので、漢字の起源が「金文」にありと考えられていたのです。

 ところが、1899年に中国のナントカという人が、それよりも前に、動物の骨や亀の甲羅に傷つけられた記号が存在しており、中国、殷(商)時代(今から3000年ほど昔) の遺跡から出土するその原始的な文字漢字が、漢字(文字)の起源となる象形文字がであることを突き止めたと言います。そもそも殷の遺跡が発見される18世紀末までは、架空の文明国家だと思われていたそうです。祭祀などに用いられた動物の骨に刻んだ数字や記号、これが「甲骨文字」と呼ぶようになりましたが、それがまだ120年位しか経ってないというのが驚きであります。確認されただけで5,000文字近くあり、そのうち1723文字が解読されているそうです。 
 
  つまり、ワタシが臨書してきた中国の古典は「石鼓文」「泰山刻石」であったのが、これは最古ではないということに思い至ったのです。そして、篆刻の礎はその古典に記された「大篆・小篆」金文よりも古い甲骨文字を学ばねばならん、と思ったのです。実際そうした文字が刻まれた印は、何とも言えない温かみや素朴さを感じて「彫ってみたい」と思わせるものでした。
下の印は丸い自然石に彫られたものですが読めません。

いいですねー。17年前に、書道を嗜む三上さん(ご夫婦)が中国旅行に行った記念に、現地の篆刻家さんに彫って貰ったのでしょう。朱文・白文のペア、日にちまで彫られているのがその根拠です。おそらくすでに三上さんが物故されて、遺品整理でオークションに出たものと想像できます。こんな印は印面を潰さず、ワタシのコレクションとして残しつつ、制作の参考にいたしたいと思うのです。
 
 そこでヤフオクで、甲骨文字の字典を探して落札いたしました。小林石寿さんの編纂「甲骨文字字典」であります。その序文には、甲骨文の礼賛と自分が拓本を取り拡大して残す技法に優れていることを自画自賛し、現代書家さんへの強い非難がこもっておりました。なにか怨念でもあるがごとき勢いで「現代書道の汚濁堕落」を嘆き、激しい論調で、臨書した法帖を学ぶ愚や、下らぬ手本の方にはめる指導者をこき下ろし、「猿知恵的書論」!小手先の芸術論、と罵詈雑言の嵐であります。先生、いったい何があったんでしょうか?
((((;゚Д゚))))

立派なハードカバーで定価8千円でありました。消費税が3%、今から約35年ほど前に出版されています。小林先生はこのほかに「五体篆書字典」を発刊したことで知られる写真家・篆刻家さんですが、さほど有名でもないようです(´;ω;`)
表紙は傷んであちこち白く剥がれており、相当使い込んだものに相違ありません。落札価格は4500円でしたが、授業料・篆刻の集字に必須の字典としては、リーズナブルであろうと思います。

 こちらも、小林先生は他界し、この字典の持ち主もこの世にいないのでしょう。そうした人たちの手から手へ伝わる「甲骨文」への思い入れ、書の持つ魅力と精神、そんなものをワタシも篆刻を通して次の世代へわずかでも繋げればと思うのです。

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