ワタシが篆刻に夢中になり始めた頃、ヤフオクで多くの印材を集めました。そこで一番気になったのが持ち手側(印の上部)の彫りでありました。単なる方形の石材より、細密な飾りがある石は、それだけで品格が備わったり、石本来の姿かたちを更に美しく浮きだたせるものだと感じました。これを「紐(ちゅう)」と呼びます。
まずこれは鼠であります。「紐」はこの鼠がその発祥だから「ちゅう」と呼ばれるようになったというのは程度の低いジョークでありました(笑)。実はこれは石そのものが得難い石の一つ「牛角凍」に近似しているので入手したものです。鼠なのに牛角というのが面白いのです。
というわけで、本日は手持ち印の紐を紹介いたします。第一回目はそのバリエーションをざっとお見せしようと思いますので、コレクションとして価値の高い特別な細工の紐という趣旨はありません。闇雲に集めているうちに紐付きの石がこんなになっていますが、ほぼ全てが機械で大量生産される最近のものです。
いつが起源ははっきりしませんが、古代、紀元前後頃から身分のはっきりした人は印を携行したようです。印を首から下げたりするために紐を通す穴をあけたことが起こりだと言われています。単なる洞が少し変化して丸く盛り上がった鼻の形になり更に瓦紐や橋紐と変化しました。
その後、漢の時代になったあたりから、官位など身分によってその様式やデザインが厳格に定められたようです。恐らくその頃には、書道家や篆刻家の手から離れて専門の「紐彫職人」が現れ、その細密かつ高雅な紐を彫る腕を競ったのだろうと思います。
さて、その紐には多彩な種類に分かれています。昆虫などを含む動物、想像上の怪物、植物、僧侶などの人物など形あるもののほとんどが「紐」になっております。しかし、その大半は「獅子紐」であります。獅子と言ってもライオンではなく、神社の狛犬みたいな獅子であります。稀に虎もありますが、そもそも獅子も虎も中国に出没していたわけではなく、もっぱら宗教的あるいは象徴的な存在として重宝がられていたのです。次に多いのが「龍」でこれも天子を象り空に向かって昇る空想上の昇竜をモチーフにしたのです。
下の写真は「唐獅子と龍」であります。なんか昔の東映やくざ映画みたいですが(笑)
一番下の石は「値段」が入っておりましたので隠しております。(想像にお任せします) 右側の獅子紐には尊敬する大家「徐三庚」先生の側款がありますが、本物か否かはいまだ不明であります。詳細はこちらです。
動物系では、例えば12支も多く彫られますが、中国では、印はそもそも数十年に渡って使用されるのでその年の干支にちなんでという考えは無かったのでしょう。干支を揃いの箱で売られているものもありますが、ほとんどは近年の品物であります。来年の干支「卯・ウサギ」など、4千個ほどある中で、ちょっと探しても2個しか見つかりませんでした。
兎や鼠などは、下賎な庶民の世界の動物であって、高潔な僧侶、権威ある書道家・官僚には全く見向きもされなかったのでしょう。中国では兎は食用にしか見られていなかったのか、紐では人気はありません。
これに少しですが人物紐も作られています。
これらは、紐の出来や技術はおいといて、印を使用する側の職業的な意趣が反映しているものとみていいでしょう。
こちらはワタシのお気に入りの紐象の彫りであります。
冒頭の方で上げている夥しい石材は、おそらくそのほとんどが中国人の学生アルバイト・パート主婦などが、マニュアルに書かれたとおりに電動ドリルで穴を穿ち丸く削るという「流れ作業」で工場生産されるものです。切り出した角材に若干の付加価値をつけ、それでいくらか高く売れるのでしょう。そんなことに気づいてからは、流石にこの手の紐付き印材には興味が持てなくなりましたが。
印材を集めるに従って、だんだんその法則も理解してきました。安物の石・駄石には立派な紐は彫られない、磨いて光る美材にこそ紐職人の製作意欲が湧くのです。紐の名人と言われる「手彫りで丁寧な細工を施した石は、自ずと品格が備わり石の持つ美しさを極限にまで高めるということであります。古来から、愛好家蒐集家は、銘品と言われる印材を手に取って愛玩してきたものです。
素晴らしい紐彫の石を持つと、思わずチューしたくなるのであります(爆笑)