新潟に住む倅から、ちょくちょく孫たちの写真やら動画が送られてきます。昔と違って、LINEやらスカイプなど、便利な手段が増えました、有難いことです。
そこで、送られてきた動画が「ピアノ発表会」!!、キターーーーーー
何か月か前に孫にピアノを習わせるというメッセージが来ました。そして、多分音楽教室が、年に一・二度発表会を催しているのでしょう。幼稚園年中組の男の子が、わずか数か月鍵盤弾いただけですから、内容は推して知るべしです。
思い出しました。子供たちにはいろいろお稽古事を掛け持ちさせていました。スイミング、英会話、体操、幼児教育、美術、剣道など、その中でピアノの先生が近所の子供さんに教えに来ていたのをご縁にピアノをやらせたのです。もっと昔、親がワタシの兄にバイオリンを買って練習させていましたなぁ。あるあるです。若い親が、子どもの未知の才能を開かせるため、あるいは自分にできなかった夢を子供に託したか、さもなければ、他所さんのお宅を真似し見栄をはって、音楽をやらせるという話です。子供たちの発表会にも行きました。子供たちは、お稽古の日以外は自主的には練習もせず、興味も持ち得なかったようでいつのまにか終了しました。
ワタシの場合は、これで少なくとも3世代続いたことになりますな。自分は、楽器というものがからっきしでありまして、高校生の頃兄が使っていた古いギターをボロンと鳴らしたものの、楽譜もろくに読めずギターコードを3つくらいおぼえたところでギブアップでした。両手が別々の違う動きをするところが、まずワタシにとって高いハードルでした。ましてや、ピアノは、楽譜見ながら、両手を全然違って動かし、10本の指を別々に駆使し、更に足はペダルを踏んだりするんでしょ。
多分、練習によって体が自然に動くようになる、というような世界なのでしょうが、わが身が、そうなることのイメージが全く湧きません。そもそも、音楽の才能というものは、一つは絶対音感やリズム感と言われる天賦のものと、幼少の時に音楽家の両親のもとに育ち、音楽が生活の中にあったというような後天的な優位性が合わさったものと考えます。これに、音楽を続けられるだけの親の財力、本人のやる気・集中力・器用さなどが備わって初めて、その才が開花し、いっぱしの音楽家になっていくのだろうと思います。
ワタシには、何一つ該当するものがありませんでした。ワタシが今もって下手なカラオケ以外に音楽の術を知らないのは当然の帰結と言えます。お気に入りのテレビ番組【駅ピアノ】を観ては、「あー、ピアノが弾けたらどんなに素敵なんだろう」とふと思ったりします。別に上手になる必要はないので、今からでも遅くないのかもしれませんが。
孫たちが、そのワタシの常識を簡単に打破して、将来見事な演奏を披露してくれることを希求するしかありません。今、納戸の前に古新聞や日用品のストックの置き場と化している30年物の古ピアノ、「ピアノ売って頂戴」のCM見ながら、そろそろ買い取り(引き取り)に出すのがよろしいかと思う今日この頃です。