植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

蒐集は男のロマンである、というのは金持ちのセリフ

2020年01月05日 | 雑感
昨年12月に引いた鼻風邪が治らないまま、新たに風邪をひいたらしくのどの痛みや鼻詰まりでどうにも不愉快です。麻雀なら引き戻すというのはいいことなのですが、風邪は歓迎できませんな。
 やはり、年齢を重ねるにしたがって、病原菌に対する抵抗力も、体の回復力も衰えていくようです。もうすぐ誕生日を迎え、64歳になります。ビートルズの「When I’m Sixty Four」では、歳をとったらまだ僕にご飯を作ってくれるかな、と歌っています。井上陽水は「人生が二度あれば」で64歳を超えた両親の心象を歌詞にしました。
 自分が若いころ、理屈では64歳を迎えるだろうということは理解していても、64歳になっている自分を想像できませんでした。もう「年寄り」の仲間入りなのです。これから、自分がどうなっていくのかは実は、自分次第なのだろう、と思います。齢を重ねるだけの生活ではなく、自分だけの老後をデザインできればいいのだろうと。

 それで、この歳になって初めて手を突っ込んだ「ヤフオク」であります。
もともと、人の使ったもの、中古にはかなりの偏見を抱いております。前に所有していた人の人生がその品物に残影として残るのでは、とか誰が触ったかわからないものは不浄だとかね。さらに、オークションでは、品物のやり取りに関わるトラブル、価値以上に高い出費となるリスクを考えて二の足を踏んでいたわけです。
 ところが、あまり出回っていない蘭「ナゴラン」を探しているうち、ヤフオクでしか入手不能で、しかも割安だっとという現実から「ままよ」とばかり、入札して買い入れしたわけです。

 そこで、ワタシの「収集癖」にチロリと火が灯りました。
あの「切手集め」です。小学生の乏しい小遣いをチビチビと切手集めに回していました。スクラップブック半分ほどに収集しましたが、その価値はほとんど50年前から変わりません。見返り美人のような超有名な切手などは高根の花ですから、集めた切手は、最初から額面以上の価値は無かったのですが。それにしても一万円以上投じたワタシの切手帳は塩漬けのまま今に至ります。騙されていたような気分がぬぐえません。年賀はがきにしても、結局は郵便局を利するだけだという思いから、賀状も出さないようにしました。
 あれ以来、蒐集はまっぴらごめん、と心に決めて現在に至りました。多少自由になる小遣いはありますが、例えば骨とう品は、その価値・真贋についてもわからないまま高額な買い入れすることの怖さ愚かしさを思い、自重しておりました。
 しかし、書道を習い始めて3年を過ぎ、実用品として硯、筆、水差、墨池、篆刻印などが必要になります。それで、平塚駅前で月に一度行われる骨董市に足を運んで、ぽつぽつ硯や水差を買うようになりました。

 あくまで、実用品・習字の稽古に使うのですが、少しづつ硯が増えてきたので「もうちょっと集めてみようか」という思いがむくむくとこみあげてきたのです。

そこで、暴走する危険に歯止めをかけるために、自分なりのルールを設けることにしました。
 1.あくまで、実用・消耗品として入手、投資ではなく消費と考える。
 2.一つの入札は上限1万円とする
 3.価値が上がるか否かは基準とせず、手元に置いて眺めるのに良いかで判断
 4.質より量、かつ期間限定とする。

欲しくなって、際限なく入札額を上げていくのは愚の骨頂であります。予定を上回った高値が出れば諦める。今まで儲かるかも、と欲をかいてうまくいった試しはありません。ワタシにとっては、処分されても惜しくないレベルで安物買いに甘んじることが肝要ですね。

 そうして、現在「端渓硯」に限定して10ばかり応札してあります。
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