モーターショーには、次世代の車が展示される。近未来の技術が具体化されている。
筆者がかつて愛車としていた車は、トヨタのソアラ。1980年大阪モータショーで初お目見えした。開発に当たった岡田主査の開発コンセプトは「高速クルージング可能な車」だった。排ガス規制でパワーを失う車が多い中、170馬力という高出力を2800ccのエンジンで得ていた。2800GTに乗ること10年。その間におよそ20万キロを走破した。地球を約5周したことになる。オートクルーズ機能&レジューム機能と先駆的な車であった。高速道路を時速180kmで走行してもびくともしないのは、BMWと大差ないと思った。(もっともBMWは時速250kmでも平気だ)時は下って現代。若者の車離れは激しい。この不景気に車など買うゆとりはないのは当然かも知れぬ。そのむかし、無類の車ファンであった頃、当然F1グランプリも欠かさず見ていた。しかし、ある事故以来私はF1をまったく見なくなってしまった。ごひいきのアイルトン・セナ(ブラジル人)がレースの最中の事故でなくなってしまった。1994年5月2日のこと。事故の有り様は、今ではYOUTUBEで確認できる。セナの車にはオンボードカメラが備えてあり、事故直前までのコックピットの有り様が克明に記録されている。コーナーに差し掛かるところで時速350kmから200kmにダウウンシ、ハンドルを切るセナの姿。しかし、ハンドルを切れども、直進し続けるF1カー。そのまま壁に激突してしまった。病院に搬送されその死亡が確認された。母国ブラジルでは200万人以上の人々がその死を悼み、国葬が執り行われた。(ブラジル人にとってセンナはサッカーのペレに匹敵する人気者だった。)ほとんどのレースでポールポジションをとるセナのドライビングテクニックは神業といえた。2位に、2秒以上の大差をつけてのポールポジション。圧巻というほかなかった。あの事故は、ドライビングのミスではなかった。明らかに、メカニックなトラブルが発生していた。ステアリングが利かない。アン・コントローラブルな事故だった。真相は未だ明らかにされていないが、オンボードカメラの記録を見る限り、メカニック上のトラブルであったことに相違ない。
セナの冥福を、一日たりとも忘れはしまいと、こころに固く誓った。あれから20年。今後もF1レースを見ることはないだろう。