日米間の衛星放送が成功したのは1963年11月22日。東京オリンピックの前年だった。当初アメリカからはケネディー大統領のお祝いの言葉が予定されていた。(予め収録済みだった。)しかし、ダラスでの遊説途中に凶弾に倒れた。
テレビには茨城県の衛星放送用の巨大なパラボラアンテナが映し出されていた。
予定されていた、ケネディ大統領のお祝いの言葉を心待ちにしていた。
米国と衛星放送が成功し、映し出されたのはサボテンが散在するさばくの風景。
アナウンサーの「電波にこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念に思います。アメリカ合衆国大統領、JFケネディー氏がテキサス州ダラスにて狙撃され、その死亡が確認されました。」
大多数の日本人は言葉がなっかた。歴代大統領の中でも群を抜く支持をえていた大統領が暗殺された。自由と民主主義の国での、蛮行に落胆した。
あれから、半世紀を経て、JFケネディー長女のキャロラインさんが駐日大使として来日。時の経過とともに、これから日米新時代が始まる。相互理解と共存共栄を模索する時期なのかもしれない。1978年来日時には広島の平和公園を訪問したキャロラインさん。オバマ大統領とホットラインで繋がったキャロラインさん。是非日米相互の架け橋となり、日米新時代を築いてください。お願いします。