goo blog サービス終了のお知らせ 

日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2012年 ヨーロッパへの旅 22 パリ(その2)

2012-12-01 23:22:14 | 2012年 ヨーロッパへの旅

9月13日 (木)

三人は初めてのパリで、観光と買物を目指し、勇んで出かけて行った。

実は、昨年、彼等はドイツにいた時、自由行動の日があり、
わざわざドイツからパリまで電車に乗って出かけたのだが、
アクシデントがあって、結局パリまでたどり着けなかったらしい。

なぜパリに行きたかったのか、詳しくは聞いていないが・・・


我々二人はホテルから歩いて20分ほどのルーブル美術館を目指し、
コンコルド(調和という意味らしい)広場を抜け、
今まで歩いたことのないチュイルリー公園を、
もう1つの凱旋門に向かって歩いた。


コンコルド広場は
元々ルイ15世の騎馬像を置くために整備された広場だったが、
フランス革命の時に革命広場と改名され、
ルイ16世、マリーアントワネットを始め、
1343人がここで処刑されたという。

今は360度視界が開け、全く暗いイメージはなく、
凱旋門、エッフェル塔、モニュメントなどが
見渡せる空間になっている。




チュイルリー公園はチュイルリー宮の庭園として整備された所だが、
宮殿は後に焼失し、今は市民の憩いの場になっている。



近隣のヨーロッパの人達はもとより、
どの観光客もすばらしい笑顔だったが、
特に今までになかった中国人の多さ、
インド人の多さに驚いた。

もう1つの凱旋門とは、カルーゼル凱旋門と言い、
1805年のナポレオンの勝利を記念し、
1808年に完成したものだが、
そのあまりの小ささに、彼は落胆したらしい。



有名なエトワール広場の凱旋門は
「世界最大の門を」と望んだ彼の命によって、
1806年に着工したが、完成したのは30年後で、
彼の死後19年も経ってからのことだったという。

5年ほど前、学生達とシャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩いたことがあった。
その時、彼が流刑の地セントヘレナ島で亡くなって、
その遺体がこの凱旋門をくぐったのは1840年だったと聞いた。

ルーブル美術館は過去に二度ほど行ったことがある。
30年ほど昔、ガラスのピラミッドはなかった。
モナリザやミロのヴィーナス、サモトラケのニケなど、
教科書で習った物がすぐ目の前に、何の柵もなく飾られていたので、
すごく感激をしたが、今は長蛇の列で入る気にならなかった。




ちょっとガラスのピラミッドを摘まんでみました。
この下が美術館の入り口になっていて、
かなり広い半地下の空間が明るく開けている。








コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする