日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

ヨーロッパへの旅 (イタリア) (7)

2009-11-29 23:27:49 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Rome  9月13日 


朝、10時過ぎ、皆で揃ってバスに乗り、コロッセオに向かった。

ヴェスパシアヌス帝が紀元72年に着工した4階建ての円形闘技場で、
300年以上も剣闘士同士、
あるいは猛獣との生死をかけた試合が行われ、
一度に5万人以上の見物人が集まったという。




442年の大地震で被害に遭い、その後は放置状態で、石切り場として
崩された経緯があり、座席に使われていた大理石など、
今はごく一部に残っているだけとのことだ。


8年の歳月をかけて補修が完成したというが、
以前は自由に入れた所も鎖や鉄柵で止められていた。




我々が立っている場所がアリーナの一部で、
本来は丸い舞台になっており、
この上でどちらかが死ぬまでの戦いが繰り広げられたのだ。
血で汚れた砂が速やか処理できるよう、
取り外し可能な造りになっていたそうだ。

2001年には入れたこの踊り場も、今はもう入れない。



上から見ると、細い道が闘技場まで続き、どこにも逃げ場はない。
これから死に向かう人達の気持ちはどのようなものであったか・・・
そして、それを見て、手に汗握り、
興奮した人達はどのような人達だったのか・・・

この時代に生きていなくてよかった・・・


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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (6)

2009-11-25 23:54:26 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Rome  9月12日 


サン・ピエトロ大聖堂から歩いて数分、
万一の時教皇が避難する要塞として使われたサンタンジェロ城がある。
現在は博物館として中世から近世までの兵器の
コレクションなどを展示してある。

今回は時間もなく、ますます雲行きが悪くなって来たので、
残念ながら見学はパス。





トレヴィの泉に着いた頃には、かなり雨が降り始めた。
コインを後向きに投げ入れると、再びローマに来られると言われている泉。
うん、確かに前回コインを投げ入れた・・・
大勢の観光客の隙間を狙って、記念撮影。
又来られますように・・・



ますます雨がひどくなり、あわててタクシーを拾って、
ホテル・ポルタマッジョーレに戻った。

しかし、ここで落ち合うことになっていた他の5人は、不思議なことに、
数軒離れたポルタ・マッジョーレの姉妹ホテルに泊められており、
夕方、近くのレストランで再会を果たした。

海外対応の携帯電話もなかなか繋がらず、お互いに心配をしたが、
美味しいワインと本場イタリアン料理で、
楽しいひとときを過ごすことが出来、
とても幸せな夜だった。



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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (5)

2009-11-24 00:37:30 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Rome  9月12日 


ローマのテルミニ駅に着くと、駅舎が新しく改装されており驚いた。
以前の暗いイメージは一新され、近代的な建物になり、
ジプシーの親子もほとんど見かけることがなかった。

しかし、後で聞くと、ジプシー達の服装も最近は美しいものになっていて、
見分けることが出来なくなり、スリや引ったくりも相変わらず多く、
油断は出来ないとのことだった。


丁度、2001年9月11日のテロの日、私たち夫婦はイタリアにいた。
ホテルでテレビに釘付け、何度も映る恐ろしい光景に
胸が痛んだものだった。
あれから8年、どのぐらいローマは変わったのだろう。

昨日ローマに入った我々の仲間の学生達は、
もう市内見物に出かけたらしい。
早速、我々もヴァチカン市国に出かけることにした。

ヴァチカンは世界最小の独立国として認められており、
独自の切手や通貨も発行されている。

ミケランジェロが設計したサン・ピエトロ大聖堂は
キリスト教カソリックの総本山。
ローマ法王のミサが行われる特別な日には、
世界中から6万人の信者が訪れるという。








古代ローマ時代の聖ペテロの墓の上に、
ローマ皇帝として初めてキリスト教に改宗したコンスタンティヌス帝が、
キリスト教会を建立したのが大聖堂の前身という。

内部にはミケランジェロが23歳の時に製作した大理石のピエタ像や、
さまざまな装飾を凝らした彫刻、壁画、ブロンズの大天蓋など、
一日見ていても飽きない壮麗な空間があるのだが、
ずっと奥の方の柱の下に見える行列を見て、
入堂をあきらめた。(写真参照)


以前は自由に入れたのに、
あのテロ事件以降、セキュリティチェックが厳しく、
入るまでに相当時間並ばねばならないらしい。

しかも、何やら雲の様子もおかしくなってきたので、
急いで、サンタンジェロ城に向かって歩き始めた。


ところで・・・2001年に入った時、我々観光客には眼もくれず、
一心に美しい女性が祈っていたこと、
天井近くまで登って行って、美しい装飾に感激したこと、
あの時の記憶が甦ってきた。

カメラの調子が悪く、あまり鮮明ではないが、昔の写真を探したら、
あの時の写真が出てきた。
これはおまけ・・・









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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (4)

2009-11-22 12:14:23 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Genoa ジェノヴァからローマへ 9月12日 


ローマへの移動も電車。
コンパートメントに我々とイタリア人二人。
多分、母親と息子さんのようだ。

しばらく二人を見ている内に、息子さんの母親に対する態度に驚いた。
優しい笑顔、細やかな気配り、穏やかな言葉の響き、
このような姿の母子を日本ではほとんど見たことがない。




母親が席を外した時につたない英語で話しかけてみたら、
彼女のハートはdoesn't work・・・と言うので、かわいそうに、
少しボケ始めているのか、と思ったら、
夫が「ばか者、ハートは心臓だ。」と言った。

何を勘違いしたのか、私は彼女の心が働かないと解釈をしたのだ。

母親は心臓があまり丈夫でないと言っているのに、失礼にも
私は自分の間違いに大笑いをしてしまった。

これから、ナポリに住む母親の妹を訪ねるところらしい。



イタリアの男性はほとんどが女性に優しく、
とりわけ母親に対しては特別優しいらしい。
日本の男性よ、学べ!

英語が全く分らない母親のために、私が娘から借りて持っていた
イタリア旅行のためのカタカナで書かれた通訳本を見せながら、
6人でおしゃべりが始まったが、
カタカナ訛りがひどいらしく、息子さんが笑いながら母親に説明すると、
「シィーシィーシィー。」と笑顔でうなずく。

私は「イタリア人は何となく狡猾でやかましい・・・」と思っていたが、
この二人はおっとりと穏やかで、はにかみながら話す様子が美しかった。

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (3)

2009-11-18 16:00:18 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Genoa ジェノヴァ 9月11日 


王宮でゆったりとした時間を過ごし、湾沿いのカフェでお茶を飲み、



大昔の軍艦・・・海賊船?で遊び、




サン・ロレンツォ大聖堂へ。




12世紀~14世紀に建てられたカトリック教会の大聖堂で、
白と黒の縞模様はイスラム文化の影響を受け、
黒い石材は遠くのオリエントから運ばれたものだという。




内部の装飾もすばらしいものであった。




我々はこの後、町の中心、美しい建物が並ぶフェッラーリ広場を抜けて、
エドアルド・キオッソーネ東洋美術館に向かった。



江戸時代に日本の紙幣や鋳造を指導した、ジェノヴァ出身のキオッソーネが
日本滞在中に集めた浮世絵、版画、掛け軸などの美術品や、
中国、タイなどの仏像など3万点以上の品々が展示され、
住友財団がその後の保存に資金を提供しているという。








狩野探幽、広重などの作品も多く、これだけの作品を遠く離れたこの地に
どのようにして運んで来たのか、不思議でならなかった。

遠い異国の小高い丘の上にひっそりと建つ日本の宝物館、
懐かしく、誇らしかった。

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (2)

2009-11-17 23:14:29 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Genoa ジェノヴァ 9月11日 


今日は王宮を目指して歩き始めたのだが、
ガイドブックには載っていない、まるでお城のような、
白く大きな美しい建物を見つけた。
恐る恐る入って行くと、新しい船着場だった。


CHECK IN という文字があったので、船旅で人々が入って来るのだろう。



船着場の入り口から後方を見ると、ジェノバの美しい町並みが輝いていた。


ここから数分、1650年にジェノヴァの富豪バルビ家が建造し、
後にサヴォイア家の所有となった王宮がある。
17~18世紀の大富豪の豪邸が残るこのジェノヴァでも、
最大級と言われているが、贅を尽くした家具、装飾品が残っていた。



豪華なテーブルと、後方の壁にかかるタペストリー。



しかし、庭や外装はかなり荒れ果て・・・・



自生のレモンがたくさん成っていた。

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ヨーロッパへの旅 (イタリア) (1)

2009-11-14 23:51:44 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Genoa ジェノヴァ 9月10日 



ニース駅でじんちゃん、なぎさちゃんと落ち合った。
残念ながら、座席指定で同じコンパートメントにはなれなかったが、
彼等は法政の大学院生で、
これからローマで会議に出席するまでの数日、
私達とジェノヴァ観光を楽しむことになっている。

ジェノヴァはイタリア第1の港町で、12世紀の初めには、
もう海軍が70艘の軍艦を保有していたという。
十字軍の遠征期から華々しく繁栄していたが、
17世紀にはフランス王の砲撃に遭い、
1805年にはナポレオンの帝国に組み入れられてしまう。

1409年にアメリカ大陸を発見したコロンブスの故郷でもある。



ジェノバ駅の入り口。

ジェノヴァに着いた我々は、ホテル・スタンダードで一休みしてすぐ、
彼女達の提案でヨーロッパで一番、種類が多いという水族館に出かけた。



ヴェッキオ湾沿いの美しい並木、まさに南国。

湾内に突き出た大きな水族館内は、大勢の家族連れで賑わっていた。



ボートの後側にある長四角の建物が水族館。
見た目より、中に入るとかなり大きい空間だ。




真珠のようなクラゲ、タツノオトシゴ、クマノミ・・・
とにかくたくさんの魚たち、蛇の仲間たちもいた。
何時間居ても飽きない・・・
何年ぶりだろう、童心に帰って、ワ~イ!すごい!
かわいい~~!ギャ~~~!の連発。

とってもとっても楽しかった。


夕方、5時ごろ、レストランを探したが、なかなか見つからず、
途中見かけたマーケットに入って、
イタリア語の本を片手にレストランの場所を尋ねた。
(この辺りでは英語が通じない)

親切なおじさんが指差す方へ歩いて行くと、
確かに「ダ・マリオ」はあったが、
まだ開いておらず、しかも、いかがわしい店や、
体のあちこちに刺青を入れた男性が大勢いて、
何やら怖い雰囲気、もうこれ以上先に進むのは危ぶまれた。


4人、目で合図をして、慌てて引き返し、
先程のマーケットでパン、ハム、チーズ、
野菜、果物、ワインを買い込んで、
ホテルの部屋でパーティーを開いた。

ワインを一口飲んだ私はそのままベッドへ雪崩れ込み、
後の3人は、12時ごろまで食事とおしゃべりを楽しんでいたようだ。



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ヨーロッパへの旅  (南フランスからイタリアへ)

2009-11-11 00:58:24 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ


あっという間に9月の10日になってしまった。




アムステルダムから飛行機でニース、電車でマルセイユ経由アルル、
そしてアヴィニョン、(日帰りでオランジェに行き)、
マルセイユに戻って1泊、さらに、ニースへ戻り、
これからイタリアのジェノバに向けて電車の旅が始まる。




ジェノバまでの列車は6人座席のコンパートメント。
幸運なことに途中まで私達と中年女性の3人旅だった。



イギリス系のバハマ人で、美しい英語を話し、御自分で
「英語、イタリア語、フランス語はパーフェクト。
他の国の言葉もそこそこ話せるが、
書くことは出来ない所もある。」と言われた。

今日はリタイアをして現在イタリアに住む母親を訪れる途中であること、
御自身がケンブリッジ大学の成人クラスに入学をして、
考古学の勉強を始めたということ、
オーストラリアに住む友人と日本の北海道でスキーをして、
粉のような雪に感激されたこと、
2時間、話は尽きず、途中入って来たイタリア人男性も交えて、
彼女の通訳でとても楽しい時間を過ごすことが出来た。

最後に「日本の学生は、読み書きはパーフェクトだけれども
話すことが出来ない。外国に来たら、
日本人同士で日本語を話してはいけない。
異邦人なのだから、間違えて当たり前、恥ずかしがらずに
どんどん現地の人達と話しなさい。
あなたに必要なのは、たくさん話すことよ。」と言われた。

ほとんど相手の言っていることは理解出来るのに、
自由に言葉が出て来ない。
あぁ・・・勉強不足、それに加えて度胸不足・・・
愛嬌だけじゃダメか・・・

でも、本当に楽しかった・・・

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ヨーロッパへの旅 (南フランス) (13)

2009-11-04 12:33:45 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Avignon から Marseille へ  9月9日


12時にホテルをチェックアウト。
今日はマルセイユまで戻るのだが、駅で2時間待ち。
アヴィニョンの駅でトイレを探したら、
駅ホームの一番端にあるという。
中に若い女性が座っていた。若過ぎる・・・
その女性に渡したトイレ使用料は0,5€、約70円。

電車で1時間後、マルセイユに到着。


19世紀末の姿に改修されたマルセイユ・サン・シャルル駅。



パリに次ぐ大都会。
その昔、アフリカや中東、アジアから船でたどり着いた船人が、
パリに向かうために必ず通過したのがこの駅だったため、
ここで居ついた人達も多かったのだろう、
街にはいろいろな国の人達が歩いていた。





大きな路面電車、トラム。




紀元前600年にフォカイヤ人が先住民族を制してここに港を開いて以来、
ローマ帝国、蛮族の侵入など、
地中海の良港を巡る争いの舞台となった場所、
今は旅行者や地元の人達がのんびりと散歩を楽しんでいる。

しかしながら、この傍ではアフリカ系の人達が道の両側にブランド品の
イミテイションを並べて、行き交う人達に声を掛けていた。



駅の傍も路上も所かまわず放尿をするのか、至る所臭い。
トイレでお金を取るせいなのだろうか。

又来てみたい・・・とは思えない所だった。

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ヨーロッパへの旅 (南フランス) (12)

2009-11-02 16:52:22 | 2009年 ヨーロッパへの旅 南フランス・MRS~ROM~ポンペイ・カプリ
Avignon アヴィニョン 9月8日

 
今日はアヴィニョンから電車で20分のオランジェへ・・・
小さな小さな駅・・・でも、駅員は親切、トイレは大きくて無料だった。




オランジェには世界で最も保存状態のいいローマ遺跡、古代劇場がある。
紀元前1世紀末の建造物で、今も毎年行われる夏の音楽フェスティバルや
ロック、ジャズのコンサートに使われている。

驚いたのは、絵葉書で修復工事前の劇場を見た時だった。



現在の劇場




長年風雨にさらされ、風化の危機に瀕していたこの劇場に、
長さ61m重さ200トンのガラスの屋根を架けたのだ。
2006年6月に完成したという。

もちろん、座席や通路も古代の面影を残したまま修復されていた。

そして、この舞台の背後に建つ石壁は、ルイ14世が
「我が王国で最も美しい壁」と賞賛した、と言われるだけあって、
紀元前にどうしてこのようなものが建てられたのか、
考えられないほどすばらしいものだった。



日本語のオーディオガイドを聞きながら3時間近くこの中で過ごしたが、
興味深かったことは、単にラテンの文化を広めるだけでなく、
ローマ中央の威信を伝えるために、
ここで上演された数々の劇やパントマイムが、
バーチャルで見られるようになっていたことだ。




強大になり過ぎたローマがやがて崩壊し、1800年後半まで、
近隣の人達が自分の家を作るために、
多くの石材を使い放題のままだったらしい。
今もなお、その人達を立ち退かせ、
元の形にすべく修復が続いているという。



奢れる者久しからずや・・・・
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