日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2010年 ヨーロッパへの旅 スイス・グリンデルワルト

2011-01-23 12:58:19 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月14日

1986年に初めてヨーロッパに出かけ、
アンカレッジ経由でアムステルダムから
イギリス、オーストリア、ドイツ、スイスと回り、
その後、フランスで仕事に入った夫と別れ、
心細さと緊張の中、一人でアムステルダムから
日本に戻って来てもう4半世紀が経つ。

子供の頃からあこがれていたスイス、
まさか、その後何度も来ることになろうとは
想像だにしなかったが、数えてみれば、
もう7回ぐらいだろうか。

特にスイスのグリンデルワルトは
まさに私の想像するスイスそのものだった。

ホテルSpinneは24年前に初めて泊まったホテルで、
その後、今回を含めて4回目の宿泊になるが、
かなり改装や増築をしたのか、昔とは違っていた。

しかしながら、アイガーの北壁を見上げながら食事をしたこと、
豆粒のように見える登山者が、北壁にぶら下がっていた様子、
いつもの事ながらありありと思い出す。


ホテルに着くや否や、first(フィルスト)まで、皆で出かけた。






真っ青の空、美しい緑、ゴンドラの中から眺める景色は
まるで箱庭のようだ。



山頂の終点から自転車で下まで下りることも出来、
楽しそうだが・・・・ちょっと

別天地でおいしい空気を吸った後は、
駅の隣にあるレストランでスイス料理を堪能。

   

  

量が多く、食べ切れるかと心配したが、さすが若い男性ばかり。
しかしながら、御自慢のチーズフォンジュはひどく塩辛くて、
ヨシヤス君によると「本場で是非食べたいと思っていたが、
日本の方がおいしいですね。」

どこに行っても、日本の味は最高だと思う。
例えイタリアンやフランス料理であっても
日本人の口に合うようにアレンジされているのだろうか。

コメント (4)
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2010年 ヨーロッパへの旅 スイス・バーゼル からグリンデルワルトへ

2011-01-16 22:24:01 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月14日

大仕事を全て終え、
今日は隼君、慎太郎君がそれぞれの用事に合わせ帰国の途に着く。

お別れと御苦労さん会を兼ねて、
昨夜はライン川沿いのレストランで夕食会を開いた。










どの顔もホッとした様子。

ここは初めてEU旅行でバーゼルに来た時立ち寄った同じレストランで、
皆で乾杯をしたことを思い出した。
あの頃の学生達はどうしているだろう・・・・

古いアルバムから引っ張り出してみたら、
8月の終わりだったせいか、
半月違うだけなのに服装の違いに驚いた。



あれから6年、皆元気でがんばっていることだろう。


そして、今日、グリンデルワルトへの移動の電車の中で、
とてもかわいいドイツ人の女性に会った。

こんにちは、と声を掛けられ、とても日本語が上手で驚いたが、
彼女はもうすぐ留学生として日本に行くとのことだった。



ここからは後日談になるが、
このお正月、突然知らない人からメールが届いた。
そして、恐々開いてみたら・・・・・

こんばんは、
久しぶりですけど、今私は連絡したいです。
私は八月にベルンに乗った電車で
○○さんに会いました。覚えますか。
遅いメールで申し訳ありません。
九月から、三重大学で留学生です。
日本はすばらしいと思います!
食べ物や音楽や人が好きです。
そして明けましておめでとう!
よろしくおねがいします。

私は彼女の名前を聞かず、
私のアドレスだけを渡していたのだった。
うれしくて、うれしくて、早速お返事をしたためたが、
彼女に許可も得ずに今ブログに揚げている。

これから、許可をいただかなくちゃ!

コメント (6)
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2010年 ヨーロッパへの旅 スイス・バーゼル 2

2011-01-03 16:26:24 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月13日

今日は今年の冬インフルエンザが流行した時に、
誰もが耳にした「タミフル」で有名な製薬会社ロッシュに訪問した。


何もかも驚かされることばかり。
1896年、今から130年ほど前にハーブのエキスを抽出して、
咳止めを作り、販売したのが起業の始まりで、
その後、1970年~80年にかけて多角経営に乗り出し、
現在はヘルスケアー、診断学と医薬品の開発に力を入れ、
高齢化社会に各患者に合った個々の対処方法を
重点的に開発したいと考えており、
未だ処理することの出来ない5,000~6,000の
病原菌の開発に、力を入れていきたいということであった。

5人の博士が次々いろいろな説明をして下さったが、
私の一番の感激は、ゲストルームでのランチ!
今回の旅で初めてのフランス料理。





そして、他の部屋まで各自取りに行くビュッフェスタイルのデザート。



おしゃれで美味しくて、超一流のホテルのようだった。

そして、その食事中の話に又感激!

今日の通訳は松井さんという女性の方で、
丁度、日本で学園紛争のあった頃、
チェコスロバキアから留学生として来ていた男性と知り合い、
その後、1968年に起こったあの有名なチェコスロヴァキアの
変革運動「プラハの春」で彼が帰国出来なくなり、
御結婚後、お二人とも祖国を離れ、
スイスにお住まいになっているということだった。




この話に今回の訪問でお力になっていただいたJarek博士が
身につまされたように身の上話を始められた。
彼も元々東ドイツの方で、スイスに亡命をされたとのこと。



お二人のお話は私にとって全く想像も付かなかったことで、
松井さんの凛とした美しいたたずまいと、
3ヶ国語を自由に操る頭の良さ、
尊敬と憧れで胸が熱くなった。


午後は工場見学に出かけた。



ロンドンと違い、物々しい検閲もなく、
各処理工場の工程も見ることは出来たが、
残念ながら禁撮影なので、掲載出来る写真はない。

4時、全ての行程を終え、ここから歩いて10分のホテルへ。


本当にすばらしい経験だった。
感謝 感謝

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