書きたいことがたくさんあるのに
引越しの仕方がよくわからず、しかも
しばらくはgooブログとはてなブログを両方出したいのに
全く手に負えない!
困った!困った!
書きたいことがたくさんあるのに
引越しの仕方がよくわからず、しかも
しばらくはgooブログとはてなブログを両方出したいのに
全く手に負えない!
困った!困った!
6月14日のこと
遅めの夕飯が済んだ20時過ぎ、突然チャイムが鳴った。
こんな時間に宅配なんてないし、何事かと出ると
インターホンの向こうから
「南大沢警察署の○○ですが、警報が鳴ったのですが、
何かありましたか。」と大きな声と大きなお顔が見えた。
「いいえ、何もならしていませんが・・・
「いや、警報器をならしたはずです、
ちょっと調べたいのですが、ここを開けて下さい!」
私はオロオロと何もしていないと何度も答え
頭の中で警察官?強盗?詐欺?えっ?えっ・・・と
口ごもっていたら、
「どなたか分かる人に替わって下さい!戸を開けて下さい!」
夫が側に来て、2~3話し、
SECOMさんも一緒ですからという言葉で
玄関を開けると、玄関前が車のライトで明るく
雨の中から二人の男性が現れた。
すぐにリビングの方に走り、
非常ボタンを切ったから大丈夫です、と言われた。
何のことやらさっぱり分からず、挙げ句の果てに
家中を拝見していいですか、と二階も全て見て回り、
安心したように、訳の分からない様子の私達に説明して下さった。
我が家は10年?ぐらい前からSECOMに入っており
今までにも何度かお世話になっているので、
SEKOMさんも一緒ですからという言葉で安心したのだが、
何かあった時のために いつも身近に置き
今日もテーブルの上にあったので、
うっかり触れたに違いない。
就寝の時はベッドサイドに、目覚めたらリビングに・・・
落ち着いたら、
「今から刑事さんが見えます、決まり事ですから心配いりません。」
と言われ、がっしりとした体格の男性が入っていらした。
思わず「刑事さんですか・・・」と伺ったら
うれしそうに、「はい」
と言って警察手帳?を見せて下さった。
思ったより小さいような気がしたが、
正しく映画やテレビで見るもののような・・・
すごくご迷惑をお掛けしたが、何だか日々発見・・・?
初めての経験だった。
ここ10数年以上、母の頭皮に黒い塊が現れ、
しかも年々広がって、ブラシを使うと引っかかり、
血も出てくるようになってきたようだ。
心配で皮膚科に行った方がいいと勧めていたが、
痛みもないし、たとえ癌であっても、
年寄りは進行が遅いから大丈夫だと言って聞かなかった。
しかし、
月に一度お世話になっている美容院で指摘されたらしく、
角のようになると嫌だからと、
急に病院に行くことを決心した。
3月25日
みなみ野駅近くの皮膚科に行くと
「これは大きな病院でちゃんと検査を受けた方がいい。
私はその病院にいますから、是非受診して下さい。」と
紹介状もいただいたが、
母は「癌ですか。それならそれで良かった、
病院に行く気はありません。」とそのままにしていた。
その後、友人のご主人が近くの皮膚科で
同じような症状で数回通ったら
治ったから行ってみたら?と言われ、それならと
片倉駅の近くの皮膚科に出掛けた。
そこでも、全く同じ、大きな病院で検査を受けるべき、
とのことだった。
4月10日 (木)
東京医科大学八王子医療センターに
9時の予約で出掛けると、
みなみ野で受診した時の先生がいらして
「いやいや、よかった!
皮膚の癌で死ぬなんて事は絶対ないし、
脳の中や他の部位に転移することもないから、
問題はありませんが、
とにかく原因は分かった方がいい・・・」
とおっしゃって、予約を取った。
4月28日(月)
組織の一部を切開
5月7日 (水)抜糸
5月30日 (金)
結果を聞きに伺った
あのお元気なパキパキとした先生が
「手術のことですが・・・」とおっしゃった途端、
母「やっぱり、癌だったんですね。
手術は絶対しません。良かった、先が見えて・・・
耳は聞こえなくなる、目は見えなくなる、脚はヨロヨロ、
こんな状態で150歳なんて生きたら
とんでもないですから・・・」
先生「あのね、どんなに生きても120歳ですから・・・」
母「120歳にしても、人の話に『はあ?、はあ?・・・』
なんて何度も何度も聞き返したり、
テレビを見ても聞こえない、見えない、
どこに行くのも自由に行けない、
癌がなくなってもそんな状態は嫌ですから・・・」
先生「あなたは随分誇り高い人ですね・・・」
母「ほこり?いや、毎日お風呂に入って、頭のてっぺんから
足のつま先まで、よ~~~く洗っていますから、
埃なんてありませんよ。」
私はおかしくて笑っていたら、
側にいらした看護師さんお二人もクスクス・・・
先生「いや、内臓には転移しませんが、
骨の中に深く食い込んでいきますから
悪いものは取って置いた方が安心じゃありませんか。」
母「いや、いいんです。痛くて痛くて我慢出来なくなったら
どんどん痛み止めを注射して
痛みを取り除いてくれればいいんです。
本当は安楽死をお願いしたいんですが、
そうすると先生が捕まっちゃうでしょう?
苦笑いをしながら 「そうですねぇ・・・実は私、
アンチエイジングの研究仲間に入っているんですが、
ご家族皆さんの亡くなられたお年や
原因をお聞きしてもいいですか。」
お話はしばらく続き 最後に
「仕方ないですねぇ。私もちょっと心配なので
来年の4月10日にまた来てもらえますか。」で
この日の診察は終了。
ねぇ、お母さん、簡単な手術のようだし、
受けて置いた方が心配もないし、
後々安心だと思うけれど・・・
と言った私に
あなたは120歳まで生きたい?と問われ
先生に100歳以上生きられますよ、
と太鼓判を押していただいた元気な母でさえ
96歳という年齢は老いを自覚する日々なのだ。
「日々発見」と言うより「日進月歩」なのだそうだ。
お正月の2日から全くブログが開けなくなった。
毎日ブログを開けると下記の画面が出て来て
何が起きたのか全く分からなかった。
どうしたらいいの???
Lineにブロ友のかこちゃんから
ずっとアップされていないけれど何かあったの?と
ご心配のメールをいただいた。
彼女はサイバー攻撃を受けたその日の夕方から
普通に使えていたとのこと。
さすがに4~5日も経つと心配になってきて
シーママさんやぽっぽちゃんにも伺ってみた。
ぽっぽちゃんは何事もなく、
私のブログにコメントも入れられた、ということだったが、
私自身はそのコメントを見ることは出来なかった。
シーママさんも同じ状態でいろいろ情報を送って下さった。
他にも毎日私のブログを見て下さっているみっちゃんは
ご自分の携帯が壊れてしまったのかと、
寂しいと、メールを下さった。
今日、ようやく復旧!!
これを知ったのもみっちゃんからのメールだった。
皆様ありがとうございました。
約320万人のGoo blog会員の中には
まだ、解決していない方もいらっしゃるとのこと、
早く復旧して欲しいですね。
ここ数日、早く上げたいブログを前に
パソコンの前で四苦八苦
一昨日の夜中、伊那谷(2)をアップしようとしたら
急にゴツゴツの大きな文字が現れ、何としても変わらない!
しばらく前から、目が見にくくなり、夜中のパソコン画面は
頭痛と吐き気の根源になりつつあったので、
自分でフォントを明朝体に、
フォントサイズを4に変えてアップしていたが、
フォントの蘭が全くなくなって、どこをいじっても駄目・・・
いろいろ探したが分からない・・・
さて・・・と考えている内に
20年前にパソコンサロンでお目に掛かって以来、
パコ丸先生門下生、我々5~6人の中で最も優秀な方、
現在はパソコンの先生として活躍されている「シーママ」さんに
助けを求めた。
教室終了後、直接、17時に我が家にいらして下さった。
彼女も初めてのケースだったらしく、
原因が分からなかったようだが、
携帯電話を手に、いろいろ調べて下さっている内に、
数日前からGoo blog の中で形式が変わったという記事?
を見つけて下さった。
私は原因が分かっただけで十分納得したが、
彼女は帰宅してすぐ、
ご自分のパソコンも調べて写真も送って下さった。
最近は日々の生活に追われ、全く勉強もせず、
昔教えていただいたことも全て忘れている私。
シーママ先生、
いつか時間が出来たら生徒として伺わせて下さいね。
ありがとう、とっても助かりました。
昨日の夕方 私がシャワーを浴びていたとき、
突然の雷と豪雨、何度も稲妻が走り、
ゴロゴロゴロゴロッ・・・・ガッッシャ~~~~ン
その時は、うっすらとガラス戸の向こうに夕方の薄明かりがあったが
どこかに雷が落ちたのか 突然家中の明かりが落ちた、
夫がブレーカーを触ってくれたのだが、全然元に戻らず、
しばらく待っていた。
30分経っても、1時間経っても、東電に何度お電話をしても
全く繋がらず、これは大変だ、とだんだん深刻になってきた。
昨年の千葉の地震?台風?の時21日間停電が続いたことで
その直後の死者の数より関連死者数が
多かったというニュースを思い出した。
我が家のシャッターは電動になっているので動かない.
暑いし、お腹は空くし、だんだんイライラしてきた。
こういうときのために、インスタント麺でも用意しておくべきだった。
あれっ・・・ふと気付くと、
ご近所は半々ぐらいの割合で電気がついている。
お隣もお向かいも・・・
どういうこと?
あちこちの東電に電話をしていた夫が
「こりゃ、駄目だ、部署が違うと何も分からないらしい。
そうだ、北さんに聞いてみよう。」とテニス仲間で電気技師をなさっている方に
ご連絡をしたらすぐに飛んできて下さった。
お風呂場の入り口の上にある分電盤を触っていらしたが、
駄目だね、動かない、ここが故障したのかも・・・・・・・
うん?これはなんだ?と言って隣の箱を見ながら
こんなの初めてだと言い 蓋を開けたり閉めたりしながら、
ブレーカーを直して下さった。
私達はすっかり忘れていたのだが、
10年ほど前に太陽光パネルを屋根に設置したとき、
この左側の大きな箱の中にその為の分電盤を独立させて
入れて下さったのだ。
母が自分のことを言うときに「何でも忘れるしゅうこちゃん」と
いつも言って笑わせるが、今では「何でも忘れるまあちゃん夫婦」
になってしまっている。
北さんのお陰で3時間で元に戻ったが、
北さんがお出掛けだったら、翌日もそのままだったかもしれない。
ただ・・・電気が通じた途端に「SECOM]から
ずっと電源が切れていたので問題が発生しているのかもしれない、
今からすぐに伺います、というお電話があった。
ということは、ひどく困ったときには「SECOM」さんに
すぐに連絡をして「教えて下さい」と頼む手もあるのだと
全てが終わった後に気付いた。
今回の「真夏の夜の恐怖」でたくさんのことを学び
これからの災害に備えて、良い予行演習になった。
7月19日頃、夫と母の部屋のエアコンの冷気が突然出なくなった。
初めはあまりの暑さに、効きが悪いのかとしばらく様子を見ていたが、
他の部屋は全く問題がない。
いろいろあって、
パソコンからジャパネットさんに電話をして
冷凍機能でお掃除を自動ですることが出来るという
商品を頼んでもらった。
翌々日には2台のエアコンが届き、
その翌日には取り付け業者さんが来て下さった。
ところが・・・ここで大変な問題が!!
我が家は25年前の建て替えの時、
ある住宅メーカーにお願いをしたのだが、
その時、エアコンはマルチタイプという方式で、
4台のエアコンがひとまとめになって壁の中に埋められていた。
その後、10年ほど経って、電気の廃熱を利用するために
「エコキュート」に替えたらどうかと勧められ、
台所だけはどうしてもガスを残して欲しいと私が押し切って、
その時、家中のエアコンも全て電気に切り替えたのだった。
夫と母の部屋は壁に新旧のエアコン2台並べ、
1台は使えないまま飾り物、
娘達が使っていた2台については、
全くそのまま、使えないままに置いておく。
それを全部使えるようにするには
4台全てに室外機を独立させるという。
話を伺っている内にそれは不可能ということが分かった。
その業者さんは全てを持ち帰り、
キャンセルをジャパネットさんに伝えて下さった。
そして、数日後、ハウスメーカーさんが見えて、
今までと同じマルチタイプの契約を交し、8月8日に納入。
壊れたのは2台だけ、しかも他の2台は子供達が結婚をして
出て行ったためほとんど使っていないのに・・・
そして、リビングと寝室ももう14年経っているから
そろそろ駄目になる、
この暑さの中で急に壊れたら大変だと言われ、
8月末には買い換えることになった。
あぁ~~~~~年金生活者の悲哀、怖い、怖い、
6畳用のエアコン4台だけでなんと約100○○。
取り外した4台のエアコンと1台の室外機
結局、大変な思いをしたが、
室外機をそれぞれ4台外に並べるなんてとんでもないし、
猫の額がネズミの額になってしまう。
今は母も夫もそれぞれの部屋でのんびり!
新しいエアコンはとっても涼しいらしい。
28度に設定すると寒くて仕方がないから30度にしている、そうだ。
良かった・・・でも今月末にはまたまた大きな出費、
もっともっと寒くなる・・・
2月半ばの鬼の霍乱騒ぎから1ヶ月半、
まあ~~いろいろありました。
2月16日に突然熱が出て、
熱といっても37度2分しかないし、
頭痛、目眩はあるものの風邪の症状
鼻水も咳も喉の痛みもなかった。
しかし、あまりの気分の悪さに血圧を計ったら
上が207 下が107,
慌てて救急相談に電話をしたら、
近所のクリニックを紹介された。
そこの美人の女医さんは「血圧が安定していないから、
とりあえず、血圧を下げる薬を14日分出しますから、
毎日記録を取り、
2週間後に来て下さい。」と言われた。
2週間後に血圧手帳を持って、
自分ではもう大丈夫と信じて来院すると、
飲み忘れが多いし、
薬を飲んでも120~130というのは問題がある。
現在の半分の量の薬を出すので、毎日飲んで手帳に記入して
1ヶ月後に来て下さい、と優しい美しい笑顔でおっしゃった。
私は「勝手には逃げられない、
今度は忘れないようにしなければ。」と真面目に決心し、
3月1日からレザルタス配合錠という薬を毎朝1錠ずつ飲み、
朝晩の値を書き付けていたが、大事件が!!!
3月8日、夕方、家族3人、イタリアンレストランで外食をし、
帰宅後、何だか気持ちが悪く、
早めにベッドに入ったものの眠ることが出来ず、
夜中の2時過ぎから
上から下からお祭り騒ぎで一睡も出来なかった。
翌9日、10日はほとんど水も飲めず、
薬どころではなかったし、
その上、次々と夫も母も同じ症状でダウン。
問題の血圧も上が104,下が73、脈拍81、
これにほぼ近い値がしばらく続いたので、
120~130に上がってきてからも
薬は全く飲まずにいた。
3月28日、血圧手帳と残りの薬を持って来院。
この日も多くの患者さんが並び、
25人、2時間半ぐらい待つということなので、
受付を済ませ
一旦家に帰り、15時に出直した。
美人の女医さんは私の血圧を測りながら「え~~っ、アハハ170もあるよ!」
私「えっ・・・・嘘・・・でしょう?」
「いや、あるよ!」
「嘘・・・えっ・・・食後に計ると
130とか140になることはあるけれど・・・」「うん、それはいいのよ・・・まっ、いいか・・・
暖かくなれば血圧は下がるから、大丈夫だね。
でも、元々そういう体質を持っているから、
これからも、時々チェックしておいた方がいいですよ。」
とおっしゃった。
これで、血圧からのストレスは解放された・・・と思いたい!!
母の耳が少しずつ聞こえにくくなってきて
日々、小さなさざ波が立ち始めている。
90歳になった頃から
「音は聞こえるのに何を言っているのかよく分からない。」と言いだした。
何度か耳鼻科にも行き、補聴器を勧められ、
シーメンスのかなり高額な補聴器を買ったが、
頭が痛くて、耳に入れるのがどうしても嫌だと言い、
数回、調整に通ったものの、
結局使わないまましばらくしてから 捨てた、と言った。
私は驚いて、もったいない、もしかしたら、
もっと耳が悪くなったら使えるようになるかもしれない
とそっと隠して取って置いた。
もっとも、私は隠していたことも最近まで忘れていたが・・・
孫達も心配して、それぞれ良いと思われる補聴器を
取り寄せてくれ、さらに、大阪に住む甥からも
送られてきたが、母の気に入る物はなかった。
そして、先日、テレビで広告されていた補聴器が
何となく気になって、
1週間以内なら返品も出来るとのことだったので
早速取り寄せたが、結局2~3日付けただけで、
何か仕事をしようとすると前に落ちてしまいそうになるし、
頭が痛くて長く付けるのはいやなので、
すぐに返品してほしいと言った。
以前より話も聞こえているようだし、
もう少し続けて欲しいと思うのだが
一度嫌だと思ったら、
我慢して慣れるまで使うことはむずかしいらしい。
どこかに母に合う物はないのだろうか。
・・・仕方がない。
目を見て、ゆっくり、しっかり声を張って・・・
最後には紙と鉛筆がある。
やがて自分も行く道・・・辛いだろうな
ああ~~~早とちり!
自分勝手にもう何ら問題はないと思っていたのに・・・
しかも、お薬を飲まなかったのは確信犯だったのに・・・
今日も忙しい一日だった。
夫の定期的な目の検診の送迎帰宅途中、
家に帰る前に私の診察券を先に出しておこうと
救急のクリニックに11時40分に順番取りを兼ねて立ち寄ったが、
「順番途中で席を外すようなら12時までに必ず戻って下さい。」と言われ、
とりあえず、夫を自宅まで送って大急ぎで戻ってきた。
待つこと、それから1時間半。
美しい女医さんが
「すみませ~~ん、随分お待たせしましたね。
途中で他の用事を済ませて、
時間になるまでに来てもらってもいいんですよ。」
私はひどく驚いた。
受付の女性の言われたことは一体・・
まぁ、いいか・・・もう、ここに来ることはないから。
そして、2週間私が記録してきた血圧手帳に目を通しながら、
美しい女医さんが
「飲み忘れが多いですね。薬を飲む習慣がないから仕方ないですね。
薬を飲んでいて120~130台では、まだ心配です。
この季節の寒さではどうしても血圧が上がりますから、
半分の量に減らしてもう1ヶ月飲みましょうか。」
彼女の優しくて、ステキで自信に満ちた説得に
私は頷いた。
ここ数年、毎朝、5~6種類の野菜と果物のスムージー400gと
生のタマネギと酢のスムージーを大さじ1杯ずつ、家族3人、
他のものは一切お昼までは食べないようにしているし、
間食も、肉も気を付けているのだが・・・
大丈夫!
後、1ヶ月 時々薬も忘れながら頑張る!
ご心配いただいた皆様、ありがとうございます。