ピースボート・地球一周の船旅26
イースター島/チリ編 [12/4]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/9a/0d4470ae17ede125fb0865b8075fd9b0.jpg)
イースター島沖に着いたのは、朝の7時であった。
イースター島には大きな船が着岸できる桟橋・港がない。
船は沖に碇を降ろし、通船(=テンダーボート)に乗船し上陸する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a7/319708378735f5efb9ea91b8afe65d0a.jpg)
この日は風が強く、波が大きく、客船からテンダーボートに乗り移るのが大変であった。
オロンゴ岬
1960年代に復元された石積みの住居跡
オロンゴ岬にあるカルデラ湖、右はレンジャー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/02/ee7f754ef44ff233ae8af646993f6258.jpg)
アナケナ・ビーチとアフ・ナウナウ[モアイ像]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/5b/7f6d1367d186badbfc07dfbe31f0739d.jpg)
後ろ姿[入れ墨が見える]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/16/ee580f6655f1873c09c63775eec7c73c.jpg)
ここで昼食
[イースター島への食料の持ち込みは禁じられている、船で特別に作られたパンの弁当だけが許可された]
トイレ事情はとても悪く、オロンゴ岬には男女共用で1つしかなく、
この海岸はきれいなトイレがあるが、1ドルのチップが必要。
アフ・トンガリキ
石を取る山[ラノ・ララク山]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/69/ece2619244e28dc9df6826d937ca52d3.jpg)
これらのモアイは戦争や地震などで壊滅的打撃を受けていた。
日本のクレーン会社タダノが修復・復元した(1991~1995)。
そのことを記したプレートがあるが、謙虚で控えめで1m四方ほどの小ささであった。
ラノ・ララク山[モアイ制作の場所だった所、製作途中のもの・運搬途中で捨てられたもの等色々]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/76/92437a9bdb707fb73100f74aef9d0a8d.jpg)
ここから、モアイ像作成のための石切場のラノ・ラクラ山は直ぐ近くだ。
日本人の感覚で言うとこの山は聖地と呼べる大きさと荘厳さを持つと思うのだが、
現実的には材料供給地で、山肌には制作途中で壊れてしまったモアイ像などが散乱している、
と言う不思議な感じがする場所だった。
港、中央にテンダーボートの桟橋[赤丸部分]がある そこに大きなウミガメが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/26/c1048e20d7a9535d3f3b2794fa6a2cd9.jpg)
快晴でなく、薄曇りであったが日射しは強烈であった。
日焼けはマチュピチュで懲りたので、ここでは長袖シャツ、ネッカチーフをした。
お土産は安くはなかった。
ここのトイレ事情は最悪であった。絶対数がないのだ。
オロンゴ儀式村駐車場のトイレは男女共用で一個しかないし、
他もほとんど同様の状態であった。
観光に力を入れているなら、チップを取って良いからトイレの充実は大事なことと思うのだが。
これは日本人の思いなのだろうか。
船着き場近くはこの島の唯一の村落ハンガロ村で土産物屋があった。
これものんびりしていて、観光客がごった返しているのに出店の準備を始めている出店もあるのだ。
土産品代品は結構高い。
南米のチリから3800km、タヒチからは4000km、最も近い人が住む島までは2000kmという、
まさに絶海の孤島・イースター島はなだらかな丘の島で、チリ領である。
モアイ像が作られた目的、製作方法、運搬方法などは今も謎である。
その石は、火山灰が固まった凝灰岩と言われ、硬くはない。
かつてこの島では人口増加とモアイ像作成のために豊かであった森林を破壊したと聞いていたが、
実際はかなり森林が回復していた。
島全体は緩やかの丘陵で畑は見あたらず、牛や馬の放牧場だけと言う感じであった。
イースター島には二日滞留した。乗客・クルーが半分ずつ上陸した。
2日目は波が穏やかであった。
私は船内でくつろいだ。
イースター島/チリ編 [12/4]
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/9a/0d4470ae17ede125fb0865b8075fd9b0.jpg)
イースター島沖に着いたのは、朝の7時であった。
イースター島には大きな船が着岸できる桟橋・港がない。
船は沖に碇を降ろし、通船(=テンダーボート)に乗船し上陸する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/63/dfc0d73b02ae0332cd76b98aa276f6c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a7/319708378735f5efb9ea91b8afe65d0a.jpg)
この日は風が強く、波が大きく、客船からテンダーボートに乗り移るのが大変であった。
オロンゴ岬
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1960年代に復元された石積みの住居跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/45/551e188d52b9346d7689c7d30c7f86f6.jpg)
オロンゴ岬にあるカルデラ湖、右はレンジャー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/80/e38edee17638617cce66a2b3f3ea206e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/02/ee7f754ef44ff233ae8af646993f6258.jpg)
アナケナ・ビーチとアフ・ナウナウ[モアイ像]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/00/707059e722556907cae48aabfc3943e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/5b/7f6d1367d186badbfc07dfbe31f0739d.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/d1/f6089f04062dfb8d214a0763d76e6b67.jpg)
後ろ姿[入れ墨が見える]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/3d/a5c978336bcdea79a1aacb4fd0fdcbb2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8c/d7a302ce2cafdbdcdca55e5f0e4e8e92.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/16/ee580f6655f1873c09c63775eec7c73c.jpg)
ここで昼食
[イースター島への食料の持ち込みは禁じられている、船で特別に作られたパンの弁当だけが許可された]
トイレ事情はとても悪く、オロンゴ岬には男女共用で1つしかなく、
この海岸はきれいなトイレがあるが、1ドルのチップが必要。
アフ・トンガリキ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/47/de16ea1f1b1dd370ffc9905a0b1e4780.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/6c/f21edd254c0a7b417fbd3035b8ac4133.jpg)
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石を取る山[ラノ・ララク山]
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これらのモアイは戦争や地震などで壊滅的打撃を受けていた。
日本のクレーン会社タダノが修復・復元した(1991~1995)。
そのことを記したプレートがあるが、謙虚で控えめで1m四方ほどの小ささであった。
ラノ・ララク山[モアイ制作の場所だった所、製作途中のもの・運搬途中で捨てられたもの等色々]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/05/150061c64cd51b3bfa94a82e5f35d698.jpg)
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ここから、モアイ像作成のための石切場のラノ・ラクラ山は直ぐ近くだ。
日本人の感覚で言うとこの山は聖地と呼べる大きさと荘厳さを持つと思うのだが、
現実的には材料供給地で、山肌には制作途中で壊れてしまったモアイ像などが散乱している、
と言う不思議な感じがする場所だった。
港、中央にテンダーボートの桟橋[赤丸部分]がある そこに大きなウミガメが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/a6/9e22b3d5618fdba3e4cf0b4c797d4122.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/1d/cc704dc08a48d396ea47d7a9b902b453.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/26/c1048e20d7a9535d3f3b2794fa6a2cd9.jpg)
快晴でなく、薄曇りであったが日射しは強烈であった。
日焼けはマチュピチュで懲りたので、ここでは長袖シャツ、ネッカチーフをした。
お土産は安くはなかった。
ここのトイレ事情は最悪であった。絶対数がないのだ。
オロンゴ儀式村駐車場のトイレは男女共用で一個しかないし、
他もほとんど同様の状態であった。
観光に力を入れているなら、チップを取って良いからトイレの充実は大事なことと思うのだが。
これは日本人の思いなのだろうか。
船着き場近くはこの島の唯一の村落ハンガロ村で土産物屋があった。
これものんびりしていて、観光客がごった返しているのに出店の準備を始めている出店もあるのだ。
土産品代品は結構高い。
南米のチリから3800km、タヒチからは4000km、最も近い人が住む島までは2000kmという、
まさに絶海の孤島・イースター島はなだらかな丘の島で、チリ領である。
モアイ像が作られた目的、製作方法、運搬方法などは今も謎である。
その石は、火山灰が固まった凝灰岩と言われ、硬くはない。
かつてこの島では人口増加とモアイ像作成のために豊かであった森林を破壊したと聞いていたが、
実際はかなり森林が回復していた。
島全体は緩やかの丘陵で畑は見あたらず、牛や馬の放牧場だけと言う感じであった。
イースター島には二日滞留した。乗客・クルーが半分ずつ上陸した。
2日目は波が穏やかであった。
私は船内でくつろいだ。