風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 4

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月15日・土・5日目
この日は、世界遺産の水原華城(スウォンフアソン)に遠出した。

朝食(コンビニ)

ホテルのある東大門歴史運動公園駅[422]から東大門で一号線に乗り換え、141(九老)で一号線の支線に乗り換え、
P154(水原)まで行った。料金は1800wだったと思う。
水原駅

駅前の観光案内所でシティバス(10時と2時の2回のみ)を申し込んだが、タッチの差で間に合わなかった。

水原華城入り口の八達門までバスで行き、その後華城列車(=トラム)出札口まで歩くことにした。
八達門

水原市場
 
途中に教会と仏教寺院が                          蒼龍門(案内所では15分位と言われたがとても遠かった。)
   
弓の体験場                              東将軍台
  
華城列車(1500w)                            華虹門
  
長安門                                西将台
  
お昼は華城行宮近くの食堂、隣の人が食べていた薄く切った餅の入ったスープと海苔巻き(値段は忘れた、安かった)  与民閣
 

華城行宮 1500w
新豊楼                                奉寿堂
 
奉寿堂の内部                             井戸
 
雲漢閣                                その内部
 
台所                                 記録師
 
楽器                                 お餅販売
 
新豊門前広場のイベントに出る踊り子が出番を待っていた。衛兵か。
 
衣装や鎧など                             衣装体験
 

水原観光は、ガイドブックの案内も少なく、また私たちの事前の情報収集も不十分だったため、余裕がありませんでした。
もう少し狭く、歩いて回れるのかと思っていましたが、とんでもありません。城壁内だけで2km四方はあります。
来たルートと逆で帰りました。ホテルで汗を流して、地下鉄で光化門駅に行き、早めの夕食を食べました。
記念碑殿                               そしてこんなモニュメントが
 
何という料理かわかりませんでした。店の外から見た時は上に乗ってるのが中華麺に見えたのだが、もやしでした。37000w。
 
コンロの右の皿には蛸が入っている。美味しいのだが辛い、私たちは、ボールをもらいそれに水を入れ、すすいで鍋に入れた。
韓国の人は、鍋に入れずに食べている人もいた。「茹でた蛸のキムチ」なのかもしれない。
おいしかったがちょっと辛かったので、喫茶店に入った。ホットコーヒーを頼んだつもりだったが来たのは
ウインナコーヒーであった。スティックが付いてきたのだがあまり細いので気がつかずスプーンをもらった。
それに気づいたのはトレイを返却しお金を払う段になってだった。
店員も、我々もにこやかに笑って。9800w。ヨーロッパでもそうだったが嗜好品は値段が高い。

少し時間があったので清渓広場に行った。 左は李舜臣将軍像、その後ろは景福宮の光化門・その背後の山の中腹に青瓦台。
  
 
かつてソウルの中心を流れるこの川は異臭を放っていたそうだ。ソウル市は大英断し大改造を試み、成功した。
今では、夏には子ども達が水遊びできるエリアもあるほど綺麗になり、老いも若きも集い、そぞろ歩く名所だ。

シティツアーバス夜景コースは光化門を8時出発、約1時間半かけて市内を巡る。5000w。
私は、名所前で立ち止まって少しは見せてくれるのかと思って少し期待していたのだが、ただ通るだけだった。
メインはソウルタワーで20分自由時間があることだった。多くの市民が、ソウルタワーからの急な坂道を歩いて下っていた。
 
私は昼来ているので少し情報があったが、初めての人はバス駐車場から展望台までは迷ってしまうだろう。
夕食の時ビールを飲んだのが失敗であった。この20分でトイレに入り、バスへ急いだのが良くなかったのだろう、
これまでの疲れも重なってこの夜、妻の体調が少し乱れた。

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【コーヒーブレイク】
私は、三年前の2007年7月13日~15日ソウルに観光旅行に来た。
三年前は韓国のエネルギーの激しさを感じたが、どこか危うさというか急ぎ過ぎを感じた。
が、今回は、韓国の成長の早さと確かさと落ち着き・成熟さも感じた。
こんなことを言ったら傲慢ではあるが、三年前は日本に追いつき追い越せと言うがむしゃらさ、
そして対北に勝つと言う切迫感が強かった様に感じる。
だが、今日日本と肩を並べたとまではまだ言えないが大いなる自信を獲得し、北との関係では負けないという自信も大きいと思う。
それは経済的面は言うまでもないのだが、政権交替などがそれまでは頻繁に起こってきた軍事クーデターによってではなく、
平和的に行われるという政治的安定・民主主義の確立が大きいと私は思う。
5月18日はテレビで光州事件追悼番組がたくさん流れていたそうだ(妻は国立中央博物館に行かず荷物整理をした)。
こうした事情の端的な表れが、街の看板などの漢字・英語表記が激減、ほとんどなくなったことと無関係ではないと私には思えてならない。
韓国のナショナリズムの静かなる、成熟の現れだと私は感じた。
金大中さんから始まった、日本文化の受け入れも自分たちの文化の自信の現れだと思う。
だが、それらは私にとってはすこぶる不便なことでもあった。
どういうことかというと、韓国語がわからない私は、例えば食堂に入っても注文するのはとても難しいのだ。
妻は、ハングルが少し読めるのだが、その意味を十分理解し、会話ができるほどではまだない。

前回は、片言の英語で聞くと英語が返ってきたように感じたが今回はハングルが返ってきた。
 
ソウル駅                               南大門市場
そして、時代が大きく変わったと強く感じるのは、『韓流ブーム』の素晴らしさである。
諸手を挙げて全て良しとは当然言えないが、かつて日本にあった、韓国・朝鮮に対する根深く・根強い差別・蔑視・偏見、
同時に、その裏返しとも言えかねない、韓国・朝鮮に対する屈折した自虐・自信喪失の双方によく働いたと私は思うのである。
韓流ブームがそれらを全て一掃・解決したとは言えないが、特に若者や熟年女性においては極めて明朗になったのは確かだ。
それは同時に、かつての日本と韓国・朝鮮の関係を全て水に流してしまっても良のだという危うさも当然持っているのだが。
楽観はできないがこうして紆余曲折しながら、日本と韓国・朝鮮の関係は少しずつより良くなっていくのだとつくづく思った。

《タクシー・バス・道路事情》
今回、タクシーは安いので利用するつもりだったが、ほとんど利用しなかった。
韓国の道路はとても広いので、センターの2車線はバス専用レーンになっていて、バスの利便性は極めて高いと思う。
だが、ハングルがわからない私たちには何行きなのかわからないのでなかなか利用できなかった。
車は多いのだが、前回のようにいつも渋滞という感じはしなかった。
前回は乱暴な運転が気になったが、今回はそれは感じなかった。
前回は一日一回は交通事故を目撃したように感じたし、私が乗ったタクシーも衝突されたが、
今回は一度も交通事故を見なかった。
それは車のボディに現れていて、前回の時はほとんどの車が傷だらけの印象だったが、今回は傷は無く、きれいであった。
車優先の事情は相変わらずで、横断歩道でもほとんどの車は止まってくれない。
韓国の道路は広いのだが、横断歩道が少ない。広すぎて一度の青信号では渡り切れないほどである。
それは、「有事」の時は、飛行機の滑走路に出来、装甲車などが通りやすいためと言われた。
大きな交差点では横断歩道が無く、地下通路を使って横断や右折することになる。
エスカレーターは少ないので、この地下通路の階段の上り下りはとても疲れるし、地下に入ると方向がわからなってしまうこともあるので苦労した。
怖いのは、バイクが歩道を走る事だ。韓国では車は右側通行、道幅が広いので左折出来ない交差点が多い。
その時バイクは歩道・横断歩道を走って車線変更をするのだ。
韓国では荷物運搬用にバイクがまだまだ多用されている。
だが、ベトナム・カンボジア・台北のようなバイクの洪水・氾濫はない。
地下鉄・地下通路、は便利なのだが、高齢者・障害者だけでなく利用者にかなりきついのは確かだ。
高齢者は、近場の時はおそらくバスの方を多用しているのではないだろうか。

《トイレ・水事情》
ヨーロッパや多くのアジア諸国ではトイレ事情がかなり悪いが、韓国のトイレ事情は全く問題無い。
メトロの駅、通路には必ず掃除の行き届いたきれいなトイレがあり、公共の場・観光地にもきれいなトイレがほとんどあった。
ウオシュレットは全く見かけなかった。トイレットペーパーは便器に流さないのが通常のようだ。
空港                                 南山韓国村
  
タプコル公園                             国立民族博物館
 
新村・現代百貨店

飲み水の心配も全く無かった。
水道水は飲まない方が良いと言われるが、食堂では日本と同じように必ず水が無料で提供され、
駅や飛行場などでは無料のウォーターサーバーがかなり普及してた。
また、コンビニ、キオスク、通りに小さな出店が各所にあり、500mlで500~800wで簡単に手に入るので、心配は全く無用です。

これは空港にあったものですが、同じものがホテルにもありました。

《街の風景/軍事色、食事・その他》
今回、軍を感じたのはたった一回あった。
地下鉄の独立門駅を降りた時、軍関係の車両が通るというので通行規制が行われた。それ以外は全く感じなかった。
町の中で迷彩服を着た若者がいたが一人または家族と一緒であった。それは軍服というよりファッションのように見えた。
前回は、空港内は撮影禁止だといわれた。これは前回撮った写真ですが、黒シャツの二人の男性は、交差点で立哨する警察官です。

道路の靴磨き屋さん、3000w。

食事は、概ね辛いですが、自分でかなり調節できますし、それほどではありませんでした。
おもしろいのは、多くの食堂が単品的、例えば、鶏鍋屋さんはそれだけ、トッポッキ屋さんはそれだけという感じが多かったことです。
焼き肉屋では、ニンニクを網の上で直に焼く店と小さな入れ物に油を入れてそれで揚げるお店がありました。
魚はほとんど食べませんでした。旅の終わりには、煮魚や焼き魚を食べたくなりました。
マグロ食べ放題という看板の日本食の食堂みたいな店を見ましたが、入りませんでした。
飲み屋風の食堂に入った時は、鯖を焼き肉のよう焼いて食べるようでした。出された日本語のメニューには、他は蛸だけ。
店員が、「蛸は辛い」と親切に言ってくれましたのですが、その店は結局入りませんでした。
後日、鍋料理を食べた時、真っ赤な蛸が山ほど出てきました。私たちは、水ですすいで辛子入りたれを除いて鍋に入れたのですが、
味はおいしかったのですが、それでもけっこう辛かったです。コンロの右にある赤いのが蛸で、その上がすすいだ水。

市場では、魚は豊富でしたので、日常的には魚は豊富に食べられているのだと思います。

《その他》
ソウル駅前地下通路

前回、ソウル駅前にはかなりたくさんのホームレスがいたが、今回はほとんど気にならない数であった。
町の通りに「物貰い」はいたが、ヨーロッパや他のアジアの国々とは比較にならないほど少なかった。

「円とウォンのレート」は、前回は100ウォン=約13円」、現在は100ウォン=約8円。
ほとんどのお店でカードが仕えました。
若い女性のファッションも日本と同じだと思いました。
短パンにスパッツ、下着みたいなスカートの下にズボンなどは韓国もそうでした。
しかし、電車の中で化粧する人は見かけませんでした。
男女のカップルでは、女性の方が積極的に男性の手を握ったり、肩を組んだり、髪を撫でたり男性に甘えていました。
ミニスカートも多かった。少しお年を召した女性はズボンが多かった。
Tシャツ一枚の人がいれば、コートを着ている人もいた。
気候は東京よりだいぶ過ごしやすかった。朝晩は上着があった方が良い。
日射しは強いので短いと日焼けが心配で、日中は長袖Tシャツ一枚だった。
最後の日に雨が降ったのだが、折りたたみ傘が多かった。また、地下鉄では傘をビニール袋に入れている人が多かった。
おもしろかったのは、地下鉄でも食堂でも傘を床に置く人が結構いたこと。
通りにゴミはほとんど落ちていませんでした。
自転車はほとんど見かけなかった。                                    【続く】

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