風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

家族の庭、ラビット・ホール

2012年04月05日 | 映画

4歳の息子を交通事故で失ったベッカとハウイー夫婦は、その悲しみから抜け出せません。
二人の間に小波が生じ、きしみ始めるが何とか持ちこたえ、生きる元気を回復していく物語。
美しすぎるニコール・キッドマンが初めて制作した映画という。
ラビット・ホールとは、交通事故を起こした高校生が制作するコミックで出て来る「パラレル・ワールド」=
この世とは別に存在する世界の入り口、そう不思議な国のアリスへの入り口のような穴のこと。
ベッカが交通事故の当事者と巡り会い、交流するというちょっと不自然なストーリーではあるのですが、
美しいキッドマンならOKです。
私には、ベッカの母親とベッカとの関係がこの映画のポイントではないかと思います。
母親は、息子、ベッカの兄を失っているのです。
ベッカは、兄はアル中・覚醒剤で死んだ、自分の息子の死を同一視しないでと、母親に反発しているのです。
母親は、ベッカ怒りにオドオドしながら、「大きな岩のような悲しみは、やがてポケットの中の小石に変わった」。
悲しみは決して無くなることは無いのだけど、時の流れとともにそれは変わって行く。
この味わいある言葉と、少年の言うこの世とは別にあるかもしれない世界(パラレル・ワールド)で、微笑んでいる自分がいるかもしれない、
という新たな思いは、自分たちにも新たな変化があり得るかもしれないと思うベッカでした。
そう、時の経過は、人に必ず安らぎと落ち着きを与えてくれます。
ハウイーが、同じように子供を失った女性に心引かれ、彼女の家を訪れるのですが、「Sorry」とだけ言って帰ります。
悪い人が出てこないのはおかしいのですが、これもニコールに免じて、OKとしましょう。
キッドマンは、ちょっと老けて痩せすぎですが、溜息が出るほど美しいです。

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こちらはしっとりした映画です。
ロンドン郊外に住む地質学者のトムと医学カウンセラーのジュリーの初老の夫婦の共通の趣味は市民農園のガーディニング。
彼らの家には、色んな人が訪れてくるのですが、彼らはその夫婦とは全く別世界の住人ような色んな問題を抱えています。
私は映画が進んでいくうちに、全く問題が無く何不自由ない幸せそのもので優等生の彼らが実に嘘っぽく見え、胡散臭くなって来ました。
まるで友人達に医学カウンセラーのように振る舞うのですから。
私には、ジュリーの同僚・メアリーこそこの映画の主人公と思いました。
初老を迎えた彼女は、二度の離婚歴があり、相手を求めているのですが出会いが無く、アル中です。
映画のラストは、彼女のなんと表現して良いのかわからない複雑な表情で終わります。
ジュリー一家は、彼女の一人息子が婚約者を連れて訪れ、家族水入らずの食事と会話を楽しんでいます。
その場に、招かれざる・歓迎されない客として彼女はその場にいるのです。
彼女は、実は密かにその一人息子に思いを寄せているのです。このかなわぬ恋は実に残酷です。
ジュリー一家の会話は、彼女の住む世界とはあまりにもかけ離れた別世界、そうまるでパラレル・ワールドなのです。
彼女はその会話に入って行けないだけでなく、その場にいることすら耐えられないほどの悲しみと孤独が襲われているのです。
その複雑な感情の彼女の瞳は、私たちのこれからの人生の暗示です。
そう、これからの私たちはこのジュリーのように、寂しさと孤独に包まれるのだろうなと思い、共感です。
イギリス英語の発音が、私には穏やかで良かったです。   【4月2日】



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