2.ルネサンスとは何であったのか/塩野七生ルネサンス著作集1
写真は表紙に使われたミケランジェロの「アダムの創造」
・見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が後世の人々によってルネサンスと名付けられることになる、精神運動の本質でした。
・宗教には教典をもつ宗教か、それをもたない宗教かの違いがある。教典をもつ宗教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教でいずれもが一神教。教典をもたない方の代表はギリシャ人やローマ人が信じていた宗教でこちらは多神教。 独立した聖職者階級をもつかもたないかの違い、聖職者とは教典を解釈し一般の信者に説き聞かせる、ギリシャ・ローマには聖職者階級は存在する必要も無かったし、存在しなかった。
・中世は土地を資産とする経済構造下にありその土地を所有する封建領主が主導権をふるっていた時代、これに対し、土地は持っていないが頭脳は持っている人々が集まって作ったのが都市国家。頭脳宗団であった都市に住む住民達の一人一人の生産性は高くルネサンス盛期では封建領主や修道院の所有地で働く人の40倍にもなっていた。フレンツェ・ヴェネツィアの経済力の方がフランスやイギリスやトルコを完全に凌駕していた。
思考と表現は同一線上にあってしかも相互に働きかける関係にある。明晰で論理的に話しかけるようになれば頭脳の方も明晰で論理的になる。~自分の目で見、自分の頭で考え、自分の言葉で話し書くルネサンス、神を通して見、神の意に添って考え、聖書の言葉で話し書いた中世。
現代イタリア語の基本は14~16世紀フレンツェのダンテからマキャヴェッリ等によって完成した。イタリア語では古文が存在しない、そのまま現代に通じる。
ヴェネツィアではペストの潜伏期間とされている40日を過ぎた後でないと入港させなかった。検疫という言葉はヴェネツィアの方言40日間の意味から来ている。
デカメロンとは10日の物語の意味だが、10をあらわすギリシャ語のデカと日をあらわすhemeraの合成語。
政治とは、行き過ぎを是正することで経済の繁栄を長続きさせる人智、と言い換えても良い。
レオナルド・ダ・ヴィンチは見ることのできないものを論ずるのは意味がないと言ってプラトン・アカデミーには参加しなかった。
宗教とは信ずることであり、哲学は疑うことである。哲学では原理の樹立と破壊をくり返し行うことによって成される。
マキャヴェッリは考えた。
千年以上もの長きにわたって指導理念であったキリスト教によっても人間性は改善されなかったのだから、普遍であるのが人間性と考えるべきだと。
・十字軍とはそもそも人口が増加したヨーロッパに増えた人口を養っていけなくなってパレスチナに繰り出したのが発端。
・異なる考えも認めたのがルネサンスならば認めることを拒否したのが反動宗教改革=カトリック教会内部に生まれた危機意識の所産で異端裁判嵐が吹き荒れる時代になった。主役はスペイン人となった。
・ヴェネツィアでは、利益率の高い胡椒を初めとする香味料を運ぶ大型ガレー商船は個人の所有は許されず国家所有であった。
・ヴェネツィアでは、プラトンアカデミーのような古典の研究機関はなかったが、古典を対訳までつけて、文庫本で出版した。
ルネサンスの遺産とは、
①芸術品
②精神の独立に対する強烈な執着=自分で見、自分で考え、自分の言葉で話し表現し他者に伝える。
③二元論ではなく一元論的考え方。
~キリスト教では神は善であり、悪の方は悪魔としか言いようがない。善と悪・精神と肉体・神と悪魔というように元は二つに分かれている。
~古代のギリシャ・ローマでは神さえも善と悪の双方を持つ存在であり、まして人間では自分の内に善と悪の双方を持つ。古代を復興したルネサンスでは当然ながら人間が中心にならざるをえない。悪もまた我にあり、なのだから自己コントロールを求められる、精神も強靱でなければならない。
《とにかく一神教の害毒は計り知れない。今日のアメリカは一つの一神教と言える、世界の唯一超大国の善なのだから。金日成もしかり、スターリン主義の共産主義も、毛沢東・ヒトラーもそうであった。唯一絶対を掲げるものを一神教とすると少し世の中見えてくる。全てをこれで割るのは乱暴だが。仏教は一神教ではないが、他力本願=絶対的な仏に導かれる、は一神教につながるかもしれない。
絶対神にあこがれ・信仰する人の精神はどこから生じるのだろうか?
古代ローマの次はルネサンスか中国かと思っていたが、間をおこう。》
1.紅衛兵の時代/張承志著/岩波新書
写真は表紙に使われたミケランジェロの「アダムの創造」
・見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が後世の人々によってルネサンスと名付けられることになる、精神運動の本質でした。
・宗教には教典をもつ宗教か、それをもたない宗教かの違いがある。教典をもつ宗教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教でいずれもが一神教。教典をもたない方の代表はギリシャ人やローマ人が信じていた宗教でこちらは多神教。 独立した聖職者階級をもつかもたないかの違い、聖職者とは教典を解釈し一般の信者に説き聞かせる、ギリシャ・ローマには聖職者階級は存在する必要も無かったし、存在しなかった。
・中世は土地を資産とする経済構造下にありその土地を所有する封建領主が主導権をふるっていた時代、これに対し、土地は持っていないが頭脳は持っている人々が集まって作ったのが都市国家。頭脳宗団であった都市に住む住民達の一人一人の生産性は高くルネサンス盛期では封建領主や修道院の所有地で働く人の40倍にもなっていた。フレンツェ・ヴェネツィアの経済力の方がフランスやイギリスやトルコを完全に凌駕していた。
思考と表現は同一線上にあってしかも相互に働きかける関係にある。明晰で論理的に話しかけるようになれば頭脳の方も明晰で論理的になる。~自分の目で見、自分の頭で考え、自分の言葉で話し書くルネサンス、神を通して見、神の意に添って考え、聖書の言葉で話し書いた中世。
現代イタリア語の基本は14~16世紀フレンツェのダンテからマキャヴェッリ等によって完成した。イタリア語では古文が存在しない、そのまま現代に通じる。
ヴェネツィアではペストの潜伏期間とされている40日を過ぎた後でないと入港させなかった。検疫という言葉はヴェネツィアの方言40日間の意味から来ている。
デカメロンとは10日の物語の意味だが、10をあらわすギリシャ語のデカと日をあらわすhemeraの合成語。
政治とは、行き過ぎを是正することで経済の繁栄を長続きさせる人智、と言い換えても良い。
レオナルド・ダ・ヴィンチは見ることのできないものを論ずるのは意味がないと言ってプラトン・アカデミーには参加しなかった。
宗教とは信ずることであり、哲学は疑うことである。哲学では原理の樹立と破壊をくり返し行うことによって成される。
マキャヴェッリは考えた。
千年以上もの長きにわたって指導理念であったキリスト教によっても人間性は改善されなかったのだから、普遍であるのが人間性と考えるべきだと。
・十字軍とはそもそも人口が増加したヨーロッパに増えた人口を養っていけなくなってパレスチナに繰り出したのが発端。
・異なる考えも認めたのがルネサンスならば認めることを拒否したのが反動宗教改革=カトリック教会内部に生まれた危機意識の所産で異端裁判嵐が吹き荒れる時代になった。主役はスペイン人となった。
・ヴェネツィアでは、利益率の高い胡椒を初めとする香味料を運ぶ大型ガレー商船は個人の所有は許されず国家所有であった。
・ヴェネツィアでは、プラトンアカデミーのような古典の研究機関はなかったが、古典を対訳までつけて、文庫本で出版した。
ルネサンスの遺産とは、
①芸術品
②精神の独立に対する強烈な執着=自分で見、自分で考え、自分の言葉で話し表現し他者に伝える。
③二元論ではなく一元論的考え方。
~キリスト教では神は善であり、悪の方は悪魔としか言いようがない。善と悪・精神と肉体・神と悪魔というように元は二つに分かれている。
~古代のギリシャ・ローマでは神さえも善と悪の双方を持つ存在であり、まして人間では自分の内に善と悪の双方を持つ。古代を復興したルネサンスでは当然ながら人間が中心にならざるをえない。悪もまた我にあり、なのだから自己コントロールを求められる、精神も強靱でなければならない。
《とにかく一神教の害毒は計り知れない。今日のアメリカは一つの一神教と言える、世界の唯一超大国の善なのだから。金日成もしかり、スターリン主義の共産主義も、毛沢東・ヒトラーもそうであった。唯一絶対を掲げるものを一神教とすると少し世の中見えてくる。全てをこれで割るのは乱暴だが。仏教は一神教ではないが、他力本願=絶対的な仏に導かれる、は一神教につながるかもしれない。
絶対神にあこがれ・信仰する人の精神はどこから生じるのだろうか?
古代ローマの次はルネサンスか中国かと思っていたが、間をおこう。》
1.紅衛兵の時代/張承志著/岩波新書