風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

12月読書ノート

2005年12月25日 | 読書ノート
7.『がんばりません』:佐野洋子著

6.『アジアの聖と賤』―被差別民の歴史と文化=野間宏/沖浦和光
 20年も前の1983年出版である。
 インド・中国・朝鮮・日本の被差別民衆史を60歳代の野間さんと50歳代の沖浦さんが“朝日ジャーナル”で対談したものを加筆したもの。
 テーマは重い。  
 2500年以上も前から今日もなお存続するインドのカースト制度=不可触、日本の被差別民、朝鮮の白丁の歴史を丁寧にひもとく。
 中国・日本・朝鮮は律令制が長く、北方騎馬民族と農耕民族が入り交じって来た。騎馬民族は肉食であり、家畜を殺し、食し、皮革を扱うことは〈賤〉=穢れではない。農耕民だからと言って、生き物を殺すことは必ずしもタブーではない。
 仏教は生き物の殺生を禁ずる、また輪廻思想、などが入り交じって、社会の中に被差別民、とその思想・意識を作り出していく。
 沖浦の挑戦は遠大だ。
 沖浦は、
「(これらの問題は)連続・継続、断絶・消滅が絡み合って、単線的な歴史方法論では解明できない」[被差別問題の本質は、長い歴史を持つ史の中での最終の段階における身分差別の形態である。・制を中心とした近世政治起源説に全て流し込めるような貧相なものではない]
「ヨーロッパ文明中心的な近代主義的歴史観=巨大科学技術体系と資本制市民社会を人類発展のための不可欠の道程として評価する生産力中心主義史観=西洋近代文明のみを人類文明史の正嫡として認知しようとする思想=アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの諸地域に自生し長い固有の伝統を有してきた諸文化を価値的に否定する思想では、被差別民衆の生活と文化の歴史は世界文明史の負の遺産・暗い闇の領域として切り捨てられる」、という。
 《野蛮→未開→文明》という発展史観では、「アジア的社会」は、歴史の進歩から取り残されたものであり、ヨーロッパ近代に駆逐される運命とされる。そう、このマルクスの旧来の「アジア的生産様式」の認識は、アジア的段階・ギリシャ・ローマ的段階・キリスト教的・ゲルマン的段階と発展するヘーゲルの『歴史哲学』の思想に発するが、そこではアジア的段階は世界史圏外に据え置かれる。
 以上のような立場からは、アジアの被差別民は見えてこない、と沖浦は格闘する。
 以後、この課題が、どのように前進したかは、私は知らない。
 20年前、沖浦の問題意識は一部で取り上げられたが、少数派であった。
 過日、五木・沖浦の対談集を読んでこの本を読んだ。
 野間も沖浦も「今日の文明危機から脱しうる国・インド」などとインド幻想に陥っている点は割引いても、二人のテンションは高い。
「日本の歴史の中で被差別民衆の担ってきた役割~産業・技術・流通・文化・芸能・宗教・民俗に渡る広範な領域で彼らが果たしてきた役割と仕事を無視してはまっとうな歴史を語ることはできない。被差別民衆の果たしてきた生産的・創造的役割についての正しい認識が普遍化してくる時こそ真の解放への第一歩が始まったと言える」
 インドカースト制度・不可触の問題は、ガンジーはその存続を支持した。
 朝鮮では、白丁についての歴史はほとんど残っていないと言うし、研究ももほとんど進んでいないという。
【メモ】
・『マヌ法典』~ヒンズー教の元になるバラモン教の教説集
月経中・産褥中のじょせいを不浄と見る、身体障害者を“”と見る、汚れとされている職業に従事している人間をと見る。
・人々を動物の名を付けて差別する~蝦夷、国樔(クズ)、熊襲、隼人、土蜘蛛
・律令制の場合、賤から良への身分的上昇が可能だった。カースト制はこれを全く認めない。
・インドの思想家=アンベドカル~「どのような宗教にせよ、コミュニズムの問いかけに対して回答を用意できないものは生き残ることができない。仏教こそ、コミュニズムの持っている問題点をただすことができる」「あなた(ガンジー)がカースト制を支持しわれわれをいつまでも惨めな状態に置いて置くならわれわれ差別されているアウト・カーストと先住民族はカースト・ヒンズーから分離独立する」
・「アンベドカル大学は校庭を開放してそこに2万人のアウト・カーストがすんでいる」
・「中国の良賤制では〈貴・賤〉が主軸、インドでは〈浄・穢〉が表に出ている」
・「中世の革新仏教・浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗、空也・一遍はの一部、宿、河原の民、山人、川人、海の人、ワタリの層、全国を放浪する商工民は“三界に家なし”と賤視された」
・砂鉄師(蹈鞴タタラ職人)、木地師(轆轤ロクロ細工)、サンカ(ワタリ)、[河原はゴミを捨て、死体を埋めたりする。皮を剥ぐ、染め物をする、芸能を河原でやる、船頭、馬借、観阿弥・世阿弥(猿能楽)、善阿弥(庭師)、雑芸能(猿楽・田楽・声聞師・説経師、琵琶法師)、遊女・傀儡女(クグツメ)・巫女・鵜飼
・〈有縁・無縁〉~神や仏と縁を結ぶ、その功徳=神仏の恵みを授かる“結縁”の日=縁日

 イギリスのアイルランド、南北米の先住民族とスペイン人・白人、北米の黒人と白人、ヨーロッパのノマとユダヤ人、日本におけるアイヌ民族と被差別民と沖縄人、オーストラリアのアボリジニ、ロシアのスラブ主義、などこうした民族的人種的対立や侵略、迫害と差別は、何千年にも渡って続けられて来、今なお存続している。
そのことを考えると、この呪縛から逃れられないのではと感じてしまう。 
 この根深い差別偏見は、障害者や老人、女性、子供、同性愛者、賢くない人、見てくれの良くない人、性格の良くない人、貧乏人(ホームレス・貧乏人)らへの差別を根から支えている。
 人は、人類はどこに向かおうとしているのか。
 思い出した、かつて、レーニンとインドのロイが、コミンテルンで「民族植民地問題で論争」したが、そのインド人ロイの頭の中に不可触民・カースト制度の解決はどう思い描かれていたのだろうか。

5.『ラブ・イズ・ザ・ベスト』~佐野洋子著
佐野さんは「ブス」と言うが、カバー裏にの写真はいわゆる美人ではないが「ブス」ではない。魅力的な顔をしている。
「私たち、ただ産まれてきただけなのね」(「結局母親ってのは子供を産んだだけなのよね、何もできないのよね」と言った後に。)
「ミチコにも私にもあなたにもめざましい人生の出来事はなかったかも知れない。ごく普通の当たり前のことだけを生きてきた。『大丈夫だったらあ』が、一千万、一億の貯えよりも、私達を生かして来た。」
白石公子さん(詩人・エッセイスト)の解説が素晴らしい。佐野さんの魅力を実に簡潔に表現してくれている。

4.『食に命懸け』~小泉武夫著
読みたいと思っていた小泉さんの初めてのもの。
期待したもの=発酵のおもしろさとは違って、ちょっとグルメっぽい=スローフード物、でも一流の人のがんばりは、とてもすごい。
【メモ】鯉ヘルプスは、鯉が風邪を引いたのと同じことです。無理な飼い方からストレスがたまり、弱った鯉がコイヘルプスにかかって死んでしまう。
【メモ】京都では御所に関係のあるところ(御所の出)は「家」を使い、商人だと「屋」になる。
 「おいでやす」は商人言葉、「おこしやす」は御所言葉。
・岡本養豚・千代幻豚=http://www.i-chubu.ne.jp/~cygenton/panhu.htm
・筑紫亭・真ハモの料理屋=国登録有形文化財:http://ww6.tiki.ne.jp/~chikushitei/index2.htm
・マルデンタ=サンマのみりん干し=http://www.rakuten.co.jp/bansuke/911911/969128/
・能登郷土料理・民宿さんなみ=http://www.noto.ne.jp/sannami/
・桝塚味噌・野田味噌商店=http://www.masuzuka.co.jp/

3.『嘘ばっか』~佐野洋子著
38編の昔話のパロディ。
「おとぎ話は、子供にとって心の傷である。大人は傷をなめて生きている」。
私にはあまり、おもしろくなかった。

2.『あれも嫌い これも好き』~佐野洋子著

佐野さんの二冊目、不思議な文章、
読点が少なく、普通の人が漢字を使うところを平仮名を使い、そこで読み間違えることがある。
「長生きは本当にめでたいことなのか。
豊かな老後など本当にあるのだろうか。
世の中は合唱する。自分らしく生き生きと生きましょう。
なら、何で自分らしく死ぬ自由はないのだろうか。
一日でも長く生きることはそんなに尊いことなのだろうか。
私は取り乱しているだけである。」
=しばらく佐野さんと付き合ってみよう。

1.『週末農業を楽しむ本』~宮崎隆典著
週末農業という考えがあることは知らなかった。
やはり農業は大変だなって、感じた。
僕の場合は、家庭菜園程度で良いな。
法律のことは参考になったが、週末農業の意義、楽しみ方などは不要で、技術論・ハウツウ物に徹した方が良いと思った。

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