3月31日、行田市=さきたま古墳公園周辺 を歩いた。

JR高崎線行田駅から市内循環バスでさきたま古墳公園近くの富士山バス停に行った。
一日東循環5便、西循環5便[100円] 安楽寺 心行地蔵尊[すでに廃寺となっている]

前玉神社 大鳥居(1626年) 石灯籠(1697年)

さきたま古墳公園
二子山古墳 将軍山古墳

稲荷山古墳 丸墓山古墳[赤丸内は人]

公園の看板(後ろが丸墓山古墳) はにわの館

天寺

さきたま遺跡の博物館(入らなかった、200円) 旧遠藤家住宅

ここに温泉[茂美の湯]が。

妙音寺

大蔵寺 普通の民家の前に何故かこれが

遍照寺

成正寺 清岩寺

天満社 水城公園[順番が少し前後するが]

高源寺

清源寺


新兵衛地蔵尊

これはおもしろかった[新兵衛地蔵尊の人気ランキング] 一葉観音

行田市郷土博物館・忍城 門

行田市郷土博物館[200円]、櫓(城)に登れるが窓が小さくあまり眺望できない。

東照宮
電気施設を覆う箱の上にブリキ製の沢山の彫刻、これは楽しかった。

足袋とくらしの博物館[行田と言えば、"足袋"、だが入らなかった。] さきたま古墳公園にあった埼玉県名発祥の碑

昔の足袋屋の蔵があちこちに
時田蔵 旧小川商店

保泉蔵 十万石のふくさ屋

本陣跡 蓮華寺

大長寺


私は、古代史については邪馬台国が九州なのか近畿なのかについての漠然とした興味はあるが、
それ以上の特別な関心は持っていない。
さきたま古墳公園は広大で迫力があります。
詳しい歴史はまだ明かではないようだが、6世紀頃この地に日本書紀の世界があることの不思議、である。
この近辺にも古墳群がまだあるようである。さきたま古墳群は中央の下の方である。

流れる川は、利根川である。
何故この地が開かれ、どんな生活が営まれ、どんな人の墓であったのか、などを思い巡らすのも楽しい。
戦国時代になると、忍城が作られ堅城を誇ったようであり、城下町として発達した用である。
古代栄えた所がそれ以降も続いて栄えるのは少ないようだ。
どうしてそこが棄てられ廃れ、新たな地が選ばれたのにはどんな理由があったのだろうか。
春休みでもあり、家族連れも多く、大型観光バスもかなり来ていた。
入場は無料で囲いはない。その開放感はいいのだが、
パンフレットがあるのかないのか、どこでもらえるのか、どんな巡り方をすればいいのか、などはよく分からない、
それ以上に、困り問題なのは、ここに来る公共交通手段がほとんどない、ということ。
JR吹上駅、熊谷駅のバスの便はあるようだ。
私は、秩父鉄道の行田市駅まで歩いて行ったのだが、駅に着いた時、ちょうど熊谷方面の電車が出た。
実は、私は熊谷鉄道の時刻表を事前に調べなかった。
1時間に4本位あるのかと思っていたのだが、1時間2本であった。
駅の待合室で座っていてウトウトした。

JR高崎線行田駅から市内循環バスでさきたま古墳公園近くの富士山バス停に行った。
一日東循環5便、西循環5便[100円] 安楽寺 心行地蔵尊[すでに廃寺となっている]



前玉神社 大鳥居(1626年) 石灯籠(1697年)


さきたま古墳公園
二子山古墳 将軍山古墳


稲荷山古墳 丸墓山古墳[赤丸内は人]


公園の看板(後ろが丸墓山古墳) はにわの館


天寺


さきたま遺跡の博物館(入らなかった、200円) 旧遠藤家住宅


ここに温泉[茂美の湯]が。


妙音寺


大蔵寺 普通の民家の前に何故かこれが


遍照寺


成正寺 清岩寺


天満社 水城公園[順番が少し前後するが]


高源寺


清源寺




新兵衛地蔵尊


これはおもしろかった[新兵衛地蔵尊の人気ランキング] 一葉観音


行田市郷土博物館・忍城 門


行田市郷土博物館[200円]、櫓(城)に登れるが窓が小さくあまり眺望できない。


東照宮


電気施設を覆う箱の上にブリキ製の沢山の彫刻、これは楽しかった。



足袋とくらしの博物館[行田と言えば、"足袋"、だが入らなかった。] さきたま古墳公園にあった埼玉県名発祥の碑


昔の足袋屋の蔵があちこちに
時田蔵 旧小川商店


保泉蔵 十万石のふくさ屋


本陣跡 蓮華寺



大長寺




私は、古代史については邪馬台国が九州なのか近畿なのかについての漠然とした興味はあるが、
それ以上の特別な関心は持っていない。
さきたま古墳公園は広大で迫力があります。
詳しい歴史はまだ明かではないようだが、6世紀頃この地に日本書紀の世界があることの不思議、である。
この近辺にも古墳群がまだあるようである。さきたま古墳群は中央の下の方である。

流れる川は、利根川である。
何故この地が開かれ、どんな生活が営まれ、どんな人の墓であったのか、などを思い巡らすのも楽しい。
戦国時代になると、忍城が作られ堅城を誇ったようであり、城下町として発達した用である。
古代栄えた所がそれ以降も続いて栄えるのは少ないようだ。
どうしてそこが棄てられ廃れ、新たな地が選ばれたのにはどんな理由があったのだろうか。
春休みでもあり、家族連れも多く、大型観光バスもかなり来ていた。
入場は無料で囲いはない。その開放感はいいのだが、
パンフレットがあるのかないのか、どこでもらえるのか、どんな巡り方をすればいいのか、などはよく分からない、
それ以上に、困り問題なのは、ここに来る公共交通手段がほとんどない、ということ。
JR吹上駅、熊谷駅のバスの便はあるようだ。
私は、秩父鉄道の行田市駅まで歩いて行ったのだが、駅に着いた時、ちょうど熊谷方面の電車が出た。
実は、私は熊谷鉄道の時刻表を事前に調べなかった。
1時間に4本位あるのかと思っていたのだが、1時間2本であった。
駅の待合室で座っていてウトウトした。