まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

桜の木の下には死体が埋まっている

2010-03-24 | 随筆
いよいよ桜の季節だ。最初、河津桜が二月に咲き、今、カンザクラ(上記写真)が満開だ。そしてソメヨシノが開花宣言、郊外はいよいよピンク色に染まる。桜の下には死体が埋まっている、誰か往時の文学者がそう書いたけれど、それほど桜は奇異に美しい。河原を歩いてベンチに腰掛けていると、唯一咲き始めたソメヨシノの花びらを、ヒヨドリが全部平らげた。そんなに焦らなくてもこれから一杯咲くぞ、そんな思いで煙草をくゆらせる。米軍基地は始めから県外移設など在りえないのに政府の茶番劇。マスコミはあいも変わらず「政治とカネ」の視点一辺倒で国民を誘導する。今朝の新聞の声の欄にはアルバイトの50歳の男性が「春闘は誰のための春闘か。私は年金を納めるどころか、今日のカネに困っている」とあった。その奥には同じような1000万人の貧困者たちがいる。彼らの生活の苦しみはいかほどかと思う。そして、そう思う、傍観者の俺がいる。傍観者の俺は、もはや「今」を生きず、その日その日を自堕落に暇を潰している。世の中はおしくらまんじゅうのように喧騒で、おいらは死人のように喜怒哀楽の波はない。それらどんな人の肩にも、これから桜の花びらが、満遍なく、ひらひらと落ちていく季節になる。「ポンチュ、お前は生きてるかー」、10年前に桜の季節に暴漢に襲われ他界した親友が、そう桜の木の下から叫んでいる。