まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

「青春哲学の道(14)」

2011-09-07 | 自叙伝「青春哲学の道」
電気屋を辞め、また家でごろごろしだしたある日、広告代理店の知人から「広告を手がけている得意先のオカドという会社が傾きかけている。このままだと広告代が回収できなくなる。お前の力ならできる。立て直してくれ」という依頼があった。相模原でトラック100台を持ち引越しを手がける、岡戸総業という運送会社だった。俺も子供二人を抱え、失業中だったので、岡戸社長に会い、企画室長という肩書きで、仕事をするようになった。最も俺は雑誌生活が長くサラリーマン気質ではないことは前回の電気屋で経験しているので、勤めるというのではなく経営コンサルタントとして週5日常勤の請負仕事という形をとってもらった。中に入って調べてみると、まず、常用といわれる物流の仕事より、引越しのほうが5倍も粗利が出ることがわかった。まず、方針としては引越し部門を伸ばし、収益を上げること。次に現状の引越し受注を見ると、チラシ配布、電話帳広告が主軸だった。受付でお客のアンケートを実施させ調べた結果、引越しの売り上げに占める広告料はそのどちらも25%を占めていた。広告料を減らして、売り上げを上げる方法はないか。今でこそスーパー、コンビニのサービスカウンターは多くのサービスを取り上げているが、今から25年前は、ほとんどサービスカウンターを設置しただけで、各流通業も模索状態だった。一方引越し顧客を調査すると、市から同じ市に引っ越すのが3割、隣の県なり市に引っ越すのが3割、他県に引っ越すのが3割という状況だった。そうするとほぼ6割は地域密着の流通業とサービスとして提携できる素地があった。俺は、プレゼンテーションの資料を作り、スーパー、コンビニ、ホームセンターなどを回り、どんどん提携を進めていった。パンフレットを店に置かしてもらい、各流通業の店のチラシにも「引越し承ります」と広告を入れてもらい、受ける電話はオカドに置いて、成約できれば10%の手数料を支払うというシステムだ。
オカドの売り上げは瞬く間に伸びた。次に考えたのは新聞の勧誘である。大手新聞社は新規購読者獲得にしのぎを削っていた。特に引越しで購読が切れるので、俺はそこに目をつけて、またプレゼンを作り、読売、朝日など本社を回った。乗ってきたのが読売である。東京本社の読売新聞は広域だったので、俺の構想は神奈川を中心としたオカド一社ではムリなので、関東全域に読売の引越しを扱う運送会社を募り、読売には引越しの広告を出してもらう。そして受注した引越しの顧客には、引越し翌日から読売新聞が読めますよと各運送会社に勧誘をしてもらう、大まかに言えばこういうシステムだった。読売からGOのサインが出て、このシステムを完成させたら、なんと読売新聞の新規購読が年間1万件も取れた。さらに読売ルートで引越し受注が大幅に増えたことはいうまでもない。しかしその間、岡戸社長は、浮気をしたり、当時不要と思われたコンピュータを一千万円も掛けて導入したり、地獄の特訓という社員研修に膨大な金を掛けて社員全員を行かせたりしていた。俺は、儲かった金で財務体質を強化すればいいのにと思っていたが、人から薦められると何でもOKを出す人のよさが、脇の甘さとなっていた。そんなこんなで、三年半引越センターの仕事をやっていたある日、岡戸社長の別れた奥さんと喧嘩になった。奥さんはまだ肩書きだけは常務として在籍しており、その弟が専務になっていた。詳しい事情は忘れたが、奥さんの時代と経営規模が随分変化しているのにも関わらず、たまたま社にやってきた常務が昔のやり方を持ち出したので「あなたには経営が判っていない。口出ししないで欲しい」とやり合った。「谷さん、もう少しガマンしてくれればよかったのに」と岡戸社長は言ったが、俺はまたまた身を引くことになった。俺はやはり組織や人間関係というものが苦手だったし、身を引く潮時でもあった。岡戸社長は向こう半年間、今までの功績を認めてくれて、毎月30万円退職金代わりに振り込んでくれるという。それなら半年間仕事をしなくても暮らしていける。俺はドラマのシナリオ塾に通うようになった。


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